3本目 美食の貴公子とお菓子販売
私は夢でも見ているのでしょうか。
「何?ボクの顔に何か付いてる?」
訝しげにこちらを向いたセシル様。
至近距離で見てもお肌に全く粗などが見当たりません。最早美の化身と言っても過言ではない気がします。
ぶんぶんと首を振り、こんな人が私のお菓子販売を手伝って下さるなんて夢じゃないかしらとそっと頬を抓ります。……痛いです。
「あんたはここに来るのが初めてだから知らないんだろうけどさ、この街の奴らは新しい物や珍しくて面白いものが三度の飯より大好物なんだ。慣れた商人ならまだしも、素人が初出店で一人で店を回そうなんて正気の沙汰じゃないよ」
「そ、そうなんですか……」
「そうなの」
「大変なんですね…………」
か、会話が続きません。気まずいです。
だって、一体何を話せばいいのでしょう。私が話せる事なんてせいぜいお菓子の事くらいで、田舎に住んでいるせいで流行にも疎く、普段友人達とお喋りをする時だってほぼ聞き役なのです。そもそも侯爵家の方を前にして口を開く事すら畏れ多いのに、この沈黙はどうしたら良いのでしょうか。
オロオロしながら顔色を窺っていると、段々とセシル様の表情が険しくなってきました。お気分が優れないのでしょうか。誰かお医者様を……。
「あのさぁ……さっきからチラチラチラチラこっち見てないで言いたい事があるならさっさと言ってくれる!?気になって仕方がないだろ!?」
「えっ!?ええっと……」
言いたいことなんて何もありません。ですが早く何か言わないとセシル様が気を悪くされてしまいます。
早く何か言わないと……。
「あっ……あの……!」
絞り出した末出てきたのは「セシル様の好きな食べ物はなんですか?」という子どもみたいな質問でした。
「へ?」
案の定素っ頓狂な声を上げてよく分からない顔をされてしまいました。セシル様のこんな表情一度も見た事がありません。よっぽど私の質問がおかしかったのでしょう。自分の話題性の無さに呆れを通り越して最早悲しくなります。
「そ、その……!セシル様はかなりの美食家だと聞いた事があったので……!だから、その……」
「…………」
『恥ずかしい……』
セシル様も無言になってしまいました。今なら顔から火が出たっておかしくない気がします。
私は「すみません」と身体を縮こませました。
「あの、今の質問は忘れて……」
「あのさ、いちいちビクビクされたらこっちが悪いことしてるみたいだろ。ちょっとびっくりしたけどそのくらい普通に答えるし、家の爵位は……まあ違うかもしれないけど、同い年相手なんだから堂々と胸張って自分の思ってること言いなよ。……ちゃんと聞いてやるからさ」
「え……」
くだらない質問をするなと怒られてしまうかもしれないと思ったのですが、どうやら律儀に答えて下さるみたいです。
それに、対等な立場で話していいと言って下さるなんて。
「ほら、肩の力抜いて。背中丸めないで背筋伸ばしなよ」
縮こまっているとお腹が苦しかったのですが、ゆっくりと背筋を伸ばすと少し息が楽になりました。
セシル様がふっと優しく微笑みます。
「うん、悪くないね。そっちのが断然良いじゃないか」
満足そうに頷かれて、私はふっと身体から緊張の糸が解けていくのを感じました。
『お優しい方なんだわ』
口調はたまにキツイこともあるけれど、私の事をとても気遣って下さっているのだという事がよく分かります。
セシル様は「質問の答えなんだけど」と前置きして薄い唇をもたげました。
「もちもちした食感が好きだから、餅とか大福をよく食べるかな。でも嫌いなものは特に無いから何でも食べるよ。いつも動いてるせいかすぐお腹が空く……って、だからって食いしん坊って訳じゃないんだからな!?そこのところ履き違えないでくれる!?」
聞いてもいないのに突然顔を真っ赤にして弁解し始めたセシル様に慌てて「わ、分かってます!大丈夫です……!」と宥めます。
もしかして誰かに食いしん坊と言われた事があるのでしょうか。だとしたらセシル様にそんな事が言えるなんて凄い人です。私だったら口が裂けたってとても言えません。
「運動だって毎日して太らないように努力してるし、健康にだって気を使って……!」
「……健康……」
そうです。セシル様は虚弱体質だったはず。それがどうしてこんなに普通に街を出歩いているのでしょう。さっきなんて全速力で走っていましたし寧ろ普通の貴族よりよっぽどアクティブです。健康そのものです。とても身体が弱いようには見えません。
セシル様は「あっ」と己の口をぱこっと手で押さえました。しかし口に出した言葉は返って来ません。セシル様の額から冷や汗が大量に流れてきました。代謝も非常に良いようで何よりです。
「セシル様、身体が弱く社交の場にあまり出られないというのは……」
「え〜〜〜〜〜〜っ………とぉ…………」
じり、と一歩下がったセシル様。見るからに焦っています。
しかし背に腹はかえられぬと思ったのか、くっと下唇を噛み締めました。
「……誰にも。誰にも言わないって、約束してくれる?」
「……?はい……」
了承はしたものの、一体何を、と聞こうとして。
「社交が嫌いなんだ」
「えっ」
「大っ嫌いなんだよ、社交が」
まさか倒置法を用いて大を付けた上で2回も言われるとは思いませんでした。
「もううんざりなんだよ!パーティーに行く度に香水臭い骨と皮みたいな身体したご婦人達に擦り寄られて、詰め物まみれでスカスカの胸をぐいぐい腕に押し付けられて!どれだけ逃げても付いてくるし、気分が悪くなったから一人にして欲しいって言ったら休憩室までお供しますとか言ってどこまでも追い掛けてくるんだ!まるで骸骨!亡霊!もはや魑魅魍魎の類だよ!」
「あんな所に茶をしばきに行くくらいなら魔物の森で山菜採りした方がマシだ!」と震え始めたセシル様。
あっ、セシル様の顔がどちら様ですかと尋ねたくなるくらいしわっしわのくっちゃくちゃになっています。綺麗なお顔に皺ができてしまいますよ。
『……でも、確かにそれは問題だわ……』
未だ婚約者が居らず恋人が居るという噂もない、完全フリーの状態のセシル様はかなりの数のご令嬢達にロックオンされているのです。本人が望んでいないのに大勢のご令嬢達に囲まれてしまってはせっかくのパーティーも楽しめず、行きたくないと思ってしまうのも無理はないでしょう。
「そんなわけで、ボクは仮病を含めありとあらゆる口実を駆使して社交の誘いを片っ端から断ってるだけで、実際はこの通りピンピンしてるんだ。仮病を使いまくるおかげでいつの間にか虚弱体質だって噂が広まっちゃったけどね」
「なるほど、そうだったんですね……」
「……なんでボクほぼほぼ初対面のあんたにこんなこと話してるんだろ……貴族なのに社交が嫌いとかバチバチのトップシークレットなのに……」
それはセシル様が自ら墓穴をお掘りになったからではないでしょうか、なんてことはさすがに言えません。
でも、セシル様はちゃんとお元気だったんですね。
私はにっこり微笑みました。
「実は身体が弱いというお噂を聞いていたので心配していたのですが、本当の事が知れて良かったです。セシル様がお元気そうで安心致しました」
「……え?」
「あっ、でも体調が優れなくなったらいつでも仰ってくださいね。美味しいお菓子とお茶をご用意しますので、テントの影の方でゆっくりお休みになって下さい。今日は陽射しもよく差しますので……」
「…………」
「……あの、どうかされましたか……?」
セシル様の顔が未確認生命体を見たような表情になっています。私、そんなにおかしなこと言いましたでしょうか。とりあえず未知との遭遇から帰って来て頂きたいのですが。
「あの……?」
「な、なんでもないよっ!なんでもないったら!」
真っ赤になって顔を思いっきり背けておいてなんでもないということはないだろうとは思うのですが、ご本人が言うのですからきっとなんでもないのでしょう。深くは追求しないことにしておきます。
「そろそろマルシェの開始時刻ですね。広場にも人が段々増えて来たみたい……」
「このマルシェはあんたみたいに他領からやって来る商人や、他の国からやって来る商人も居るからね。郷土料理にその土地特産の日用雑貨……。面白いもの好きのこの街の奴らが家で大人しくしてるわけがないよ。今のうちにバシッと構えときな」
他の国の食べ物。見たこともない食材が手に入るかもしれません。もしかしたらお菓子作りの新しい、いいアイデアが思い浮かぶかも。
「楽しそう……」
「見に行きたいんだったら急いでお菓子を売り捌かなきゃね。特に初参加の店の物は物珍しくてすぐ売り切れるから時間との勝負だし。見たこともない美味しい食べ物がいっぱいあるんだ、絶対に見過ごせないよね」
「それでセシル様は、今日が初参加の私のお菓子も買って下さったんですね」
領主の特権を使ってマルシェ開始前に現れたセシル様。美味しいものを調達するのに余念がありません。さすが美食家だと感心していると。
「ああいや、それは……」
セシル様が何か言いかけて、カランカランとマルシェ開始の鐘が鳴り響き顔を上げます。
「始まったね。これから忙しくなるよ!気を引き締めて掛かりな!」
「はっ、はい!」
「あれ、セシルさまだ!なんでこんな所にいるのー?」
「ほんとだセシル様だ。こんにちはセシル様」
セシル様の言葉通り、早速子連れの夫婦がやって来ました。
「あっ、ほら客が来たよ」とセシル様に肘で小突かれて姿勢を正します。
セシル様の言葉の続きは気になりますが、今はお客様が優先です。
私はお客様の方を向くと「いらっしゃいませ!」と笑顔を作りました。
❂ ❃ ❅ ❆ ❈ ❉ ❊ ❋
「あっセシル様。今日は食べ歩きしてる姿を見ないと思ったらお菓子売って遊んでたんですね」
「誰が遊んでるって!?見ての通り真剣に商売してるよ!」
「あっ、セシルさまだー。今日は何も無いところで転ばないのー?」
「ボクは四六時中ずっ転けてるわけじゃないんだからな!?」
「セシル様……」
「セシル様!」
凄い人気です。セシル様、領民に慕われ過ぎてあの子連れ夫婦を皮切りにさっきから客足が途絶えません。
ひっきりなしにやって来るお客様全員に対応して、その度にセシル様がついでのように「ほらこれも買いな!」「そこで見てるあんたも買いな!」と半ば押し売りのようにして売るので物凄い勢いで売れていきます。
そして気が付くと、あっという間に全員を捌き切ってしまいました。
「つ……疲れたぁ……」
セシル様がその場で尻もちをついてため息を吐きました。ずっと売り込みをして下さっていたので声が少し掠れてしまっています。
お茶の入ったコップを渡すと、ごくごくと一気に飲み干してしまいました。相当喉が渇いていたのでしょう。なんだか申し訳ないです。
「すみません、私のせいでセシル様の喉が……」
「別にいいよ、ボクが自分から首突っ込んだせいでなったんだから。だからあんたは暗い顔するなよ」
「でも……」
「あーもーボクは大丈夫だから!ほら、ぼさっとしてないで早く次の商品並べなよ!」
「はっ……はい!」
セシル様に怒られて急いでトランクケースの中を覗き込みます。しかしケースの中は空っぽで、持ってきたお菓子は全て売れてしまったようでした。
「あの……もうお菓子は今売れたのが最後で……」
「はぁあ!?おやつ時はこれからだってときに品切れしてどうすんのさ!」
初日は様子見と思って少なめに持って来たのですが、まさかこんなに飛ぶように売れるなんて思ってもいませんでした。完全なる計算不足です。
「まったく……売るものが無いんじゃしょうがないね。まだ昼前だけど、今日のところは店仕舞いするよ」
「は、はい……!」
家から迎えの馬車が来るのは夕方の4時。マルシェが終わる時刻です。時計台を確認すると今は11時を過ぎたあたりなのでまだ4時間以上も時間があります。
「マルシェ、回ってみようかしら……」
次のお菓子作りの材料になるいい物があるかもしれません。せっかくはるばるここまで来たのです。馬車を拾ってこのままとんぼ返りしてしまうのは少し勿体ないような気がします。
「……それじゃ、ボクが案内してやるよ」
「え……?」
「だから、ボクが案内してやるって言ってんの。どうせ今日はボクもまだマルシェでやらなきゃいけない事があるし。……このボクが今日一日、特別にあんたに付いててやるんだから感謝しなよね」
ぽつりと零した私の呟きを聞いていたのか、セシル様が照れたようにフンと鼻を鳴らしました。
私は驚きで声も出せずにいました。
だって、お菓子の販売も手伝って下さった上に街の案内までして下さるなんて。
私が呆然としている間にセシル様はテキパキと販売ブースを片付け、「ほら行くよ」と言って私が持って来たトランクケースをひょいと持ち上げて行ってしまいました。
『なんて親切な方なのかしら……』
口調は少し素直じゃないけれど、世話焼きでとても優しい人。
「早く来なよ」と私を待つ、アメジスト色の瞳。
私は息を吸い込むと、「はい!」と笑顔で駆け寄りました。
お読みいただきありがとうございます( *´︶`*)