番外編 セシルとルートの熱砂訪問①
コレットとマルシェで出会う半年程前のセシル様の話です。
「兄さん、ちょっと旅行に行かない?」
家族全員の夕食の時間の後。廊下を歩きながら今年編むマフラーのデザインについて考えていたら、ルートに突然呼び止められた。
普段素っ気ない弟から旅行のお誘い。そのあまりの衝撃にボクはぐらりと身体のバランスを崩し、肩をごいんと壁に強打した。
「えっ、ボクと!?」
ルートは最近反抗期なのかなんなのか知らないが、話し掛けても生返事か軽く受け流されるだけで全くボクの事を見ようとしない。ボクと話す時だけ真顔だ。他の人と話す時は表情豊かなのに。
最近ルートからよく言われる単語は第3位が「あ、兄さん居たんだ」、第2位が「そこ退いて」、堂々の第1位が「うるさい」だ。自分で統計取りながらちょっと泣きそうになってきた。
そんなルートが、どうして急にボクと旅行なんて。
聞き間違い……いや、都合のいい幻聴じゃないだろうか。どうしようこれで本当は「邪魔だから退いて」とか言われてたら。部屋に籠ってマフラーをちまちま編みながら啜り泣いてしまうかもしれない。
最早何も信じられなくなって、目の前のルートは本当に弟なのか、もしやドッペルゲンガーなのではないかとまじまじと疑いの眼差しで見つめていると、「ほらこれ」とルート――ドッペルゲンガー(?)――に封筒を手渡された。
「何これ?」
「メイさんからの手紙だよ。再来月開催するコンサートでピアノを弾きに来てくれないかって。コンサートで僕が作った曲を歌ってくれるみたいなんだ!嬉しい!」
少しざらついた小麦色の封筒。中を確かめてみると、なるほどコンサートのゲストとしてピアノを演奏してくれないかという旨の内容が書かれた手紙が入っていた。
「多分親族としてゾノさんも来てるだろうし、兄さんも数少ない友達と会える良い機会でしょ」
「数少ないは余計だよ!」
魔法があまり使えない代わりにせめて筆記は好成績を残さねばと、がむしゃらに勉強して学園の入学試験で一位をとったら「すごいなお前」と妙に勢いのある褐色肌の留学生の男に懐かれた。それがゾノである。
メイはゾノの双子の妹だ。ある日突然ゾノが予告もなしに家に遊びに来た時にメイも一緒になってくっ付いて来た。そしてそこでピアノを演奏していたルートと意気投合したのだ。2人共かなり性格にクセがある兄妹ではあるものの、秋に学園を卒業してから2か月が経った今でも頻繁に連絡をとり合っている。
「その日は父さんも母さんも仕事だし、おじいちゃんとおばあちゃんに頼んだら全然違う目的地に連れて行かれそうで怖いから消去法で兄さんかな〜って」
「消去法かよ」
ひとたび社交に顔を出せば様々な所からお声が掛かるこの絶世の美男子を消去法でやむなくご指名とは。そんな事するような奴はこいつくらいのものだと思う。面の皮の厚さが半端じゃない。魔法全辞典くらいの分厚さはありそうだ。
「保護者同伴じゃないと不安なんだよ、僕まだ13歳だし。兄さんお願い付いて来てよ〜」
「そんな露骨に嫌そうな顔しながらおねだりされても嬉しくないよ!」
声は高く甘えてるのに顔は嫌すぎてしわっしわのくっちゃくちゃだ。どんだけボクと出掛けるのが嫌なんだ。傷付くだろ。
「そんなにボクと行くのが嫌ならマイロでも連れて行きなよ!」
「あっ確かに。おーい!マイロさ……」
「わーっ!行く行く!行くってば!ちゃんと連れてってやるから待てよ!」
「お呼びで御座いますか」
「呼んでない!帰って!」
危ない、ついカッとなって弟と2人で旅行が出来る貴重な機会を逃すところだった。
にゅるんと天井の穴から逆さまになって出て来た金髪のおかっぱ頭をしっしっと追い払い、パタンと閉じられた隠し扉に深い溜め息を吐く。
「その日はちゃんとボクが連れてってやるから我慢しなよ……」
「はーい。ありがとー。じゃあおやすみー」
全く感情の篭っていない声と表情で形だけの挨拶をされた。すたすたと背中を向けて去って行くルートの後ろ姿を眺めながら呟く。
「ほんっと可愛くない弟だな……」
と言いつつも、幾つになっても弟は可愛い。昔はめちゃくちゃ可愛かったが、今はちょっと可愛い。さすがに刃物を持って奇声を発しながら襲いかかって来たら可愛くないかもしれないが、そうならないうちはずっと可愛いと思っている。我ながら弟に甘い。
「ふふん」
ルートと旅行。ルートと旅行したのなんて昔父さんの仕事に一緒に付いて行ってた頃以来だけど、今回はなんと2人きりだ。
「兄弟水入らずの熱砂旅行……!これを機に良いところをみせて『さすが兄さん!かっこいい!頼りになる!』って言わせてやるもんね!」
「私も影ながら同行してお手伝いさせて頂きます」
「うわっまだ居たのかよ!?呼んでない!帰って!!!」
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出発日前日の夜。
黙々と部屋でマフラーを編んでいると、「兄さん」とドアを軽くノックする音が聞こえて来た。いつもノック無しで開けてくるルートがノックをするなんて珍しい。天変地異の前触れだろうか。
「ん、ルート?なんだよ、ボクに何か用?」
「明日持って行くものについて相談があるんだけど」
ボクはすっかり準備を終わらせたけど、ルートはまだこの時間になっても荷物の整理が終わっていなかったようだ。普段空気のような扱いをしているボクに相談に来る程だから結構重要な事かもしれない。
「相談ってなんだよ」とドアを開けると、腕にどっさりとテーブルゲーム、カードゲームの類を抱えたルートが立っていた。
「兄さん、馬車の中で遊ぶならどれがいい?」
結構どうでもいいことだった。
「お前よくこんなに抱えて来たね……!?」
「これ持ってるせいでドア開けられなくてさ、兄さん部屋入れて」
「両手が塞がってるのによくノック出来たね」
「僕には足があるからね」
「人の部屋のドアを蹴るんじゃないよ!」
「お邪魔しま〜す」と入って来たルートがテーブルの上にドサッとそれらを置く。ゲームの山だ。今にも雪崩が起きそうだ。
「行きの馬車でするのは何がいい?」
「えっ、行き?帰りは?」
「帰りは別のをするよ。泊まったところでもまた違うのやりたいしぃ」
どうやらボクは行きと帰りと宿泊先で少なくとも3つのゲームで遊ばないといけないらしい。
「とりあえず馬車で人生ゲームはやめときなよ……」とテーブルゲームの山から取って下に置く。馬車の中で人生ゲームなんてしたら揺れで駒が動いて人生がめちゃくちゃになってしまう。
「チェス……」
「も、駒が倒れるよね」
「テーブルゲームは無しでいいんじゃない」と言うとルートは少し不満げにテーブルゲーム類を床に置いた。でもカードゲームがまだいっぱい残っている。こいつどんだけゲーム持ってるんだ。
「じゃあやっぱりトランプかなぁ。神経衰弱とか」
「揺れる馬車の中で神経衰弱する気?」
ガタガタと揺れる馬車。揺れで動くカードの位置を覚えて当てるなんて目的地に着く頃には本当に神経が衰弱しそうだ。あとずっと下向いてたら酔うし。
「手に持って出来るのが良いよね。トランプでいいだろ、ボク大富豪得意だし」
「ポーカーはド下手くそだもんね」
「ううううるさい!」
感情が表に出やすいからポーカーフェイスだとかババ抜きだとかの類は苦手だ。商談とか社交の時は気が引き締まるから幾らでもポーカーフェイスでいられるのに、家や領内で気が抜けてるともうダメだ。悔しい。
「なんか新しいトランプのルール作って闇のトランプゲームでもする?」
「お前たまに年相応の子どもっぽいこと言うよね」
なんだ闇のトランプゲームって。母さんが聞いたら「厨二病ね!」とかよく分からないことを言いそうだ。
「トランプの柄の黒い方だけを使うんだよ」
成程、確かに闇だ。つまりクローバーとスペードのカードだけを使って遊べる新たなルールを編み出すと。
「ふーん、悪くないね。今までに無かった新しいものを生み出すとか、そういうの結構嫌いじゃないよ」
「じゃあ行きはトランプをするとして。向こうに泊まった時に皆で遊ぶゲームは……」
床に置いたテーブルゲームをちらりと見るルート。人生ゲームを拾い上げ、じっと見つめている。凄い執念だ。
「まあ、向こうに着いてからならテーブルゲームも良いかもね」
ルートはあまり人前に出ることがないため知り合いが少なく、比較的いつも暇をしている庭師のポムじいと2人でゲームしているところをよく見かける。大勢で遊べる機会が少ないから嬉しいのだろう。
「いっぱい遊んでもらいな」と言うとルートは嬉しそうに笑った。
「やった!じゃあこれもこれも、あとこれも……!」
「どれか一つだけにしときな!!!」
魔法学校は秋入学、秋卒業。コレットは秋生まれ、セシルは春生まれなので現代の感覚で言うとセシルはコレットより一つ下の学年です。年下の男の子。