番外編 ローゼブル侯爵家のすったもんだ①
プロポーズ前のセシル様が家族とわちゃわちゃする話です。
「ルート、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
今日も今日とてピアノの前から動かない弟。滑らかに動き、鍵盤の上を踊る指。いつ見ても見事な演奏技術だなぁと思う。
「ちょっとでいいから話を聞いて欲しいんだけど」
鍵盤の上を滑る指の動きが速くなる。曲のテンポも段々と上がり高みに登り詰め……。
「あっははは!ノッてきたぁ!これは名曲になる予感……!ふはははははは!!!」
「悪霊退散!!!」
何かに取り憑かれたような恍惚とした表情で鍵盤を叩き出したルートの頭をべしっ!と叩いた。
叩かれた衝撃で前のめりになったルートの手がダーン!と不協和音を響かせ、澄んだ青色の瞳がゆっくりとこちらを向く。
「兄さん!!!僕の演奏の邪魔しないでよ!!!せっかく今いいとこだったのに!」
「そんなにブチ切れなくたっていいだろ、ごめんって。ちょっとボクの話聞いて……」
「いいや許さないよ!聴く者全てが涙を流し、世界各国のピアニストが我先にと僕の新譜を買いに走る……そんな超大作が出来そうな予感がしてたのに!」
「譜面に起こして売ったところでお前以外誰も演奏出来ないんじゃ意味ないだろ!!?」
1か月に1、2回くらいのペースで訪れる、ルートの絶頂期。最高の音が降りて来たと言って恍惚とした表情で狂ったようにピアノを弾く弟の姿はいつ見ても怖い。
本人には邪魔するなと怒られるけど、この状態のルートが作った曲は大体作った本人であるルート以外は誰も演奏出来ない代物だ。これが世に出たところで世界各国のピアニストどころか全人類が持て余すんだから別にいいだろうと思う。曲が前衛的過ぎて理解に苦しむ。
「ルート、頼みたいことがあるんだけどさ……」
「えー面倒臭いからやだ」
「せめて内容を聞いてから断りなよ!」
音楽以外の事には全くの無関心。なんなら兄であるボクにすら関心を向けない。何処でどう間違えてこんな子に育ってしまったのか。
『昔はちょこちょこボクの後ろついて来てめちゃくちゃ可愛かったのに!』
「にーさん〜!」と走って来て抱き着いて天使のような笑顔を向けてくれていたあの可愛い可愛い弟はいったいどこに行ったのか。
母さんの趣味で女装させられてたから弟というよりは妹って感じだったけど、毎日髪も可愛く結んでやってめちゃくちゃ可愛がっていたのに少し大きくなった途端にこの仕打ち。許すまじ反抗期。
『あの頃の可愛かった弟を返せ!』
下唇を噛み締めて拳を震わせていると、ルートが「頼みってなーにー」と間の抜けた声を出しつつ片手でポンポロロンと素敵な導入音を鳴らした。どうやら一応話を聞いてくれるつもりではあるらしい。
ボクは「これなんだけど」と一枚の紙をルートに差し出した。
「ん?何これ」
「ちょっと作詞してみたからこれに曲を付けて欲しいんだけど」
「兄さんが作詞……?嫌な予感しかしないんだけど」
「ふっふーん。自信作だよ!」
「ふむ」と歌詞に目を通したルートの眉間に皺が寄り、次いで紙を握る手がわなわなと震え――。
最終的にビリィッ!!!と盛大に破かれた。
「なっ……何するんだよ!?せっかく書いたのに!酷い!」
「酷いのはこの歌詞だよ!何この読んでるだけで頭痛くなる詩!?これに曲を付けろなんて音楽に対する冒涜だ!有り得ない!酷過ぎる!精神的屈辱を味わわされたよ!」
「そこまで言わなくたっていいだろ!?」
けちょんけちょんだ。自分では割と上手く書けたつもりだったのに、まさか頭が痛くなるとまで言われるとは思わなかった。
「ぐぬぬ……結構頑張ったのに……!」
「そもそもなんで急に作詞?兄さん今までサックスは吹くけど歌には興味なかったじゃん」
「そ、それは」
ぐっ、と言葉を詰まらせ、ボクは叫んだ。
「す……好きな子が出来てプロポーズするのに歌を歌うのがいいかと思ったんだよ!悪い!?」
「良いか悪いかと言ったら悪いよ」
「えっ」
「最早公害レベル」
「公害レベル!?」
「多分これ聴いた人は全員ノイローゼになると思うよ。聞くに耐えない好きの羅列とか、ソロで歌うはずなのに突然入る掛け声とかもう聞いてて恥ずかしーって感じ。こんなん歌われたら確実に千年の恋も冷めるよ。本気でこれ歌うつもりだったなら逆に尊敬するなぁ」
「…………」
やばい、ちょっと泣きそうだ。こいつ悪口のボキャブラリーが豊富すぎる。弟にこんな罵詈雑言言われっぱなしでも何も言えない自分が情けない。
「……駄作か……」
さらば、ボクの三時間の努力の結晶。
床に散らばった残骸を拾い集めて項垂れると、ピアノの椅子に座ったルートがボクを見下ろした。
「ていうか、兄さんって好きな人居たんだ。男の友達すらもほぼ居ないのに」
「一々傷を抉るなよ!?お前だって友達居ないくせに!」
「居ますぅークリスくんっていう音信不通の友達が居ますぅー」
「音信不通じゃ居ないのと同じだろ!?」
「うるさいな〜僕はピアノが一番の友達だしピアノが恋人みたいなもんだし、それで現状に満足してるからいいんだよ」
「よく言うよ、さっきその恋人勢い良く弾きすぎてぶっ壊しそうになってたくせに!」
「つまり壊れるくらい愛してるって事だよ」
「えっなにそれロマンチック……」
なるほど、こういう所から曲のフレーズが出てくるのか。それと比べるとたしかにボクの書いた歌詞はかなり稚拙なものだったように思う。
「とりあえず作詞はやめなよ、才能が微塵もないよ」とこれまた容赦無くトドメを刺されてがっくりと肩を落とす。
6つも離れた弟に言われるとめちゃくちゃ腹が立つけど、なまじ音楽の才能が半端ない奴だから素直に頷く。
「でも……っ!確実に成功する告白がしたいんだよ……!」
「確実に成功する保証のあるものなんて何処にもないでしょ。不安ならもっと仲良くなってからの方がいいんじゃない?」
「それはそうなんだけどさ……」
あの時の彼女の表情がどうにも引っかかる。焦っているような、それでいて全てを諦めているような。
なんにしろボクは、来週末までにあの子が嬉しくて飛び上がってしまうような素敵なプロポーズの方法を考えなければいけないのだ。
「そういえば一年くらい前に八百屋の息子が魚屋の次女にプロポーズした時、街の人達が突然歌って踊って演奏し始めて彼女が戸惑ってる隙にプロポーズしてってやってたね。ボクもあれやってみようかな……」
「あーフラッシュモブ?だっけ。確かにだいぶ派手だし華やかで記憶にも残るよね〜。でもあの場の雰囲気的に断りにくいから流されてオッケーっていうのもありそうだけど」
流されてくれるなら是非流されて欲しいというのが本音ではあるけど。
「そもそもフラッシュモブするとして、兄さんちゃんと踊れるの?」
「踊れないね」
「だめじゃん」
だめだった。ボクはダンスが踊れない。昔頑張ってワルツのステップの練習をしていたら、通りすがりの母さんに「あら、盆踊りの練習してるの?下手ね!」と言われた。得体の知れない踊りの練習をしていると思われた上に下手だと言われた。ボクが踊っていたのはいったい何だったんだろう。
「じゃあ夜景が見える場所で指輪をパカッと……!」
「いいじゃん。でもその人夜まで兄さんと一緒に居てくれる人?」
「居られない人だね」
「やっぱダメじゃん」
だめだ。何をやっても想像の中のコレット嬢に困った笑顔でお断りされてしまう。
「詰んでる……!」
「そもそもその人、兄さんのどこが好きなの?そこを押していけばいいじゃん」
「ど、どこが好きって……嫌われてはいない、はず……」
「えっ!告白もまだなのにいきなりプロポーズ!?それってどうなの?」
「うぅっ……!」
さっきから弟の正論の切れ味が半端ない。ボクの心にグサグサ刺さる。現時点で大量出血だ。
もちろん今までに何度か告白を試みたことはあったけど、あの子は天然なのかちょっとぼーっとしていて肝心な時にボクの話を聞いていないことが大半だった。どうやらお菓子の事を考えている時は周りの音が聞こえなくなるらしいと気付いたのがつい最近で、気付けば告白する機会を完全に失っていた。
彼女の気持ちは分からないものの、ボクにはぶっつけ本番でプロポーズする道しか残されていないのだ。
「でも……好きなんだ。あの子は社交の時のボクじゃなくて素の状態のボクの方が好きって言ってくれた。あの子が悲しい顔をしている原因が結婚出来ないこと……誰かから好かれる自信がないことなら、ボクが出来るだけ早くその不安を取り除いてあげたい。ずっとあの子が笑顔でいられるようにしてあげたいって、そう思うんだよ」
「ふーん……僕には恋ってまだよく分からないけど、そんなふうに誰かを想えるってなんかいいね。僕も兄さんの恋応援するよ。叶うといいね!」
「ルート……!」
「いい曲の題材になりそうだし!」
「絶対そっちのが本音だろ!」
やっぱりルートはルートだった。こいつがなんの目的もなくボクに笑顔を向けるわけがなかった。「失恋曲希望!」と言われて頭にチョップする。縁起の悪いことを言うな。
「兄さんが得意なサックスを吹くのも手だと思うけど、兄さんは手先が器用なんだし何か手作りのものあげてみたら?」
「例えば?」
「知らないよ。それは自分で考えてよ」
「僕は兄さんがどんなものを作れるのか知らないんだから」と言われてしみじみ思う。こいつ本当にボクに興味無いな。昔はよくぬいぐるみとかを作ってやっていたのを忘れているのだろうか。
「やろうと思えばなんでも作れる気がするけど、何を作れば喜ばれるのかが分からないから聞いてるんだってば」
「作れる気はするんだね」
「材料と時間さえあればね」
「ふーん。じゃあ何か普段身に付けるものとかがいいんじゃない?あ、アクセサリーとかなら女の人好きな気がする」
「お前もたまにはいいこと言うね」
「たまには余計だよ」
アクセサリー。良い。売れっ子デザイナーで社交界のファッションリーダーの母さんに聞くのが手っ取り早いかもしれない。
「ありがとね、まあまあ参考になったよ」と頭を撫でてやると、照れ臭いのか物凄い膨れっ面になって手をべしっと勢い良く叩き落とされた。
「どういたしまして!もう二度と作詞作曲には手を出さないでよ!僕の音楽が穢れる!!!」
「ひぇっ!お前がそれだけ激怒するような出来だったのならもう二度と書かないってば!」
親の仇を見るような目で睨み付けられた。怖過ぎる。
じりじりと後退り、ドアの所で「じゃあボクはもう行くから程々に頑張りなよね!」と振り返るともう既にルートはこちらを向いていなかった。
『ちょっとはボクのことも見てくれたら良いのに!』
ギリッと歯を食いしばりつつ音響室を後にする。でも廊下の角を曲がる時に優雅なピアノの音が微かに聞こえてきて、その音があんまり優しかったからなんだかどうでもよくなってしまった。