20本目 ドレスアップとティータイム
セシル様に「入って」と言われ足を踏み入れたのは、沢山の服やアクセサリーがずらりと並ぶドレスルームでした。
さすが美形揃いのローゼブル侯爵家。社交界のファッションリーダーと呼ばれる奥様をはじめ、身なりに相当気を使っているのでしょう。うちのドレスルームの五倍くらいの広さがあります。
「これ着て」
「えっ、これって……」
セシル様に渡されたのは、丸襟のついた白地の小花柄のワンピース。
小さな青い薔薇が散りばめられていて、清楚でとても可愛らしいデザインです。
「あげる。ボクが作った」
「えっ、作ったって……これをですか……!?」
「デザインは母さんと一緒に考えたんだけどね。結構良い出来だろ?」
つまり縫ったのはセシル様。マスコット、カゴと進化して遂に服まで。凄すぎてちょっと付いていけません。
『もしかしてセシル様、材料と時間さえあれば何でも作れちゃうんじゃ……』
物凄く有り得ます。私はワンピースをまじまじと見つめ、市販のものと遜色のない……いえ、それ以上の出来の縫製に思わず感嘆の溜め息を漏らしました。
「じゃ、ボクは外に出てるから」
セシル様が出て行った後。
私は大きな全身鏡の前に立ち、そっとワンピースに袖を通します。
「可愛らしいワンピース……」
お腹のところがリボンで絞れるようになっていて、私みたいな体型の人でもお腹周りを気にせず着られるようになっています。一目見ただけで私の事を考えてデザインして下さったということが分かり、じわりと目頭が熱くなってきてしまいました。
「着れた?」
「はい」
「開けるよ」
ドアを開けて入って来たセシル様と目が合います。彼がはっと息を飲む音が聞こえました。
「セシル様、このワンピース……凄く可愛いです!素敵……!とっても、とっても大切にしますね」
私は少し泣きそうになっていたのを誤魔化すようにくしゃりと笑いました。セシル様は少し頬を赤く染めて照れたように頬を掻き、
「……うん、思った通り。悪くないね」
「こっち来て、座って」と私を手招きしました。
「あんた、髪触られるのって平気?」
「は、はい……」
するり、と髪を指で撫でられ、くすぐったくて身を捩るとくすりと笑われました。
「……あんたの髪、ずっと触ってみたいと思ってたんだ」
「えっ」
「ふわふわしてて、アレンジがしやすそうだからね」
『ああ、そういう……』
セシル様はブラシを使い、優しい手つきで私の髪を梳いていきます。その手付きがなんだか慣れているように見えてじっとその様子を見つめていると、私の視線に気付いた彼がふっと小さく笑って薄い唇をもたげました。
「今はもう出来ないけど、昔……母さんの趣味でルートが髪を伸ばしてたから、髪を毎日アレンジしてやってたんだ」
「お、弟さんを……」
「朝どっかの国のお姫様かってくらい可愛くしてやってね、夕方ボッサボサの野良犬みたいになって帰って来るのがお決まりだった」
「あの頃はすっごい可愛かったんだけどなぁ……」と遠い目をしたセシル様。音響室の方から微かに流れていたピアノの音色が段々と激しいものに変わり、「あっははははは!ノッてきたぁ!!!」という弟さんらしき少年の高笑いが聞こえて来ました。
「……あんなんになっちゃってさぁ……」
「げ、元気でいいじゃないですか……」
弟さんの興奮した声が止み、沈黙が流れます。
「多分今譜面に起こしてるとこだろうね」というセシル様によく弟さんの事を見てるんだなぁとくすりと微笑みます。
「あんたの弟は?」
「私の弟はひとつ下で……今は魔法学園の寮に住んでいてあまり会えないのですが、とても優秀な子ですよ」
最頃会えていない弟の顔を思い出し、私はにこりと笑いました。
もうすぐ卒業するから最後の夏の長期休暇は学校で過ごすことにした、との手紙が届いたので次に弟が帰ってくるのは卒業した後の秋になってからでしょう。
「そっか。ボクの後輩か。ボクは忙しくて学園では殆ど人と関わってなかったから直接話した事は無いけど、きっとあんたに似た優しくて良い弟なんだろうね」
「…………」
「……よし、出来たよ」
「鏡見てみなよ」と言われ、顔を上げると。そこには綺麗に髪を編み込まれ、絵本に出てくるふわふわのお姫様みたいな髪型になった私が映っていました。
「ちょっと編み込んでみたよ」
「す、凄すぎませんか……!?」
「久しぶりにやったし、あんまり上手には出来なかったけどね」
レベルが違いすぎます。これで上手じゃないのなら何が上手なのでしょう。私なんていつもエイダに任せきりですのに……。
その後も「あっ、化粧もやっとこ」と化粧水を染み込ませたコットンで撫でられ、その他色々な保湿剤を塗られた後に「肌が綺麗だから色味を調整するだけでいいね」とよく分からないことを言われ、クリームを塗られた後にぽふぽふと白粉をはたかれてもう至れり尽くせりで目が回りそうです。
「せ、セシ……」
「あっだめ、目閉じて。……ワンピースの白と青に合わせるし、ゴールドでいいかな……」
そんな、生まれてこのかた使ったこともないような色を。
悪目立ちしないように無難なブラウンしか載せたことのなかった瞼の上をサッと筆が撫で、ふっと満足げな彼の呼気が頬に掛かりました。
「最後にリップ……赤とピンク、どっちがいい?」
そんな違いなんて分かりません……!
「お任せで……!」と目をギュッと閉じると「じゃあワンピースが清楚系だから薄めのピンクにするよ」とカチャカチャと色を選び始めました。
そして。
「…………」
「あの、セシル様……?」
いつまで経っても口紅を塗られる気配がありません。
どうしたのでしょう。
不思議に思って薄らと目を開けると、セシル様の視線がじっと私の唇に注がれていて、その眼差しに熱が籠っているように感じてどきりとします。
「セシル様……?」
「はっ……!?な、なんでもない!あんたはじっとしてて!」
「はい……」
瞼を伏せてじっとしていると頬を手のひらで包まれ、すり、と頬を寄せたようになり。セシル様が小さく息を飲む声が聞こえました。そして唇をなぞる、筆の感触。
触れられている箇所から全身に甘い毒が広がって侵されるようにぞくぞくと痺れて。
「くっ、……耐えろボク!!!」
「…………」
「あっはみ出した!落ち着け〜……落ち着くんだ〜……」
『独り言が多いわ……』
たまにセシル様は何やら聞き取れないほどの早口小声でぶつぶつと喋っている事があります。
私は口を開くわけにもいかないのでじっとしていましたが、今までの手際の良さはどこへ行ったのか、結局口紅を塗り終えたのはそれからしばらく経ってからのことでした。
❂ ❃ ❅ ❆ ❈ ❉ ❊ ❋
「お、美味しい……!」
「言ったろ、カフェテリアだって」
カップに口をつけ、「あちっ」と叫んですぐに離すセシル様と向かい合い、私はテーブルの上に並べられたお菓子に舌鼓を打ちながら落ちそうな頬を押さえました。
遠い異国で人気の、緑色のお茶を使ったスポンジケーキ。紅茶のケーキなら食べた事がありますが、こんなに綺麗な緑色のお茶が取れる国があるんですね。
「叔父さんが送ってくれたんだよ。お菓子が大好きな子が知り合いに居るって手紙に書いたら、変わったお菓子があるから一緒に食べなさいってさ。まっちゃ、って言うんだって」
「このケーキ、甘さの中に少しほろ苦さがあって癖になるお味です……!」
「母さんは懐かしの味だとかよく分からないこと言って喜んで食べてたけど父さんはだめで。好き嫌い別れるみたいだからちょっと不安だったんだけど。気に入ってくれたなら良かったよ」
「はい……!ありがとうございます……!」
「……また今度送って貰お……」
セシル様がカップを手にホッと胸を撫で下ろしました。そしてまた口を付け、「あちっ」と叫んで離します。猫舌ですね。
私はミルクと交互にスポンジケーキを口に入れ、その美味しさに目を閉じて浸りました。
「おいひぃでふ……」
「見たら分かるよ、幸せそうだし。お土産に包んでやるから持って帰りなよ」
「そんな、良いんですか……?」
やっぱりセシル様は神様です。私に美味しいものを与えて幸せにして下さいます。
「ありがとうございます、セシル様……!」
「……可愛い顔しちゃってさ……人の気も知らないで……」
「……?ええと、もう一度仰って頂いても……?」
「言わないっ!」
ケーキのお皿を抱えてそっぽを向かれてしまいました。お行儀が悪いですよ、とは言わないでおきます。セシル様にだってそんな気分の時があるのでしょう。たまにだらけた姿勢で食べるの、悪いことしてるみたいでちょっと良いですよね。分かります。
それにしてもこのケーキ、なんて美味しいのでしょう。
「今日こそ……コレット嬢にプロポーズ……!」
一緒に出して頂いたカップも取っ手がなくて少し変わった形です。
「シチュエーションは完璧だ……あとはコレット嬢を薔薇園に誘い出して告白するだけ……!」
とても熱いお茶を、音を立てて啜って飲む……少しお行儀が悪いようにも感じますが、そういう飲み方をするとお茶が冷めるのだそうです。セシル様は上手く啜れなくて大変そうでしたが……なんだかとても落ち着くお味です。
「落ち着け……落ち着くんだ……!深呼吸……ヒッヒッフー、ヒッヒッフー!……よし……いくぞ……!」
もぐもぐとケーキを味わい、目を閉じて幸福感に浸っていると。
「あ……あああ……あのさぁ……っ!きょきょきょ今日は……あんたに、大事な話があるんだけど……っ!!!」
セシル様の声が今までで一番と言っていいくらいの勢いで裏返りました。
驚いて目を剥くとセシル様の膝がガックガクに震えてテーブルが揺れ、カップの中身が四方八方に飛び散っています。
「聞いてくれる!!?」
「せ、セシル様少し落ち着いて……」
「返事は!!?」
「はっ、はい!聞きます!」
いったい急にどうしたというのでしょう。いえ、今日のセシル様はいつもの三割増しくらいで様子がおかしいのでした。
反射的に勢い良く返事をした私に対しセシル様は急に落ち着いたように「そ、そっか……」と手元のカップを口に持って行きました。多分中身、ほぼ入っていないと思うのですが……。
「と……とりあえず、場所を変えよう。着いて来て」
手と足を同時に出し、ギクシャクとぎこちなく歩き出すセシル様。
『だ、大丈夫なのかしら……』
一抹の不安を胸に、私はフォークを置いて立ち上がったのでした。
次回、一章完結です(*´`)