2本目 美貌の跡取り息子と突然の申し出
ローゼブル侯爵家の象徴である青い薔薇のように華やかで洗練された優雅な佇まい。虚弱体質なため滅多に社交界に姿を現さず、彼が出席すると噂の立ったパーティーは彼とお近付きになりたいご令嬢達が押し寄せて来るほど。人呼んで、《青薔薇のプリンス》。押しも押されもせぬ我が国きっての絶世の美男子……セシル・ローゼブル様。
私は畏れ多くて挨拶も出来ず遠目からしか見た事がありませんでしたが、近くで見るととんでもない美しさです。住む世界が違いすぎます。眩しいです。
『でも、虚弱体質なはずのセシル様が何故こんな所にいらっしゃるのかしら……?見たところ顔色も良く、とても健康的に見えるのだけど……』
私が首を傾げていると、少し苛立った様子のセシル様が「これ、ひとつ貰いたいんだけど」と少しぶっきらぼうにカゴの中のマドレーヌを指差しました。
もしかして、買って下さるのでしょうか。私の手作りのお菓子を。
「は……はい!ありがとうございます……!」
マルシェの開店時間にはまだ早いけれど、私は慌ててマドレーヌを手渡し、代金を受け取ります。
夢じゃないかしらなんて思っていたら、セシル様はその場で袋を開けてマドレーヌをまじまじと観察し、ぱくっと口の中に入れてしまいました。
「お、お口に合いましたでしょうか……」
「んむっ!」
ドキドキしながら尋ねると、彼の目がカッと見開きました。「ひっ!」いけません、喉から声が出てしまいました。
『な、何か気に障るところでもあったかしら……!?』
恐る恐るコイントレーで顔を隠すと。
「うっまぁ……!何これ……!」
「え……?」
そっと覗くと、もひゅもひゅと口を動かし頬を押さえて目を輝かせるセシル様の姿が。いつも優美な笑みを称えているセシル様のこんな表情、今まで見たことがありません。思わずぽかんと口が開いてしまいます。
「口に入れた瞬間にふわっと優しい甘みが広がって……生地はふわふわだし、ベリーの甘酸っぱさがもう最高だ……!美味しすぎる……あと100個食べたい……」
「あ、あの……」
戸惑う私を他所に、セシル様は主張の穏やかな喉仏をごくりと上下させた後、子どものように無邪気な笑顔で息を吐きました。
「あー美味しかっ……はっ!!!」
セシル様とばっちり目が合いました。サーッとセシル様の顔が青くなり、そして見る見るうちに真っ赤になっていきます。
「まっ……!」
「ま……?」
「まあ、悪くはなかったんじゃない……!?味もそこそこ良かったし?ラッピングも丁寧で色んな人が手に取りやすいあたたかみを感じるデザインだし、総じてそこそこ悪くないってだけで……!なんだよ、何か文句あるのかよ!?」
「い、いえ……」
散々べた褒めした後であまりにも説得力の無い評価です。しかもラッピングまで褒めて頂きました。夜なべした昨夜の私が浮かばれます。
しかし恐らく今見たことには触れない方が良いのでしょう。なんだか顔を真っ赤にしてとても落ち着かなさそうに視線をさ迷わせていますもの。案外照れ屋さんなのでしょうか。
『とりあえず、お客様にご挨拶しないと』
私は顔が茹でダコのようになってしまったセシル様に向かって頭を下げました。
「お買い上げ、ありがとうございました」
「ふ……ふん!初めてで大変だと思うけど、頑張りなよね!」
セシル様はそう言うとくるりと踵を返し、すたすたと歩き出しました。
『まさか、最初に買いに来て下さったお客様がセシル様だなんて』
しかも口をついて出てきたのはベタ褒めのオンパレードでほぼ最高評価の星5つです。あまりに現実味が無さすぎて、まだ心臓がどきどきしています。これは結構売れ行きを期待しても良いのではないでしょうか。
『それにしても……』
どうやら私がダンデリオン伯爵家の令嬢だという事には気付かれなかったようです。商人の格好をしていたからかもしれませんが、もしかしたら私の事をそもそも知らなかったのかもしれません。
まあ当たり前と言っては当たり前です。なんたってあちらは国内屈指の美青年で、次期侯爵になられるお方。
それに対して私はぽっちゃり体型の、誰にも見向きもされないお菓子な伯爵令嬢なのですから。
『セシル様にお菓子を買っていただけるなんて、良い経験ができたわ……』
これだけでも十分、はるばるローゼブル侯爵領までやって来た甲斐があったというもの。
天上人との邂逅を惜しむようにその背中を見つめていると、少し歩いた先で彼がぴたりと立ち止まりました。
「……ん〜……?」
『あら……?』
彼は首を傾げて何か考えているようです。唸り声がここまで聞こえて来るのです、何か考え事をしているとみて間違いありません。
『どうしたのかしら』
彼に釣られるようにして首を傾げていると、段々と彼の首の傾きが大きくなっていきます。
そして頭が丁度地面と平行になってしまうんじゃないかというくらい傾いたあたりで、彼は「あっ!」と叫んでくるりと体の向きを変えると、凄い速さでまたこちらに戻って来ました。
「えっ!?」
突然血気迫る表情で迫って来た美しすぎるかんばせに後退ります。何がいったいどうしたというのでしょう。
彼はバン!と勢い良くテーブルに両手をつき、ずずいっと身を乗り出してまじまじと私の顔を凝視して来ました。
「どっ、どうかされましたか……!?」
比喩ではなく本当に目と鼻の先に美の結晶のようなお顔があって思わず仰け反ってしまいます。いえそれにしてもちょっと見すぎではないでしょうか。近いです、穴が空いてしまいます。
危うく公衆の面前でブリッヂしそうになるすんでのところ。
「やっぱり!」
セシル様が勢いよく叫びました。
「あんたどっかで見た顔だと思ったらダンデリオン伯爵家のコレット嬢じゃないか!!!」
「えっ!?わ、私の事をご存知だったんですか……?」
「ばっちり存じ上げてるよ!何だってあんたみたいな貴族の娘がこんなとこで焼き菓子なんて売ってるのさ!!!」
「まさかこんな所に貴族令嬢が居るなんて思いもしなくて危うくスルーする所だっただろ!?」ときゃんきゃん吠えられ、面食らってしまいます。
それを言うならこっちだって、毎週末恒例で開催されているというマルシェにお菓子を売りに来てみたら身体が弱くて引き篭っているはずの領地の跡取り息子が自らいの一番にお菓子を買いにやって来るだなんて思ってもみなかったのです。お互い様ではないでしょうか。
「ええと……自分で作ったお菓子を、自分の手で売ってみたいと思いまして……」
「ふぅん。それではるばるうちの領まで来たってわけ。まあ申請さえすれば誰でも出店出来るからその理屈もわからないではないけどさ……。ところで使用人は?さっきから姿が見えないんだけど」
「きょ、今日は私一人で来ていまして……」
「はぁ!?見知らぬ街に一人で!?あんたさぁ、貴族令嬢である以前に嫁入り前の娘としての自覚が足りないんじゃないの!?」
『せ、正論過ぎて耳が痛いわ……!』
この国は今どこも平和ですが、中でもローゼブル侯爵領は特に治安が良いと評判だったので貴族だとバレて騒ぎを起こしさえしなければいいと思い、全く何も考えず来てしまいました。意識の低さを言及されてしまうとぐうの音も出ません。
「一人で見知らぬ土地で商売しようなんて100万年早いよ!男のボクならまだいいとして、あんたは女の子だろ。一人でホイホイ出掛けた先で何か事件に巻き込まれでもしたらどうするのさ!自ら己の家格を下げるような軽はずみな行動は慎みな!」
『か、返す言葉も出て来ないわ……!』
私は身のこなしも鈍い上に自分の身を守る手段も何も無い、言うなれば格好の的です。自分一人では何も出来ず、身代金目的の犯罪者が居たならあっという間に捕まってしまうでしょう。
「仰る通りです……」
「だろ?全くもう……」
体重は重いくせに思考は軽いだなんて、自分で自分が恥ずかしいです……。
羞恥のあまりもうこのまま消えてなくなってしまいたいと俯いていると、「しょうがないなぁ」とセシル様は溜息を吐き……テーブルの横から回り込むとずんずんとこちらにやって来て私の横に並びました。
「……えっ……?」
一体何をしているのでしょう。こちらは販売員側なのですが……。
セシル様の行動の意味が理解出来ずにぽかんと口を開けていると、相当間抜けな表情になっていたのでしょう、セシル様が「ご令嬢が何てすっとぼけた顔してるんだよ」と呆れたように腰に手を当てました。
「うちの領内で何か面倒な事が起きても困るし、今日は一日、このボクがあんたに付いててあげるから」
「感謝しなよね」とセシル様がふふんと得意げに笑います。
私はというと、当然。
あまりに急激なこの展開に何も言えなくなってしまったのでした。