18本目 サックスと憧れのプロポーズ
今回は長いです。
「あら……?」
アコーディオンにカスタネット。いつもなら陽気な音楽が流れている広場に何やら違った雰囲気の楽器の音が鳴り響いているのが聞こえて、私は足を止めました。
なんだか大人っぽい雰囲気を感じさせる色気のある音です。それでいてとてもかっこいいような。
「今日は早くから人が多いのね……」
見ると、いつもはマルシェの準備時間中で通行人も少ないはずの広場に、今日は早くも人集りが出来ています。
きゃあきゃあと色めき立つ街の女の子達の隙間から覗くと、人集りの中心に私の探していた人物が立っていました。
「あっ……」
サックスを吹いていたのはなんとセシル様でした。太陽の光を浴びて金色に輝くサックス。それを巧みな指使いで吹き鳴らす彼の美しさといったら。
「私あのサックスになりたい……」
「私も〜」
街の女の子達が感嘆の溜め息を洩らし、演奏に聴き入っています。私もそれに混じって、彼の演奏に聴き惚れていました。
「素敵……」
長い指を踊らせ、時折他の演奏者と目配せしながら楽しそうに演奏する彼はまるで劇場の主人公のようで。子どものような無邪気な笑顔に胸の奥が疼きます。
不思議です。セシル様を見る時、前までは芸術鑑賞をするような気分でしげしげと見つめていたのに自分の気持ちを自覚した今では私もきゃあって感じなのです。キュンキュンです。
暫くして演奏が終わり、広場に拍手の音が響きます。
本当に、素晴らしい演奏でした。感動に打ち震える胸の鼓動がまだ鳴り止みません。私も夢中になって手を叩きます。
演奏後は観客の対応に回るのかと思いきや、セシル様は演奏メンバーと演奏の腕を褒め合うような素振りをした後、サックスを抱えたままひとりでふらりと歩き始めてしまいました。
「あっ、待って……!」
人の間をぬって、慌ててセシル様の背中を追い掛けます。セシル様、足がとても長いのでその分歩く速さが凄く速いです。正直今だけは転んで欲しかったです。
彼を追って辿り着いたのは、街の中心から少し離れたところにある閑静な住宅街でした。狭い路地を抜けて辺りを見回すと。
「セシル様……」
彼は住宅街横の水路の脇にある長椅子に腰を下ろして、ひとりでサックスを吹いていました。遠くから広場のアンコールの演奏が風に乗って微かに聞こえ、急な風に吹かれてカラカラと回るどこかの家の風見鶏がキィと錆びた音を鳴らします。そんな静かな空間の中に響くサックスの音色はどこかノスタルジックな雰囲気を醸し出します。
彼のサックスを吹くその姿があまりにもかっこよくて、そして美しくて。私のよく知るいつも賑やかなセシル様とはまるで違う人のように見えます。これはこれで素敵です。
私はそっと彼の隣の空いているスペースに腰を下ろし、彼の素敵な演奏に耳を傾けることにしました。
『集中していらっしゃるのね……私が来たことにも気付いてないみたい』
彼が吹いているのは先程の楽しげでアップテンポな曲と違い、どこかしっとりとした哀愁を感じさせる曲です。
まるで眠っている恋人に語り掛けるような、優しい旋律。
『セシル様にもこんな一面があるのかしら……』
マルシェに来るようになって、私はセシル様の様々な表情を見て来ました。
照れたり、笑ったり、怒ったり。でも、まだまだ私の知らない彼の表情も沢山あるのです。
もし彼が恋をしたとしたら、このアメジストの瞳は、どんなふうに愛を語るのでしょう……。
『……その言葉をを聞いていいのは、私じゃないわね』
曲が終わり、沈黙が流れます。彼は暫くの間何かを考えるようにぼうっと向こうを眺めて、またサックスを口に咥えました。
「セシル様、素敵……」
「ブベッ!ブベベバボバ!!!」
な演奏でした、と言いかけて、セシル様がとんでもない音の外し方をしました。どうやら二曲目に移ろうとしていた時に話し掛けてしまったようです。申し訳ないことをしてしまいました。
「あっ、ああああんた……いつの間に!!!???」
おっかなびっくり、住宅街に響き渡るような声量でセシル様が飛び退きました。よかった、サックスを吹いている時はまるで別人のように見えましたが、口を開いたらいつものセシル様です。セシル様の声がよく通るのは人より肺活量があるからなんですね。本日もお元気そうでなによりです。
「うふふ、おはようございます。実は先程の広場の演奏から……。セシル様ってサックスの演奏もお上手なんですね。とっても素敵で、私感動してしまいました」
「は、ははは……!まあね……!」
セシル様は褒められて満更でもないようで、照れたように頭をかきました。私はにこにこしながらぱちぱちと手を叩きます。
「サックスは夜会や舞踏会の演奏で使われていますが、セシル様の吹くサックスの音はなんだか違っていて……。私が聞いてきたサックスの音よりも、音のキレが良いように聴こえました。何か演奏のテクニックがあるんですか?」
「ああ。ボクは食事の時に舌を使って味をよく確かめるから、舌を使う動作……タンギングが他のサックス奏者よりも得意かもね」
「タンギング……?」
バイオリンとピアノの経験は令嬢の嗜みとしてありますが、残念ながら管楽器の知識はありません。
こてんと首を傾げているとセシル様が「こう、さ」と唇をもたげました。
「こう、舌を歯の裏に付けて、てゅっ、てゅっ、てするんだよ」
「ちゅっ、ちゅ……?んん……?」
「違う違う、こう……って……」
ふたりで顔を突き合わせて舌を動かし……なんだかとっても、恥ずかしいことをしているような……。
「んんんんん!!!ごほごほ、うぉっほん!!!!」
セシル様が顔を真っ赤にして身体ごと顔を逸らしました。私も熱くなった顔を隠し、ササッと目を逸らします。
彼はわざとらしく咳払いをして、「それで?あんたはこの時間になっても何でこんな所で油売ってるのさ」と半ば無理やり話題を変えてしまいました。
「実は、マックスとカエラとエイダの三人でお店を切り盛りしてくれるらしく……」
「ふんふん」
「私には、街で遊んでおいでと……」
「へ〜!良かったじゃん!ボクと美味しいものを食べに行ける時間が増えるね!主人思いで気の利く出来た使用人達に感謝だ!あはは!」
セシル様、何やらとても上機嫌です。肩を揺らしてわっはっはと笑い、サッと横を向いて小さくガッツポーズしたように見えたのですが……気のせいでしょうか……?
「さ、早速美味しいものを食べに行くよ!その荷物もなんか重そうだから持ってあげる」
「あっ。じ、実はこれ、セシル様に差し上げるもので……」
「え?」
私は持っていた紙袋を手渡しました。セシル様は中から細長い袋を取り出し、首を傾げています。
「なにこれ?棒みたいなのが入ってるけど……」
「ええと……僭越ながら、いつもお世話になっているので私からセシル様にプレゼントさせて頂ければと」
「えっ!!!」
一瞬にしてセシル様の目の色が変わりました。いえ、いつもと同じ美しいアメジスト色であるのには変わりないのですが、明らかに目の輝きが変わりました。
「あ、あんたからボクにプレゼント……!?お菓子以外で……!?」
「はい、きっとセシル様に似合うと思って……もしよろしければ、普段から使っていただけたら嬉しいです」
「しかも普段使い出来るものを……!?」
セシル様は「開けていい……?」と私に許可を求め、私が頷くとすぐさま袋を開けました。
「…………!す、ステッキ……!?」
「先日いつも転倒する事を悔やまれていたのでこちらを持って頂けたらと……」
セシル様はぶんぶんと頭を縦に振ると「めちゃくちゃかっこいいじゃん!!!」と子どもみたいに目を輝かせました。
「ほんとにいいの?こんなにいいやつ貰っちゃって」
「はい、私もセシル様から手作りの子豚ちゃんのマスコットや花かんむりを頂いたので。それに、お店も何度も手伝って頂きましたし」
「……ボク、グッジョブ……!」
セシル様は何やら顔を背けて呟いた後、ステッキを構えてみせました。
「ど……どう!?似合う?」
「セシル様……」
セシル様がいつも付けている黒いレザーのフィンガーグローブとステッキのデザインが相性抜群です。そしてステッキに嵌め込まれた青い石がキラリと輝いて……。
「とっ……てもお似合いです……!素敵……」
「よ〜せ〜よ〜!照れるってば!えへへっ」
セシル様はそれから暫く嬉しそうにステッキを振りまわしていましたが、突然「ん?」と首を傾げました。
そして一瞬にして彼の纏っていた空気がピシリと凍り付きます。
「どうかしましたか?」
「……あんた、これ……」
何やらただ事ではない様子でセシル様に見せられたのはあの青い石の部分です。ローゼブル侯爵家の象徴である青薔薇っぽくて良いかと思ったのですが、だめだったのでしょうか。
「これ!魔石じゃないか!しかもダンジョン最下層でしか採れないような国宝級の高品質のやつ!!!こんなのどこで手に入れたんだよ!?」
「えっ!?そ、そうだったんですか!?いつも来てくれる行商人さんから買わせていただいたのですが……綺麗な石だなぁとしか思っていませんでした……」
「うわっ!?しかも超強い水の魔力宿ってるし!あんたこれ幾らしたんだよ!?なんで子豚のマスコットがこんな国宝級の魔石に化けるのさ!?割に合わないにも程があるだろ!?」
「た、確かにちょっと高いなぁとは思っていましたが……一点物だと言っていたので、そのせいかと……」
行商人さんが気を利かせてくれて半額の半額、そこからさらにお安くして頂いてギリギリ許容範囲内です。
「セシル様にはいつもお世話になっているので、遠慮なく貰って下さい。これは私の気持ちですので」
「……コレット嬢の、気持ち……」
セシル様は「傷や汚れが一切付かないように部屋に飾る……?いやでも肌身離さず持っておきたいし……」などとぶつぶつ言いながら考えていましたが、ぐっとステッキを握り締めると私の方を向きました。
「分かった。これはせっかくあんたがプレゼントしてくれたものだから、ちゃんと毎日使うことにするよ」
「ただし!」とセシル様は私にびしっと指をさし……「あっ、人に指さしちゃいけないんだった」と指を戻して言いました。
「その代わり、あんたは今後一切遠慮せずに、ボクにして欲しいことを何でも堂々と言うこと」
「えっ。そんなこと、とても……」
セシル様にわがままだなんて。そんな、恐れ多い。
ぷるぷると首を振るとセシル様は呆れたように笑いました。
「たまにはちゃんとわがまま言いなよ。あんたは普段自分の意見全然言わないんだから」
「でも……」
「……あんたはいつも何も言わずにボクに付いて来てくれるけどさ、たまにはボクだってあんたにわがままくらい言って欲しいんだよ」
そう言ったセシル様の頬がぷくっと膨らんでいます。拗ねた子どものような表情が可愛らしいです。こくりと頷くと、彼は満足そうに笑って、私を真っ直ぐに見つめました。
「そう、それでいいんだよ。ボクに出来ることなら何だって叶えてあげるからさ」
風が吹きました。遠くでアコーディオンの演奏と、子どもの笑い声が聞こえます。
セシル様の長い髪が揺れて。
「…………」
期待をするほど自信なんてないけれど。
「……あの……じゃあ、ひとつだけわがまま……言っていいですか?」
「うん、何?」
「私……私……こんな事を考えるなんて烏滸がましいと、分かってはいるのですが……」
もしも、ひとつだけわがままが許されるとしたなら。
私はぎゅっと拳を握りました。
「私、セシル様と……ずっと一緒に居たいんです」
「……えっ」
「あなたが危ない目に遭わないように、傍に居て支えてあげたい。誰もがお近付きになりたいと思っている方の傍に居たいだなんて、お前なんかが何言ってるんだって後ろ指さされてもおかしくないですけど……。あなたの事を、一番近くで見ていたいんです」
「…………」
セシル様の顔が赤いです。「あ」とか「う」とか言葉にならないみたいで、涙目になっています。
「ごめんなさい、こんな事言って困らせてしまいましたよね」
俯いた私の手を、震える手にぎゅっと握られました。
「いっ……良いに、決まってるだろ……そんなの」
「セシル様……ありがとうございます、お許しを頂けて……」
「違う。ボクだ。あんたと一緒に居たいのはボクの方なんだ」
「え……」
ぽちん、と握られた手に雫が落ちました。私は弾かれたように顔を上げます。
アメジストが溶けるなんてこと。あるのでしょうか。
「あんたはいつだって優しくて、あたたかくて……!いつもいつも、あんたに救われてるのはボクの方だ。なんでもいいから近くに居たくて、お菓子売る手伝いなんかして、街を案内してやるって言って連れ出して。いつもいつも、早く週末にならないかって、そわそわしながらあんたを待ってる。もしあんたに何かあって、もう会えなくなったりしたらどうしようって思ったら不安で、どうしようもなく落ち着かなくて……!」
頬を伝って零れ落ちる雫が、宝石のようで。
そのあまりの美しさに、私は思わず手を伸ばしました。
「……!」
包み込んだ頬は温かく。
濡れたまぶたを指で拭って、私は微笑みました。
「私も同じです。最初はお菓子の販売のために来ていたここが、いつの間にかあなたが居る特別な場所になりました。週末はあなたに会えると思うと、胸がぽかぽかして温かくなるんです」
「コレット嬢……!……いや、コレット」
セシル様の手が私の手に重なりました。そしてそのまま膝の上でぎゅっと握られます。
「あんたのこと、一生大切にするから……!」
「…………はい?」
なにやら覚悟を決めた男の顔をしていらっしゃいますが、今のこの話の流れで何故セシル様が私を一生大切にするのでしょうか。
こてんと首を傾げた私にセシル様は怪訝な表情です。
「……え?待って?なんでちょっとよく分かりませんって顔してるの?」
「すみません、ちょっとよく分からなかったので……」
「は?ずっと一緒に居たいって、ボクの事好きってことじゃ……」
「それは……」
勿論、セシル様の事は心からお慕いしておりますが。
寧ろセシル様の事を好きではない人なんているわけがないでしょうし、有象無象の中の一人である私の感情などセシル様にとっては迷惑以外の何物でもないでしょう。
ええ、日頃から美しい女性達の黄色い声を嫌という程浴びている彼にわざわざ守備範囲外である私がこの気持ちをお伝えする必要はありませんね。当たり前の事実ですもの。
「実は、先日侯爵様にお願いされたんです」と言うとセシル様の目が徐々に吊り上がりました。
「……は?父さん?なんでここで父さんが出てくるわけ……?」
「その、うちの息子は危なっかしいから、傍に居て支えてやってくれないか、と」
「……はぁーーーーーーー〜〜〜……」
セシル様が物凄く大きな溜め息をついて沈みました。この間もやんやと言い合いしていましたし、親の心配がちょっと鬱陶しい時期なんでしょう。お年頃です。
「せめて私が父の決めた結婚相手に嫁いで、どこか遠くにお嫁に行ってしまうまでの短い期間で構いません。セシル様をお支えしたいんです」
「ねえ嘘でしょ冗談って言って」
「嘘でも冗談でもありません!私では力不足かもしれないですけど……息子の身を按じる侯爵様のお願いを無碍には出来ませんもの。週末だけでも、セシル様が危ない目に遭わないように傍に居て私が全力でお守り致します!」
むんっ、と拳を握り締めると、項垂れていたセシル様がゆるゆると顔を上げました。
……鬼の形相です。
「ひぇっ!?せ、セシル様お顔が怖い事に……!?」
「紛らわしい言い方しやがって……!なんだよもちもちぷにぷにしやがってこのこのこのこの!」
「はわわ……頬っへたふねらないれくらはい……」
「くそ……父さんも……帰ったらシメる……」
「…………」
逃げて下さい侯爵様。なにやら私はとんでもないことをしでかしてしまったそうです。何故かは分からないけれど……。
「あの……私、何か間違えました……?」
「別に。……ボクが勝手に勘違いした。それだけだよ」
「えぇ……」
セシル様の手が離れてぷるんと頬が戻りました。ちょっぴり痛かったです。
さすさすと頬を両手で摩っていると、ぽつりと。
「……お嫁に行くの」
消え入りそうな声が横から聞こえました。
振り向くと、なにやら思い詰めたような表情のセシル様が膝の上で拳を握り締めてじっと地面を見つめています。
「え……ええ、父は今、同じ年頃で家格の近い貴族男性に絞って縁談を探していますが……選り好みしなければご高齢の方の後妻や男爵家にも素敵なご縁はあると思うんです。貴族として生まれ、その分贅沢をさせて貰ってきたのですもの。嫁ぎ遅れになってしまう前にお嫁に行って、私を支えて来てくれた人達に恩返ししなくてはいけません。……本当はずっと、ここでこんなふうにして過ごせたら良いのですけれど」
小さく息を吐き、水路を眺めます。
小舟がゆっくりと進み、橋に掛かった風車が回る。そして隣には大好きな人が居る。
なんて穏やかな時間でしょう。なんて優しい時間でしょう。
「私、この街が好きです。ここに来られるのはあと数回かも知れませんが……ここで過ごした日々はお嫁に行った後も、ずっとずっと大切にします」
だから、何も心配しなくていいのです。お優しいセシル様はきっと嫁ぎ先で私が上手くやっていけるか按じて下さっているのでしょう。
あなたと過ごした日々があるのです。私はちゃんと幸せです。
「とっても素敵な思い出を……本当に、本当にありがとうございます。セシル様」
浮かんだ涙を拭い、微笑みます。
セシル様は微かに睫毛を揺らし……、何も言えずにいるようでした。
そんなに自分の事のように不安そうになられなくても本当に大丈夫ですのに。……いえ、単身マルシェでお菓子の販売に来た前科があるので信用ならないかもしれないけれど。
「今日はお菓子の販売が無い分時間がたっぷりありますよ。楽しいこと、たくさんしましょう。私美味しいもの食べたいです」
気を紛らわせようとわざと明るい声で訊ねます。セシル様の好きなものと言えば美味しいもの。
「案内して頂けますか?……わがまま、です」
先程のわがままの延長で、少しおどけたように。
その意を汲み取ったのか、セシル様が眉を下げて笑いました。
「……あんたって、ほんとわがままが下手だね」
❂ ❃ ❅ ❆ ❈ ❉ ❊ ❋
「なんだか広場が賑やかだね」
セシル様に美味しいものを食べに連れて行って頂いた後、ゆったりと水路沿いを散歩していると。
「おっ、遂にか!」
「頑張れ〜!」
いつもマルシェで賑わってはいますが、今日はなんだか広場の方から人々の歓声やピューッという指笛の高い音が聞こえて来ます。私とセシル様は何事かと2人で顔を見合せました。
「何かのお祝い事でしょうか……?」
「ちょっと寄ってみていい?」
「ええ、もちろん」
私はこくりと頷いて、彼の後に続きます。
路地を抜けて広場に出ると、広場の真ん中で観衆に囲まれる中、男の人が女の人の前に跪いて青い薔薇を差し出していました。
「あ……貴女に、青薔薇の祝福を!どうか僕と結婚してください!」
「まあ、プロポーズ……!」
サプライズだったのでしょうか。エプロン姿の女性が驚いたように目を見開き、その瞳いっぱいに涙を溜めて男の人から薔薇を受け取りました。
「私の方こそ、よろしくお願いします……!」
わっと湧き上がる街の人々。上手くいったみたいです。
「パン屋の息子と雑貨屋の娘……二人共幼なじみで、ずっと仲が良かったもんなぁ……!」
隣のセシル様を見上げると、うんうんと頷きながら泣いていました。さっき泣いたので涙腺がゆるゆるになっています。一途な愛が結ばれた瞬間だったんですね。素敵です。
「後でお祝いに何か持って行ってあげよう……!ずびっ」
「あのプロポーズの仕方、とてもロマンチックで素敵でしたね」
貴女に、青薔薇の祝福を。
男性が口付けた青い薔薇を女性が受け取る……。まるで劇場のラストシーンのようなプロポーズです。
「あれはローゼブル侯爵領に昔からある求婚の儀だよ。何故か他の領地にはあんまり伝わってないみたいだけどね」
「へぇ……」
青い薔薇が咲き乱れるこの街にぴったりの愛の誓い方です。私はほうっと息を吐きました。
「なんて素敵なプロポーズなんでしょう……」
「うんうん、ロマンチックだって他の領地から嫁いで来た人にも評判で……」
「たしかに……雰囲気に流されてついオッケーしてしまいそうですね。ふふっ。私もあんな風にされてみたい……」
「えっ!」
隣のセシル様がぎょっと肩を揺らしました。どうしたのでしょう。首を傾げつつそちらを振り向くと、セシル様は顔を真っ赤にして「あー」とか「うー」とか言って明後日の方向を向いてしまいました。
「そ……そのうち、叶うんじゃない……?あんたのこと好きだって男が、案外すぐ近くに居るかもだし……」
「ふふっ。……そうだと、嬉しいんですけど……」
お父様が選ぶ、私の婚約者。その方がこんな素敵なプロポーズをして下さるような優しいお方だといいのですが。
「そうだと、嬉しいのだけれど……」
微かな期待と、諦めを孕んだ声が乾いた喉から漏れます。
「……ボクも……」
私は気付きませんでした。
私の隣でセシル様が、何かを決意するように強く拳を握り締めていたことを。