17本目 タイムリミットと贈り物
「最近コレットはお友達と仲良しだね〜」
家族みんなで食べる朝食の時間、口元をパンくずまみれにしながらにこにこしているお父様の言葉に、私ははてと首を傾げました。
「ええ、確かに友人達との仲は良好だけれど……?」
女学院で出来た友人とは卒業した今も連絡を取っており、頻繁に手紙を送り合っています。でも友人達は新婚生活が慌ただしかったり結婚準備に追われていたりと忙しそうで、最近めっきりご無沙汰です。
それなのにどうして急にお父様から仲がいいと思われたのでしょう。
「だって毎週末お友達の家のお茶会にお呼ばれしてるじゃない、前はそんな事無かったのに」
私は思わずぎくりとしてしまいました。いけません、マルシェにお菓子を売りに行く時にいつも友人達とのお茶会だと言って出てきていたのをすっかり忘れていました。
毎週朝から出掛けて夕方まで帰って来ないのです、恐らくお父様の中での私は友人と毎週お茶会をしている流行の最先端を行くお洒落な淑女になっているのでしょう。実際には平民と同じ服を着てお菓子を販売し、人型ニンジンが大量に入った荷車を押したりしているだなんて口が裂けても言えません。
「この間は少し帰りが遅くて、ちょっと心配したんだよ〜。よっぽど会話が盛り上がったんだね〜」
「そ、そう……!楽しくって、ついつい時間を忘れてお喋りしてしまったの……!」
セシル様のお見舞いをしていて遅くなった日のこと。
あの日の翌日、セシル様から「貴女のお心遣いに感謝します」という流れるような美しい文字が書かれた美しいメッセージカードと共に可愛らしい青薔薇のブーケが贈られて来ました。セシル様、書かれる文字まで美しいです。
たまたまマックスが受け取ってくれたから良かったものの、格上の侯爵家の方……しかも今をときめく美貌の貴公子からのプレゼントなんて家中大騒ぎになるところでした。危ない所でした。
「女の子のお友達と遊ぶのが楽しいのはいい事だね〜。でもそろそろ結婚してもいいと思えるような男の人が現れたら嬉しいね〜」
「貴族の男性で、よく話す人とかは居ないのかい?」と尋ねられて、俯きます。
『セシル様……』
私の好きな人。
私の家族以外で親しいと言える間柄の男性は彼一人のみです。
でもセシル様は上流貴族の跡取りで、絶世の美男子と呼ばれる貴いお方。あんなに素敵で引く手あまたな方と私が釣り合うはずがありませんし、彼と結婚だなんて淡い期待など抱くだけ無駄というものです。
「お父さんもコレットの嫁ぎ先を探してはいるんだけど、残念ながらなかなか見付からなくてね〜」
「頑張っていい人の所にお嫁に行かせてあげるからね〜」とにこにこしているお父様に、私は俯き混じりに頷きました。
お家のため、行き遅れになってしまう前にお嫁に行かなければとなりませんし、こうしてのんびりお菓子を作って売りに行く生活を送れる期間もあと僅かです。
……セシル様に会えるのも。
「そういえば、最近うちの鉱山からへんてこで面白いものが採れるみたいでね〜」などとお母様に楽しそうに仕事の話をしているお父様を横目に、私はごくんとパンを飲み込みました。
❂ ❃ ❅ ❆ ❈ ❉ ❊ ❋
「はぁ……」
ネックレス、髪飾り、指輪……。
応接室の中に広げられた煌びやかなアクセサリーを前にして、私は朝の結婚の話を引きずって溜息を零していました。
「あの……お気に召しませんでしたか」
「えっ。あっ、いいえ違うの……!ちょっと考え事をしていて……」
月に一度我が家にやって来る行商人の訪問販売。
持ってきた物が気に入らなかったのかと肩を落とす行商人に「素敵なアクセサリーよ、どうもありがとう」と微笑みます。行商人が持って来てくれたものはどれも素晴らしく、私なんかを飾り立てるには勿体ないくらいの美しさで……。
『ああ、また私なんかって思ってしまったわ……』
私なんかと口に出したら、きっとセシル様に叱られてしまいます。あの人はどうしてか分からないけれど、最初から私の内面だけを見て接して下さるから。
見た目の事は何も言わず、私を普通の女の子として扱って下さる優しい人。
私は行商人の「よろしければお話を聞かせて頂いてもよろしいですか?」という声に頷きました。
「……そろそろ、私もお嫁にいかないといけないのだけれど」
「コレット様も、お年頃ですものね」
「ええ。……でも、本当は、心に想っている方が居て」
「おお、ではその方と……」
「いいえ。その方はとても素敵な方で、私なん……私では、とてもじゃないけど釣り合わないの。だからこの想いは伝えずに、お父様の選んでくれた人の元へお嫁に行こうと思っているわ」
「ふむ、なるほど」
「その方はどんなお方なんですか?」という行商人の質問に私は微笑み、瞼を伏せました。
『何ぼーっとしてんのさ。ほら、さっさと行くよ!』
目を閉じれば瞼の裏側に映る、少し先で振り向いて私を待つ彼の姿。
――セシル様。時には自分の身を犠牲にしてまでも他の人を優先してしまう、優しいひと。
「美しいのにお優しくて、領民達からとても慕われていて……」
「ふむふむ」
「少しおっちょこちょいで、よく何も無いところで転ばれたりして……」
「……それは大丈夫なのですか……?」
「だ、大丈夫よ……!少し心配になってしまうところもあるけれど、それ以上にとっても素敵な方なの……!」
さすがに心配になったのか、行商人の表情が訝しげなものに変わります。私は慌ててフォローし、ふぅと溜め息を吐きました。
「私なんかじゃ釣り合わないことは分かっているの。……でも、せめてどこかにお嫁に行ってもう会えなくなってしまう前に、日頃の感謝の気持ちを伝えるくらいは出来たらと思って……」
「ご迷惑にならない程度のもので、何か形に残るプレゼントを贈ってもいいかしら……」と胸に手を置きます。いつもセシル様に贈るのはお菓子ばかりで、形に残るものは一度も贈っていません。
私はセシル様から子豚ちゃんのマスコットを頂いて大切にしているので勝手な押しつけと自己満足かもしれませんが、私からも彼に何かを贈りたいと思っていたのです。
「そういう事でしたら、お力になれるかと思いますよ」
行商人がにっこりして、鞄の中をごそごそと漁ります。そして「年若いご令嬢には不要かと思い、並べずにいたのですが」と言いながら取り出したものは。
「こちらなんて如何でしょうか」
「まあ……!」
行商人が出したのは、黒地に植物の蔦のような模様が描かれたステッキでした。持ち手のシルバーの部分に不思議な輝きを放つ青い石が嵌め込まれていて、まるで深海の水を閉じ込めたみたいです。
「素敵……」
これを持っていれば、セシル様の転んでしまう回数も少しは減るはずです。私はそわそわしながら値札を確認して……絶句しました。
「特殊なルートから手に入れた一点物なので少々値は張りますが……、コレット様にはお世話になっておりますし、素敵な人への贈り物ということで最大限お安くさせていただきますよ。如何でしょう」
「い……頂くわ……!」
「ありがとうございます」
一点物と言うだけあって目が飛び出てしまうようなお値段です。でもあんまりにも素敵だったので、少し思い切ってしまいました。悔いはありません。
「ありがとう、あなたのおかげでいいお買い物が出来たわ」
「今後ともどうぞよろしくね」と微笑むと行商人は嬉しそうに「こちらこそ。末永いご愛顧の程、宜しくお願い致します」と言って頭を下げました。
男の人にプレゼントを贈るなんて初めてで、なんだかどきどきしてきてしまいます。
「セシル様、受け取って下さるかしら……」
次の週末に会えるのを楽しみに、私は口元を緩めました。
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「思ったんスけど〜、お菓子の販売はオレらだけで事足りるんじゃないスかね?」
「え?」
週末。馬車から降りたマックスが面倒くさそうに言い放った言葉に、私はぱちくりと目を瞬かせました。
「だって〜、オレいつもお嬢様達を送って開店準備手伝った後またお屋敷に戻って、四時になったらまたわざわざ迎えに来てるんスよ。片道一時間近く掛けて。めちゃめちゃ非効率的じゃないッスか。それだったら業務外手当も出るお菓子の販売してた方がよっぽど稼げて割が良いッス」
「マックス!お嬢様に対してその口の利き方はなんですか!」
「いいのよエイダ。でもそうね、マックスが手伝ってくれるなら勿論とても有難いのだけれど……」
「でしょう?で〜、あの狭い販売スペースに四人は絶対キツいと思うんスよね。だからその間、お嬢様は街でセシルお坊ちゃんと遊びに行ってたらどうッスか?」
「えっ!」
面倒くさがり屋のマックスからの思ってもみなかった申し出に思わず「あなた本当にマックス……?もしかして別の人なんじゃ……」と本人確認をしてしまいます。
マックスは「失礼ッスね!オレだってたまにはちゃんと働くんスよ!」と憤りました。
「ご、ごめんなさい……。でも、本当にいいの……?」
「いいんスよ、だってお嬢様、セシルお坊ちゃんに渡すものがあるんでしょ?」
私が後ろ手に持っていた紙袋を見つめ、マックスがニヤリと笑いました。どうやら全てお見通しのようです。
私はこくりと頷くと、「ありがとう。それじゃあ、お店の方をお願いね」と手を振って足早に駆け出しました。
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「行ってらっしゃ〜い」
コレットが去って行った後、上機嫌で手を振るマックス。カエラはマックスの肘を小突いた。
「あなた、何か企んでいませんか」
「え〜?なんの事ッスかねぇ」
「……もしや、セシル様から賄賂を……」
「なっ!なんでバレたんスか!?」
「ほんとに貰ってたのね……。なんて手癖の悪い……」
「貰ったのはお金じゃないッスよ。お貴族様御用達、高級レストランロレーヌの食事券ッス。いや〜、持つべきものは主人に惚れてる金持ちお坊ちゃんッスね〜」
「現金ですこと」
「あの二人、上手くいくといいんスけどね」と笑ったマックスにカエラが「たまにはいいこと言うんですね」と僅かに口角を上げる。
「たまには余計ッスよ」と言って笑うふたりを後ろから見つめながら、エイダは「このふたりも案外いい雰囲気ですこと」と影からひっそりと笑った。