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16本目 小さな命とセシル様の魔法

「大丈夫なのかしら……」

「早くしないと貨物船が……」


 ざわざわと不安げに水路に身を乗り出す街の人達。その中で子どもと一緒に地面に膝をつき、「テオ!テオ……!」と涙を流す女性が居ました。

 見ると、水の中でばしゃばしゃと激しく藻掻く男の子の姿があります。


「助けてっ……おかーさ……!」

「テオ……!」

「えっあの男の子……」


 テオ。そうだ、あの男の子は。今朝セシル様が子守りをしていた子ではないでしょうか。


 水路は幅があり、運搬用の船がすれ違える程の広さがあります。長い棒や縄などを使っても男の子の所までは届きそうにありません。


「おい魔導貨物船がもうそこまで来てるって!」

「やべえぞ、このままじゃ……」


 ローゼブル侯爵領に二週間に一度訪れるという、外国の大きな魔導貨物船。それはとても大きくて小さな舟も通り抜けられないので今日は水路が閉鎖されており、そのため市場の人達もいつも使う舟を使わずに荷車のみで商品を運搬していたらしいのです。


「まさか、男の子が落ちちゃうなんて……!」


 魔導貨物船は予め組み込まれた魔法陣の通りに動き、一度動き出したら目的地に着くまで止まりません。

 このままではテオくんは、船のスクリューに巻き込まれてそのまま……。


「きっ……来たぞ!貨物船だ!」


 向こうから大きな汽笛が聞こえて来て、男の子に迫ります。

 テオくんの表情が恐怖に引き攣り、「助けてぇ!!!」という悲痛な叫びが響きました。


「テオ!!!」

「もう駄目だ!おしまいだ!」


 誰もが絶望し、そう口にした瞬間。


「退いてっ!!!」


 タッと地面を蹴り出し、水路に飛び込む人物の影がありました。


「セシル様……!?」


 セシル様です。

 セシル様は空の木箱を抱え、それを浮き代わりにして男の子の方へ投げてから自分も水路に飛び込みました。


「セシル様が来てくれたぞ!」

「セシル様だわ!」

「良かった、これで助かるぞ!」


 セシル様が現れた途端、今まで固唾を飲んで見ている事しか出来なかった人達が沸き立ちました。

 街の人達から絶対的な信頼を置かれているセシル様が助けに来た。セシル様の登場は街の人達を安心させるには十分だったようです。


 水路に飛び込んだセシル様は木箱に掴まってテオくんの元まで泳ぎ、「テオ、掴まって!」と叫びました。


「セシルさま……!セシルさま……!」

「もう大丈夫だよ。ほら、背中におぶってやるからさ。泣くなよ、あんたはいつもこのボクをコケにする度胸があるくらい強い男だろ」

「うん、うん……!」


 必死に伸ばされたテオくんの手をがっしりと掴み、セシル様が微笑みます。

 テオくんはセシル様におぶわれ、しっかりとその背中に抱き着きました。


「大きく息を吸って……今だ、止めな!……大いなる水よ、今ここに柱となりて天をも貫け!ウォーター・カラム!」


 セシル様の詠唱する声が響き、彼の足元に魔法陣が現れました。すると運河の水が彼らを包み込み……大きな水の柱となって天高く突き上げました。


「わあっ……!」


 上級魔法、ウォーター・カラム。こんな水属性の高等魔法が使えるのは宮廷魔導師とローゼブル侯爵家の血筋の方くらいではないでしょうか。


「綺麗……」


 私が思わず見とれてしまっているうちに。

 水の柱はすんでのところでくるりと旋回し、魔導貨物船を避けて彼らを地上へと下ろしました。


「ああ、テオ……!」


 水の柱が消え、セシル様の足がゆっくりと地面に着きます。

「お母さん!」と叫んでセシル様の背中から飛び降りたテオくんはお母さんと兄弟のニケくんに抱き締められ、わんわんと泣きじゃくりました。


「あんたはもう!お母さんに心配掛けて!!!無事で良かった……!」

「もうおれから離れるんじゃないぞ!」

「ごべんなさい……!ごべんなさい……!」

『無事で良かった……』


 一件落着です。私はほっと胸を撫で下ろしました。


『セシル様のおかげね……』


 水というものは形がなく、普通にしていたら流れてしまうものです。火、風、地、水の四属性魔法の中で最も扱いにくい水を柱の形に固定して子どもを助けてしまうなんて。まさにヒーローのようでした。


「セシル様、本当にありがとうございました……!」


 テオくんを抱き締めていたお母さんが顔を上げます。その目には安堵の表情を浮かべていて……

 次の瞬間、「セシル様!」と悲鳴を上げました。

 その声にはっとして彼を振り向くと。


「よかった、無事で……。……ボクはもう、困っている人をみんな助けられたかな……」

「セシル様!」


 セシル様の身体がぐらりと傾き、私は咄嗟に彼を抱き止めました。


「セシル様!返事をして下さい、セシル様……!」



 ❂ ❃ ❅ ❆ ❈ ❉ ❊ ❋



「セシルが倒れたって聞いたんだけど!?」

「侯爵様……」

「ああ、コレット嬢!セシルは……」

「魔力切れと過労、だそうです」


 あれからセシル様は病院に運ばれ、今は病室のベッドで寝ていらっしゃいます。

 今日は朝からずっと走り回っていましたし、あれ程コントロールの難しい大きな魔法を使ったのです。無理もありません。


「セシルのばか。元々魔力少ないのに無茶するからこんな事になるんだ」


 侯爵様は寝ているセシル様のお腹をぺしぺしと叩きながら、大きな溜め息を吐かれました。


「え……」


 魔力が少ない。

 そんな、ローゼブル侯爵家の男性は代々強い水属性の強い魔力を持って生まれてくるものでは。


 私の反応に侯爵様は「ああ」とバツが悪そうな顔をして頭を掻きました。「セシルに怒られるな」と。


「コレット嬢は魔力が無く、王立女学院に通っていたんだったね。こいつは魔力持ちで魔法学園にこそ通っていたが、実はその魔力は生まれつきとても少ないものでね」

「でも、じゃあ魔法学園でいつも成績がトップだったという話は……?」

「魔力は殆ど持ってない。だけど新しい魔法陣を考えたり、難しい魔法陣を簡略化したり、絶対壊れる隙のないくらい完璧な魔法陣を組む才能はあってね。こいつは学園へ通っていた三年間、ずっと魔力が殆ど無いのを隠したまま実技の成績をカバー出来るほどの座学の成績を修めるべく、机に齧り付いて猛勉強していたらしいんだよ」


「生徒会長として学園のトップに立ちながらね」と言った侯爵様の手は、もうセシル様をぺしぺしと叩いてはいませんでした。代わりに、眠っている息子の頭を労うような手つきで優しく撫でてやっています。


「魔法が使えない人でも、魔法陣さえあれば魔石を使って魔法を使う事が出来る。こいつが学園でずっと研究していたのは、人々の生活の端々で役立つような、ささやかだけどそれがあるだけで生活が豊かになるような小さな魔法だったんだよ」

「セシル様……」


 セシル様が少し前に見せてくれた、魔力を流せばドアが自動で開く魔法。魔石を嵌め込み、ボタンに軽く触れれば開くといった魔法陣を組み込めば、一度荷物を床に下ろしまた持ち上げるという動作が省略され、これ以上となく腰への負担を減らすことが出来るでしょう。これなら力の弱い子どもや老人でも簡単に自分の意思で重い扉を開けることが出来ます。


 セシル様が求めたのは魔術師が使う人の命を脅かすような大魔法ではなく、誰でも使えて便利に暮らせる生活魔法。

 限られた魔力持ちの人だけでなく、魔力を持たず不便な生活をする人達を助けるためのものでした。


「週末いつも街で人助けをしているのもそれが理由だよ。自分は代々強い水魔法を継ぐローゼブル侯爵家の男の中でも一番の落ちこぼれだ。そんな奴がこれからこの地を納めていくなんて領民達に申し訳ない、せめて魔法以外のことで頼りになるところを見せて安心させてやりたい……ってね。自分に魔力が殆ど無いことなんて重々承知してたんだ。それなのに、切羽詰まって魔力欠乏で死にかけるくらいの魔法を使うなんて」


「ばかだなぁ……本当にばかな、私の自慢の息子なんだから……」と涙ぐむ侯爵様。


 自分の事は二の次で、いつだって自分以外の誰かのことを優先して。


『ああ、どうしてあなたはそんなに……』


 優しい優しいセシル様。領民のことを考えて、時には自分の身を犠牲にして街の人を守ろうと立ち向かって。みんなに愛されて、セシル様も同じようにみんなを愛して。

 でも、だからこそ心配になります。彼が私の知らないところでボロボロになって、いつか居なくなってしまうんじゃないかって。


『そんなのいや』


 セシル様が居なくなるだなんて、そんなの耐えられません。


『だって私は……』


 私は、セシル様のことが。


『……ああ、そうなのね』


 気付けば視界が滲んで、心にぽとんと落ちて来たあたたかいものが広がりました。


『私、セシル様のことが好きなのねーー』


 気付いてしまったら想いが溢れて、ぽろぽろぽろぽろ零れます。


 最初はお菓子の販売のために来ていたのに、いつの間にか彼と会うことが目的に変わっていました。

 会えると嬉しくて、一緒に過ごす時間はとても穏やかで楽しくて。

 自分だっておっちょこちょいなのに人の心配ばかりして傷を作ってしまう、どうしようもなく優しいこのひとを、心の底から愛おしいと。身の程知らずにも、ずっとずっと傍に居たいと思ってしまったのです。


「セシル様……」


 伏せられた長い睫毛を眺め、そっと息を吐きます。

 短い間だったけれど、彼のアメジスト色の瞳に映る機会を頂けて幸せでした。


 今はこんな風に親しくさせて頂いてはいるけども、きっとお互いに婚約者が決まるまでの一時だけのもの。遠くない未来で彼の隣に立つのは私ではないでしょう。


 セシル様の隣に並ぶその人は、私みたいなお菓子な伯爵令嬢なんかじゃない、美人で。きっと……とっても強い人。

 その人とセシル様が並ぶだけで絵になって、その2人を見た人達が思わず息を呑むような……


 私じゃない。私じゃないの。


「本当に、本当に優しくて……素敵な人ですね」


 自然と浮かんでしまった涙を指で拭い、微笑みます。


 ああ本当に、どこまでもかっこよくて、素敵な人。

 私なんかじゃ到底手が届かない、かけがえのない人。


 気付いた感情にごめんねと声を掛けて、蓋をします。


 ごめんね。


「他の人の為に迷わず自分の身を差し出せる人がこの世界にどれほど居るでしょう。私は彼の事を心から……尊敬しています」


 尊敬、と言い替えて押し込めて。


 今の私はどんな顔をしているのでしょうか。

 ちゃんと笑えているのでしょうか。


 侯爵様はハッと息を飲み、ややあってゆっくりと口を開きました。


「コレット嬢、お願いがあります。こいつが無茶しないように、傍に居て見てやってくれませんか?」

「えっ……?」


 突然の侯爵様の言葉に、暫し思考が停止しました。


『私を、セシル様のお傍に……?』


 侯爵様の真意が見えません。

 どう答えたらいいのか分からなくて、私は侯爵様の真意を探りました。


「侯爵様、それは……」

「こいつは長男で侯爵家の跡取りとして育って、人一倍責任感が強くなってしまったんです。完璧に拘るあまりおっちょこちょいな自分を許せなくて、たまにこんな風に誰かの役に立とうと無茶をしてしまうことがあって。きっと歴代当主の中の誰よりも優しくて、領民達にも慕われる良い当主になると思う。でもその優しさ故に何処か脆く、危うい所があるんです。どうかあなたの出来る範囲でいい。傍に居て、こいつがこれから危ない目に遭いそうになった時は一度冷静になるよう止めてやってくれませんか」


「今回だって、魔法を使わなくたって他に子どもを助ける手はあったはずだ」と零す侯爵様。

 あと一歩遅ければ、船のスクリューに巻き込まれてセシル様まで命を落としてしまうところだったのです。侯爵様の、セシル様の手を握る手が震えています。


「おまえはほんと、いくつになっても親を心配させるよなぁ……」


 そう言って眉を下げた侯爵様の悲しげな顔に、私はぐっと喉に力を込めました。


「私……こんな平凡で、なんの力も持っていない私では力不足かもしれませんが……」


 私だって、セシル様の笑顔を守りたい。みんなに愛される優しい彼を失いたくない。


 たとえ彼の未来に私が居ないとしても。


「私からもお願いします。どうか私にも、彼の大切なものを一緒に護らせて下さい」


 侯爵様の目を見つめれば、彼は少し驚いたように目を丸くして微笑みました。


「穏やかな方だと思っていたけれど、あなたはそんな目もするんだね」

「目……?」

「強い意志の宿った、芯の強い瞳だよ。……なるほど、セシルも好きになるはずだ」


 侯爵様はぼそりと何か呟き、安心したような微笑みを浮かべました。


「私の勝手なお願いを聞いてくれてありがとう。週末のマルシェだけじゃなく、いつでもうちに遊びに来てね」

「ありがとうございます」


 侯爵様がくるりと背中を向けました。病室のドアに手を掛けた侯爵様に「セシル様が起きるのを待たれなくてもいいのですか」と尋ねると「忙しい仕事の合間に抜け出して来たからね」と返ってきました。


「息子をどうか頼みます」

「はい」


 パタンと病室のドアが閉まり、部屋に静寂が訪れます。

 セシル様が倒れてしまってから、そろそろ空も夕焼けに染まる頃です。


「セシル様……」


 テーブルの上に山のように積まれたお見舞いの品。みんな倒れてしまったセシル様を心配した街の人達が、セシル様が元気になるようにと持って来てくれたものです。


「早く起きて下さい、みんなセシル様が元気になるのを待っていますよ……」


 ふわりと撫でた銀色の長い髪が星屑のように煌めいて、窓から入って来た風に揺れます。


 そして長い睫毛が震え、アメジスト色の瞳がゆっくりと開かれて……。



 ✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦



「コレット……」


 彼女の気配を感じて目を覚ます。しかし僅かに遅かったのか、もうそこに彼女の姿は見当たらなかった。


 最後に自分を抱き止めた柔らかな肌の感触。甘いお菓子と花の混ざったような香り。

 そして必死に自分を呼ぶ、悲しそうな声――。


「帰ってろって言ったのに、わざわざボクを心配して戻って来ちゃうなんてさ……」


 彼女の泣きたくなるくらいの穏やかな優しさに、つい甘えてしまっている自分が居る。だからこそ守りたくて、悲しい顔をさせたくなくて、帰るよう遠ざけたのに。

 でもそうだ、彼女はそんな人だった。いつもちゃんとボクの事を見てくれて、ボクが転んだりつまずいたりしても笑ったりからかいもせず、誰より早く駆け寄って心配してくれて。遠慮がちで気は弱いのに、いつだって瞳の奥に芯の強さを秘めていた。


 そんな彼女だから好きになったんだ。


「あれ、これって……」


 ベッドの横に高く積み上げられたお見舞いの品の数々。野菜や果物、ぬいぐるみなど……おそらく街の人達が贈ってくれたと思われるその一番上に、見覚えのあるものを見付けて手に取る。


 透明な袋に入った、たんぽぽ色のリボンが掛けられたお菓子。彼女が作ったお菓子だ。彼女はいつも自分用のお菓子を持ち歩いているから、きっとそれを置いて行ってくれたのだろう。


「ベリーのクッキー……ボクが一番好きなやつだ」


 リボンを解いてひとつだけ口に含む。優しい甘さが口に広がった。

 甘酸っぱくて、胸の奥がきゅんと疼く。


 と。


「あれ」


 よく見ると袋の裏にメモが貼り付けてあった。可愛らしい文字で、そこに書かれていた言葉は。


『あなたはかけがえのないとても大切な人です。どうかセシル様もご自分を大切になさって下さいね。コレット』

「…………!」


 自分を大切に。まさか彼女を元気付けるために言った言葉が自分に返ってくるとは。


「は、ははは……なんだよ……ダサすぎるだろ、ボク……」


 湿った笑い声が喉から漏れる。

 いつの間にか、彼女への想いが口から零れていた。


「ああもう、好きだなぁ……」


 あの子が好き。大好き。


 日に日に強くなるこの想いを、いつか彼女に伝えることが出来たなら。


 口の中で確かめるように味わい、ゆっくりと嚥下する。

 彼女の優しさが詰まったような幸せな味に、ぽろぽろと目から零れてきたものには気付かないふりをして。


 ボクは病室で一人、彼女の纏う陽だまりのようなたんぽぽ色に恋焦がれていた。


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