15本目 ロベルトと事件の足音
暫くは力尽きた様子で項垂れていたセシル様でしたが、街の人に「セシル様こっちお願いします!」と呼ばれて「はいはい今行くから」と東へ、「セシル様助けて〜!」という声に振り向き、「ちょっと待ってなよ!」と西へ。
街中を行ったり来たり、北へ南へと駆けずり回っていました。
「セシル様早くこっち手伝って下さ〜い!」
「今行くって言ってるだろ!」
「セシル様、次こっち」
「人遣い荒いなあんた達!?」
「朝っぱらから子守して今度は街中を東奔西走!もう嫌だ!グレてやる!」と半ギレ――半泣き――で叫ぶお姿はとても二十歳手前の男性には見えません。でもそれにしたってあまりにもお可哀想です。
『手伝わなきゃ……!』
私は販売が終わってすぐに片付けを済ませると、大量の人型ニンジンの乗った荷車をヒィヒィ言いながら引いているセシル様に駆け寄りました。
「セシル様、大丈夫ですか……!?」
「これが……っ大丈夫に……っ!見える……!?」
「見えません……!」
「分かってるなら……、聞くなよ……っ!」
「悲しくなるだろ……」と消え入りそうな声でこちらを振り向きました。いけません目の焦点が合っていません大変お疲れのようです。
「私もお手伝いします……!」と慌てて後ろから荷車を押すと、僅かに彼の生気が戻って来ました。
「ありがとね……。お世辞抜きに本気で助かるよ……」
「どういたしまして……。あの、これって何処まで運べばいいんでしょう……?」
「野菜が行く場所と言えば決まってるだろ、八百屋だよ」
「八百屋さんに頼まれたんですね」
「八百屋の、息子の方にね……!……まあ、あんたが手伝いに来てくれたから結果的には良かったんだけど……」
ちらりとこちらを向いたセシル様と目が合いました。ぱちぱちと目を瞬かせ首を傾げると、「かわっ……!」と謎の奇声を発してセシル様の腕の力がガクッと抜けました。いけません、そのまま転倒したら大量の人型ニンジンに襲われてしまいますよ。
「えーと……それは大変でしたね……。私が販売の合間に少し見ていた時だけでも、沢山の人から頼まれ事をされているように見えましたし」
「今日は特に数が多かったよ。あっちもこっちもトラブル続き。多分今日は厄日なんだろうね……。帰ったら母さんにお祓いして貰わなきゃ……」
「せ、セシル様がお優しく頼りになるお方だから、ついつい甘えて頼んでしまわれるんだと思いますよ……?お気を落とさずに……」
「頼りに、なる……?はーまったくもう人使いが荒いったらありゃしないよこの街の連中は。でもまあ困ってるって言うんなら助けてあげなくもないけど!」
セシル様の荷車を押す手に力が戻りました。ぶつくさと文句垂れつつもセシル様は人助けを辞めるつもりはないようです。
「まったく、みーんなほんとボクが居ないとダメなんだから!ふふっ」
機嫌の良さそうなセシル様の背中を見ながら押す、大量の人型ニンジンが入った荷車。
目的地である八百屋さんに着くと、八百屋のご主人が「おや、これは……」と目を丸くしました。
「セシル様、うちのバカ息子はどうしましたか。ロベルトの運送はあいつに頼んでいたはずなのですが……」
「そう、そのあんたんとこのバカ息子が木から降りられなくなった猫を助けようとして落下して、代わりに通りすがりのボクに頼んだんだ。今は病院に居るはずだから後で見舞いに行ってやりなよ」
「なんと……それでセシル様が。ここまで運んで頂いてしまい申し訳ございません。ありがとうございました。それでは、ここまで運んで頂いたお礼に……」
「待って、なんか嫌な予感がするんだけど」
そう言って笑みを湛えたご主人がセシル様に歩み寄り、渡した物は。
「ロベルトです」
「だよね!!!今運んで来て大量にあるもんね!知ってた!!!」
「さすがセシル様、お察しが良い。ではこれを」
「うっ……まあ、お礼を断るのもなんだし貰っておくか……」
「ありがと……」と渋々受け取ったセシル様。ご主人はくすくすと笑うと、「お嬢さんにも差し上げます」とこちらに目を向けました。
「えっ!?い、いえそんな……」
まさかのロックオン。
私はセシル様のお手伝いをしただけだから頂けないと必死にかぶりを振りましたが、「まあまあ」とか「遠慮なさらずに」などと言われ、気付けばいつの間にやら私の手の中に人型ニンジンが鎮座していました。さすが商人です。巧みな話術で言いくるめられてしまいました。
『ど、どうすれば……』
何だかこの人型ニンジン、とてもかっこつけたようなポーズをとっています。人型のニンジンを貰っても使い道が分かりません。普通に食べればいいのでしょうか。
「あ、そのニンジンはロベルトにする為の観賞用に作られているので食べるのはあまりおすすめしませんよ」
「…………」
本当にどうすればいいのでしょう。
人型ニンジンを持ったまま固まっていると、 ご主人が私の手にペンを握らせてきました。
「これでこの子に顔を描いてあげてください」
「顔、ですか……」
「ええ、なるべく美男子に」
美男子。私の視線は自然と私が知る中で一番の美男子である人物の方を向きました。
「えっ、な……何……」
「セシル様、そのままじっと、動かないで頂いてもいいですか……?」
「うえぇ……?そ、そんなに見つめられると、その……照れるん、だけど……」
セシル様を見ながらニンジンに顔を描いていきます。鼻は高く、瞳は涼しげで華やかに、唇は薄く……。
「出来ました!セシル様を見ながら描いたのでとっても美男子に……!」
「……これがボク?……なんて言うか、その……」
「お嬢さんはとても可愛らしい絵をお描きになりますね」
微妙な面持ちでロベルトを見つめるセシル様と、くすくすと楽しそうに笑うご主人。
私にしてはかなりの自信作だったのですが、セシル様はあまりお気に召さなかったのでしょうか。
「あんたにはボクがこんな風に見えてるの?」
「えっ。は、はい……見たまま、特徴を捉えて描いたつもりなのですが……」
「ふぅん。……なんか、妙に目がきらきらして可愛い表情してるのは気のせいなのかな……それともコレット嬢の前ではボクっていつもこんな顔をして……?」
セシル様はぶつぶつと何やら呟きながら自分の世界に入ってしまいました。私はあまり絵には自信が無いのですが、自分の中ではとってもよく描けた方だと思います。
「ええと、このロベルトってどうすれば……」
「恋愛成就のお守りとしてお持ち頂くも良し、ちょっと気になるあの人に渡してアプローチをするも良しですよ」
「ロベルトを渡してアプローチするんですか……」
とっても変わった風習です。これを渡したらこの領地の方々はときめくのでしょうか。あまり共感できないのは私が他領から来たせいかもしれません。人の感性はそれぞれですものね。
『ちょっと気になるあの人……』
私の視線はまた、最近気になって仕方のないおっちょこちょいなお方の方を向きました。
『セシル様……』
恋愛感情かどうかはさておき、彼からどうしようもなく目が離せないのは確かです。
歩いているだけで彼が転んでしまわないかひやひやしてしまいますし、段差があれば「そこ段差がありますよ」と逐一声を掛ける事も忘れません。
介護と言われてしまえばそれまでですが、なんだかそれだけじゃないような気もするのです。
『私は……』
私は、セシル様の事をどう思っているのでしょう。
「それでは、お二人の時間を楽しんで」というご主人に笑顔でぺこりと頭を下げます。セシル様は「やれやれ」と首を鳴らしました。
「はー……やっと助けを求める声が止んだよ!もうお腹ぺこぺこ。沢山動いて働いた分、今日はいつもよりも豪勢にいかないとね!」
「ふふっ、そうですね。お疲れ様です、セシル様」
「あんたも、手伝ってくれてありがとね。助かったよ」
「どういたしまして。ふふっ」
隣を歩くセシル様は機嫌が良さそうで、私もなんだか気分が良くて鼻歌を歌いながら歩きます。
「ふんふんふん……ふふ〜ん……」
「あれ、あんたが今鼻歌歌ってる曲、ボクの弟が作ったやつだよ。あんたの住む街にも届いてるんだね」
「えっ、これセシル様の弟さんの曲だったんですか……!?この曲、今うちの領内で大流行してて……!」
「『花売り娘』だろ。つい口ずさみたくなるメロディーだからよく街の子ども達も歌ってる。ボクみたいに街を駆けずり回って人助けしなくても、音楽で人を笑顔に出来る。凄い奴だよ、あいつは」
弟さんのことを話している時のセシル様はとても優しい目をしていて、私は心がぽかぽかと温かくなるような心地に包まれました。
『弟さんの事をとても大切に思ってらっしゃるんだわ……』
とっても美しい兄弟愛です。
「ボクがこんな風に思ってるってこと、恥ずかしいから弟に会っても言うなよな」と唇を尖らせるセシル様に「はい、分かりました」とにっこりします。
セシル様は照れ屋さんです。ほんのりと頬を赤らめ、ぽりぽりと首元をかく仕草が可愛らしく、私はくすりと微笑みました。
「さ……さ〜て、今日はどこに行こうかな!あんた、何か食べたいものとかある?」
「そうですね……」
レストランに行くのも良いですし、マルシェでだいふくを食べるのもいいかもしれません。
「何を食べましょうか……」
「そういえば今朝、向こうにあるレストランに新鮮な夏野菜を運んだんだ。もうそろそろ夏だし、季節の新メニューが出たんじゃないかな」
「まぁ、素敵……!是非食べてみたいですね」
「それじゃ、連れてってやるよ。どんなメニューが出てるかな」
「楽しみですね」と微笑みながら市場を抜けて飲食街の方へ行こうと角を曲がった、その瞬間。
「きゃーーーっ!!!」
「………!?」
突如女の人の叫び声が聞こえ、セシル様の足が止まりました。
「セシル様……今誰かの悲鳴が……!」
「行かなきゃ……!あんたは何かあったらいけないから今日はもう帰って!この子の使用人!居るんだろ!この子を頼むよ!」
「畏まりました」
「え、エイダ……!?カエラも……いつの間に……!?」
背後から出て来た二人に驚きます。いったいいつから居たのでしょう。全然気付きませんでした。
「じゃあね!任せたよ!」
「あっ、セシル様……!」
突然現れた二人に腕を引かれたのに気を取られている隙に、セシル様が物凄いスピードで駆け出していきました。
『いつもなら足を一歩踏み出すだけで転倒するのに……』
つまりは、あのおっちょこちょいなセシル様でさえしっかりしてしまう程の緊急事態が起きたということです。
いったい何が起きてしまったのでしょう。なんだか酷く胸がざわつきます。
「お嬢様、安全な場所に移動致しましょう。このエイダが傍におります」
「私もお守り致します」
「でも、私も……!」
「いけません。私共にはお嬢様の身の安全を確保するという義務があります。本日はもうお帰りになられるのが賢明かと」
「そんな……」
黙って、何も知らずにこのまま大人しく帰れだなんて。
『……そんなの』
そんなの、耐えられません。もしも彼に何かあったら、私は。
「あっ!あんな所にあんな物が……!」
「えっ?どこにどんなものが……?……って、お嬢様!?お待ち下さい、お嬢様!!!」
重い身体を揺らして走る私に、街の人達が驚いた顔で振り返ります。
肉離れを起こしそうな脚。すぐに上がる息。ああ、いつもはなるべく気にしないようにしている自分の体型が、今この瞬間は何よりも憎い……!
『セシル様。セシル様……!』
早く、早く。早く、彼の元へ行かないと。
『セシル様、どうかご無事で……!』