12本目 セシル様とスイーツパーラー
「あっという間に売り切れちゃったわ……」
「お嬢様の手作りお菓子、凄い人気ですねぇ」
店頭に並んだカゴの中身は全て空。エイダと私で合わせてふたつ持って来たトランクケースの中身も空っぽです。
先週に引き続き、持って来たお菓子は今日もお昼を前にして完売してしまいました。
エイダと私で合わせてふたつトランクケースを持って来たのですが、トランクケースの大きさには限りがあるのでこれ以上は入りそうにありません。もうひとつトランクケースを増やし、人員を増やすことも検討した方が良さそうです。
ごそごそと完売の札を出していると「あっ!売り切れてる!」という悲壮感漂う声が聞こえてふっと顔を上げます。セシル様です。
「セシル様。来て下さったんですね」
「ちょっと住宅街の方で用事を終わらせてね。お昼時になる前に買いに行かなくちゃって思って急いで来たのに、もう売り切れちゃうなんてさ」
「がっかりだよ」と肩を落としたセシル様に、私はにっこりと微笑みました。
「実はセシル様の分だけ別にして取っておいたんです」
「えっ」
「先週も、先々週も。セシル様が呼び込みをして下さったお陰で、沢山の人が買いに来て下さいました。今朝も商品を並べるのを手伝って下さって……。これは私のほんの気持ちです」
「受け取って下さい」と袋を差し出すと彼は両手でそれを受け取り、「わっ、詰め合わせだぁ……!」と子どもみたいに声を弾ませました。アメジスト色の瞳が星を詰め込んだみたいにキラキラしていてとても綺麗です。
「うふふっ。喜んで下さったみたいで良かったです」
「ありがとね。家に帰ってからゆっくり食べるよ!……ところであんたの使用人は何処に行ったの?」
「えっ、エイダなら私の隣に……え、エイダ……!」
振り向いた先でエイダが仰向けになって倒れていました。胸の前で手を組み、それはそれは幸せそうな顔で。
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相談の結果、セシル様とエイダはお互いに近付き過ぎないよう離れて過ごすという事になりました。セシル様が傍に居る時は、エイダは少し離れた所から見守ってくれるそうです。
「はぁ……眼福……」
「……結構距離離れてるはずなのにめちゃくちゃ視線を感じる……。なんかすっごい気になるんだけど」
「すみません……」
遠く離れた場所から笑みを浮かべるエイダ。とっても幸せそうです。
「……コレット嬢と二人きりの時間を邪魔されないし、これはこれで良かったかも」
「……?ええと、何か……?」
「なっ……なんでもないっ!」
「今日も時間余っちゃっただろ、これから何か予定あるのかよ」というセシル様の問い掛けに眉を下げます。
沢山お菓子を持って来たのに先週と同じ位の時間に販売が終わってしまいました。
これから予定もないですし、マックスが迎えに来る十六時まで時間を潰さないといけません。
「どうしましょう……」
「なっ……何も予定が無いならさ!ぼっ、ボクと……その……でーと、に……」
「えぇと、なんですか……?」
段々と声が小さくなってしまい、最後の言葉が聞き取れませんでした。
セシル様は聞き返されたのが恥ずかしかったのか、「うぅ……!」と唸って顔を真っ赤にしてしまいました。照れ屋さんです。聞き返されたらもう一度言うのってちょっと恥ずかしくなっちゃいますよね、分かります。
「ぼ……ボクが監修してるレストランの中にスイーツパーラーがあるからさ、特別に連れてってやるって言ったの!」
「えっ!?ほ、ほんとですか!!?」
「うわっびっくりした!あんたそんな大きな声出たんだ……!?」
有り難すぎる申し出に思わず自分でもびっくりするくらいの声量が出てしまいました。
スイーツパーラー。そんなの行きたいに決まっています。甘いクリームに旬の果物。考えただけで胸がドキドキしてしまい、私はじっとセシル様を見上げました。
「セシル様……」
「うえぇ!?なんだよその可愛……ぐっ……うぅ……っ!も、物欲しそうな顔!」
「連れて行って下さるんですか……?夢の国に……!」
「夢の国ぃ?そんな大層なものじゃないと思うけど……。まあ限られた人しか入れないし、個室だから変な噂が立つ心配もない。あんたも気兼ねなく好きな物食べられるんじゃないの」
セシル様って、実は神様だったのでしょうか。いつも勿論美しくて神々しいのですが、今は後光が差しているように感じます。
「セシル様……ありがとうございます……!」
「う、うん……」
セシル様はふいっと顔を逸らすと「行くよ」と背を向けて歩き出しました。
前を歩くセシル様は耳と首まで真っ赤っかで、私は首を傾げながらもセシル様の後に続きました。
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人気の少ない路地に入ると、既にローゼブル侯爵家の家紋が描かれた馬車が待っていました。
「凄い……さすがローゼブル侯爵家の馬車……豪華だわ……」
美しい青い薔薇の模様が描かれた気品溢れる馬車。普通なら御者の方がドアを開けて下さるはずなのですが……何故でしょう、降りてくる気配がありません。不思議に思っているとセシル様がふっと扉に手をかざして呪文を唱えた瞬間、魔法陣が浮かび上がって……馬車の扉が開きました。
「えっ!?い、今扉が……ひとりでに……」
「遠隔で魔力を放てば開くようになってるんだよ」
なんですかその技術。
「魔法陣組むのは得意だからボクが作った。まだまだ改良段階だけどね」とことも無さげに仰いますが、これって結構凄いことなんですよ。
「魔力の無い人は手動で開けられるから安心していいよ……。ハァ……」
「セシル様、なんだか少しお疲れのように見えますが……」
「今のでちょっと魔力を使っちゃって……」
ドアを開けるだけなのに相当魔力の消費が激しいようです。強い魔力持ちのはずのセシル様が魔力が底を尽いてしまったかのようにふらふらになってしまいました。
「こ、こんなはずじゃ……!朝からスマートに開けようと思ってちょっと練習したのが仇になったか……。父さんが嬉しそうにはしゃいで何回もパカパカしてたからボクもいけると思ったのに……」
「ぐぅ……かっこいいとこ見せたかったのに……」と唸るセシル様。大丈夫、とっても素敵でしたよ。
セシル様は覚束無い足取りながらもひょいと馬車に飛び乗ると、私の方に手を差し伸べました。
「ほら、早く乗りなよ。……ボクの手を取って」
「は、はい……」
おずおずとセシル様の手を取るとグイッと引き上げられ、セシル様の隣に乗せられました。セシル様ってやっぱり力持ちです。
エイダは御者の隣に座るようなのですが、エイダはひらりと自力で飛び乗りました。さすがエイダ。かっこいいです。
「ゆ、指の先までふわふわのほわほわだなんて……!」
セシル様は右手をわなわなと震わせて見つめながら何やら呟いていましたが、話し掛けても聞こえていないようだったので私は大人しく運ばれる事にしました。
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「す、凄いです……!これ、本当に全部食べてしまっても良いんですか……?」
目の前に並べられたのはシャンデリアの光を受けてキラキラと輝くスイーツ達。
『マカロン、プチケーキにマフィンまであるわ……!』
全部全部美味しそうです。
「好きなだけ食べなよ。時間はまだたっぷりあるんだからさ」
本当にこの人は神様なのではないでしょうか。艶やかな銀色の髪がシャンデリアの輝きを反射して、天使の輪っかが出来ているように見えます。
「い……いただきます……!」
ジュレでコーティングされたプチケーキを取って貰い、そっとフォークで口に入れます。
「んん……!」
甘酸っぱいベリーに、爽やかなハーブの香り。甘いのに全く飽きがこない工夫が施された至高の一品です。
蕩けて落ちそうになる頬を押さえてうっとりしているとセシル様に「あんたってほんと美味しそうに食べるよね……」と笑われてしまいました。
こくこくと頷き、「大好きなので!」とにっこりするとセシル様の顔が真っ赤に染まりました。
「だ……大好き、って……!」
このフィナンシェ、どんなふうに作られているのでしょう。このマドレーヌも絶品です。あっ、このミニパフェも……!
美味しくて夢中になって食べ続け、ケーキの最後の一切れをあーん、と大きな口を開けて食べようとして、ぱちりとセシル様と目が合いました。
「…………!」
いったいいつから見られていたのでしょう。
セシル様の瞳は甘いお菓子を食べた時みたいにとろんと蕩けていて、薄い唇が嬉しそうに弧を描いていて……。
「美味しい?」
「……はい……」
「そっか。……ふふ、はしゃいじゃって、その顔ほんと……悪くないね。連れて来たかいがあったよ」
私はなんだか恥ずかしくなってしまって、大きく開いていた口を少し閉じてぱくんとフォークごと口に含みました。とっても美味しいはずなのに、なぜだか味が少し分からなくなってしまったような気がします。
「せ……セシル様はスイーツ、食べられないのですか……?」
「はっ!?た、食べるっ。食べるよ!」
セシル様は私に言われてやっと目の前のスイーツに手を付けました。慌ててフォークを取ったはずなのにすっと背筋を伸ばしてケーキを口に運ぶその所作はとても美しくて、私は思わず見とれてしまいました。
「な、なんだよ……そんなに見られると食べにくいだろ?」
「あっ!す、すみません……。ケーキを食べてるセシル様、素敵だなって見とれてしまって……」
「へっ!?なんっ……ケーキ食べてるボクが素敵!?食べてるだけだよ!?」
「はい。すっと正された背筋や味を確かめるようにしてゆっくり飲み込まれるお姿がとてもお美しくて……。こんなに素晴らしいレストランを監修しているというのも凄いと思いますし、私なんかがこんな事を口に出すことさえとてもおこがましいのかもしれませんが……」
「とても素敵だと思います」と口にした途端、カチャーン、とセシル様の手からフォークが滑り落ちました。
「セシル様、大丈夫ですか……?」
ウェイターが慌てて替えのフォークを用意しますがセシル様はそれにも気付いていないのか、顔を真っ赤にしたまま私を見つめていました。
「……まだ……素敵、だと思ってくれるの?ボクのこと。……先週は色々と、失敗しちゃったのに……」
「えっ!?は、はい……!先日頂いた子豚ちゃんや今朝の花かんむり……手先がとてもお器用でものづくりの才能があるのも素敵だと思いますし、今日だってエイダを軽々と運ぶ逞しさもとても素敵だと……!」
あれ?私いったい何を口走っているのでしょう。だってなんだかセシル様がとても素直にお尋ねになったんですもの。なにやら恥ずかしいことをかなり言ってしまった気がします。
「あ、あの……!今言ったことはその……!」
忘れて下さい、と言おうとした私の目に映ったのは、嬉しそうに微笑むセシル様のお姿でした。
「……そっか、そっか……。ふふふ……」
「せ、セシル様……?」
なんだか様子がおかしいような。
セシル様の長い腕と足が組まれ、形のいい顎がくいと上を向きました。
「ふっふっふ……!ふははははは!!!見たかあのツンツン頭!ボクをポンコツ呼ばわりしてこの一週間しょんぼりさせたことを後悔させてやる!!!」
「…………」
「ハーッハッハ!」と仰け反り、高らかに笑うセシル様。
『えーっと……』
何はともあれ、機嫌が良さそうで何よりです。
セシル様はその後帰りにマックスと何やら話していたようで、決まりの悪そうな顔をしたマックスが帰って来ました。
何があったのかは知りませんが、来週もマルシェに行くのが楽しみです。
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「父さん……今兄さんが鼻歌歌ってスキップしながら帰って来たんだけど……」
「えっ何それこわっ……何があったんだろ……」
ローゼブル家当主の執務室にて。
おおかた庭に寝転がって詩でも書いていたのだろう、泥だらけの服のまま現れた次男坊に顔を顰めた父だったが、怯えた様子のルートの顔を見てこれはやんごとない事情がありそうだと立ち上がった。
「知らないけどなんか最近情緒不安定過ぎない?何かに取り憑かれてるんじゃ……」
「やだ怖い……。ルート、後でセシルに塩撒いといてよ」
「分かった。母さーん!岩塩あるー?」
「やめなさい岩塩はやめなさい」
容赦ない。ほんとこの息子容赦ない。情緒どころか心臓まで動かなくさせるつもりか。
ややあって、「あるわよ〜!」という妻の声が聞こえて来た。そして軽い足音と共に岩塩を握り締めた可愛い妻が笑顔で走って来た。可愛い。可愛過ぎてなんかどうでも良くなってきた。
『上手く避けろ、セシル……!』
父は妻の笑顔のために息子を犠牲にした。
「……ちっ、外した!」
その後ローゼブル家では一週間ほど、上機嫌で華麗なステップを踏みながら移動するセシルを狙ってルートが岩塩を投げ付けている光景が度々目撃されたという。