10本目 いい男の三原則
マックス目線のお話です。
少し前を歩くのは、うちのぽよんなお嬢様と美の化身かってくらいお綺麗な顔をした高飛車お坊ちゃま。
オレはそんなふたりの後ろを欠伸を噛み殺しながら付いて歩いていた。
それにしても。
『あのお坊ちゃんの態度!分かり安すぎなんスよねぇ……』
さっきからコレットお嬢様の顔に風穴が空くんじゃないかというくらいお嬢様をガン見しているお坊ちゃん。
お菓子を見て目を輝かせるお嬢様を見つめるその目には、誰がどう見ても恋慕の炎が灯っているように見える。お坊ちゃんがお嬢様に恋をしているという事実は火を見るより明らかだ。
そんなお嬢様に向けていた優しい目が、オレを視界に捉えた途端にキッと吊り上げられた。そして野良犬を追い払うみたいに手でしっしっとされる。
「……はいはい、お望みどおりに!」
オレはこめかみをピクピクさせながら歩くペースを落とした。
『オレだって好きで護衛なんて面倒な仕事してる訳じゃないんスよ!』
冒険者時代に魔物と戦った時にうっかり油断して右膝に深手を負ってしまったのが運の尽き。冒険者生命を断たれてからは、お貴族様の家で馬の世話をして馬車を運転するだけでお金が貰えるという割のいい仕事に転職して、のんびりお気楽に飯を食っていた。
そんなある日、突然その家に住んでいる丸めのお嬢様が手作りお菓子を売りに行きたいと言い出した。
旦那様にバレたらオレがお叱りを受けなきゃならないからそんなの御免だって一度は断ったけど、その分お金は払うと言われて渋々了承した。
それが何故か今はオレも巻き込まれてお菓子の販売員として手伝わされた上に、恐ろしく綺麗な顔をしたお坊ちゃんに恋敵認定されて威嚇される羽目に。
『ああ、なんて可哀想なオレ!』
そもそもオレはただの御者。お嬢様のわがままに付き合わされただけのいたいけな青年なのに、こんなに露骨に敵意を向けられるとは。
『後でお嬢様に追加手当要求しなきゃッスね』
ニヤリと上がる口元を押さえる。
平和そうな会話をしながら買い物を楽しむふたりを眺めながら、オレは大口を開けて店先で買ったりんごを齧った。
❂ ❃ ❅ ❆ ❈ ❉ ❊ ❋
「今日、とっても楽しかったです……!セシル様、案内して下さってありがとうございました……!」
「ふ、ふん。楽しめたんならよかったんじゃない」
『よく言うッスよ、後ろ手でガッツポーズしてるくせに』
ふたりのマルシェ巡りは、途中お嬢様に見惚れたお坊ちゃんが転倒したり柱にぶつかったりなどの事件はあったものの、つつがなく終わった。
珍しい食べ物や飲み物を飲み食いしながら歩いていたらあっという間に帰る時間に。今は別れの挨拶をしているふたりを少し遠くから眺めながらお嬢様を待っているところだ。
「なーにちんたらしてるんスかねぇ……」
マルシェを巡っている間も、お坊ちゃんは頻りにポケットの中を確認する動作を繰り返していた。大方お嬢様にあげるプレゼントを用意してるとかなんだろうけど、未だお嬢様に渡す気配はない。
『まあもうちょっと待ってみますかぁ……』
あんまり遅くなると旦那様に怪しまれると思うけど。
オレは馬車に背をもたれ掛けてふたりのやり取りを見守っていた。
「じ、実はあんたに、渡したい物があるんだけど……」
「え……?」
『お、やっとかな』
お坊ちゃんがポケットに手を入れた。そしてお嬢様の方を少し上目遣いで睨みつけて……ガバッと顔を下に向けて「ん!」とお嬢様に向けて拳を突き出した。
「ひゃっ!?」
「手、出しなよ」
「は、はい……」
『うわー、不器用。お嬢様、完全にビビっちゃってるじゃないスか。正拳突きでも食らわすつもりだったんスか』
おずおずと両手をお椀の形にして差し出したお嬢様。その手のひらの上を何かがころんと転がったのが見えた。
あれは。
「あげる」
「えっ」
お嬢様の手の上に乗っていたのは小さな子豚のマスコットだった。
『……女の子に豚のマスコットをプレゼント……?センス無さすぎだろ』
まん丸フォルムのお嬢様に豚のマスコット。下手したら嫌がらせととられる可能性もある。プレゼントとしては完全に無しだろう。
普通の令嬢ならここで平手打ちを食らわせているところだが、お嬢様はまん丸の瞳をさらに丸くさせてじっとそれを見つめていた。
「ボクが作ったんだ」
「えっ……セシル様が?」
「悪いかよ」
「い、いえ……」
『うっそ、手作り!?』
手作りの豚のマスコット。男がマスコットを作るってのもどうかと思うけど、初めて贈るプレゼントが手作りってちょっと重くないか。
「雑貨屋の手伝いをした時にマスコットを作ったんだけど、手伝ったお礼に作った中からどれでもひとつだけ好きなもの持ってっていいって言うからさ。こいつはよく出来たから、あんたにあげる。……ほら、ちょっとあんたに似てるだろ」
「……ありがとうございます。大切にしますね」
お嬢様はそう言うと、そっと手で包んで手提げ鞄の中に入れた。
『あーあー、似てるとか言っちゃって。好感度ダダ下がりだろうなー。オレ知らね』
「いとしさはこれでよし、あとは……」
お坊ちゃんは何か考える素振りをした後、ぽんと手を叩いた。
「ボク、今日は朝から合計五回躓いて転けたんだ」
『は?突然のポンコツアピール?』
何がしたいんだこのお坊ちゃん。自ら評価を下げに行ってどうする。
お嬢様が「お可哀想に……お怪我はありませんでしたか?」と尋ねた。優しい。オレだったらあんたの頭が可哀想って言っちまいそうだ。
お坊ちゃんは「怪我はないけど……」と遠くを見つめた。
「地に伏せる度、己の無力さに気付かされて……情けない気持ちになるよね」
「セシル様……」
『なんだあれ』
訳が分からない。このお坊ちゃんちょっとおかしいんじゃないか。
「切なさはこれでよし……最後に心強さか……うーん」
お坊ちゃんはまた小さくぶつぶつと呟いて何やら暫く考えた後ぽんと手を叩き……ムキッと右腕を曲げた。
「ボク身体鍛えてるんだ。あんたが転んだって運んでやれるよ」
『突然の筋肉自慢!?』
しかもなんでちょっとドヤ顔。
マルシェ巡りの時も華麗にずっ転けてたし、お嬢様よりも自分が転ける心配を優先しろよと言いたくなる。
お嬢様は「それは……心強いですね」と言って困ったように笑った。そして何かを心配するような目付きになる。頭だ。頭の心配をしているに違いない。オレはごくりと唾を飲んだ。
「あの、セシル様………」
お嬢様が声を掛ける。頭大丈夫ですか?と。いやお嬢様はそんな事言わないか。オレならポロッと言いそうだけど。
お坊ちゃんは肩を震わせ、不気味な笑みを零した。
「……三原則……ふふふ……完璧だ……!」
「…………」
『……このお坊ちゃん、変な人だ……』
何故か満足気に一人で盛り上がっている。お嬢様の上げかけた手がスッと下ろされた。これ以上声を掛けるのをやめたらしい。賢明な判断だと思う。
オレは深い溜め息を吐いた。
「お嬢様、そろそろ帰るッスよ」
「は、はい!それじゃあセシル様、また来週末のマルシェで……」
「あっ、あんた!」
「はっはい……!」
「ひぇっ……」
今日一番の眼光の鋭さでお坊っちゃんに睨まれ、ヒュンッと股が縮こまる。
お坊ちゃんは怒りを隠す事もせず、そのままお嬢様に向き直った。
「次来る時はこいつじゃなくて、ちゃんと女の人の使用人を連れて来てよね」
「えっ。そ、それは……」
「いい?絶対だからね!」
お嬢様は首を傾げつつ了承し、それではとお辞儀してこちらに来た。
「マックス、お待たせ。さぁ帰りましょう」
「お嬢様、あちらのお坊ちゃんと少し話したいことがあるんでちょっと待って貰ってもいいッスか?」
「え?ええ……良いけれど……」
「ありがとうございます。お嬢様は先に馬車に乗ってて下さいッス」
お嬢様を馬車に乗せ、バタンと扉を閉める。
オレはお坊ちゃんの方を向くと威圧感に負けないようにギュッと眉間に皺を寄せた。
「なんだよ話って」
お坊ちゃんは腕を組んでふんぞり返り、こちらを見下ろしていた。
オレは冷たく吊り上がった、アメジスト色の敵意しかない瞳を見上げながら口を開いた。
「僭越ながら申し上げます……なんなんスか、さっきの」
「さっきのって?」
「あの訳わかんない謎のポンコツアピールのことッスよ!」
「ポンコツアピール!?ぼ、ボクのアピールの何処がポンコツだったんだよ!?」
「全部ッスよ全部!何だったんスかあれ!」
「あ、あれは……」
お坊ちゃんはぐっと唇を噛むと目を逸らして俯いた。
「……あの子に、いい男だと、思われたくて……」
「……はい?」
いい男。いい男?いい男だということをアピールするのになんで豚のマスコットとずっ転け報告と筋肉自慢が出て来るんだ。
「だから、いい男の三原則は恋しさとせつなさと……あ、あと心強さだって、母さんが言ってたから……」
「え、じゃあ待つッス。あのとんちんかんなアピールはもしかしていい男だと思わせるためのやつだったんスか?」
「そ、そうだよ。裁縫が得意っていうちょっと可愛い特技で親近感、朝から五回も転けたっていう悲しい過去で切なさを演出、最後に筋肉で男らしさをアピール……完璧だったろ?」
「……はぁ〜〜〜……」
オレは地の底まで響くような深〜い溜め息を吐いた。
「お坊ちゃん、正直に言わせて貰っていいッスか」
「な、なんだよ……」
オレはカッと目を見開いた。
「アピールの仕方がズレまくりッスよ!何がどうなってあんなへなちょこアピールになったんスか!」
「へ、へなちょこ……!?」
「転けたなんて情けないこと自分から明かすヤツがどこに居るんスか!筋肉自慢してお嬢様の心配する前に自分が転ける心配してろッス!それに一番ヤバかったのは豚のマスコット!女の子に豚のマスコットをプレゼントするなんてどうかしてるッスよ!そっちにそんなつもりなくても嫌がらせだと思われて嫌われるのがオチッスから!」
「そ、そんな……!」
お坊ちゃんの顔面がみるみるうちに蒼白になっていく。そして風が吹けば飛んでしまいそうなくらいヘロヘロになってしまった。
『いくらお綺麗な顔したいいとこのお坊ちゃんでも、あんなポンコツだったらお嬢様だって嫌いになるッスよね』
多分来週末はもうここに連れて来てくれと頼まれることはないだろう。今日みたいに護衛の真似事をする事もない。
『あーあ、清々したッス!』
オレはこっそり口角を上げると「そんじゃ、失礼しま〜す」と頭を下げ、上機嫌でお嬢様の待つ馬車へと向かった。
❂ ❃ ❅ ❆ ❈ ❉ ❊ ❋
その後、帰りの馬車の中にて。
「何度見てもこの子豚ちゃん、とっても可愛らしいわ。それにこのマスコット、手作りですって。セシル様ってとっても手先が器用なのね……」
「何度も転んでしまう事を悔やんでいらっしゃったセシル様、凄く悲しげで何だかとても切ない気持ちになってしまったわ。何かお力になって差し上げることが出来れば良いのだけど……」
「セシル様、細いけれどしっかり筋肉が付いていたから鍛えていらっしゃるんだろうなとは思っていたけれど……。こんな重そうな見た目をしている私だって持ち上げられるなんて、尊敬するわ……」
後部座席で子豚のマスコットを手に、穏やかに微笑むお嬢様。
『もしかして、あのお坊ちゃんのとんちんかんないい男アピール、結構効果あったんじゃ……』
お嬢様とあのお坊ちゃん、案外結構相性良いのかもしれない。
「まじッスか……」
オレは来週末もまたお嬢様をマルシェに連れて来ないといけないことが確定し、がっくりと肩を落とした。
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「父さん、ちょっと来て。見てあれ」
ローゼブル家、音響室前にて。
ちょいちょいと手招きをする下の息子に、セシルの父は「どしたのルート」と片眉を上げた。
「あれ見て、あれ」
「んー?うわっ、セシルが夕日をバックにしてサックス吹きながら黄昏てる……。なまじ顔が良いだけにめちゃくちゃ絵になるのが腹立つな……!」
「顔だけは良いからねー。動かないようにあのまま蝋とかで固めたら美術商に高値で売れるんじゃない?」
「それは私も同感だな」
長男、セシルはめちゃくちゃそそっかしい。今までよく死ななかったなというくらいそそっかしい。いつもならポンコツ過ぎて領民達に馬鹿にされながらも毎日元気に騒いでいるのだが、今日はなんだか元気がないように見える。
「何かあったのかなぁ……あんなアンニュイになっちゃって」
「えー知らない興味無い僕ピアノ弾きたかったのに邪魔でしかない」
「仮にもおまえの兄さんなんだからちょっとは興味持ちなさいよ……」
セシルの弟、ルートは全くと言っていい程セシルに興味が無い。妻曰く「ルーちゃんは外では愛想良いけど家の中ではヘッドホンしちゃうタイプ」らしい。何言っているのかよく分からなかったけどにこにこしてる妻は可愛かった。
「なーんかあんなしっとりしたサックスの音色聞いてたらお酒飲みたくなってきちゃった」と洩らすと「僕兄さんのサックスに合わせてピアノ弾こっと。どうせ一人の世界に入り込んでるからバレないでしょ」とルートが手に持っていた楽譜をテーブルに置いた。なるほど、セッションか。
「いいね。お酒飲むのやめて父さんもバイオリン持ってこよっと」
「私ドラム叩くわ!」
「うわっ母さんも来た!」
くるりと踵を返した目の前に妻が居た。いつの間に。おったまげたルートの素っ頓狂な声に、妻はにっこりと微笑んだ。
「いざ、家族みんなでセッションね!うふふっ」
――勝手にわらわらとやって来てセッションを始めたローゼブル家の人々。
傷心したセシルの心中などいざ知らず、「ノッてきたぁ!」「最高ね!」「この曲、後で譜面に起こそ!」などと叫びながらのローゼブル家のジャズセッションは夜まで続いた――。
実はセシル様、初対面で既に
1お菓子を食べた時の子どもみたいに可愛い笑顔
2素の自分と世間から求められる自分のギャップに悩む姿
3マルシェの逮捕劇で頼りになる姿
を見せていた為、三原則をちゃんとクリアしていました。
伊達に殿堂入り人気キャラじゃない。