酒場の魔術師
「アルディスーっ、頼みたいモンがあるんだが、あんたン家に後で行ってもいいかー?」
町の小さな酒場でかけられた声。
それにふりむいた姿は、長い髪を長く伸ばした、妖艶という形容詞がぴったりの男だった。
金に近い薄茶の髪、鮮やかな青の瞳、そして、抜けるように白い肌。
片耳にだけ、大きな黒い羽根と赤い宝石のピアスをしている。
「あー?
あんたの註文はいつもややこしいからなー、ま、いーぜ。後で来てくれ」
面倒くさそうに頭をかくと、声のした方を一瞥して、こう答えた。
「しっかし、相変わらず、きれーだよな、あんた。
男にしとくのもったいねーぜ」
「ありがとーよ」
「俺に許嫁がいなけりゃ、お前さんを誘ったりするんだがな」
そう言って、がははと笑う。
「冗談は顔だけにしてくれよ」
ため息をつきながら、酒のグラスを口に運ぶ。
「じゃ、後でなー」
大きく手を振りながら、ドアを開けて出ていく男。
「仕事、ね…」
酒を飲み干して、またグラスに瓶から注ごうとする。
「もう、止めといたらどうだ?
仕事なんだろ?」
「マスター、酒くらい飲ませろよ。
どーせ、俺は酔えないんだからさ」
「ああ…、そうだったな」
魔術師として、あらゆる薬草・薬物を扱っていたせいか、薬物耐性というものが出来てしまっていて、通常の酒は水のようなものであった。
彼にとって、どれほど強い酒であっても、喉越しと香りを楽しむ程度のものでしかなかった。
「しゃーねぇ…行くか。
マスター、勘定、ここに置くぜ」
「ああ、また来てくれ」
酒場を出ていく美しい魔術師の後ろ姿。
その後ろ姿にため息をつく、女がいた。
女と見間違うほどの、その美貌はそこいらの女が太刀打ち出来るものではなかった。
「あれだけ綺麗だったら、あたしもこんなところで働いてないで、玉の輿にでも乗れたのにねぇ」
「遊んでないで、ちゃんと働け。
床掃除の途中だろうが」
「はーい、マスター」
「確かに、そこいらの女共が逆立ちしたって適わねぇよな、あいつには」
アルディスがこの町の外れの家に住むようになったのは、一年ほど前。
その前は近くの森の中に住んでいたのだが、商売がやりにくい、と町に越してきたのだった。
森の中では、薬草には事欠かないが、客足が途絶える。
今でも時々は森の家の手入れをしてはいるそうだが、ほとんどの時間は町で過ごすことが多くなっていた。
酒場の雰囲気が好きだ、とアルディスはマスターに言っていたことがあった。
確かに、森の中には酒場はない。
森の近くにある村でも酒場はあるが、酒を売っているだけで客のいるような店ではない。
以前、どうして他のもっと大きな都に行かないのか、と聞いたことがあったが、それは笑ってはぐらかされた。
彼ほどの魔術師であれば、都に行けば、引く手あまたではないかと問えば、自分くらいの腕なら、客の方が都市から来るから別にいい、と笑って答えられた。
確かに、都からアルディスを尋ねてきた客が何人もいた。
彼の名はかなり有名になっているらしい。
本来なら、とっくに都で暮らしもおくれただろうに、なぜこんな小さな町にいるのか、それは誰も知らかった。
実際、彼を召し抱えたい、と都の貴族が尋ねて来た事があったにも関わらず、彼は今はまだここを離れるはいかないから、と断っていた。