7.冒険者ギルド
「ついに…!」
ぐっと拳を握りしめてレイナリースは期待に満ちた眼差しでその建物をみあげた。
木造二階建て。はた目には大きな酒場のような造りで、隣接した建物では仕事帰りだろう冒険者たちが討伐した魔物を持ち込んでいる。
どうやら魔物の解体や買取を行う場所のようだ。
モリスの街ではいつも日用品や食材の買い出しで市場のある区域にしか立ち寄らなかった為に、こんな場所があることすら知らなかった。
この界隈を歩いているのは剣や武器を手にした、戦うことに慣れた者ばかりだ。
その場の空気もどことなく荒々しい。
ぴりっと張り詰める緊張感に、レイナリースは深く息を吸い込む。
そうしてすうっと鳶色の瞳を見開いた。にやりとゆがんだ口元、腕が鳴る。
そんなレイナリースを眺めるアイゼルの顔色は悪い。
あまり出歩けないデュークは仕方がないとして、今回登録をするレイナリースとリアンゼルの二人と共にギルドに来たのはアイゼル一人だ。
本当はロザンナも同行させたかったのだが、リアンゼルと一緒にさせて問題を起こされても困るので留守番となった。
さすがのアイゼルもレイナリースとロザンナの二人を同時に引き留めることは出来やしない。
「…何も起こらないといいんだが…」
思わず不安な気持ちが言葉に出る。
それを聞いていたリアンゼルが、安心させるようにきゅっと細い指先を握り締めた。
「だ、大丈夫…!二人で抑えれば、きっと…」
「抑え切れるとおもうか?」
そう問えば、リアンゼルは沈黙した。
ゆっくりと興奮しているらしい妹を眺め見て、リアンゼルが諦めきった目で言った。
「…被害が少なくなると思うんだ」
「そうだな…」
深いため息を吐き出して、アイゼルは戦いに赴くかのように準備運動を始めたレイナリースを止めて薄汚れた木戸を開いた。
室内に入ると、むわっと独特の臭いが香る。
中に入ると正面にカウンターがあり、そこに数人の職員と思わしき男女が受付業務を行っていた。
その奥の壁際にずらりと並んだ張り紙に、それを眺め見て吟味しているらしい冒険者の姿がある。
どうやら待機場所にもなっているのか、広い室内に多く設置されたテーブルとイスには話し合いをしていたり食事をとっている冒険者がいた。
ちらほらと女性の姿もみられるが、やはり大半は筋骨たくましい男ばかりだ。
「この二人の登録を頼む」
周囲をうかがっているうちに、受付に歩み寄ったアイゼルがさっと銀貨を二枚取り出しカウンターに置いた。
そんなアイゼルに酒を飲んでいたらしい冒険者集団の男ががらがらの声で話しかけてきた。
「おい待てよ、優男。こんな可愛らしい嬢ちゃん二人も連れて旅をしようって腹積もりか?モテるじゃねえか、俺たちにもちょっと貸してくれよ」
ちらりとそちらを流し見たアイゼルは、常と変らない表情であったが内心は冷や汗でだらだらであった。
どうして冒険者はどこの街でも登録者に絡んでくるのか。
いっそテンプレートかよ!とツッコミたくなるほど常習的な言動に、さてどうしたものかと思案する。
だが、時すでに遅し。
ガタン!と大きく響いた音に我に返った時には、声を上げたはずの巨漢の男は卓上に頭を沈められていた。
真っ二つに割られたテーブルに乗っていたはずのジョッキや食器が、時間差でカランカランと甲高い音を立てて床に落ちる。
「もうっ、優男なんて!アイゼルは私だけの騎士様なんだからっ!変な目で見ないでよね!」
「うふふ」と頬を染めて、いつの間にか男の背後に移動していたレイナリースは身をくねらせた。
その横に座ったままの男の顔色は真っ白だ。
彼は不運にも、レイナリースが軽く男の背を叩いて沈めこんだ瞬間を目撃してしまったのだ。
しん、と静寂が満ちる。
いつの間にか注目を集めていたらしい。周囲の視線がレイナリースへと集まった。
「あの怪力…まさか、”熊殺し”か…?」
静まり返ったその場に、その言葉は大きく響き渡った。
途端、どよっとざわめきが沸き起こる。
「金髪、小柄な体躯、砂色の外套…”熊殺し”の特徴に当てはまる…」
「あれが”熊殺し”…!!」
「あんな娘っ子が…?!嘘だろう…!」
「しかしあの怪力は…」
ざわざわと騒々しく声を上げる男たちを眺めながら、アイゼルは僧侶のように閑かで凪いだ眼差しでここではないどこかを見つめるリアンゼルへと声をかけた。
「リアン、何故かひどく心当たりのある二つ名が聞こえてくるんだが…」
「…あのこ、熊さんが大好きなんです……食べ応えがあって」
「……まさかの常習犯だとッ!?」
アイゼルは膝から力が抜け落ちそうになるのを耐えた。
目からは塩辛い水分がこぼれ落ちそうになるが、必死な思いで耐えきる。
今は嘆いている場合ではないのだ。
一方のレイナリースはというと、小突いただけの男が意識をなくしてしまったことに慌てたようで、襟首を捕まえて目を覚まさせようとぶんぶんと振り回している。
彼の仲間だろうか、彼女の細腕を大柄な男たちが涙目になりながら必死な様子で止めようとしがみついては一緒に振り回される異常事態となっていた。
「助けてッ!」
「許してくれ、俺らが悪かったから!!」
「もう止めてくれぇええええ!!」
まるでこちらが悪者だ。
気のせいか外野からの視線も冷たい。
アイゼルは現実逃避を止めて足早にレイナリースの元へかけ寄った。
「レ、レレレレイナ!」
「アイゼル!」
レイナリースはぱあっと笑顔を浮かべて振り返る。
「ほら、その人はお友達のところに返してやれ…。その、心配だろうから」
がっくりと力の抜けた男をチラ見する。
まさか死んではいないだろうか。
素早く後方のリアンゼルを見やれば、すぐに察したように動き出した。
「そう?アイゼルが言うなら…」
そう言って手にした男を泣きべそ顔の仲間の元へと戻してやる。
これでどうだと自慢げなレイナリースに、アイゼルはごくりとつばを飲み込んだ。
「あのな、ほら…人間は弱いというか…その、あれだ。他の人にそう無暗に触れたりするんじゃない…わかるか?」
「…」
じいっとアイゼルを眺め見るレイナリース。
そうして、小さくこくりと頷きを返した。
「わかった。つまり、アイゼルだけに触れて欲しいってことね?」
「えっ、」
「もうっ、妬かなくても、私にはアイゼルだけなんだからっ!」
照れるようにレイナリースはアイゼルの背を叩く。
「おごふっ!」
「うふふ、私もアイゼルが大好きだよ!」
ぎゅっと腕に抱き付いて、レイナリースは幸せに包まれた。
照れたようにふるふると震えているアイゼルがやきもちを焼いてくれるなんて。
こんなにうれしいことがあるだろうか。
抱き合う二人を、周囲からは祝福するかのようにまばらな拍手があがった。
「さ、もう大丈夫。後はゆっくり休ませてあげて下さい」
「ありがとうな、お嬢ちゃん」
「…」
回復をした男は、屈強な仲間に担がれて二階へと姿を消した。
男の最後の一言でむっとしながらも、リアンゼルは男が一命をとりとめたことにほっとする。
これから冒険者としてやっていこうとしている矢先に、同じ冒険者を害してしまったのでは問題がありすぎる。
下手をすれば殺人の罪で騎士に追われる立場になることだろう。
それゆえに男たちがこの場で訴え出ることもなく、姿を消してくれたことにほっとした。
まあ彼らの目には一刻も早くレイナリースから離れたいという恐怖がみえみえであったが。
先ほどまでは賑やかな話し声にあふれていたその場も、今は食い入るように一人の少女と男のやりとりに注視している。
騒ぎの元凶はどうなったのかとリアンゼルが目をやれば、何やら照れたようにアイゼルの背を軽く叩き(あれは相当な衝撃だ)、ぎちぎちとアイゼルの片腕を締め上げる(あれはキツイ)レイナリースがいた。
締めあげられるアイゼルの顔は青い。
普通の人間ならばすでに音を上げているだろうに、アイゼルの身体は相当に頑強のようだ。
そのことに、ふいにデュークの言葉が脳裏をよぎる。
デュークはアイゼルこそが王子だと疑っていると言っていた。
この国の王族は竜の血脈に連なっている。まれに先祖返りを起こしたように人でなく竜寄りの人間が生まれてくることもある。
皇帝位の証でもある竜眼などはその最たるものだろう。
アイゼルの頑強さは、人の範疇を逸脱している気がするのだ。
あのレイナリースの締め付けを顔を蒼白にさせて耐える騎士をそうっと観察して、限界も近そうだとリアンゼルは歩を進めた。
いまだに自らの足で立ったまま耐えているアイゼルに、レイナリースの死角からそっと近づき気づかれないように回復の魔力をアイゼルに流し込む。
若干顔色の戻ったアイゼルが視線だけで背後を見やる。
助けを求める青い瞳を見返して、リアンゼルはぐっと親指を立てた。
(がんばれ)
ぱくぱくと口を動かし、そう伝える。
アイゼルはふひっと壊れたように笑った。
自らが犠牲となり被害を食い止めたアイゼルの行動に、周囲のやじ馬たちから拍手がこぼれだす。
屈強な冒険者たちの眼は、どれも優しさに満ちていた。
しばらくして落ち着いたのか、アイゼルの腕を抱いたままレイナリース達は受付カウンターの前にやってきていた。
直前まではおさげの似合う女性がいたはずなのに、歩み寄るレイナリース達に気づくなり顔色を変えて奥へと引っ込んでしまった。代わりに現れたのが、この冒険者顔負けの体躯の、ひげ面の男である。
「し、新規登録だな。おし、そちらのお嬢ちゃんたち、ちょっとこの紙に血を一滴垂らしてくれ」
受付の男は、そう言って震える手で二枚の紙を差し出した。
「わあ、何だか儀式みたい!面白そう!」
はしゃいだ声を上げるレイナリースは、躊躇うことなく指先を噛み千切ると紙に押し当てた。
自分もあれをやるのかと顔を青ざめさせたリアンゼルに、アイゼルがすかさず救いの手を伸ばす。
「……リアン、ナイフ使うか?」
「うん…、ありがとうアイゼル…」
小さなナイフを受け取って、わずかに傷を作ったリアンゼルも紙に指を押し当てた。
黄ばんだだけの紙に、じわりと黒い染みのようなものが浮かんでくる。
それはやがては文字となり、紙面に何かの一覧のようなものが浮かび上がった。
「おっし、それがお前さんたちのステータスだ!そいつは持ち出し禁止だからな、覚えたら寄越してくれよ」
「きゃあ、なんかすごーい!」
そう言って紙をのぞき込んだレイナリースは、浮かび上がった文字を読んだ。
名称 【レイナリース・ノイスヘル】
年齢 26
種族 竜人
性別 女
職業 狩人
スキル 怪力 猛獣 憤怒
称号 熊殺し
「26…?え、レイナ俺より年上…だとっ?!」
アイゼルが驚愕に慄いた。
「ほら、私父さんが竜でしょ?何か年も取りにくいみたいなのよねー」
けらっと笑って「いつまでも子供っぽいってよく怒られるの」というレイナリース。
どこから見ても成人済みとは思えない幼さだ。恐らく種族としての成人はまだ迎えてはいないのだろう。
それでも何故か衝撃を受けた自分に、アイゼルは理由がわからず首を傾げる。
レイナリースはといえば、再び紙片に目を落としてこちらもあれっと首をひねった。
「…知らない称号がついてる?」
「ああ…称号は十人以上の人間にその名称で認識されることでつくぜ…」
どこか遠い目をしながらひげ面の男は説明してくれた。
”熊殺し”。
この辺りの山に出没する、素手で熊と格闘する猛者の通り名だ。
名前も性別さえも分からない存在が、まさかこんな愛らしいお嬢さんだったとは。
内心信じられない思いを抱きつつ、男の勘は彼女には逆らうなと告げていた。
つまり、そういうことだ。
男の言葉にふうんと頷いて、レイナリースは「じゃあこれは?」とスキル欄を指さす。
「”憤怒”か?そいつは…あれだ、ブチ切れた時の攻撃力が三倍になるんだ」
「へー、使い勝手は悪そうねぇ」
とりててて面白いことがあるわけでもなく、そう言って紙をひょいとカウンターに置いたレイナリースは傍らのリアンゼルを見た。
「リアン兄はどうだった?」
「…。」
じっと血をにじみこませた紙片を睨みつけているリアンゼルへ声かければ、光のない目が見返してくる。
そうして無言のまま差し出された用紙を、アイゼルとレイナリースは仲良くのぞきこんだ。
名称 【リアンゼル・ノイスヘル】
年齢 27
種族 竜人
性別 男
職業 家政夫
スキル 清掃 調理 洗濯 買い物
称号 -
ごくりとレイナリースは唾を飲み込んだ。
笑っては駄目だ。長年兄と暮らしてきた経験が語っている。
こういう場合は、気にせずスルーするのが大人の対応だ。
過去にそう母に叩き込まれた。
今こそ教育の成果を示す時だ。
「……えっと、いいお母さんになれそうだね?」
「レイナッ…それ逆効果なやつ!!」
だがレイナリースの優しさに満ちた言葉は逆にリアンゼルにダメージを与えたようだ。
どよんと項垂れたリアンゼルに、アイゼルは仕方がないと首を振った。
「…しかし初めて見るな。何だろう、スキルじゃなくたって掃除くらい出来るのに」
「スキルに清掃があると、掃除時間が半分に短縮される効果があるんだ」
「へっ?」
アイゼルの疑問にギルド職員は律儀に答えてくれた。
これから冒険者になろうとしている人物を数多くみてきた職員の男も、このようなスキルをそろえた者は初めてだったようでわずかに戸惑いがにじみ出ている。
それでも仕事はきっちりとこなすようで、残りのスキルの説明も行ってくれた。
「それにこの調理も、スキル持ちだと最適な味付けと調理時間を知ることができる。こっちの洗濯は普通に洗うよりも驚きの白さになるんだ…。」
もういっそ、メイドにでもなったほうが良さそうである。
さぞかし凄腕のメイドになれることだろう。
聞けば聞くほど俯いてしまうリアンゼルを気にかけながらも、アイゼルは続きを促した。
「…買い物は?」
ここまで聞いたら最後まで聞かないと気になる。
アイゼルは残る買い物スキルを指さした。
「……買い物をするとオマケがもらえたり、値引いてもらえる率があがる節約業だぜ…」
「…家計に大助かりね…」
レイナリースは呟いた。
これからはリアンゼルに買い出しを頼むべきだろう。
そう考え、アイゼルは膝を抱えて蹲ってしまった少年(成人済み)を眺め見た。
「というか……男、だったんだな…」
ぽつりと呟かれた職員の言葉が、沈鬱なその場によく響き渡った。
◇
「おかえりなさい!どうでしたか、登録は」
宿屋へ戻ると、デュークが明るく出迎えてくれた。
「ただいまー!ばっちりオッケー!」
笑顔でそれに答えるレイナリースの横で、アイゼルも問題はなかったと返しながら言った。
「パーティの追加申請もしてきたぞ」
「それは良かった!…ところで、リアンはどうしたんだ?」
二人の報告を聞いて頷き返したデュークは、ちらりと視線を扉の横へと向ける。
そこには膝を抱えて座り込むリアンゼルの姿があった。
「あー…その、あれはなぁ…」
「うん…ちょっと、ショックが大きかったみたい…」
「?」
レイナリースはアイゼルと目線を合わせると、そろって乾いた笑いを浮かべた。
「僕は何の役にも立たないお荷物なんだ…」
どうやら戦闘系のスキルが一つもなかったことにひどく傷ついているらしい。
やはり彼も男なのだろう。
あまりに家庭向きなスキル構成を目にしてから、すっかり意気消沈してしまっている。
「だ、大丈夫よリアン兄!スキルって後からでも増えるし!これから頑張れば格好いいやつだって覚えられるわよ!!」
「そ、そうだぞリアン!剣を扱うようになれば、剣術スキルだって身に付くはずだ!!」
「…本当?」
潤んだ鳶色の瞳がレイナリースとアイゼルを見上げた。
「これからだ!旅はまだ始まってないんだぞ!負けるなよ!お前なら出来るって!!!」
「そうよ!今から剣でも弓でも覚えればいいのよ!!出来る!絶対出来るっ!!!自分を信じて!!」
必死な勢いで言葉を並べ立てる二人はいつになく息があっている。
本人たちは気が付いていないだろうその様子に、リアンゼルは案外お似合いの二人だと感じ入りながら小さく笑った。
「うん……ありがとう」
いつまでもめそめそしているのも男らしくはないだろう。
ああして客観的に自分のことを知れる機会があるのは、存外いいことなのかもしれない。
これからは男らしく武器の扱いも修練しようと意気込むリアンゼルの耳に、問いかける声がある。
「…ところで、リアンきゅんのスキルは何だったの?」
「僕のスキルは清掃と調理、洗濯に買い物だよ」
問われたままにそう答えて、リアンゼルははたと身動きを止めた。
さて、今の声は誰だっただろうか。
何故かぶわっと鳥肌が立ちあがる腕をそのままに、リアンゼルはぎこちない動きで声のしたほうを振り返る。
そこには舌なめずりをする女騎士がいた。
「なんて家庭的っ!!!私のお嫁さんになってぇえええええええええ!!!!!」
「っきゃあああああああ!!!」
髪を振り乱しとびかかってくるロザンナに、リアンゼルは顔面を蒼白にさせて叫んだ。
「ッおい!!ロザンナの発作だ!!」
「取り押さえましょう!!」
「リアン兄っ!」
「!」
とっさに飛び出すアイゼルとデューク。
騒然となったその場を眺め見て、シアンは自らのラベンダー色の髪を指先でくるくると弄んで小さく嘆息した。
「…もう、こんなんで大丈夫なの?」
桃色の瞳は冷ややかに、大騒ぎする仲間たちを見つめていた。