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4.旅立ち


その後、キッチンにクマを担ぎ込んでいったレイナリースを見送ってアイゼルはようやく硬直から解放された。


がくがくと油の切れた機械のような歪な動作をするアイゼルを無理やりに椅子に座らせて、デュークは困ったような顔で現状の説明を始めた。


「アイゼル、落ち着いて聞いて欲しい。僕たちは助けてもらったんだよ。あちらのレイナリース嬢と、リアンゼル殿に」

「デュークさん、僕はリアンでいいです。あまり仰々しく呼ばれると…」

「そうかい?では、私のこともデュークと呼んでくれないか」


いつの間にやら友情をはぐくんだらしい二人はがっちりと固い握手を交わした。


「…それで、一体全体何がどうなってんだよ…」


一人取り残されたアイゼルは、肩を落として呟いた。





食卓には豪勢な肉料理が並んでいた。


煮込み料理だろうか。湯気をくゆらせるそれは美味そうな匂いを漂わせていた。


じっとそんな料理たちを遠目に眺めて、アイゼルは己の目の前にどんと置かれた皿を見下ろす。


てらてらと赤黒く光る、生々しい臓物だ。

アイゼルの夢の世界でならば、間違いなくモザイク処理必須の代物だ。


「一番栄養のあるところはアイゼルが食べてね☆」


むふっ!可愛らしい(?)声をあげて。レイナリースはきらきらと輝く眼差しでアイゼルを見つめている。


「く、くまの生き胆……っ!」


恐ろしげな顔でデュークがごくりと生唾を飲み込んだ。

その顔は完全に退き顔だ。いかなる時も笑顔の王子様はどこへいったのか。

お前のほうこそ平然とこれを食すべきではないのか。だって、彼は王子で自分は彼の騎士なのだ。主賓は彼ではなかろうか。


「さ、遠慮しないでアイゼル!」


何故だ。何故俺なのだ。


アイゼルは鳶色の瞳を輝かせる少女に問いただしたかったが、どうしてだろう。尋ねることが恐ろしい。

期待に満ちた眼差しに、ごくりと唾を飲み込む。


これを食べねばならないのか。ならないのだろう。レイナリースの瞳はそれを望んでいる。


すがる思いでデュークを見た。

青い顔で首を横に振るデュークがいた。裏切り者め。


一縷の望みを託し、レイナリースの兄であるリアンゼルへと視線を向ける。


助けてくれ。


レイナリースと同じ色の瞳が左右に揺れ動く。

これはいける。あと一押しだ。


ちらちらと生き胆とリアンゼルを交互に見やる。何とかしてくれ!悲痛なる願いを込めて見つめれば、ふうっと大きくリアンゼルが息を吐き出した。勝った。


「……ねぇ、レイナ。人間は生き胆は食べないんじゃないかと僕は思うんだ」

「え、そうなの?」


驚いたように目を丸く見開いて、レイナリースはデュークを見やる。

頷け!という鋭いアイゼルの視線に気づいたのか、デュークは硬い笑顔でかくかくと頷きを返した。


「普通の人は、火を通して肉を食べるみたいだよ」

「へぇ。生のほうが美味しいのにね」


不思議なことをするのねぇっと呟く少女はやはり人ではないのだろう。


「それじゃ、こっちの熊肉がいいかしら」


ずいっと大皿を引き寄せ、アイゼルの前に置いた。

豪快に切られたぶつ切りの肉は、茹でられているせいで何とかアイゼルでも食べれそうだった。


「あ、ありがとう…」

「ううん!いっぱい食べてね!」


綻ぶひまわりのような明るい笑みを浮かべる。

その笑顔は純粋に愛らしいと思う。

彼女の凶暴性さえ知らなければ、見惚れてしまうものであったに違いない。

それほどに愛らしいものである。


「じゃ、これは私が食べるね~」


がしっと生き胆を鷲掴み、愛らしい少女の細指は力任せにそれを引き千切った。


びしゃっと勢いよく飛んだ血がアイゼルの頬を濡らす。


「んっ~!やっぱり新鮮なのが一番!」


食べやすく細切れにされた生き胆をひょいひょいと口に運んでは喜ぶレイナリースの笑顔を見ながら、アイゼルは乾いた笑みを浮かべることしか出来なかった。


「……血抜きが甘かったんじゃないかな…」


リアンゼルのフォローにもなっていない言葉が胸にしみる。


それから後の記憶は曖昧だ。

いつの間にやら熊肉を無事に食し終わったところまでアイゼルの記憶は飛んでいた。


もう、熊肉は食べない。

猛烈な虚脱感を感じながら、アイゼルはリアンゼルが淹れてくれた紅茶を飲んで息を吐き出したのだった。







食後のお茶を楽しみながら始まったこちら側の話に、レイナリース達はふんふんと頷きながら耳を傾けた。

デュークは王子として育てられてきたが、先ごろ王の子供ではなかったとわかり行方不明の本物の王子を探す旅をしていること。アイゼルとほかの仲間と共に、国内を巡り、めぼしい人物を手当たり次第に訪ね歩いていることや、助言を得るために七竜を探していることも。

そうしてデュークの身の上話を聞き終わってレイナリースは言った。


「へー、デュークってばお父さんが本当のお父さんじゃなかったの?それはびっくりだねー」

「軽っ!レイナ軽いからっ!」


慌てたようにリアンゼルが声をあげるも、当の本人はきょとんとした顔でリアンゼルをみて小首を傾げた。


「…ふふっ、そうだね。とても驚いたよ。」


言われた当人であるデュークも、まさかの軽い返しに思わず笑いがこぼれた。

これまでに事情を説明することはあっても、大抵は哀れみの眼差しを向けられたりしてきたデュークにとってこれほど軽く受け入れられることはなかった。それはある種新鮮で、固くこわばっていたデュークの心をほぐすのに十分だった。


「デュークは優しいのね」

「…そうかな?」


そんな風に言われたのは初めてで、デュークはぱちりと目を瞬かせた。


「そうよ。だってお父さんのために、本物の王子を探してあげたいんでしょ?」


それはまさにデュークの本心であった。

国のためやら何やらとたいそうな御託を並べても、その根底にあるのは今まで愛情をもって慈しみ実の子と信じて育ててくれた父と母の為に本当の息子に合わせてやりたかったからだ。

それが、これまで親子と信じて育ててもらったデュークなりの恩返しだ。


…勘が鋭いのだろうか、それを初対面の少女に見破られるとは。


知らずデュークの口許に苦笑が浮かぶ。


「…うん、そうだね」

「ふふ、大好きなのね!お父さんのこと」

「誰よりも尊敬しているよ。ああいう人になりたいなぁって…」


父のような王様になるんだと、幼いころより憧れていた。

今となっては叶わない夢だとしても、憧れは変わらない。


「…デュークならなれる」


それまで石のように黙り込んでいたアイゼルが口を開いた。


「アイゼル…」

「お前以上に王にふさわしい人間なんて、いるものか」


確固たる口調で言い切ったアイゼルの顔は凛々しかった。

思わずレイナリースが見惚れるほどに。


「きゃーっ、アイゼルかっこいい!」


思わずアイゼルの腕に抱き付けば、アイゼルは面白いほどにびくりと体を震わせて動きを止めた。

それはまさに蛇ににらまれた蛙である。

どうやらアイゼルは完全にレイナリースがトラウマとかしているようであった。


そうとは知らず、レイナリースは幸せそうに微笑んでアイゼルの腕にすりつく。


「あの…リアン?」

「何ですか?」

「レイナリース嬢のあれは、その…」


言いかけられた言葉の先を察して、リアンゼルはふっと遠い目で二人を見やった。


リアンゼルにとっても、驚きの連続だった。

長くともにいた妹の初めて見る姿に、まるで娘が成長した姿を見せられる父親の心境である。


「あんな風になったのは初めてで…その、レイナが人に肉を分けるなんてしたことがなくて…。よほど気に入ったんだと…」

「…そうか」


あの食い意地のはった妹が、狩ってきた獲物の一番美味い部位を他人に差し出したのだ。

人の分まで肉を奪い取って食らいつくす、あの妹が。


まさにそれは、聞くよりも確かな好意の顕れだ。


竜であるならば、巣立ちの時である。

リアンゼルの胸はちくりと痛んだ。


兄たちが去り、両親は世界を巡る旅に出てしまい妹と二人きりで過ごしてきた。

そんな生活ももう終わるのだろうか。

そうしてこれからは、リアンゼル一人で暮らしていくのか。


リアンゼルとてもういい年だ。

子供のように寂しいだなどとわがままを言うつもりはない。

けれども。


賑やかに騒ぐ妹とアイゼル達を眺めながら、一人になった家を想像してみる。


「…。」


ひどく空虚で寂しいものだった。








「それでー、父さんたちはいないけど、これからどうするの?」

「うん…実はそのことなんだけどね…」


そういったデュークの顔は困り切ったように眉が下がっていた。


「実はこれぞと思う人がいても、確証がもてなくて…。ほら、何か特別な証拠があるわけでもないんだ。だから皇帝に仕えたことのある黄竜様なら、王家の血筋がわかるんじゃないかと思ったんだが…」

「ふんっ、王子はディーク以外にいない」


ぶっきらぼうに吐き捨てるアイゼルを困ったようにデュークが見やる。


「…私はアイゼルがそうじゃないかと思っているのだけどもね」


小さくつぶやかれたデュークの言葉をアイゼルは鼻で笑い返す。

彼自身からは、そんな言葉を信じていない様子がうかがい知れる。


彼らが父親を訪ねてきた理由を詳しく聞かされたレイナリースは考えた。

父でなくとも、王族の匂いがわかる竜ならばいるではないか。


「…ふうん。でも、それなら白竜の小父様に聞けば教えてくれない?」


白竜ならば現王にも助力していたはずだし、王城に住んでいるのではないか。

この国に住む七頭の竜の中でも、白竜はとりわけ王族に力を貸すことが多い。

そう思って答えたのだが、デュークの顔は優れなかった。


「…本物の王子を見つけるまで帰らないと言った手前、帰り辛くて…。それに、王都に近づくほどに刺客が増えて増えて…帰れないんだ」

「あ、さっき襲われてたやつら?まだいっぱいいるの??」


そう言ったレイナリースに、しがみつかれたままのアイゼルは固い声で返した。


「…あれはまだ少ない方だ。敵の目を欺こうと、仲間とモリスの街で二手に分かれたのが失敗だった」


口惜しげに言い捨てたアイゼルを下から見上げて、レイナリースはふうんと頷いた。


「一応、今でも私が王太子ですから。兄弟はいませんし私が死んだら、王族の血を引く貴族から王太子を選出する手筈になっているはずです…」

「けっ、欲の権化どもが!」


吐き捨てたアイゼルからはかすかな怒気が立ち昇る。

敏感にその気配を察知して、レイナリースはアイゼルが本心からデュークを王にふさわしいと考えていることを悟った。

ならば、レイナリースがすることはただ一つだ。


握りしめた拳を見下ろす。


細いたおやかな指先。

けれども流れる竜の血が力を与えてくれる。

大切なものを守るための力を。敵を粉砕する力を。


彼女は人だ。

けれどもその心は兄弟の誰よりも竜であった。


「王城まで行ければ、問題は解決するのね?」


デュークに向けてそう聞けば、彼は曖昧な表情で頷いた。


「まあ…殺されずにたどり着ければ、ですが」


それが難しいことは理解しているのだろう。


だからこそ、彼らはこうして国境線にも近い辺境を廻っているのだ。

あわよくば竜の助力を得て、王城までの護衛を願おうと考えて。


「私が行くわ」

「ッレイナ!」


リアンゼルが声を上げる。


けれどもすでにレイナリースは決意していた。


危険な彼らの旅に同行することを。

そうしてアイゼルの危機を守るのだ。それこそがレイナリースの目的だ。


誰が王になろうと関係はない。

アイゼルが望むままに、道を作り出すのだ。


「私がアイゼルを守る」


ぐっとこぶしを握り締める。


その傍らで、アイゼルは蒼白の顔で呟いていた。


「いや、俺じゃなくてデュークをだな…」

「…よいのですか?危険な旅ですよ?」


アイゼルの言葉をかき消すようようにデュークはレイナリースを見つめた。

それに対して迷いもなく少女は頷きを返す。


「アイゼルの敵は私の敵よ」

「…レイナ…」


呆然と呟いたリアンゼルに、レイナリースは常と変らないひまわりのような笑顔を向ける。


「ちょっと行ってくるね、兄さん」


まったく変わらないその笑顔に、リアンゼルはあぁと顔を覆った。


本当ならば、そんな危険がつきまとう旅に出したいわけがない。

けれどもレイナリースとて半分は竜だ。


自分の進む道は自ら切り開く。気高き空の王。

その歩みを妨げることは出来ない。


「気を付けて、怪我をしないようにね…」


それくらいしか、リアンゼルには言えない。

せめてもの無事を願って、リアンゼルはこの世の果てにいるという竜の神に祈った。







「何故こうなった…」


がっくりと肩を落とし、リアンゼルは呟いた。

着なれた砂除けの外套はレイナリースとそろいだ。


ちらりと視線を横に向ければ、アイゼルの腕にがっちりとしがみついて離れないレイナリースの姿がある。


顔を強張らせたままレイナリースを張り付けて歩くアイゼルの後方を、デュークが歩いている。


「…まあ、私は君が来てくれて一安心ですけどね」


苦笑してそうもらす友の言葉ももっともだろう。


彼らの旅に同行することにしたレイナリースであったが、あまりにも彼女は世間知らずであった。

まあ、リアンゼルと二人でこんな山奥に暮らしているのだからそれも当然ではあるが、それを考慮しても人間離れしすぎたのだ。


リアンゼルが心配して、レイナリースとの生活での注意点を聞かせるたびにアイゼル達の顔色は蒼白なものへと変わっていった。

肉屋の前では腕を捕まえておく、人の肉は奪うので気を付ける、犬や猫を捕まえようとするので注意、それから肉は生のままでも食べようとするので目を離さないなどなど…。

言いながらリアンゼルは悲しくなってきた。

年頃の娘なのに、どうしてか肉の話ばかりになっている。


アイゼルもまた、リアンゼルの言葉を聞くたびに深い絶望感に襲われていた。


待ってくれ、そんな猛獣の世話を俺がするのか?

人の犬や猫にまで襲い掛かるのか?熊だけではなく。


ちらりと流し見たデュークの顔も強張っている。


強力な戦力ではあるが、あまりにも猛獣すぎる。


言われている本人はといえば、兄の言葉も聞く耳も持たずに楽しげな笑い声をあげてアイゼルの腕をがっちり掴んで離さない。

まるで万力で固定されたかのように微動だにしない腕に、アイゼルは慣れたとはいえ気が遠くなりそうだ。

そのまま力を籠めれば、アイゼルの腕なんて熊の胆を引き千切るように簡単にねじ切れてしまうのだから。


「やべぇ、生存フラグが見当たらない…」

「何か言った?」

「イエ、ナンデモナイデス」


思わず本音が零れ落ちるが、レイナリースには意味が分からなかったらしい。

危なかった。


そうして、ついにリアンゼルも気が付いたのだろう。


レイナリースという存在は、野放しにするにはあまりにも危険すぎるのだということに。


長い沈黙の後、リアンゼルは小さく呟いた。

様々な方法を模索した結果、他に案はなかったのだというかのように。


「…とりあえず、街まで僕も一緒に行くよ」

「ありがとう…!」


万感の思いを込めてデュークはリアンゼルの腕をとり固い握手を交わした。

そうして一行は、デューク達の仲間と合流するためにモリスの街を目指すことになったのだ。




次回、みんな大好き女騎士!





ヒント、この話にまともな女性などいない

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