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Illogical existence  作者: 村野案山子
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幼き願い

 第一回目の講義というのはほとんどの場合、予定より早く終わる。講義を受ける際の注意事項や講義の内容説明を指すイントロダクションを行うだけなので長くても50分、教授によれば30分で終わりにしてしまう人までいるらしい。

「先日の入学式のことは聞いている。本当に大変だったそうで。一人も犠牲者が出ずにことが収束したのは本当に奇跡としか言いようがない。さて、君たちは先日の事件で恐怖を覚えたことがあると思うが」

 90分ある講義の折り返し地点でこの教授の話はますます勢いに乗り始めていた。どうやらこの教授は時間いっぱいを使って講義をするのがモットーというタイプだろう。

 イントロダクションが終わり、片づけを始めていた大多数の学生からはため息にも似た終わりにしてくれオーラが漂ってきているが、そんなことにはお構いなしに口を動かし続けている。もちろん、ここで退出したとしてもお咎めのようなものはないが、如何せんこの教授、出席は講義の最後に取ると公言している。これからある全15回ある講義のうち認められる欠席の回数は計四回まで。それを超えると期末試験の受験資格すらもらえないという事態に陥るため、余裕のある時に出席回数は稼いでおきたいものなのだ。

「さて、君たちは魂がどこにあるか、ということに疑問を抱かないか。現代でもこの問いに答えは導き出されていないが、魔術を究めるつもりのある君たちならば、将来的にぶつかる壁かもしれぬ。記憶にこそ人の精神が宿るというのなら、魂の在処はここだ」

 そう言って自分の白頭を指さす教授は楽しそうである。顔にはすでに数多くの皺が刻まれているものの、愛嬌のある話し方と顔から実際の年より遥かに若く見える。

 この教授の専門科目は魔術精神学。かねてから魔術を使うには精神的なエネルギーを使うと言われているが、精神そのものですらはっきりと定義されていない。しかしながら魔術と人間の精神とはどこかで必ず何らかのつながりがあるという最近の研究結果から、彼の専門分野は脚光を浴び始めている。

 魔術と魂がどのように関係しあっているのか、というのがこの教授の研究テーマと言うことが講義の冒頭に配布されたプリントに書いてあったのを思い出した。

 ほどよく調節された空間はやはり心地よいもので、うとうとしている学生も少なくない。背筋を伸ばしながら話を聞いているものから、時たま前方に大きく揺れる頭をかかえながら眠気に抗おうとしているもの、静かに教授に見つからないようにプリントを見るふりをして頬杖をついて寝ているものまで様々だが、おれと鷲宮の間にいる男だけは例外だった。

 いびきこそ立てないが、男はタオルを顔の下に敷いてなんとも気持ちよさそうに寝ている。そう、誠である。他の学生はそれなりに教授に気を使っているように見えなくもないが、こいつだけは違う。誰がどう見ても堂々と惰眠を貪っているようにしか見えないのだ。おそらく、この教授だから大丈夫だろうと見越してのことなのだろうが、知り合いでなければ放って別の席に着くところだ。

「そこの君、記憶というと、どこの器官が司っているのか知っているかね」

 最前列に席を構えていたインテリ風の学生が質問され、間髪を入れずに答えた。

「大脳皮質です」

 期待した答えが返ってきたからか、満足そうに大きく頷きながらいかにも、と肯定した。

「一般的に人間の脳はその機能から大きく分けて3つに分類されている。大脳皮質とは彼が言ってくれたように、われわれ人間の人間らしさを引き出す部分であり、同時に記憶の中枢を担っている。いやしかし、生物とは真に興味深いものである」

 一区切り、というように教壇の端から中央に戻り手元に置いてあった水を口に含んだ。落ち着いた低音がマイクを通して教室の隅々まで語りかけるように響く。

「記憶の中心に脳があることは間違いない。しかし、体の他の部位にも記憶が記録されているというデータが出てきたのだ。そうだな、一番新しい事案で心臓が挙げられるか。諸君も知っての通り心臓とは筋肉の塊であり、体に血液を流し続ける器官である。そんな心臓を事故で失った男がいる。幸いなことに、彼はドナーの心臓移植を受け無事一命を取り止めた、が」

 最後の部分を強調し、教授は口元をなにやら楽しそうに緩めた。

 この講義が時間より早く終わることはないのだろう。

 睡魔との戦いはまだまだ続きそうだと、静かにため息をついた、




「ふぁーあ」

「お前、さっきの講義の後半ほとんど寝てたろ」

 講義後、見ているだけでうつってきそうな大あくびを公衆の面前で惜しげもなく晒しているのは言うまでもなく赤城誠だ。

「いや。だってさ、ほとんど聞いたことある話だったから」

「そっか。赤城くんの専攻には精神分野も含まれているんだっけ」

「そういうこと。それに、あのレベルの話は調べれば出てくるからたいしてレアなものでもないし」

「じゃあ、誠。今日の講義の件について専攻している学生の意見を聞きたいんだけど」

 率直なところ、この話題にはおれもかなり興味をひかれる。魔術が関係あるからというわけではなく、ただ本心から。

「魂、精神の在処。ね」

 あくまで今のおれの意見だから、と念を押して誠としては珍しく歯切れ悪く、その見解を述べ始めた。

「あの教授も講義中に自分にとっての魂の在処をどこと表現したかは分からないが、おれは魂ってのは記憶と記録の両方から生み出されるものだと思っている」

「記憶と、記録の両方?」

「あぁ両方だ。」

「ここでいう記憶っていうのは一般的に思い出って言われるもののことだ。今まであったことやその日経験したことを脳内にインプットする働きのことだな。でもって記録はそれが体に染みついたもの。ほら日常生活でどうにも抜けない癖ってあるだろ?それが体に染みついた記憶、つまり記録ってわけ。で、おれの未熟な見解は人の魂は脳だけでなく体全体に宿っているものなのではないか、てね」

 何故か自嘲的に笑う誠だが隣にいる鷲宮も感心しきった様子だ。

「そっか、それじゃあの話の最後の部分も説明できるわけね」

 ――――心臓移植を受け、再び息を吹き返した男性は、ドナーの男性の記憶のごく一部を受け継いでいた

 そんな、ただのポンプに過ぎない筋肉の塊が記憶を新たな主へと受け継いだという極めて稀有な事例。医学界、科学界だけでなく多岐にわたる学問分野を震撼させたのが今回の講義に取り上げられた話題だった。

「ただ、それじゃあ普通の霊の正体は説明できないのだよ」

 ちっちっと舌を鳴らし、まだまだだよなぁと誠は空を仰ぐ。

「世の中の謎のほとんどが科学や魔術で解明されているってのに、その知りたがりの本人たちは自分たちの存在すら完全に把握できていないんだから、皮肉なもんだよ。さて、と」

 昼飯にしようぜという誠からの合図が送られてくる。

 鷲宮の方に目をやると何やら思案顔だったが、

「昼めし食いに行くか」

 と声をかけ、急ぎ足で最寄りの食堂へと駆け込んだ。



 日中はこの時期にしては珍しく、摂氏30度をマークした。まだ5月も下旬。例年のこの時期の平均気温は約23、4度であることを考えるとやはり暑かった。前日まで冷たい雨がしとしと降っていたこともあり、昼間のコンディションと言えば最悪だった。

 まだ高い気温に体が慣れていない中での真夏日、それに重なる悪魔のような高湿度は空調の効かない空間を地獄の蒸し風呂に仕立て上げるには十分だった。講義が終わり、教室を出るとタオルやハンカチを片手にせわしなく次の教室に向かう学生が目に入った。

 時計代わりにつけていたテレビのキャスターによると、全国で熱中症の症状で運ばれた人の数は今日一日で40近いとのことだ。

「ほんとに5月かよ」

 空きコマの時間に避難したカフェテリアで誠と今日の天気について愚痴を吐き出し合ったのが、つい8時間前。

 しかし、今はそれが嘘のよう。まるで昼間は夢でも見ていたのではないかと思うような、そんな快適さだ。息を大きく吸い込むとひんやりとした心地の良い風が喉元を通り、肺を満たす。

 そのまま天を仰ぐと視界一杯に数え切れないほどの星が凛と輝いている。

 大学の最寄りの駅から15分ほど電車に揺られる。屋根の下にある木製のベンチが寂しげに居座る無人駅で降り、山の見える方向へ歩き続けること10分。年季の入った洞のようにぽっかりと奥の見えない山道の手前に2人の男女の人影が見て取れた。 

「ごめんね、2人とも。こんなことに付きあわせちゃって」

 目的地へと続く山道の入り口、待ち合わせの約束をしていた場所で少女、鷲宮杏奈は目を伏せがちにそういった。

「いや、かまわないよ。僕はどうせ今日は暇だったし。むしろ丁度良かったよ」

 隣に立っている長身の男子学生の言葉におれも頷く。

 ――彼の名前は桐島白亜。白亜と知り合うきっかけとなったのは丁度1カ月前に起こった入学式のテロ事件だ。あの時、おれは鷲宮、誠と3人で外舘の敵と戦闘をしていたわけだが、それと同時に館内のテロリストの相手をしていたのがこの、絵本に出てくる王子さま然とした男子学生だった。検査入院のための病院で白亜とは知り合い、今に至るというわけだ。

「そっか。でも二人にはついてきてもらって良かった、と心の底から思うよ。話に聞いていたよりずっと不気味だから。ここ」

 うっすらと見えるアスファルトで舗装された道の先をにらみながら、鷲宮は続ける。

「全く、モノ好きなものね。こんなところで肝試しをしようだなんて。なんて、私も文句が言える立場ではないか」

 くすりと周囲に明かりが灯りそうな笑顔を浮かべおれたちの方に向き直った。少し、頬が引きつっていたが。

 さて、ここにいるメンバーだが鷲宮杏奈に桐島白亜、それにおれ、大峰亮介の3人だ。

 成績優秀かつ容姿端麗、運動神経抜群。

 北ノ背大学一のアイドル的存在でなんでもそつなくこなしてしまう鷲宮にも、どうやら苦手なものもあるらしい。その一つがお化けや幽霊と言った類の、いわゆるホラー的存在が彼女にとっての天敵だったようだ。

 そんな彼女がなぜこのような場所に来ているのか。

 鷲宮の説明によると、ことの発端は3日前の昼休みのこと。

「ねぇ杏奈ちゃん。肝試しの場所探すの手伝ってくれないー!?」

 そう友人に頼まれたらしい。

 もちろん、ホラー系が大っ嫌いな彼女としては断わる気満々だったらしいのだが、その直後に指を2本突き立てられ気持ちが揺らいでしまったらしい。最近バイトに入れていない彼女からすれば思わぬ収入源になりそうなので飛びついてしまったとのこと。

 その後、友人の依頼内容を聞くにつれて自分の頭に疼痛を覚え、悔恨の念に駆られていったであろうことは想像に難くない。

 そこで急遽助っ人として召喚されたのがおれたち二人、ということだ。(誠にも声をかけたらしいがどうやら今日はバイトだったようだ)

「さて、じゃあさっさと済ませるか。誰かさんが泣いてしまわないうちに」

「そうだね。さ、いこうよ。鷲宮さん」

「ちょ、ちょっとー、誰が泣くのよ。このメンバーで!」

 鷲宮を茶化してみると意外にも白亜が乗ってきた。鷲宮の反論は若干ろれつが回っていないように感じたが。なるほど、隣に立ってみると彼女の気持ちが分かるような気がした。

 名前も分からない木が脇道から不気味に茂り、混沌とした闇がおれたちを出迎えるようにその道を記している。今は月明かりが届いているがあと10歩も進んでしまえばその灯りは人間の視力では捉えることはできないように思える。

 それほどに、長く、深く、昏い。暗闇だ。

「なんか、やな感じがするね」

 白亜が困ったように首を傾げるが、据わった瞳からはその真意は測れない。本気で思っているのか、それとも鷲宮に対するフォローなのか。

「ねぇ、杏奈さん。なんでここで肝試しをしようと考えたのか聞いてる?」

 周りを見渡しながら白亜は鷲宮に問いかける。

 ――不意に後ろから声がする。

「あなたたち、用がないなら今日は帰りなさい」

 おれたちの背後で端麗な顔を引きつらせているであろう鷲宮のものとしては若干低く、それでもよく響く澄んだものだった。

 振り返り、視界に入ったのは暗闇に溶け込みそうな黒髪をショートボブにまとめた同年代っぽい少女だった。

 デニム生地のパンツに動きやすそうなTシャツを合わせた彼女の瞳はおれたち三人を捉えてはいるが、どこかその先を見通すような印象を受けた。

「えっと、君は?」

 不愛想な少女に白亜は精一杯の愛想笑いを浮かべて彼女に尋ねるが

「じゃ、忠告はしたからね。くれぐれも邪魔はしないで」

 やはり、とりつく島もなく、おれたちに目をくれることもなく、少女は暗闇の中をずんずんと進んでいった。

「えっとー」

 どこからともなく上がるのは、いかにも困惑しているといった声。

 謎の少女の進んでいった山道を呆然と眺めるおれたち。少女の姿がすっかり見えなくなった後、間の抜けた沈黙を破ったのは鷲宮だった。

「て、あんたはいいのか!?」

 先の少女に対する抗議だが、もちろん彼女から返答があるわけもない。本人もそれを理解しており、頭を振った後、迷いを含みつつ口を開いた。

「何の説明もなく、いきなり帰りなさいって言われてもね。しかも、一応用事はあることだし」

「でも、さっきの子の言い方、棘はあるけど悪意は感じなかった」

 再び訪れる沈黙。しかし、先のものとは違い時折首を傾げたり口元に手をやったりという動作がいくつか入っていることは言うまでもない。

 結局悩んだ挙句、今回の依頼主である鷲宮に全権を委ねようという結論に至り顔を上げると白亜と目が合った。どうやら、白亜もおれと同じ考えのようだ。

 ふたりして鷲宮に視線を送ってみる。それに気が付いた鷲宮は顔を上げ

「今日じゃないといけないってことはないけど、二人が来てくれたことだし終わらせてしまいましょ」

 本日決行すると明言した。

 おれたちは頷いて了承の意を示す。

 そうと決まれば迷うことはない。謎の少女が歩いた後を追って、おれたちは山道を登り始めた。



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