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Illogical existence  作者: 村野案山子
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序章

 「これはこれは巫女様。今日も相変わらずお元気ですな」

 私の住む村の村長が朝の散歩を楽しむ私に気がついて声をかけてきた。若いころから狩りで鍛え上げた体は50を過ぎた今も健在で、その運動能力と言ったら村の若い者に引けを取らない。

「はい。おかげさまでよくなりました。本当にお世話になりました」 

「住職こそ朝は早いではないか」

  「私は務めがありますゆえ。まぁ、そうは言いましてもやはり」

  「「年を取ったから」」

  「ですな」

  事前に打ち合わせをしたかのようなぴったりな二人の会話を愛想笑いで見届けながら心底思う。この二人は本当に仲がいいのだと。村の人の話によると、二人は全くタイプが異なるものの、小さいころから意気投合し、しょっちゅうつるんでいたそうだ。

  村の村長と神主がほぼ同時期になくなってしまった際、後任を誰に任せるかという議論で真っ先にこの二人の名前が挙がり、どちらが適正かという議論は大いに盛り上がったとか。

 議論の甲斐あってこの采配は見事に的中し、現在に至るというわけだ。

  頭の切れる村の知恵袋神主、敵なしスーパー正義人間村長。二人は若くから村の人々の多大な人望を背負ってきた二人は現在もこうして村にはなくてはならない重鎮として、その任を果たしている。

  両親を殺した賊を撃退し、次は自分が殺される番だと恐怖に打ちのめされていた私に救いの手を差し出してくれた村長。村の外の人間であるにもかかわらず、私を巫女として村人に紹介し、仕事を割り振って住まわせてくれている神主。

  今現在、私がこの世に生を持っていられるのは彼らあってのことなのだ。

 だから私は決めていたのだ。私を生かせてくれているこの村に貢献すると。

 今はまだ幼く、たいした知識もない私ができることと言えばほんの少ししかないけれど、いつか村のために輝ける日が来ることを信じている。

  とまぁ、両親を一度に失った子供がすぐ立ち直れるわけもなく。私がこんなふうに色々なことを考えることができるようになったのは、ここ数カ月のことだ。

  とある県境にある山の奥深く。あまりに人が出入りすることもないので、一部の人からは秘境とも呼ばれているとかいないとか。実際にこの村にあるのは人々が生計を立てるための田畑と狩猟場、まったりと流れゆく清流。

 それと、どこまでも続く平和な日々。




  ――――それが、半永久的にあって然るべきだと信じてやまなかった。

  そして、この日が私のいわゆるX-dayというやつになった。

  最後に残った記憶は全てを焼き尽くさんと燃え盛る炎におびただしいまでの血液を流しながら、冷たくなっていく村の人たち。誰か、生きている人はと村中を走り回ったがそこにあるのは無残に切り捨てられた人、倒壊した建物に押しつぶされ焼け死んだ人、そこに老若男女の例外はない。

  私は、みんなに慕われるような巫女などではなかったのだ。

  私の近くにいたから父母は襲われ、この村のみんなもひどい目に遭ってしまった。

  私の行く先々で人が死に、私だけが助かってしまう。

  ほら、私は。

  ―――こんなも血に汚れた、滅びの化身だったのだ。

  ただ一人、誰もいなくなった村の広場で私は高らかに笑い続けた

  そう、体中の水分が、枯れ果てるまで。

 ◇

 ―――4月1日

  おれの名前は大峰亮介。

  今年、北ノ背大学魔術学部に入学したばかりの大学1年生だ。

  大学から自転車で10分ほどのところに家を借り、一人暮らしを始めて約1か月が経つ。

  バイトも無事見つかり、心地よい一人暮らしの生活に慣れ始めた今日この頃。

  4月1日。

  つまり、本日。

  事件が起こった。いや、起こっていると言えばいいのか。

  とりあえず今はそんなわけで事後処理に追われている。

  右手にパン。左手でドライヤーを振りながら、目では今日のスケジュールが書かれた文字列を追っている。

  昨日スーパーで安くなっていたパン最後のひとかけらを口に放り込み、牛乳で流し込む。少しむせそうになったが、かまわず飲み込む。

  寝癖を直すために濡らした髪も同じタイミングで乾ききった。

  チェックし終えたプリントを半分に折り、牛乳の入っていたカップを流しに置き、そのまま洗面所脇にある引き出しにドライヤーを雑にしまい込む。

  用意してあった黒系の長パンツをはいて、薄手で白地のパーカーにデニム生地のジャンパーをサッと羽織る。歯を磨きながら先ほどのプリントはズボンの右ポケットに、折り畳みの財布を右後ろ、携帯端末を左の前ポケットにしまい込み、準備完了。口をゆすいで、勢いよく玄関の扉を開けた。

  家から出て東の空を見ると朝日が両の目を貫く。思わず瞼を閉じてしまうが、その時間すら惜しんで飛ばし飛ばしに階段を駆け下りていく。自転車に跨り、目的地へと向けて愛車を走らせた。

  走り始めた自転車はランニングを日課としている白髪の元気そうなおじいさんを追い抜き、さらに速度を増す。

  周りの景色が滝のように流れていき、体そのものが風を切り裂く刃のようなものになったかのように心地いい。

  頭の中に叩き込んだ道順を思い起こしながら自転車をただひたすらに漕ぎ進めた。

  さて。今朝の事件について説明しておこう。

  つまるところ、今朝の大事件とは目覚まし時計の故障だ。

  前日にバイトで夜遅くまで起きていた大学生に対する仕打ちとして、この事態はあまりにも非常なものだ。

  今朝の事件の発端はおれが眠りに落ちてから再び覚醒するまでの時間に立て続けに起きた。

  2:18、3:22そして7:01。

  最後の時刻をもって我が家にある目覚まし機能は失われていたのだ。

  電池切れ。充電切れ。接触不良。

  誰が想像できたろうか。別々の時期に使い始めた3つの目覚まし時計が異なる原因で一晩のうちに全て停止してしまうことなど。

  最後の砦だった時計があと30分生きていたなら、このような事態は避けられたのに・・・。

  などと自転車の上で恨めしく思ってもしょうがない。それよりも、入学式の集合時間にはこのペースでいけば間に合うという現状を喜ばしく思うべきだ。

  人通りの多い道を抜けると同時にさらにスピードを上げると春先のまだひんやりした風が服を突き抜け、肌を刺す。ペダルを漕ぐ足を止め重心を左側にかけながらカーブを曲がる。重心を戻すと同時にペダルを思いっきり踏み込む。

  すると、目の前が黒い何かに覆われた。真っ黒でさらさらした細い束が顔に絡みつくと同時に、体が宙を舞った。

  重力が無になったかのような浮遊感と実にゆっくりと回転していく奇妙な視界。

  あぁ、浮いているのか。

  そんな呑気な感想が頭をよぎるが、背中に強い衝撃を受けて後悔をした。行き場を失った空気の塊が喉の奥を押し広げて外界へと逆流する。さらに、地面に叩き付けられた体はその場で静止することなく、道路の反対側の壁の前まで転がり続けた。

 体を何か所か擦ったのだろう。手足が若干痛むが気がつかないうちに受け身ができていたのだろう、打撲や捻挫といった類の痛みは感じなかった。

  とはいえ、激しい回転によって揺さぶられた脳はまだ後処理が追い付いていないらしく、真っ直ぐに歩けないほどの目眩が残っている。

  コンクリート製の壁に手をつき、なんとか体を起こす。

  ――視界を覆い隠した肌を刺す漆黒の糸。大学生の男子を宙に投げ飛ばし道路の隅から隅へと転がすほどの衝撃。

  そして、少し後方に横たわる、先ほどまで乗っていたおれの自転車。

  いくつかの記憶のカケラが組み合わさり、曖昧だった脳のイメージが徐々に現実味を帯びたクリアなものとなっていく。

  やがて、一つの結論に至り我に返り、悟った。

  おれがぶつかったのは『何か』ではなく『誰か』だったのだと。

  慌ててあたりを見渡すと目の前には少女が、しかしごく自然と、平然として、純黒の髪の風に流しながら涼しげな様子で立っていた。瑠璃紺に数輪の白ユリが色鮮やかに泳いでいる和服を召したその少女は、おれとあまり変わらない年齢のように見えた。今から徒歩では北ノ背学の入学式には間に合わない。他の大学の入学式に向かう学生だろうか。それとも、ただ私服を着て朝の散歩を楽しんでいる愉快な若者だろうか。

  「あの。怪我はないですか?」

  彼女の出で立ちは自転車にぶつかられた側の人としては不自然だが、どんなに辺りを見渡しても彼女以外に人は見当たらない。つまり、おれがぶつかってしまったのは彼女だということになる。

  「えっ、私、は大丈夫よ。ごめんない」

  彼女は上物の墨を垂らしたような大きな瞳を2,3度瞬かせたが、すぐににこりと微笑んだ。

  「急いでいたようだけど・・・。あなたは大丈夫なの?」

  どうやら彼女自身は本当に何ともないらしい。確かに、あの速度の自転車にぶつかられた人間がかすり傷はおろか、ほこりのひとつすらも被っていないのはあり得ないだろう。

  「これぐらいなら大丈夫です」

  人にぶつかったというのは何かの思い違いだろうか。

  膝についていた砂を払って見せると少女は口元をほころばせた。

  「たいしたことなくて良かったです。それにしても見事な受け身でしたね。何か武道でもされているのですか」

  「いや、あれは本能というか、なんというか」

  「まぁ、そうなんですか」

  口元を上品に隠しながら大きな瞳を丸くして少女は言った。

  彼女の一挙一動はどこまでも洗練されている。一つ一つの仕草は優美かつ可憐で、気がつけば彼女の動きを目で追ってしまっている。

   ――幽玄の美

  いつか、退屈な国語の授業で聞いた単語だ。

  見れば見るほど奥ゆかしく、いつまでも美しいと思える様、という意味らしい。

  なるほど。今、目の前にいる少女はこの言葉の権化と言ってもいいかもしれない。現におれはこうして彼女から片時も目が離せないでいる。

  同い年にしては出来すぎている。ある意味、不気味なはずのその少女から。

  「あのー。急いでいるようでしたけど、大丈夫ですか?」

  恐る恐る語り掛けてきた少女の言葉は、おれの無意識を瓦解させるには十分なものだった。

  「あ、まずい!」

  手元の時計に目をやると先ほどまで残っていた多少の猶予はほぼ失われていた。

  自転車に駆け寄り、懐から取り出したメモ帳に連絡先を書き記し、再び少女に近づく。

  「あの、これは?」

  「おれの連絡先。さっき自転車でこけたけど、もし君が怪我とかしていたらここに連絡してください」

  「大丈夫」と言いたげな様子を無視して紙切れを手のひらに握らせてその場をから離れる。進行方向に人がいないことを確認して振り返る。

  おれの目に映ったものはなんの変哲もない日常の一ページ。規則正しく整備された土地に佇む無数の住宅と景観補整のために植えられた街路樹、各家庭に電気を供給するための柱と雑多な電線。

  しかし、そこには先ほどまで話していた少女の姿はどうしても捉えることができなかった。

 





  普段講義で使う白木キャンパスとは少し離れた場所にあるのが、今日の入学式で使われる辛木キャンパスだ。

  サッカーコートが2つは作れるだろうグラウンドにバドミントン、剣道、バスケットボール等々、それぞれの用途に応じて作られた大きさの異なる真新しい体育館が立ち並ぶ。

  5か所ある出入り口の南門から入ると正面にどっしりと構えられた一段と大きいオペラ劇場のような作りをした建物が見て取れる。「より多くの収容人数を」という構想ではなく、どの席からでも見やすいステージというコンセプトのもとに作られたのがこの体育館である。用途は主に、こういった大規模なイベントやお偉いさん方の学会、研究成果の報告会、ある時は一般に開放された劇場と多岐にわたる。

  南側の門から入って右手側にある駐輪場に自転車を止め、入学式の会場になっている入り口に向かう。

  多くの大学では入学式にはフォーマルな服装で出席することが多いらしいが、この大学にはそのような文化はない。したがって、スーツ姿の学生はほとんど見ることがない。(振袖は人気が根強く、好んで着る女学生が多いため比較的に多い)

  開会の時間が迫っていることもあり、人影はすでにまばら。閑散としたやたら広い道を急いでいると、その一角に不自然にできた人垣が目に入った。入り口の階段脇に集まっている男女の服装はジャー ジやらテニスウェアやら道着やらとバラバラだった。服装から察するに、彼らが北ノ背大学の部活動生であることは一目瞭然だ。

 時間もないので面倒事にわざわざ巻き込まれるつもりもない。とはいえ、状況は気になるので一度だけ目をやり、そのまま通り過ぎることに決めた。急いでいるよう見せるために前だけを見据えたまま人垣に向かうにつれて足を速める。

  視線を少し右にずらした場所に小さな人だかりを捉えた。

  心持ち、歩くペースを緩める。

  半円状に集まっている学生たちはそれぞれが重なり合いおれはその誰とも視線を合わせることはなかった。ただの一人を除いて

  雨上がりの空を彷彿とさせるイリスの瞳。控えめだと思われたその目に「チャンス」の文字が浮かび上がった気がしたのは思い違いではあるまい。

  突然、少女は頭を軽く下げこちらにかけよってきた。さっと後ろに目をやるがこちらの様子を気にする人影はない。再び正面を向くとなにやら大袈裟に口元が動いている。

  「は・な・し・あ・わ・せ・て」

  はい?

  話、合わせて?

  頭の中で言葉を変換し終わるころ、すでにその少女はあと3歩というところまで来ていた。「待たせちゃってごめんね」と、わざとらしく大きな声でそう言ったかと思うとそのまま右手を掴み、すでに人気のなくなったコンクリートの上を軽快な足音を立てながら駆け出した。

  会場まで引きずられる途中、彼女のスカートがふわりと浮き上がり同時に金糸のような輝きを放つ髪がおれの頬を撫でた。

  優しく柔らかな太陽の香りがおれの鼻腔をくすぐり続ける。

  機嫌よく歩みを進める彼女に対し、不満が顔から溢れ出ており今にも突っかかってきそうな部活動生たちだが、しかしおれたちの後を追ってくるほどまでに非常識な学生たちではなかった。



 式場の席順は特に決まっていないらしく、入場した学生から前に詰めて案内されているようだ。おれたちが入場してきたのは式が始まるほんの2,3分前だ。座席は着た順番に振り分けられるらしく、必然的に3階ある席のうちの最上段のこれまた後方に案内された。

 席に着き、一息ついたところで隣の少女に視線を移すと、腰を下ろす様子はない。

「さっきは助かったわ。ありがとう。ちょっと用事があるから抜けてくるね」

 謎の少女は手を顔の前で合わせて早口でそのように告げ、「またあとでね」と付け加えて声をかける間もなくいなくなってしまった。

 右手をひらりひらりと振る彼女の背中を見送り、落ち着いたところで座席に深く座り直すと場内の照明が一斉に落ちる。会場全体が夜の帳に包まれると空いている隣の席に誰かが座る気配がした。どうやら時間ギリギリに駆け込んだ学生がもう一人いたようだ。まぁ、気にしたところでしょうがないので特に興味を持つこともないが。

 30代半ばと思われる女性アナウンサーは開式の原稿を読み上げていく。年齢の割に(我ながら失礼な言いぐさだけど)きれいな、小鳥のさえずるような澄み渡る声がマイクを通して式場全体に反響する。あまりの心地良さに思わず瞳を閉じて聞き入ってしまう。このアナウンサーが知名度や容姿、話題作りで選ばれたのではないことは考えるまでもない。

 だけど、まぁ。なんだ。

 今回はその美声が裏目に出てしまっているようだ。

 現に今、祝辞を読み上げる女性の声を遮るように隣の席からいびきが混じって聞こえる。式が始まって5分ほどは細い吐息が聞こえていたが、祝辞が始まったあたりでそのボリュームは増し、現在では聞き過ごすことができないくらいになっている。

「おい、あんたもう少し―――」

 さすがに起こして注意しようと思い、手を止めた。

 地平の果てまで続く青空にただ一つ紛れ込んだ雲の一塊のような白髪に野性味あふれるウルフカット。そこには高校時代、毎日のように顔を合わせた元クラスメイトの姿があった。

「お前らしいっちゃ、お前らしいがな」

 もちろん口には出していない。心の中でそっと呟く。

 軽く曲げた右手の中指を左手の人差指で押さえる。中指を伸ばそうとする力と人差指の中指を押しとどめようとする力を拮抗させたところで、ぐっすりと眠っている男のおでこの中心に両手を持っていく。デコピン(強化バージョン)の構えである。

 左手の人差指を少しずつ中指の指先にスライドさせて、一旦動きを止める。ヒットさせるポイントを今一度確認し、一気に左手の指を滑らせる。

「いっ!?」

 拘束から解放された中指は勢いよく飛び出し、無事、白髪男の額に見事にヒットしたのだった。

 突然の急襲にも関わらず、とっさの判断で続くはずだった言葉を飲み込める状況把握能力と自己統制能力を持つこの男の名前は赤城誠だ。

「んーー。寝ちまってたのか。迷惑かけ、た」

 攻撃を受けた額を抑えながら開いた誠の口は「な」の形で固まり

「亮介?」

 おれの存在を認識した。

「久しぶりだな。式中にいびきかくのはどうかと思うけど」

「いやー、悪いな。昨日ちょっと夜更かししすぎてさ」

 もちろん、おれの指摘にも詫びる様子はもちろんない。

「お前のことだ、どうせゲームでも一晩中やっていたんだろ」

「おれの夜更かし、もとい徹夜の原因の全てがゲームだというのは亮介、浅慮というものだ」

 あくびをしながら胸を張るが顔が眠気のせいか、今にも寝てしまいそうな表情をしているので威圧感の類は微塵も感じられない。

「少なくとも高校三年間の遅刻の理由は寝坊だとしか聞いていないが?」

「まぁ、ちょっとした野暮用だ」

「野暮用?」

 オウム返しに聞き返すと

「あぁ。野暮用、だ」

 とだけ誠は答えた。

「記念品贈呈。学生代表。魔術学部、鷲宮杏奈さん」

 司会の女性が学生の名前を呼ぶと、どこからともなく名前を呼ばれた女子学生が凛とした声で返事をする。声の主は颯爽とも優雅とも取れる足取りでステージ脇の入り口から姿を現した。

 それを見た誠は

「おい、見ろよ。今年の学年首席は超美人だって噂、本当だったんだな」

 と学園長の前で記念品を受け取る学生を見て、息を飲みながら言葉を吐き出していた。

 誠が前評判以上の学生の容姿に口をぱくぱくさせている一方、おれはというと、どこでそんな情報貰ってきたんだと白い目で誠を見ることすら忘れ、壇上に立つ女子学生を見つめていた。

 絵に描いた優等生。才色兼備とは彼女のためにある言葉なのだろう。

 どこからともなく聞こえてくるため息が会場全体を静かに包み込んだ。




「ふぅー。ようやく終わったね」

 謎の少女こと、鷲宮杏奈は後ろ手に絡めた両の手をそのまま伸ばしたまま、うんざりした様子でそう切り出した。

「あ、そうそう」

 と思い出したように

「魔術学部魔術学科所属の鷲宮杏奈です。18歳。よろしくお願いします」

 既に周知である自己紹介を行儀よく済ませ

「今更だけどね」

 まだあどけなさの残る笑みをこぼした。

「専攻は同じだよ。大峰亮介、同じく18歳。こちらこそよろしく。それにしても驚いたよ、学年首席だったなんて」

 似たような自己紹介を済ませ大袈裟に肩をすくめると、鷲宮は照れたように頭をわしわしと揉みこんだ。

「さっき囲まれていたのは部活の勧誘?」

「そう。式のリハーサル終わって休憩がてら外に出てきたらあれだもん。嫌になっちゃう」

 北ノ背大学の入学式では入試の総合得点での主席が記念品贈呈を受けることが慣例となっている。主席の学生がなんらかの理由で記念品を受け取れないときは次席の学生が受け持つことになるが、どちらにせよ式のリハーサルに来ている学生は未来のホープであることに変わりはない。魔術を通じて行われる一部の部活動が潜在能力を秘めいている新入生に一目置くことは至極当然のことだ。

 とはいえ、入学初日に新入生を執拗に勧誘するのはやはりいただけない。鷲宮のうんざりしたという様子にも納得がいく。

「部活とかサークルには入るつもりないの?」

「今のところはまだ決めてないかなー。今度紹介みたいなものがあるからそれ見てから考えようかなって、私は思ってる。大峰くんは?」

「おれは、入るつもりはないかな」

 少し、考えるふりをして答える。

「ふーん。何かやりたいことが他にある、とか?」 

「そういうこと」

 席から立ち上がると会場内に残っている学生はほんのわずかになっていた。隣の席で二度寝している誠と鷲宮、おれの3人を合わせても20人にも満たないぐらいだ。業者の清掃が入るため、関係者以外は式場から出ていかなければならないためだ。

 それを鷲宮も思い出したようで

「じゃ、そろそろ私たちも出よっか」

 膝丈のスカートをなびかせて出口に向かう。その背中に知り合いを起こしてから行くと伝えると手をひらひらと振り、了解の意を示した。

「おい出るぞ」

 次はデコピンで起こすような真似はせず、肩を少し揺らす。と

「起きてるよ、バーカ」

 そのまま席を立ち、話しながら行こうぜと歩き出す。

「さっきの子、鷲宮杏奈ってほんとか?」

「起きてたんじゃなかったのかよ」

「目ぇつぶってたんだから顔見えないじゃん。声もまともに聞いたことないんだから判別できないし」

 確かに、言われればそうだ。ごもっとも。

「鷲宮杏奈だよ。ステージの上で記念品貰っていた子だよ。最初から誰かが変装したのでもなかったらな」

 少し早口に答えてふと疑問が頭をよぎる。

「誠、2つ。質問いいか?」

「なんだ?」

 了承の意と解釈してとりあえず尋ねてみる。

「まず1つ。お前どこで鷲宮のことを知ったんだ?」

 これは式で鷲宮の名前が読み上げられたときに聞きそびれた質問だ。

「いや、それはさ。これだよこれ」

 ポケットから携帯端末を素早く取り出して、少しいじった後に画面をこちらに向けてくる。

 しかし、

『鷲宮杏奈を目で愛でる会』

 ディスプレイに映し出された文字はおれの想像のはるか上を行くものだった。

「馬鹿やめろ亮介!おれの携帯端末を真っ二つに圧し折ろうと持ち替えて膝の上に打ち付けようとするんじゃない!!」

 半ば条件反射的に携帯端末を取り上げねじり上げようとしたところで、制止の声が入る。

「いや、見なかったことにしてやろうと」

「見なかったことにしなくていいから!」

 と誠は至極自然な手さばきで端末をおれの手から取り上げ、一つ大きく息を吐いた。うっすらと、磨き上げられた刃のような瞳をおもむろに開いて

「あのな亮介、人の話は最後まで――」

 紡ぎかけた言葉は、途切れた。

「やばい!伏せろ!」

 一発の爆発音と逃げ惑う学生たちの悲鳴によって。

 距離的にはそう離れていない。建物全体を揺さぶるような轟音が鳴り響くと、しばらくもしないうちに開け放たれたホールの扉から濃密な硝煙の匂いがなだれ込んできた。

「行くぞ」

 低く呟かれたその言葉は先ほどの瞳とは異なる感情が露わになっていた。

 駆け出した誠に続き、式場の通路を駆け抜ける。途中、引き返してくる学生の群れの間を縫うように逆走する。前後に振り子のように大きく揺れる特製のガラス扉を勢いのままに蹴り開け通過する。

 途端、パンパンパンと乾いた銃声が三度。

 おれたちを出迎えたのは肌に纏わりつくように漂う硝煙の匂い、怒号と爆発物を撒き散らし続けるさもしい体つきの男と―――。

 その右腕に首を固定されて身動きが取れないでいる、つい数時間前に見知った女学生――鷲宮杏奈の姿だった。





「5秒だ」

「了解」

 指示を出したのは意外なことに、今にも飛び出してしまいそうな状態の誠だった。上階から見下ろす視界に入る標的の数は1人。もしもの時に備え爆薬を無効化する魔術を待機させる。

 足元の塵が舞い上がり、誠を取り巻くように渦巻く。雪のように白い髪を日の下に輝かせながら重心を落とし―――肉食獣の如き速さで目標の打倒に動き出した。

 左右にある階段を使うようなことはしない。

 この3階のフロアから地上に飛び降り猛然とターゲットに襲い掛かる。その様子はまさに白獅子。

「きったあぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁっっ!!!」

 誠の接近に気がついた男は血走った眼を爛々と輝かせながら歓喜の声と共に、矢継ぎ早に手榴弾を投げつける。男の周りを見てみると整地された道は見るも無残なまでに表面が黒く焦げ付き、場所によっては地面がえぐり出されている。片手で放れるほどのサイズの爆弾だが、その威力は侮れない。

 一投目に放たれた黒い球状の物体が誠の正面に転がる。

 ――――刹那、誠の影が揺らいだ。

 閃光弾を始めとして計三回の爆発が立て続けに起こる。視力を奪う閃光弾、その後の逃げ道を封じるように投じられた残りに二発の釘入りの爆弾が周囲を焦がし、埃が地上を覆う。

「なっ―――?!」

 しかし、瞬間的に加速した誠を捉えることは敵わない。よほど自信があったのか、男はコンマ数秒、頬を引きつらせて固まる。

 なおも接近を続ける誠に気圧されながらも、再び腰のポーチから爆弾を取り出しおびえたように無造作に投げつけるが、狙いもなく投じられただけの、なんの規律もない攻撃は誠に塵をかぶせることすらままならない。

 もう一度、爆弾を探り出した男の手は一瞬強ばったものの、すぐにだらりと力なく垂れ下がった。

 倒れた男の後ろには、赤城誠が鷲宮杏奈を支えながらその場に立っていた。




 手榴弾男が倒されたことを確認し念のために水を降らせる。男の持っている火薬を完全に無力化させておくためだ。その様子を見た誠が鷲宮を支えている反対の手で親指を立てようとして、

「まだだ!」

 叫んだ。

 何者かが階段を蹴上がってくる気配を察し、一度切れかけた集中力をつなぎ直したところで右側の階段から恵まれた体格をしたスキンヘッドで色黒の男が姿を現す。鍛え抜かれた体は黒光りを帯びており、集まる日光さえも拒絶しているようだ。袖からは隆々とした筋肉が姿を見せ、こちらを威圧してくる。

「お前ら、一体なんのつもりだ!」

 問いかけに答えず男は不敵に笑みを浮かべ、服をたくし上げる。

「・・・正気かよ」

 あまりの光景に言葉が詰まった。驚いたことに、この男もさっきの男と同様に腰に爆弾を撒いていたのだ。やさ男の持っていたものは投擲用で投げやすいように改良されたものだった。しかし、目の前のものは形が違う。これは――

「なぁに、旅は道ずれって、さ」

 自爆を狙いとした爆弾のそれだ。サングラスをかけた男の目を伺うことは出来ないが、きっと背筋がゾッとするような表情になっているに違いない。

「犯罪の動機なんかどれも実にしょうもないもんばっかだよ。今回のおれたちみたいに、な」

 言い終えるかどうかのタイミングで巨体が足を取ろうと突進を仕掛けてくる。腰をギリギリまで落とした姿勢からの一撃を食らえば、間違いなく立っていられない。その後どうなるかは想像したくもないが、この男の発言から考えれば無事では済まない。男の所持している爆薬の威力によるが、最悪、遺体ですら残らない可能性だってあるのだ。

「ライズ」

 とっさに待機させていた魔術を発動させると小さな舌打ちと共におれの体が空中に浮き上がり、男の攻撃から逃れた。

「小賢しいガキが」

 憎々しげにつぶやく巨漢をゆらりと見下ろす。

 そのまま空中に居座り、一方的に魔術で迎撃できればいいのだが、生憎今のおれにそのレベルの技術は持ち合わせていない。一旦地を離れた足は空を自由に蹴り進むことなくこうして巨漢の男と同じ冷たい地面を踏みしめている。

 互いの立ち位置が入れ替わりはしたもののその距離に差異はない。対峙する男のスピードは誠に勝るとも劣らない、互角。これはこの男の腕が鈍いのではなく、単に誠が年の割にその手の魔術を究め過ぎているというだけにすぎない。次のタックルをさっきと同様に宙を舞って避ければ着地したタイミングでおれを仕留めることはこの男にしてみれば容易いことだろう。

 さしずめ、誠が白獅子なら目の前の巨漢は俊足エゾヒグマといったところか。鬼に金棒、とはこのことか、と不愉快に思いながらも次の一手を忍ばせる。

「安心しな。気を失って次目を開けるころには雲の上だろうからな」

 再度の突進。力強く蹴られた足元は表面が少しばかり欠けている。巨漢の踏み切りにはいったいどれほどの力が加わっていたのだろうか。

 不意に脳内をよぎる余計な思考を追い出し構えると、男は嬉々として口元を歪める。後方に再び飛べば地に足がつく瞬間を捕獲、そのまま衝撃に耐えようとも目の前の獲物では自分を押し返すことはおろか、踏ん張ることさえもままならない。

 そんな、浅はかな思考からの勝利を確信した愚者の笑みだった。

「ストップ」

 世界が止まったかのような錯覚と同時に体の節々に鈍痛が走る。迫りくる獣でさえもスロー再生の映像のように動いているが、この世界で感傷に浸る暇はない。

 体を左に一回転だけ回し、次のスペルを口ずさむ。

 世界が再び息を吹き返し、右足が鞭の如くしなる。

 全体重をかけた巨漢のスピードと時を超えて放たれる異次元の威力を誇る鋭いキック。その二つが男の腹部で交わる瞬間、数度にわたり男の体が痙攣したが見て取れるのは一瞬。命中した蹴りが大きく振り抜かれると共に男の体は押し戻され、砂袋を落としたような音を立ててそのまま動かなくなった。

 痛みが残る体を引きずり巨漢が呼吸をしていることを確認し、体に巻き付けた爆薬を取り外してから近くに落ちていたロープを拝借して身動きが取れないように縛る。

 よれよれと手すりにつかまり大きく息をつき立ち上がると

「後ろだ!」

 怒号と一発の銃声が重なる。

 慌てて飛び退き、距離を取ったところで左腕から液体が流れていることに気が付いた。どうやら銃弾が掠めたようだ。

 背後から現れた男の右手には不気味なほどに黒く光る一丁の拳銃が握られている。体格は先刻の男に劣るものの、その構えに隙は見られない。

 一歩また一歩。相手の足の動きに合わせて後ずさりする。

「ったく、手間かけさせやがって。逝こうぜ」

 男が引き金に指をかける。

「お前、一体何を」

 巨漢の男と同じ質問を投げかけ、時間を稼ごうとするが

「答える義理はない。またな。いや、あの世でも会うことはねぇか」

 つまらなさそうにそう答え、引き金をゆっくりと引き始める。

 どうやらこいつには何を言っても無駄なようだ。

 火薬の爆発によって銃身から吐き出された冷たい弾丸がおれの眉間に真っ直ぐと飛んでくる。巨漢の男を躱した際に使った魔術の影響で未だに鈍痛が奔走する体は瞬間的にすら力を入れることもままならない。

 そして、体から全ての力は抜け足が絡まり、天を仰ぐ。

 視界一杯に空が映し出される。浮かぶ一片の白雲は蒼すぎる青にあえて飛び込むことで自己の存在を強調しているようだった。

 円錐形の物体が徐々に狭まっていく世界を真っ二つにぶった斬る。意識がどこか遠くに離れていく。体は全身が鉛になったかのように重く、どんなに懸命に力を込めても少しも動くことはなかった。

 遠のく意識に伴い、いっそのこと瞼を下ろそうとして―――できなかった。

 目を閉じたという事実に変わりはない。違いがあるとすればそれは、『随意』か『不随意』かの差だ。

 ―――晴天の霹靂

 『意味』通りではなく『文字』通り。その現象は起こった。

 空には相変わらず一片の雲塊が漂うのみ。そこから一切の前触れもなく青白い光が一閃。

 ゆっくりと閉じられるはずだった瞼は人間が持つ防衛本能、反射によって半ば強制的に閉じられたのだった。

 空気を切り裂く爆音は不意に耳を塞いで多少は緩和されたものの、おれの意識を再び覚醒させるには十分すぎるものだった。

「やれやれ、物騒な装備しちゃって。戦争でもするつもりかしら」

 心底、あきれた。

 そんな瞳をして姿を現した少女。

 風にたなびく髪は金糸そのものの美しさ。勝気な双眼は大海を思わせるイリス。人並み外れて整った顔立ちは見るものを魅了するだろう。

 彼女はそう。まるで。

 今朝、知り合った少女―――鷲宮杏奈そのものだった。

「あなた、無茶な使い方したでしょ?ほら、しっかりなさい。それと、さっきの銃弾は掠ってすらいないから」

 凛とした、鈴にも似たなんとも心地の良い少女の声色に気を取られていると、さっと目の前に彼女の血色の良い手のひらが差し出された。

 そのまま手を借り引き上げてもらう。ふらつく体に喝を入れて何とか立ち上がると鷲宮はおれをまじまじと観察していた。

「えっとー。何か?」

「何か、じゃないわよ。ダメね。やっぱり座って右腕出しなさい。怪我してるじゃない。外傷は・・・。そこだけのようね」

 そこまで酷い立ち姿だったのか、鷲宮は一度立ち上がったおれを再び地面に座らせ、素早く上着の右ポケットから桜色のハンカチを取り出すと手際よく止血を施してくれた。

「もう少し待ってね」

 不意にその澄んだ瞳を閉じて何やら呟くと、おれの体が若草色の淡い光に包まれる。時間にしてわずか数秒、しかしその効果は確かに現れた。

 先ほどまで全身を這いまわっていた内側から身を叩きつけるような痛みが消えたのだ。

「応急手当にもならないかもしれないけど、念のために、ね。」

 目を白黒させて言葉を失っているおれの瞳を少しの異常も見逃すまいと真っ直ぐと観察するように見つめてきた。

 やがて肺に溜めこんでいた空気を軽く吐き出すと彼女は立ち上がった。

「ありがとうな」

 礼を言って雷が落ちた方向に目をやると一丁の銃らしき物体を握った男が大の字に転がっていた。

「そうだ、あなた。私に似た顔というか、もう瓜二つの子。見なかった?」

 自分の顔を指さしてそう尋ねる彼女を見て、嫌なイメージが頭に浮かぶ。もし、もし目の前の少女が本物の鷲宮杏奈だとすれば、今朝おれが知り合ったあの少女は何者か。さっき、誠に助けられたあの少女は何者なのか。

 この場に駆けつけた時の状況が走馬灯のように浮かび上がり、やがて1つの結論が導き出される。

「なるほど、これはまずい!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 呟いて、地面を蹴り上げるように立ち上がり、足早に手すりへ駆け寄る。おれの推測が的中していないことを祈り、階下をのぞき込む。

「おーい。こっちは終わったぞー」

 こちらの心配はいざ知らず。山の頂上で向かいの山に叫ぶような気軽さで戦闘の収束を告げる誠は右腕で鷲宮杏奈と名乗っていた少女の手首をひねり上げている。その弱々しい腕からスタンガンが零れ落ちるのを見届けた誠は空いている左手で少女の首元に一撃を見舞う。

 陽光を眩しいまでに反射していた髪の色は水性のインキが水に溶けるように薄れていき、やがて本来の、この国でならどこでも見られるごく一般的な黒い髪が姿を現した。



「誠。こいつは・・・」

「偽物だよ。お前の後ろにいる鷲宮杏奈の、な。まったく、年はそんなにかわらないじゃねーかよ」

 気を失っている足元の少女を見て眉を顰める。が、すぐさまその面は剥がれ落ち、いつものマイペース極まりない調子に戻った。

「それより亮介、お前なんでこんなに早くまともに動けるんだ?あれ、使ったんだろ?」

 誠のいう『あれ』とはおれが一人目の男を仕留めた時に使った魔術だ。これは体に直接電流を流し込み、帯電することによってほんの一時的に運動能力や情報処理能力を人間の限界近くまで〈強引〉に引き出すというものだ。もちろん、電流が奔流する先にも痛覚は通っているわけで、その痛みは形容のしようがないと言ってもいい。一部の学者の間ではまだ雷に打たれる方がマシというような説もあるほどだ。これは苦痛という観点においての話のため、これにより人が亡くなるという可能性はよっぽどの無茶をしない限りは皆無と言っていい。

「本物の鷲宮がトリミングしてくれた」

 少し後ろに立っていた鷲宮は誠の傍まで歩み寄りさらりと自己紹介を済ませた。

「始めまして、鷲宮杏奈です。それにしても大変だったね」

「えっと。赤城誠だ。そっかー。トリミングか」

 若干の、疲れを浮かべている鷲宮に対して誠は目新しいものを見つけた子供のように

 その目をキラキラと輝かせている。

「さすが今年度の学年首席って感じだな。トリミングなんて上級生でもまともに使える人は何人いることやら」

「いや、トリミングって言っても私はまだ根本的な治療まではできないの。痛みを一時的に取り除くだけだから、麻酔に近いかもしれないね。体は動かせるけど」

 軽く首を振って誠の少し行き過ぎた評価を否定した鷲宮はおれの瞳を三度、見つめてきた。

「そういうことだから、今は痛まないからって無理しちゃダメよ。痛みがないだけで体の状態は全っ然良くなってないんだからね」

「う、うん。気を付けるよ」

「それならよし」

 鷲宮は満足気に頷くと髪を乾いた空になびかせ、スッと指をさす。

「来たよ」

 言われるまで気が付かなかったが、パトカーのサイレンの音が随分と近くまで来ていた。やがて規則正しく回転する赤色灯が式典の会場となったオペラ館もとい体育館正面の南門を物々しく埋め尽くしている。ドアを開く音がするとほぼ同時に地面を蹴る軽快な足音が慌ただしく錯綜したかと思うと、ぞろぞろとプロテクターを身に着け「POLICE」のロゴの入ったライオットシールドを携えた黒い集団が門の近辺を固め始めた。

「誠、これって何か勘違いされていないか」

「無理もないだろ、同い年くらいの女の子を地面に転がして囲んでいるんだぞ?誰が見てもこの状況だと今回の実行犯の一味だろ」

 まだ銃こそ向けられていないが、やはり誠の言う通り警官隊の人々はおれたちが今回の騒動の一員であると思い込んでいるらしく、その目はどれを見ても研ぎ澄まされた刃のような剣呑さを纏っている。

 完全に黒であると判断する材料がない手前、少し動けば狙撃されてしまうということはないだろうが、常識的に考えておれたちが事件に巻き込まれた立場にあると説明してもすんなり理解してくれるとは思えない。どうやって、この誤解を解くべきか・・・。

「おい鷲宮」

 頭を悩ませているうちにも隣にいた少女は大胆にも南門の方へと歩みを進める。

「私が呼んだのよ」

 こちらに目配せをした鷲宮は再度、警官隊に向き直り大きめに息を吸い込んだ。

「おじさん、もうこっちは片付いたよー!」

 鷲宮の肺から吐き出された声はスピーカーでも使ったのか、それとも何らかの魔術で拡声したのかと思えるほどに大きいもので、彼女のすぐ側にいたおれも誠もとっさに歯を食いしばって耳を塞いだ。

 俯いていた顔を上げると、先ほどまで目立った動きのなかった警官隊の一群は慌ただしく動き始め、やがていくつかのグループになって異なる方向へと駆け出していった。姿勢よく走り去っていく彼らの背中を見つめていると聞いたことのない声がした。慌てて振り返ると、そこにはグレーのスーツを着こなした中年の男が残りの警官隊に指示を出していたところだった。

「では、頼んだ!さてと」

 辺りに他の関係者がいなくなったことを確認して、男性は声をかけてきた。

「いや、大変だったね。大丈夫かい?」

「私は見てのとおりよ。ただ、こっちの人は病院で検査してもらう必要があるかもね。かなり無茶する体質みたいだから」

 ――いくらおれでもそんなことはしない。そう思って首をすくめて抗議の意を示してみるが効果はさほどないようだ。

 おれと誠は口を開く間もなく、この後に病院で検査を受けるという話がトントン拍子で進んでいく。

 しばらく二人で事件についての話をしていたが、やがて鷲宮のおじとおぼしき男性はおれと誠に向き直り今後のことについて説明をしてくれた。と言ってもやることは主に二つだ。一つはやはりこの後に病院に行き検査を受けるということ。そしてもう一つは警察からは日を改めて事情聴取を受けることになるということだった。

 話し終えた鷲宮のおじはおれたちの肩にゆっくりと手を置き

「杏奈を助けてくれて本当にありがとう」

 掠れるような弱々しい声で囁いておれたちに背を向けて去って行った。

 自然と息が口から零れる。張りつめていたものが一気にほどけ、体中から倦怠感が溢れてくる。今更ながら込み上げてくる空腹感に気がついた。

 あれほどの騒ぎがあったにも関わらず奇跡的にポケットから落ちることも、衝撃により破損することもなかった携帯端末を取り出す。

 道理で腹が減るはずだ。我ながら呑気なものだと自嘲してみる。

 時刻は14時を回ろうというところだった。



「ほんっと、退屈しない大学生活になりそうね」

誰に語るでもなく少女は呟いた。落下防止用の柵に体を預け、空を仰ぐと数多の星が視界一杯に広がった。

満点、とまでもはいかないけどそれなりに綺麗な星空ね。80点かしらね。

心の中でそんなとりとめのない採点をしながら、今日あった出来事に思いを馳せる。起こった出来事と言えばそこまで多くはないのだが、その一つ一つが非日常的なものだった。

今でもはっきりと脳裏に焼き付いて離れないワンシーン。

そのシーンの主人公は紛れもなく同じ大学の男子学生、大峰亮介だ。

――宙を舞って着地した彼を襲撃する男の素早さ、判断力は敵ながら見事なものだった。分相応の実力を持つ学生ならば抵抗する間もなくあの男の突進をまともに受けて、何もわからないまま天を仰いでいたことだろう。

男の初動を目にした時、私は行動中の男に攻撃を浴びせることを諦めた。不意打ちが通用するのは最初の一撃のみ。慌てて魔術を組み立てて不発に終わってしまうことはもとより、せっかく発動しても外してしまっては全くもって意味がない。

正確に狙い撃つには――奴の動きは速すぎた。

少なくとも私の目では捉えることだけで精一杯だった。地面を蹴りだした、そう思った時、7メートルはあったであろう二人の距離は既に腕を伸ばし合うとぶつかり合うほどにまで肉薄していた。

――信じられない。

単純で率直な感想だが、他に形容のしようがなかった。

しかし、それも刹那。

次の一コマ、私は起こった出来事を完全には把握できなかった。

微かに彼の口元が動き、再び閉じられる。そこまでは確認することができた。

けれど――そこまでだった。

気がつけば男の体は突進してきた方向に吹き飛び、彼は右足を振り抜いていた。単純に考えれば大峰亮介が男を遥かに凌駕するスピード、目でとらえることのできないレベルの瞬発力を発揮し、その驚異的な威力を持った蹴りを力の限り男に叩き付けた、というシナリオになる。

男が使っていたのは間違いなく、Strength of Personal Ability頭文字を取って通称SPBと呼ばれるものだ。直訳すると「個人的能力の強化」。このことから分かるように使えるとかなり便利な魔術である。例えば、あの男のように筋肉を強化して瞬間的にスピードを上げたりすることもできるし、バードウォッチングをしたいのならば色覚と視力を強化する式を組み立てればいい。

汎用性が高い魔術ではあるが、現在、発見されている魔術の中でも難易度は高い部類に属する。その上、生まれ持ったこの魔術に対する適性がない者には扱うことすらできないという特典付きなためにSPBの使い手はそう多くない。

でも、ここで大切なのはSPBを発動させるには「準備の時間が必要」だという点。一般的な魔術と比べても煩雑な発動手順を要するのがこのSPBだ。全てのフレーズを言い終えるのに必要な時間は最低でも5~6秒かかるとされている。そのため、すでに接近戦での戦闘が始まってしまうとなると利用はほぼ不可能である。

少なくとも、彼が男の攻撃を回避した程度の浮遊時間ではスペルの半分ほどまでを読み上げることで精一杯だろう。

しかし、彼はSPBの掛かった捨て身の突撃を上回る身体能力で避け、男を仕留めた。それを可能とした魔術は事件から数時間たった今も私の中には一つしか浮かんでこない。

―――トレード

 自分の体に電流を流し、神経間の情報のやり取りをスムーズにし、筋肉を刺激することで運動能力や情報処理能力が格段に向上するというものだ。能力の上昇幅は電流の強さに依拠するところが大きいが、その最たる特徴はフレーズの短さにあるらしい。SPBの発動には5~6秒ほどかかるが、トレードでは約0.3秒。発動に要するフレーズはたったの1単語。ものにすることができれば、まさに即効で速攻の切り札になることは想像に難くない。

 けど―――

 そこまで考えて、胸に溜まっていた淀んだ空気を一度に吐き出した。

いつの間にか落ちていた視線を空へ向けると、そこには数分前と違わずに爛々と輝く月がある。雨が降らなくてよかった。

金網の奥に見える夜景に目をやりながら再び思考を巡らせる。

そう、トレードを使うことができる魔術師は現在では、ほとんどいない。理由は主に、その副作用にある。この魔術は瞬間的に術者の能力を底上げする代わりに、全身に耐え難い激痛をもたらす。私自身は試したこともないので、その苦痛を表現することはできないが、ある文献によるとかつての拷問以上のものになるという。

そんなわけで、トレードという魔術の発動方法は実戦でも使うことは困難、尋問のために使うことも論外ということで半世紀ほど前に破棄されたはずだ。何故、そんなものを知っているのか、という疑問もさることながら想像を絶する精神的なタフさというものは私の常識では計り知れない。

全く、なんて人だ。

始めて魔術に興味を持ったのが10歳の頃、そこから魔術に魅せられ熱中した。中学時代には常に上位10名に名を連ね、高校時代の中盤から向こうは不動の1位を叩き出し続けた。周囲や学校の先生からは同世代では並ぶものはいない、ともてはやされていたが……

やはり広い世界に出てみるべきだ。私の使えない魔術を使える魔術師はごまんといる。私以上の実力を持つ同年代の魔術師は、いくらでもいる。高校の頃にあった魔術に対する絶対的な自信は入試の結果によってひび割れ、今回の一件で粉々に砕け散ったといっていい。

入試の成績――

総合順位1位

一般科目順位1位

ふと、脳内を駆け巡るのは北ノ背大学入学試験の結果を通知する一枚の紙切れ。

一般科目・総合科目で首席に立てたことは想定外中の想定外。まさか、私が入試でトップの成績をマークするなど、誰が想像できただろうか。感極まり、喉の奥で声にならない空気が痛いくらいに震えた。

魔術学部を取り入れた最初の大学ということもあってこの大学の魔術学部の人気は他の大学とは比べ物にならない。となれば、優秀な頭脳を持つものたちがその中に紛れ込んでいることは必然。しかしながら、彼らを抑え首席の座を勝ち取ったのは他でもなくこの私だった。あまりの衝撃に現実を受け入れられないとはこのことか、と部屋でしばらく立ち尽くしていた。

残る成績は、魔術科目の順位のみ。

――地元の人々からは太鼓判を押され、同年代では敵なしと言われた私の得意科目。誰にも負けない、負けるはずがない絶対的な自信が私にはあった。

一般科目での結果は涙が零れ、声がつっかえるくらいの驚きを私にもたらしたが――魔術科目の順位はそれ以上の衝撃を私に与えてくれたのだった。皮肉にも。

魔術科目3位

最後の折り目を開けた瞬間に視界に飛び込んできた文字列だ。

体は脱力し、膝から崩れ落ちる。フローリングの床に膝を打ち付けたが気にもならない。両手をついて床と向き合うが、視界がぐにゃりと曲がり焦点が定まらない。

10秒、10分?それとも1時間?どれくらいの時間動けなかったのだろうか。時計を見ても、正確な時間が把握できない。

思考は完全に止まり、自分が何故涙を流しているのかさえ分からなくなっていた

真っ白で、透き通るような上質紙に写った文字列は私の思考を奪い去り、底知れない動揺の渦に放り込んだ。

そう、今目の前に広がる街のような。のっぺりと昏く、沈んだら這い上がれないような不気味さを持つ闇のような。

……気がつけば、体が芯から冷えている。軽く頭を振った、閉じ込めていた記憶を頭から払拭するように。

4月の初旬とはいえ、この時刻に長時間薄着で外に出ているのだから無理もない。せめてもう一枚、カーディガンでも着込んで来ればよかったと思うが、今更取りに行き戻ってきたとしても今一度黄昏る気にはならないだろう。

ならば、長居は無用。そう思い至る。

病棟に入ろうと踵を返してみると妙に賑やかな都会の風景に目を細めるが、歩みが遅れることはなかった。

 



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