友葉学園『あの夏の犠牲者―心―』
昨日も今日も炎天下、もう外の気温は30度を軽く超えるようになったらしい。カーテンを開けるだけでも熱気が伝わってきて、病院のベッドの上から動きたくないと思ってしまう。
まあ僕がいつも過ごしている人生は昨日も今日もあの時の延長戦、ああもう……あの時の顔も思い出せないや。
「辛気臭い顔してるわね、そんなんじゃ治る病気も治らないわよ」
彼女が来た、僕が通っている、というよりも通っていることになっている友葉学園の生徒会長だったか、二条院栞って名前の人だ。
生徒会長だからお見舞いに来たと言って何度か来られてるから流石に覚えた。
生徒会長としての仕事とかもあるだろうに、よくこんなところに来るもんだ。
「栞さん、またきたんですか?」
「ええ、生徒会長ですから」
いつもこの返事、この人が来たときはあまり楽しくない。同じことのループみたいに感じて、初めて来た日のことをもう一度繰り返してるような気分になる。
どうせ何も覚えてないのならもう一度覚えればいい。そんな謎理論で色んなことを教えに来る。学校であったこと、勉強、自分の気分、僕が友達になれそうな人。
本当に覚えたい、思い出したいこと以外のことならなんでも教えてくれる。
「また、誰かの顔を描いてたのね。これはナースさんかしら? こっちは院長さん、これは……誰かしら?」
「昨日の検診で僕の一つ前にいた人です、病室の番号は知りません」
「へえ、すれ違っただけなのによくこんなに繊細に描けるわね。でもこれは描きかけかしら、顔がないわ。誰なの?」
「誰でしょうね」
僕は苦笑いしながら答える。その顔のないその人は、僕の記憶の中に唯一ある顔のない人。その顔は一体どこへ行ったのか、記憶の片隅にも存在しない。
「じゃあ、私を描いてみて!」
「じゃあ一時間くらい微動だにしないでくれますか?」
そう言うと彼女は固まった。そりゃあ無理なのはわかってる、デッサンの模型やモデルじゃないんだからな。
それに先に行っておくけど、今のは冗談だ。僕は生まれながらに一度見た人の顔は正確に描くことができる。
「紙と鉛筆をください」
そう言って手を出すとそっと手に紙と鉛筆を置いてくれた。それを持って五分くらいでササッと描いて見せると、彼女は拍手して喜んでくれた。
「体調が優れないので悪いですけど、そろそろいいですか?」
「え、ああごめんね居座っちゃって。また来るわ」
それだけ言って彼女は手を振って病室を出ていく。ドアが閉まると一気に脱力してしまった。あの人と話していると何か違和感のようなものがあるから苦手なんだ。雰囲気は悪くないしルックス、スタイルともにいい。でも僕はどうしても苦手な面がある。
「まあいいや、昨日も今日も一人ぼっち。変わらない夏の延長戦っていうよりも、予想外のことが起きたロスタイムって感じだ」
紙と鉛筆を手にとって、適度に丸い輪郭に適当な髪型を決めて付ける、たったの一分で終わる。でもそれ以上に鉛筆が進まない。時計を見たら夕方の八時を示している。
どうも手が止まったまま三十分ほどぼーっとしていたらしい。早いけどすることもないし、そろそろ寝よう。
そして横になった僕は、そのまま眠りに落ちた。
『一人ぼっちだ』
『ああ、一人ぼっちだ』
『違う、一人ぼっちになったんだ』
『彼の頭の中にはまだ、彼女がいる』
『思い出せないか、彼女も一人ぼっちだったからな』
『一人ぼっちが集まっただけの空間に、夏の炎天下が指す』
『あの時終わったはずの夏の延長戦をいつまで続ける?』
『早く打ったほうがいいぞ、その延長戦に強く終止符を』
『人生の延長戦に頼るようなものに、その体をやる価値はない、彼女に渡せ!』
『彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ彼女に渡せ』
「うわああぁぁぁ! はぁ……はぁ……」
恐ろしい夢を見てしまったみたいだ、全身から嫌な汗をかいている。時計が示す時間は午前三時、昼の熱気が残りながらも真っ暗闇の空がカーテンの隙間から見える。
しかもあの恐ろしい夢と一緒に思い出したのは、恐ろしい現実。
僕が病院にいる理由――それは一年前の交通事故が原因だったんだ。
暴走車に轢かれそうになっている少女を、飛び出して助けたら、次は僕の背中に衝撃が走って後ろから嫌な音が聞こえた。たまたま一緒歩いていたクラスメイトの女の子が、僕の代わりに轢かれた。
内蔵が弾けて、四肢はちぎれ飛び、道路が赤く染まった。それを見て気を失ったらしい。
僕はそれから急な発作に襲われて昏倒するようになり、特別学級に移ってこうして調子の悪い時は病院にいる。
「寝よう」
嫌なことを思い出さないように、まぶたを強く閉じた。
「ああ、いい朝だ」
昨日もう一度夢を見た。そこに彼女が出てきた。彼女は体をなくしてしまったと泣いていた、もう外には出れないと言って泣いた。
それがまだ聞こえる、夢じゃない。幻聴じゃない。
胸の奥から聞こえてくる、彼女の顔を思い出せないのは当たり前だったのかもしれない。思い出してしまったらダメだったんだ。
この体は僕のものじゃなかった。
僕の体を手術した医者に聞いたところ、車との衝突を避けた僕はコンクリートの道路に頭をうち、不運にも車の部品が心臓に刺さりほぼ即死したらしい。だから原型をとどめていない彼女体に、まだ使える僕の骨や肉を継ぎ足して、まるでフランケンシュタインの怪物みたいに作ったと言われた。
二人の命を総動員して繋ぎ止める事のできた命、オカルト的な話になるけど、主人格はなぜか脳のある彼女ではなく僕、彼女は精神だけの状態で僕の中に存在している。時々話しかけてくることもあるし、僕の知らないことも知ってるからこれは結構便利かもとも思えた。
ただ体をなくした彼女の顔は、とても寂しそうに思えた。