ヒューとヴァレリー
「おはよう、ヒュー!今日もいい天気ね!」
ヒューバートが馬の姿に変わってから2か月経ち、季節は春から初夏になりつつあった。日差しが強くなって、ヴァレリーの鼻の頭は日に焼けて赤くなっている。
先週初めて鞍を着けられた。背嚢を担ぐような気分で思ったよりも違和感はなかった。
今日も鞍を着けられ、厩舎から連れ出された。
「ヴァレリー、まさかコイツに乗るのかい?」
馬を引くヴァレリーの後を心配そうに付いて来た若い男が言った。
「そうよ、ベン。」
ベンと呼ばれた男はヴァレリーの幼馴染らしかった。気性の荒い黒馬(ヒューバートの事だ)がいつヴァレリーを襲っても彼女を守れるようにずっと彼女の様子を気にしながら他の馬を世話している。
そこに少なからず主人や幼馴染に対する以上の感情が混じっている事をヒューバートは感じて、彼を好きになれなかった。
「時期が早すぎるよ、もう少し様子を見ないと…。コイツがどんだけ暴れたか知ってるだろう?」
ベンはヴァレリーを止めようとヒューバートの手綱をヴァレリーの持つ反対側から掴み引っ張る。ヒューバートは苛ついてぶるぶると頭を振ってベンの手から逃れる。
「ほら見ろ。警戒心むき出しじゃないか」
それ見たことかと言うベンを押しのけてヴァレリーはヒューバートの頭を抱きしめる
「そんなことないわ。ヒューは賢くて良い子よ。」
そしてヒューバートの鼻づらを優しく撫でて額を当てた
「ね?」
この瞬間ほど、自分が馬の身であってよかったと感じたことはないとヒューバートは思った。
彼女が眩しすぎて、頬が赤くなったことが黒い毛並みに隠れて気づかれないだろうから。
ついて行くと言い張ったベンを置いてヴァレリーはヒューに跨った。
背中にある重みは大したことない。乗馬に慣れたヴァレリーはヒューバートの走ることの邪魔にはならなかったし、久しぶりの屋外での運動に足取りも軽やかにギャロップを踏んだ。
彼女はヒューバートの背中で笑った。ヒューバートが跳ねるとはしゃいできゃっきゃと笑い声をあげ、それを聞いてヒューバートは調子に乗って何度も跳ねる。
夏の日差しと草原と白いシャツが彼女の美しさを引き立てている。
ドレスを着て縮こまっている婚約者とは別人のようだ。
今なら、彼女とパーティーで顔を合わせれば笑って会話を楽しむことが出来るだろう。彼女は馬が好きだから、遠乗りに誘おう。
そこではたと気づく
(俺は、『死ぬ』までこの姿のままなのか)
2か月経っても姿は変わらず、かといって『人間』であったことは忘れずに馬として暮らしている。このまま一生を馬として終えるのか。
そしてヴァレリーの言う子爵様がヒューバート・ダンヴィルであるならば、この俺は何なのだ。と突然気づいた事実に愕然とした。
「ヒュー?」
歩みを止めた黒馬にヴァレリーが首を撫でる
「疲れてしまった?」
ヒューバート・ダンヴィルは彼女の本当の笑顔を見ることが出来ないのか。