ヴァレリーという女:2
それからヴァレリーは毎日欠かさずヒューバートの居る厩に足を運んだ。
競走馬や競技用の馬を多く育てている男爵家の所有する土地は広く、厩舎はヒューバートのいる厩だけではなく他にも数か所あるようだった。ヴァレリーは他の厩舎は厩番に任せ、専らヒューバートを世話しに早朝からこちらにやって来る。
未だに厩の男たちの手を警戒している黒馬は自分の体を触られるのを嫌って暴れるのだが、ヴァレリーが触るのだけは渋々だが受け入れているようだった。
体は馬だが精神は人間のヒューバートとしては婚約者であるヴァレリーに世話をされるのも何故だかむずむずするのだが、この姿では背中が痒くても掻くことができないので仕方なくブラッシングさせてやっているのだ。と自分に言い聞かせている。
ヒューバートの居る厩は現役を退いた老馬や体調の悪い者、そしてヒューバートのようにまだ調教のできない馬などを入れていて、ほかの厩からずいぶん離れた静かな場所にある。周りは長閑な風景が広がっていた。
鼻歌交じりにヒューバートにブラシをかけているヴァレリーはパーティーで見たあか抜けないドレスではなくシンプルなブラウスと乗馬用のパンツとブーツを履いている。
朝日の光に金色の髪は輝き、色白の肌は太陽を浴びて桃色に見えた。
薄暗いパーティー会場で見た辛気臭い少女と同一人物とは思えなかった。
「そうだわ。あなたに名前を付けなくてはいけないわね。」
ヒューバートの首元を撫でながらしばらく考えて、ヴァレリーはつぶやいた。
「ヒュー」
彼女の唇がヒューバートの名前を呼んだことに驚いた。
「…というのはどうかしらね?」
ヴァレリーは少しはにかんで続ける。
「初めて子爵様にお目にかかった時にね、わたしの名前と子爵様の馬の名前が一緒なのだと伺ったの。」
そういえばそんなことを言ったような気がする。とヒューバートはわずかな記憶を手繰り寄せる。
「子爵様…。『美しい名前だ』って言って下さったの。『私の馬と同じ名前だ』って。」
頬を染めて馬であるヒューバートに告白するヴァレリーだが真相は違う。
ヒューバートは「美しい馬」と同じ名前の人間だ。と嫌味を言ったのだ。
「氷の貴公子だなんて呼ばれているけど、きっと良い方なのよね。あなたのような綺麗な馬をプレゼントして下さるのですもの。」
馬を送ったのも競走馬を多く育てている男爵家に「お前たちにこんな美しい馬を育てることが出来るか」といった悪趣味な嫌味だった。
「…馬を好きな方に悪い人はいないわよね。」
あまりにも純粋に笑う婚約者にヒューバートはぶるると唸る事しかできなかった。