ヒューバートという男:2
「よし、いいぞ。今のうちだ」
野太い男の声にヒューバートが目覚めると、何故だか身動きが取れなくなっている。
首や肩に皮の紐が巻かれて、動きを拘束されていた。
(何をする!放せ!)
必死で暴れても紐は容易に外れない。猿轡をかまされているのか声も上げられず唸るしか出来ない状態だ。がたんがたんと重い木の板が音を鳴らす。
ヒューバートの周りにいた男たちはほとほと呆れた様子でヒューバートを遠巻きに見る。
「こんなに言うことを聞かないのでは…。」
「しかし、子爵様からお嬢様との婚約祝いでいただいたものだろう?」
(何の話をしているんだ?)
ヒューバートはそこで男たちが遠巻きに自分を見ているのではなく、自分の目線が高くなっていることに気づいた。
高く、そして広い視野。
目の端に見えるのは黒い前髪と毛むくじゃらの黒い鼻。息をするとぶるると鳴いた。
「うわ、また暴れだしたぞ!」
男たちが二人がかりで綱を引っ張る。負けじと首を左右に振って男たちを振り回す。
「このっ!大人しくしろ!」
鞭で叩いた男には蹴りを応酬する。細くてしなやかな足が男を蹴り倒すのが見えた。
なんということだろう。
ヒューバートは黒い馬になっていた。
どこかの屋敷の厩につながれている。
手綱は遊びを持たせずぴんと張った状態で両端に鎖で繋がれ、足には重りをつけられて蹴り上げできないようにされた。
それでもどうにか逃れようと暴れるのでしばらく水を与えられず意識も朦朧としてきた。
悪い夢なら早く覚めればいいのにと願いながら、目が覚めても己の体は黒馬のままだった。
男たちとの攻防戦が一週間ほど続き、お互いに満身創痍で迎えた八日目。厩舎のリーダーであろう中年の男が渋い顔でつぶやいた。
「いくら子爵様からのいただきものでも、こうも言うことを聞かないのならこいつをお嬢様に差し上げるわけにはいかん。」
「そうだな。…事情を説明して、子爵様には別の贈り物をしていただくようにお願いしよう。」
どうやらヒューバートはその「お嬢様」の馬になる予定だったようだ。馬に乗る自分が馬になって人間を乗せることになるとは喜劇だとしても笑えない。
「それで、こいつはどうする?」
「この厩舎は手狭だからなあ。…これ以上馬が増えても管理できんし。」
「仕方ないが処分するしかないか。」
(処分)
「そうだな。…まだ若い馬だから肉も食えるかもしれない。」
「皮もよさそうだ。艶のある黒色だ。」
男たちの手が今までにない優しさで自分の肌を撫でる。ヒューバートは忍び寄る死を感じ、最後の力を振り絞って両腕(前足ともいう)を振り上げた。
(冗談じゃない!こんなところで、こんな姿で死ねるもんか!)
「また暴れ始めたぞ!」
「くそ!まだそんな元気残してたのかよ!」
男たちが悪態を付く。ざまあみろだ。
「仕方ない。銃を持ってこい!」
(なんだと!?)
リーダーが部下に命じて持ってこさせたのは麻酔銃ではなく、猟銃だ。
ヒューバートは前足をがつがつと土に叩きつけ、苛立ちを露わにする。手綱はしっかりと鎖に繋がれているし、左右にそびえる壁はヒューバートのすぐそばにあり、運よく避けることもできないだろう。
じりじりと時が過ぎ、リーダーが銃に弾を装填するがちゃんという音が長閑な厩舎に響いた。
ヒューバートは心の中でくそったれと思った。今まで傲慢に生きてきた報いなのだと思ったが神もなかなか意地の悪い奇跡を起こしてくれたもんだ。
猟銃の筒はヒューバートにまっすぐ向いている。逃れられない。諦めて目を閉じた。