ヒューバートとヴァレリー
うなだれているヴァレリーの後ろから足早に歩いてくる人影があった。
すらりと背の高い男、ヒューバートだ。
逞しい体にフィットした三つ揃えをまとった彼はヒューの傍らにいるヴァレリーに気付くことなく白馬に鞍を着け始めた。
「あの…。もう、お帰りになるのですか…?」
控えめに声をかけたヴァレリーにやっと気付いたヒューバートは「君か」とだけ言って鞍を着ける作業を再開する。
「ま、待って下さい。その白馬、蹄を痛めているのでしょう?それに、先ほどまでレースに出て…あの、もう少し、休ませてあげてはいかがでしょうか…?」
ヒューバートは綺麗な眉を片方だけ器用に上げてヴァレリーを一瞥する。
睨まれたヴァレリーは一瞬怯んだが、白馬を気遣って説得を続ける。
「その…、会場の皆さまも、主役がいなくては残念がりますわ。」
ヒューバートは「はっ」と嘲るように笑った。
「まさか」
背後の喧騒がやけに虚しく厩に響いている。
「見ろよ。会場の灯りは俺が居ようが居まいが夜明けまで消えることはないし、お客様どもは商売やら恋愛ゲームだのの話で大忙しだよ。今にこの馬をいくらでどのブリーダーに売るかって話で盛り上がるのさ。」
そうしてヒューバートは鞍のベルトをしっかり締めると「もうひと頑張りしてくれるか」と白馬の鼻面を優しく撫ぜた
白馬は長いまつげを伏せながら、了承したと言うようにぶるると応える。そしてヒューに向かって(いいのよ。)と淡く笑った。
「今更、誰に何を言われようと俺は構わない。だが、何も悪くないこいつだけは、金の道具にさせたくないんでね。ここから逃げ出さなくては。」
白馬の頬に額を当てて、独りごとのように呟いていた。
しばらくじっとしていたヒューバートだったが、「君に話す事でもなかったな。」と曲げていた背中をしゃんと伸ばして鐙に足をかける
「で、では、わたしの馬に乗ってくださいませ!」
「は?」(は?)
ヒューバートとヒューが思わずヴァレリーの方を見た。
「わたしの馬は元々ヒューバート様の下さった子です。ヒュー…と言いますの。この子はとっても早く駆けますわ。ヒューバート様がどちらにお逃げになるのか分かりませんが、この子ならどんな追手からも逃げ切れることでしょう!」
「いや、しかし」
ヴァレリーは興奮で赤くした顔のまま続ける
喋っているうちに考えがどんどんまとまっているようで、止めようとするヒューバートも見えてない。
「白馬のヴァレリーはわたしにお任せください。わたしの家には優秀なスタッフが沢山おりますの。一度大叔母様のお家に連れ帰ってから翌朝には実家に戻って治療に専念いたしますわ!ヒューバート様はお逃げになった後、わたしの家に来ていただければ…」
と、そこまで一気に喋ったところで、自分が淑女としてかなり大胆な発言をしていることに気付き、そばかすの浮いた白い胸元から耳まで真っ赤にさせる
「あ、あの、わたし。そんなつもりじゃ…、あの。」
ぽかんとしたままヴァレリーを見ていたヒューバートはまたも「はっ」と笑ったが、その顔は先ほどと違って少し和らいだように見えた。
「婚約者殿。君は案外…」
笑いを堪えるように話すヒューバートだったがその表情が消えた。
一キロ先からでもわかりそうな香水のきつい匂いが風に乗ってやってきて、そして一人の人物が現れた。伯爵令嬢だ。
早朝見かけたときに比べて肌はかさつき、隈のある目は妙にギラついていた。
「あら、ヒューバート様。どちらへ行かれたのかと思って探しておりましたのよ。」
令嬢は厩の臭いに顔を顰めながら近づいてくる
「そら。金好きのバカ女がおでましのようだ」
ヒューバートはヴァレリーに聞こえるぐらいの小さな声でつぶやいた。




