第四話 炎上
己の持てる全速力で森を駆け、里へと急ぐ。
これほど全力で走った事はないというくらい、ただひたすらに、ただがむしゃらに。
息が切れても、足がもつれてきても関係ない。
早く。速く。疾く。迅く。
皆の命が摘み取られてしまう前に--!
どれくらい走ったか……気が付くと遠目に、煙が上がっているのが見えた。里の方角だ。
ドクン、ドクンと心臓が跳ねる。
(頼む、皆無事でいてくれ……!)
******
炎に包まれる民家。
見知った里人達の死体。
その死体を貪る大量の鬼達。
里は、地獄絵図だった。
「……よう、ユヅキ……無事、だったか……ゲホッ……」
「……シュウ、シュウ!」
地面に仰向けに倒れていたのは、里を出る時に話していたシュウだ。
周りには何匹かの鬼の骸--
そして、ケイタやサブの遺体も横たわっていた。
視線を下に下げると、シュウの下半身が……なかった。
「ははっ、ヘマっちまったよ……こんな事、なら……ちゃんと鍛錬しとけば……良かったな……」
「もう喋るな……シュウ……!」
シュウの身体を抱き起こす私の目から、涙が零れ落ちる。
「……ばっか……早く、逃げ……」
言い掛けたまま、シュウは私の腕の中で息耐えた。
「……ぁああああああーーーっ!!」
絶叫が、里に木霊した。
******
『ゲハハハハ、ヨワッチイ奴シカイヤシネエゼ!』
『マッタクダナ兄弟、ハゴタエナサスギダゼ!』
数十匹の鬼達の中でも特に大きな、牛の頭と筋骨隆々とした肉体を持つ二匹の鬼……牛鬼達が、棍棒や斧を片手に里人の亡骸を踏みつけていた。それぞれの武器には、ベットリと血が付着している。
その二匹の元へ、フラフラとした足取りで一人の少女が歩いていく。
「…………貴様ら……その汚い足を今すぐどけろ」
俯きながら言い放つ。
二匹の牛鬼はそれを聞き顔を見合わせると、盛大に笑いだした。
『ゲハハハハァッ! アタマデモワイテルノカ? テメェモコノ棍棒デツブシテヤラァ!』
二匹のうち一匹が、私目掛けて棘のついた巨大な棍棒を叩きつけた。
私はそれをかわして牛鬼の懐に入ると、振り下ろされた牛鬼の腕を一刀両断した。
『グギャアァァアッ!!? オ、オレノ腕ガアァッ!!』
『コノヤロウッ、フザケヤガッテ!』
もう一匹の牛鬼が、巨大な斧で横なぎに斬りかかってくる。私は姿勢を極限まで低くして前方に走り、頭上スレスレで斧をかわすと、突進した勢いそのままに牛鬼の腹部に刃を突き入れた。
『ゴハァッ!! バカナ、ニンゲンノブンザイデェェ!!』
「……貴様らはいつもそうだ。人間の分際で、たかが人間が……そうやって、罪のない人達の命をいくつ奪ってきた? 私達は家畜じゃない。大人しく貴様らの餌になると思うな……」
私は返り血を浴びながら、ゆっくりと顔を上げた。その双眸には、憎悪が色濃く宿っている。
「今度は私が貴様らを、狩り尽くしてやる!!」
二匹の牛鬼目掛けて走り出す。二匹の牛鬼は傷つきよろめいているものの、生命力が強くまだ動けるようだ。
先ほど傷つけられたため、二匹は慎重に連携を取りながら拳を叩きつけ、斧を振りかざして来た。
また、周囲をうろついていた屍鬼級の鬼達も集まりだし、同時に襲いかかって来る。
私は修羅の如き動きでそれらをかわしながら、鬼達を斬り刻んでいった。
二匹の巨体と、屍鬼級の鬼達の骸を見下ろしながら息を切らせる私の方へ、一匹の鬼が近づいてくる。
「……これは驚きだ。お前はなかなか強いな……お前ほどの剣士の肉であれば、ラシャ様への献上品にふさわしかろう」
線の細いその鬼は、両手に鉤爪を装着している。
……爪を見て、先ほど森で会ったあの紅い鬼の嘲る顔を思い出し、拳を握り締める。
雰囲気からして、明らかに今倒した二匹の牛鬼よりも格上の鬼だ。おそらくは獄卒級だが、その中でもかなりの実力者だろう。
だが、関係ない。私は全ての鬼を殺すのだから……!
「いくぞ小娘、覚悟を決めるがいい!」
鉤爪の鬼が一瞬で眼前に迫る。
速い。鉤爪が下段から繰り出される。
刀で鉤爪をいなすが、上段からも鉤爪が襲いかかる。
間一髪で後ろに跳び回避すると、鉤爪の鬼がすぐさま側面に回り込み、鉤爪で突きを繰り出してくる。
無駄のない動き。おそらく速さは私とほぼ互角だが、私は森での戦いや、そこから里への全力疾走、更に先ほどの二匹との戦闘で疲弊しきっていた。
だが、今の私を突き動かすものは鬼への憎悪だけ。
身体が疲れていようとも、鬼共が里を蹂躙し続ける様を黙って見ている事など出来ない。
この命尽きるまで、戦う事しか選択肢はないのだ。
「はあぁぁぁぁーーーっ!!」
気合い一閃。私は刃に炎を纏わせ、鉤爪の鬼の胴に斬りかかる。
だが、やはり疲れが祟ったのか、思うように踏み込みきれなかった。
浅い傷が鬼の胴に入るが、致命傷にはほど遠い。
ニヤリ、と鉤爪の鬼が笑った。
私の心臓がドクン、と脈打つ。
「終わりだ小娘、死ねぇっ!」
体勢の崩れた私の心臓を、鉤爪が深く貫いた。
「かっ……はっ……!」
吐血し、地面に倒れ込む。
血が体から流れ出ていく……力が入らない。
「お前は強い剣士だった……だが所詮はこれが、人間の限界だ。強者の糧となれることを誇りに思いながら死ぬがいい」
鉤爪の鬼が勝ち誇った笑みを浮かべる。
嗚呼……
結局自分には、何も守れなかった。
里も、里の人々も。
ケイタも、サブも、シュウも……
死んでしまった。
悔しい……
力のない自分が。
鬼共が勝ち誇り、のさばるこの世界が許せない。
だが……もう。
力が、入らな……
「……凍りつけ」
この、声は……
白髪の鬼……
私を食べに、わざわざこんなところまで追ってきたのか……
身体がパキパキと音を立てて凍りつき、みるみる冷たくなっていく。
なぜ、すぐ食わないのか……
……あぁ、そうか。
冷凍保存して、非常食にでもするつもりなのかもしれない。
所詮、私達人間など……鬼にとっては食料に過ぎない……
そんな事を考えながら、私の意識は途切れた。
「……なんだ、貴様は……?見たところ鬼のようだが……」
「………………」
「その小娘はラシャ様への献上品だ。悪いが、貴様に食わせるわけにはいかんぞ」
見知らぬ男に警戒しながら、鉤爪の鬼が少女を運ぼうと近づく。
だが、男は少女の前に立ち、その行く手を遮った。
「……なんのつもりだ?」
「悪いな……こいつは俺の獲物だ」
鉤爪の鬼が地を蹴り、男の眼前へと移動してくる。
「……貴様、ふざけるなよ。どこの馬の骨ともしれん奴に、我が主への献上品をやるわけがなかろう……去れ!」
鉤爪を男の顎先へ向け、威嚇してくる。
「……その主ならば、尻尾を巻いて逃げ帰ったぞ。お前達を置いてな……」
「あぁ!? 何を言って……」
そっ、と。鉤爪の鬼の肩に、男は手を置いた。
(……!!? ば、バカな……警戒はしていた……! だが、動いた気配など微塵も……!)
驚愕に見開かれた鉤爪の鬼の肩から、パキパキと音がする。
「なっ、なんだ、これは……身体が凍って……動かな……!?」
「お前に恨みはないが……恨むなら、お前の主を恨むんだな」
「……この力……ま、まさか……組織を裏切ったという、あの“白い羅刹”……!」
言い終わらない内に、鉤爪の鬼は全身凍りつき……息絶えた。
******
ひどく寒い……
身体がだるくて動かない。
これが……死か。
ここは死後の世界なのか……
死んでもなお、こんなに寒いなら……
やはり私は、死にたくなどなかった。
里の皆も、きっと今頃寒い思いをしているのではないか……
心臓が痛い。
身体は寒いのに、心臓の辺りだけが妙に熱くも感じる。
そもそも、死んだのに心臓が痛くなったり、熱くなったりするものなのか……?
何かがおかしい。
私は、死んだのではないのか……?
試しに、うっすらと瞼を開けてみる。
「……ぉ……目を……たぞ……!」
何か聞こえる。目が覚めたばかりだからか、よく聞き取れない。
「……丈夫か……おい、ユ……キ……しっかりしろ、ユヅキ!」
はっと目を見開く。
何人かの里人が、心配そうにこちらを覗き込む顔がある。
里の生き残りがいたのか……良かった……
ホッと息を吐く。起きあがって無事を喜びたいが、身体はまだだるく、動かない。
視線だけで辺りを見渡すと、どうやらここがまだ襲われていなかった民家である事が分かった。私は布団に寝かされ、他にも何人かの怪我人が横になって治療を受けているようだ。
生きていた。
死んでしまった里人もいるけれど……
まだ生きている人がいた。
私も、まだ生きていた。
しかし、何故……
私は確かに心臓を貫かれたはず……
あの鉤爪の鬼はどこへ?
疑問ばかりが頭をよぎる中、ふと視界に映った……白い髪。
「……何故貴様がここにいるっ!?」
白い男が私を見降ろしている。
里の生き残りを殺しに来たのか!
「皆、逃げろっ!!」
動かない身体を呪いながら、自分に出来る精一杯はそう叫ぶ事だけだった。