第三話 死神と小娘
大鎌がセツキの首を切断する。
はずだった。
だが、大鎌は空中で静止し……そのままガラン、と音を立てて地面に落ちた。まさか、セツキも念力を?
否……何か違う。よく目を凝らして見ると、大鎌の表面を何か白いものが覆い尽くしている……
あれは……霜?
「……貴様は強い妖力を持つものは操れない……つまり、俺の妖力で覆われたこの鎌を、貴様はもう操れない」
「……ようやく力を使いましたか。やっと楽しくなりそうですねぇ……!」
まだ葉群の結界は収まっていない。
依然として、セツキの不利は変わっていないように思えるが……
あの瞬間を乗り切ったセツキの“力”。
霜を発生させた……冷気を操る力?
セツキが手を前にかざし、妖力を解放する。するとみるみるうちに、宙を泳いでいた葉群が霜に覆われていき、辺りにパキパキと物が凍り付く音が響き渡る。
そのまま凍り付いた葉群が、次々と地面へ落下していった。
視界を覆うものがなくなり、ラシャの姿が露わになる。
それと同時に手裏剣が回転して襲いかかるが、これらもセツキに当たる前に凍り付き、地面に落下した。
(凄い……近づいただけで物を凍らせるほどの妖力! さっきあれを使われていたら、今頃私は……)
おそらく使われていたら、自分の炎で溶かそうとしても、妖力の差で押し切られて凍りついていただろう。
考えるだに恐ろしい。
私はその力を使うに値しない相手だったという事か。
命があったのはありがたかったが、剣士として軽んじられた事は悔しく、思わず拳を握りしめた。
その間にもセツキが冷気を発しながら、ラシャの方へ無造作に歩み寄っていく。
「ぬぅんっ!!」
ラシャが森の木々を念力で地面から掘り起こし、そのまま数十本の木を槍のように、次々とセツキ目掛けて投擲していった。
最初の数本の木が凍り付いて落ちるが、残りの木の勢いに押され、凍った木がそのままセツキへと雪崩れ込む。
だがセツキは押し寄せる木に飛び乗ってラシャの頭上へ跳躍すると、空中に氷の槍を形成し、ラシャへと投げ放った。
木の一本を操作して盾とし、それを防ぐラシャ。
セツキは地面へ着地すると同時に刀を振り降ろし、その木を縦に両断した。
真っ二つになった木の向こうから、額に斬り傷が走り鮮血が迸るラシャの姿が見えた。
「くっ……くぉおのぉぉ! よくも私の顔に傷をぉっ!! 殺してやるぅぁっ!!」
激昂したラシャが赤い爪に妖力を込めると、みるみるうちに爪が伸び鋭利な形状に変わる。
一瞬でセツキの背後に移動したラシャが爪で突きを繰り出し、セツキはそれを紙一重でかわした。突きは幾度となく繰り出され、そのことごとくをセツキはかわしていく。
だが次の瞬間、セツキの足元から念力で操作された木の根が襲いかかり、セツキの足を絡め取って動きを封じた。そして、セツキの右肩にラシャの爪が深々と突き刺さった。
「ぐっ……!」
足に絡まった根を斬り、後ろに跳びすさって距離を取るセツキ。傷ついた右肩を押さえ傷口を凍らせようとしているようだが、どうやら上手くいかないようだ。
「はっはぁ、無駄ですよ! 遠隔操作しているモノは本体の私から離れるほど妖力が薄まるので凍らせられるでしょうが、私の妖力を直接送り込んだその傷に妖力の上書きは出来ません! 万全のアナタならばこんな手傷は負わないでしょうが……やはり疲弊しているツケが回りましたね!」
「……!?」
ガクッと地面に膝をつくセツキ。
「ふふふ、効いてきましたね……そう、この爪には毒を仕込んであるのですよ。餓鬼程度なら即死させるほどの猛毒ですが、アナタ相手では動きを鈍らせるのが精一杯ですね……だが、それで十分!」
先ほどセツキが凍らせ、地面に落ちた鎌を拾いあげるラシャ。
「最初に宣言した通り、この鎌で首を斬り落として差し上げましょう! そして私はアナタを食し、更なる強さを得る!」
鎌を担ぎ、嬉々とした表情でセツキに近づくラシャ。その様はまるで死神のそれだった。
セツキの眼前に到達すると、死神はその無情なる大鎌の一撃を振り降ろした。
「ごふっ……!?」
吐血。
だがそれはセツキのものではなく、紅い鬼……ラシャのものだった。
訳が分からず、痛みの走る腹部へと視線を落とすラシャ。
すると自分の腹部から、鈍く光る尖ったものが……刀の先端が生えているのが見えた。
「……貴様らは私を見くびっていた……ただの人間の小娘と。居ても居なくとも何ら影響しない、脆弱な生き物と。その上貴様は、怒りで周囲が見えておらず、勝利への確信で油断していた。だから貫かれたのだ……たかが人間の小娘である、この私に!」
花の棘が、死神の命に届いた。
私の決死の刃が、ラシャの背後から心臓を貫いたのだ。
セツキが毒で弱り、ラシャがとどめを刺そうとしていた一瞬。
もしもラシャさえ倒せれば、残るのは弱った白鬼一人だけ。そうなれば自分でも、なんとか戦えるかもしれない。
この瞬間こそが私にとって唯一、里を救えるかもしれない好機だったのだ。
元々、自分より強大な力を持つ鬼を倒すために、鬼討ちとして私が初めて身につけた力は“気配を消す事”だった。何かに気を取られている者の背後を取る事は、得意とするところだったのだ。
「……! き、貴様あぁぁっ! 人間の分際でえぇっ! 許さん、許さんぞおぉ!!」
よろめきながらも激昂し、私目掛けて長爪を振り降ろすラシャ。
私はとっさに刀を背中から抜いて爪を回避し、距離を取った。
「ご、ぉ……がぁっ……」
傷口からボタボタと流れる赤黒い血を手で押さえながら、ラシャが念力で木を持ち上げ、私へと矛先を向ける。
「……貴様の相手は俺だろう、ラシャよ」
ラシャが私に気を取られた隙に、セツキがラシャの背中の傷口に触れていた。
「……っま、待っ……!」
「“氷鬼”」
傷口からセツキの妖力が流れ込み、パキパキパキッと音を立てながらラシャの身体が凍りつき始める。
「ひあぁぁぁああっっ!?」
ラシャが苦痛の悲鳴を上げながら後ずさる。
セツキが追撃しようと近づくと、ラシャは自らの衣服を念力で操り、ふわりと宙に浮いて二人から距離を取った。
「……今の妖力では、奴ほどの妖力の持ち主は凍らせきれないか」
セツキが溜め息混じりにそう呟く。
「おっ、おのれえぇぇっ、絶対に殺ぉすっ! 特に貴様、人間の小娘! 貴様だけは必ずやこの俺が、少しずつ手足をもぎ取りながらじわじわと苦しめて殺してやるからなあぁ……!」
息を荒げながら、まさしく鬼の形相で私を睨みつけるラシャ。
「なっ……確かに心臓を貫いたというのに、何故生きていられる……!?」
「……妖力の強い鬼は生命力が高い……心臓を一突きする程度では、命を奪う事までは出来ん。それこそ再生困難なまでに甚大な損傷を与えるか、首でも落とすかしないとな……」
淡々と告げるセツキの言葉に愕然とした。
獄卒級の鬼なら、心臓への一突きで葬った経験がある。
だが羅刹級との戦闘経験はないため、分からなかった。
里でもその知識を持つほどの鬼討ちはすでに里にいないため、教わる機会も失われていたのだ。
自分の決死の奇襲でも、あの鬼を殺す事は出来なかった……それどころか恨みを買ってしまった。
あの鬼が体力を取り戻した時、いつか自分は殺されるかもしれない。
だが、そんな不安を抱いていた私を、次の言葉が更なる絶望へと叩き落とした。
「ひははははは……! 安心しろ小娘……貴様のお仲間は今頃、先にあの世へ逝っているだろうさ……!」
「……え?」
何を。
何を言っているのだろう、こいつは。
私の仲間……
里のみんな?
「ここへ来る前、先行して森を偵察していた部下から報告がありましてね……この森の奥に里があると。しかもその里は、“あの”鬼討ちの里だというではありませんか。そんな我々にとって面倒でしかない存在は潰しておかねばと、大量の部下を向かわせておいたのですよ……! ふひっ、ひはははははははっ!!」
どおっ、と冷や汗が背中を流れた。
そんな。まずい、今の里には大量の鬼に攻め込まれて対抗出来るだけの戦力はない。
助けに。助けに行かなくては……!
私は踵を返し、里へと走り出した。
少女の背中を横目に、俺はラシャへと視線を移す。
「……貴様……」
「さすがにこの傷ではアナタを殺せませんねぇ……私は帰って傷を癒す事にします。ではさらばです、セツキさん! この雪辱は必ず、必ず返しますから楽しみにしていてくださいねぇ! ひゃっはっはっはっはっはっ!!」
嘲るように笑いながら、ラシャは空中を移動し空の向こうへと消えていった。
「…………」
後に残された俺は、少女が消えていった森の闇を無表情で見つめていた。