第二話 白い羅刹
(な……なんだ、こいつは……この、圧倒的な妖気は……)
思わず後ずさりそうになるのを懸命にこらえる。
鬼の中にも強さによって階級があり、餓鬼などは最下位の屍鬼級に属するが、屍鬼級以上となると普通の人間一人ではまず勝ち目がない。
中堅程度の力を持つ鬼は獄卒級と呼ばれ、牛の頭を持つ巨漢の鬼・牛鬼などは大きさにもよるが、大体獄卒級に当てはまる。
獄卒級は小規模な人間の軍なら一匹で壊滅させるほどの力と生命力を持つが、その中にもピンからキリまでおり、同じような強さとは限らない。あくまで大まかな目安なのだ。
更にその上ともなると獄卒級とは比較にならない、人が手を出してはならない領域の強さだ。歴史書に登場する国喰いの怪物などが正にそれに当たる。人は彼ら規格外の強さを持つ鬼を、畏怖の念を込め“羅刹”と呼んだ。
私はこれほどの強い妖気を感じたのは初めての経験だったが、まず間違いないと確信していた。
こいつは間違いなく、鬼の中でも上位に位置する存在……羅刹級の化け物だ。
「女、震えているな。分かるぞ、俺が恐ろしいのだろう? 何、安心しろ……すぐに楽にしてやる」
そうして白髪の鬼はゆっくりと、こちらに手を伸ばし近づいてくる。
その瞬間、道端に咲く一輪の花が手折られる光景が浮かんだ。
「……っ! うあぁぁあーっ!」
叫ぶと同時に抜刀。恐怖を発火装置にし、自身の最速のスピードで斬りかかった。
が、なんなくかわされる。
予想通りの展開。
だが本命は初太刀ではなく、第二刃にあった。
初太刀をかわして体勢が崩れたところにすかさず、左手に隠し持っていた小太刀を突き出す。
無駄のない動き。恐怖に呑まれそうなこの状況で、これほど動けるのは私としても驚きだったが、それは長年鬼討ちとして研鑽を積んできた、努力の賜物なのかもしれなかった。
だが、小太刀は届かなかった。
刃は白髪の鬼の指先につままれ、動きを止めていた。力を込めるがピクリとも動かない。
私は小太刀から手を離し、右手の太刀を下から繰り出す。
とにかく動きを止めない。止められない。少しでも守りに転じて距離を置けば一瞬で追いつかれ、やられるだろう。
相手の攻撃の威力を殺せるほどに肉薄しつつ、攻撃を加え続ける事しか、今の自分に許された選択肢はないのだ。それほどの相手。
「……こざかしい」
白髪の鬼が無表情のまま紅い双眸を細め、私の太刀を手刀でいなす。
体勢を崩す私の襟首が掴まれ、そのまま地面に組み伏された。
「あまり暴れるな……」
紅い瞳と目が合う。
身体が動かない。
(ダメだ、勝てない……ならばせめて、道連れに……!)
白髪の鬼を羽交い締めにし、自らの身体ごと炎で焼き尽くす。もはやそれしか方法はない。
それで倒しきれるとは思えないが、ひょっとしたら少しは痛手を負わせられるかもしれない。そうなれば、後から戦うであろう里人達に万が一にも勝ちの目が生まれるかもしれない。
そう、ただではやられない。
私はこいつにとってはいとも容易く摘み取れる、ただのか細い花に過ぎないかもしれないが、花は花でも棘のある花なのだと思い知らせてやる。
挑むと決めた時から、おそらくこんな結末になると予想はしていた。覚悟は出来ていたのだ。
「っ……貴様ら、穢れた鬼の思う通りになると思ったら大間違いだっ!」
「……!」
白髪の鬼に掴みかかる。
--が、その手は空しく宙を掴んだ。
直前、突如白髪の鬼が私の拘束を解いて立ち上がったのだ。
「なっ……!?」
せっかく捕らえた獲物の拘束を解くとはどういう事なのか。
訳が分からないが、とにかく体勢を立て直さなければ。
「……動くな、女」
「……!?」
白髪の鬼の言葉に、身体が硬直する。
先ほどまで動けていた自分が嘘のように、竦んでしまっている。
それほどの覇気をぶつけられたのだ。
どうやらこの鬼は、今まで本気ではなかったらしい。おそらく、本気ならばとっくに食われていたに違いなかった。
殺られる……!
「……見ろ、女。貴様のおかげで、面倒な奴に追いつかれた……」
「……? 何を言って……」
訳の分からぬまま、白髪の鬼が顔を向けた方向を見る。
「ふふ、ふふふふ。つれないですねぇ……せっかく会いに来たというのに。久々の再会なのですから、もっと歓迎してくれても良いじゃありませんか……セツキさん」
その声は、木々の間から聴こえてきた。
紅い髪に、額から生える長い一本角。
白髪の鬼とは別の鬼が、口元に深い笑みを浮かべながら姿を現した。
その男から漂う妖気は酷く歪で、尚且つ強力なものだと感じる。
(ま、まさか……羅刹級がもう一匹!?)
近くにいる今、ようやく分かった。
最初に感じた怖気の走る妖気は、どうやらこの紅い鬼のものだったらしい。
よくよく感じ取ってみれば、確かに白髪の鬼の妖気はとても強いが、最初に感じていたおぞましさはなかった。その上、無遠慮に周囲に妖気をまき散らしたりはしていないようだ。
決死の思いで挑んだため、それに気づく余裕はなかった……というか、紅い鬼の妖気が森に充満していたため、近くで比べるまで区別がつかなかったという方が正しいか。
状況が飲み込めないが、先ほどの白鬼の台詞から察するに、白鬼はこの赤鬼から逃げていたのだろうか。
二匹を注意深く注視する。どちらにせよ、この白鬼も羅刹級。しかも自分を食べようとして襲ってきたのだ。
脅威が一つ増えただけで、状況はより最悪な方へ転がったと考えるより他なかった。
「頭領もなかなかにしつこいな。こんな辺境の地にまで追っ手を寄越すとは……しかもよりによってお前とはな、ラシャ」
「えぇ、えぇ。まったくその通りですね。頭領のアナタへの執念は凄まじいものがあります。アナタの存在はそれほど貴重だったのですから……それは私にとっても、同じ事ですがね」
赤鬼が嗤い、その背に担いでいた武器……大鎌を手にし、セツキと呼ばれた白鬼の方へと向けた。
「セツキさん、この日を待ちわびましたよ。組織に居た頃は頭領の目もあったので出来ませんでしたが……アナタを殺して、その甘美なる肉をいただきます。さぞや、さぞや美味しいことでしょうね……!」
セツキは無表情のまま、ため息を吐く。
「貴様に俺が殺せると思っているのか……?」
「えぇ、以前のアナタならば難しかったでしょう……だが今のアナタは、長い逃亡生活で疲弊しきっている。おまけに、愛用していた“あの刀”も持っていない……ただでさえ人を食べないというのにね。妖気が弱まっているのは隠せませんよ。今のアナタならば、私でも十分に殺せますとも……この鎌でね! うひゃははははは!」
「……おめでたい奴め……いいだろう、相手をしてやる」
木々がざわざわと騒いだかと思うと、二匹の周囲の光景がユラユラと揺れるような錯覚に襲われる。
鬼と鬼が殺し合う……そんな光景は、鬼討ちとして生きてきた今までの人生で見た事がない。
ましてや互いに上位種であろう鬼同士。果たしてどれほどの戦いになるのか。
蛇に睨まれた蛙のように動けずにいた私だが、不思議な事に、恐怖と同じくらい好奇心もあった。
まがりなりにも自分が剣士なのだと、思い知らされる。
ひとまずは見届けよう。情けないが、同士討ちしてくれる事に期待するしかない。
互いに体力を削り合ってくれるだけでも上々だ。残った方を、命がけで仕留める……!
密かに隙を窺う私の存在など意にも介さず、二匹の闘争が始まろうとしていた。
木々のざわめきが、一瞬収まる。
ゴクリと息を飲みユヅキが瞬きした瞬間、ラシャと呼ばれた紅い鬼の姿が元居た場所から消えていた。
「!?」
いつの間にかラシャはセツキの眼前に迫り、その大鎌を一回転させ頭上から脳天への一撃を繰り出していた。
横に回避し、そのまま手刀をラシャのわき腹へ向け放つセツキ。
ラシャはバック転でこれを回避し、同時にクナイを数本投擲した。
セツキは飛んでくる数本のクナイを指先で掴み取り、空中のラシャへ投げ返す。
クナイがラシャに突き刺さる……事なく、空中で静止した。
「なっ……何がどうなってるんだ!?」
驚く声は私。セツキはこうなる事を予想していたのか、特段驚いた様子もない。
「ふはっ! 忘れたわけではありませんよねぇ、私の妖力を。そう、念動力ですよ。アナタのように妖気の強いモノは操れませんが、あらゆる物体は私の武器です! この森でさえもね!」
ラシャが言い放った時には、数本の木々が地面から根をはやし、セツキ目掛けて襲いかかっていた。同時に、空中で静止していたクナイも再びセツキへ向かっていく。
(な、なんという力だ……これが羅刹級! もはや自然の理を越えている……!)
人間である自分の気の運用などたかが知れている。戦闘で用いるとしたら、せいぜい刃に炎を纏わせるか、先ほどセツキ相手にやろうとした自爆技くらいが限界だ。周囲のものを自在に操れる力など、もはや反則に等しい。
内心愕然とする私を後目に、セツキは襲ってきた根に飛び乗ると、ラシャ目掛けて大きく跳躍し、腰に下げていた刀を抜き放ちクナイを叩き落とした。
「ひゃはぁっ!!」
ラシャが手にしていた大鎌をセツキへ投げつけると、大鎌が円盤のように高速回転しながら襲いかかった。
セツキの刀と大鎌が衝突し、ギャリギャリと金属音が響く。刀で反動をつけ身体ごと一回転して大鎌をいなすと、セツキはそのままラシャの頭上から斬りかかる。
ラシャは一歩後ろに跳躍してこれをかわすと、念力で森の木々から大量の葉をもぎ取り、その葉を魚群のように泳がせ始めた。
辺り一帯が葉の魚群で覆われ、ラシャの姿を隠す。
「森は私にとって絶好の狩り場! この結界の中で斬り刻まれて死になさいっ!!」
ブゥーンという何かが回転するような音が聴こえた瞬間、葉群の向こうから先ほどいなした大鎌がセツキの背後から襲いかかった。
間一髪でかわしたが、着物の一部が切れている。
大鎌は、再び葉群の向こうへと姿を隠していた。
次の瞬間休む間もなく、今度はいくつかの手裏剣が回転しながら襲いかかった。
セツキは同時にいくつもの手裏剣をかわしたり弾いたりしてやり過ごすが、すぐにまた襲いかかってくる。キリがない。
そうしている内に、最初にかわした大鎌がセツキの首を狙うように戻ってきた。このタイミングは……かわせない。
「……!」
私は思わず目を見張った。