『7』六月下水曜夜、後編
*
結局、少しばかり長居をして閉店五分ほど過ぎてしまった。中の様子を外から伺いに来た運転手に気づかなければ、もう少し居たことだろう。
暗い夜空。
深い群青色と、人工の明かりで、暗いがどことなくぼやけた夜空。街灯がチカチカと店の扉横で光っている。
千代子と店員がなにか会話しているのを荷物をタクシーの荷台に乗せながら眺めていたら、二人がこちらに気づいた。店員が深々と頭を下げてきたので、笑ってこちらも軽く下げ返す。二人はまた軽く話して、店員は店に戻り、千代子はこちらに近づいてきた。
「じゃ、失礼します」
ペコリと頭を下げてくる。
「なあ、買いもん良かったん?」
去ろうとするのを無視して話しかけ。
「あ、はい、届いてるか智子さんに訊きたかっただけなので」
店員は智子というらしい。
「電話ですまんこと?」
「今日はバイトが早めに終わったから、ついでだったんです」
話ながらエコバックの中で揺れるネギ。さっきので、沸点が低いのかシュールに感じて、笑えてくる。
「バイト先ってスーパー?」
「はい」
頷く千代子。
「ふーん、働いてるんなら高校生か。えらいなあ」
小さいが、流石に中学生はないかと思い舞心はそう言った。
「え、ふ、あははは…!」
すると、千代子はニコニコして笑い出した。
「あー年寄りくさかった?」
「ふふ、いえ、私大学生なのにって思って」
「え」
固まる舞心。
怒った様子のない千代子はニコニコして頷く。
「舞心さんは面白いですねー!」
「…千代子ちゃんも十分おもろいでー」
舞心も嬉しそうに笑ってこたえた。
「そや」
文房具八百万店は最寄の駅からは近い。近いが、そう直ぐ着くわけではない。
五分はかかる。
「乗ってきな、送ったるわ」
「え」
そのまま帰ろうとしていた千代子は顔を横に振った。
「駅近いので大丈夫です」
「そやけど、重そうやん。あ、払いは気にせんでええで」
「…お気持ちだけ、慣れてますんで」
微笑む千代子。
「あー…警戒?タクシーの運ちゃん、友達みたいなもんやけ、僕が危ないことしようとしたら、止めるし、大丈夫やで。な、鈴橋さん」
「はい、坊ちゃんは紳士ですよ」
車横で気配を消して立っていたタクシーの運転手、鈴橋は笑顔で頷いた。
「そんに夜道の女性の一人歩きはよろしくありませんわ。タクシー代も坊ちゃんに先ほど多めに頂いとりますし、それで十分です」
そう言う鈴橋に少し考えを見せる千代子。
コンコン。
「…でも大丈夫です。一人ではないので」
微笑む千代子。
「おや、ああ、ほなら…先ほどのお嬢さんと帰るんです?」
鈴橋が眉を少し上げてそう言うと、千代子は黙ってニコリと微笑むだけした。
**
「残念でしたなぁ、華風坊ちゃん」
車を運転しながら鈴橋はバックミラーの奥で座席に深く座る舞心を見る。舞心は軽く肩を竦めて、軽く笑った。
「まあ、千代子ちゃんの選択が正解やわな」
「せやけど、気にってましたやろ」
「あ、鈴橋さん分かっちゃった?まあ、そやからあそこでフォローしてくれたんやろうけど」
「ほなら、あのままお持ち帰りでしたか」
「そやな、したかったなあー…てか、紳士って、僕、噴出しそうになったで」
「それは事実ですわ」
「えーだだのヤリチンやでー僕は」
「…坊ちゃん…」
苦笑いを浮かべる鈴橋。
「まあ、仕事先も大学も大体予想つくし、焦らんわ」
「おや、わかったんで?」
「ここらのスーパーで近い言うたら、日営業の八百万堂やろ。んんで、あそこの画材買う大学生なんて八百万美術大学が主やて」
「おや」
「まあ、最悪ちゃうってなっても、文房具屋のねえちゃんから聞き出せばええわ」
「あははは!さすが華風坊ちゃんや!」
淡く街灯が黒い液体のような夜道に反射している。長い長い道路の平坦な道を灰色のタクシーは流れるように滑っていった。
***
夜道を歩いていると、買い物荷物が急に軽くなった。エコバックの少し歪んだような姿を肉眼で確認して、千代子は口元が緩むのを感じる。
「コンちゃんありがとう」
どうやら荷物の下から持ち上げてくれているらしい。
「コンちゃんは優しいなあ」
コンコン。
「今日はね。お稲荷さんが半額だったから、買っちゃった」
コンッ。
足元で柔らかく温かいもふりとした感覚が撫でる。
「ふふ」
暗い夜道。
あたから気づく者はいないが、あきらかにおかしい重力のかかり方をしたエコバック。明るい道ならば、すれ違った人間はその不可解な袋のシワ加減と浮き具合に眉を寄せることだろう。
チリン、チリン。
前から自転車がライトを照らしながらベルを鳴らし、横にさしかかる。ウォークマンをした人間は一瞬その不思議な光景を見ただけで気づくことなく、前先を眺め通りすぎた。自転車を避ける為、高く上げられた荷物は完全に千代子の手から離れていたのだが。
コンコン。
コンコン。
コンッ。