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Ep3: Comedy Touch !




「……ん」


 テントの隙間から差し込んだ陽光の眩しさに、ナキは目を覚まされた。

 いつの間にか眠っていたらしい。気付けばナキは『ネブクロ』という、天使達の世界のベッドにくるまれていた。


『君には世界がどう見える?』


 差し伸べられた手と共に、やたらと耳に響いた言葉を思い出す。

 ぼんやりとした頭の中でぐるぐると回る言葉だが、それを聞いた場面を今ひとつ思い出せずに、ナキは唸った。

 済んだ声色は、とてもじゃないがあの犬小屋から出てくるようには思えなかった。よく考えてみれば口調もおかしい。言葉の内容もおかしい。


「夢……か?」


 蓑虫のような状態で、上半身を起こしたナキはふとテントの隙間から外を見た。

 外には犬小屋が建っている。

 犬小屋が建っている?


「ちょっとちょっと誰デスカ! テントの前に落とし穴を掘った人はハ!」

「うぇーい! 掛かった掛かったー! みんなー! 勝利の祝杯じゃー!」

「わー!」


 犬小屋を囲んで、子供達とクサリコがはしゃいでいる。

 そんな光景を見て、ナキはうんと頷いた。


「……夢だな」


 がっかりしたような、ほっとしたような、複雑な気分でナキは朝を迎える。




   ----




 頭の犬小屋にテントを収納しながらカズラがさらりと言った。


「デハ、早速復讐に行きまショウカ」

「……は?」


 テントをたたむクサリコを手伝っていたナキが思わず手を離した。うおあーっ、と悲鳴を上げてクサリコがテントに押し潰される。


「良い陽気デスし」

「……待って。もう一度言ってくれ」

「良い陽気デスし」

「その前だよ」


 確かに夜の寒さが嘘のように暖かい朝だった。

 いや、確かにではない。そういう問題ではない。

 さらりと吐いた爆弾発言を、ナキは今も冗談だと信じたかった。


「早速復讐に行きまショウカ?」

「カズ兄。ピクニックのノリで復讐に行くのはおかしい」


 テントからぬっと顔を出し、クサリコが冷静に突っ込んだ。

 唖然として開いた口が塞がらないナキの代弁である。


「早いに越した事はないデショ。ダカラ今日済ませちゃいマショウと……」

「そりゃそうか」


 今度はクサリコまでもが同調してしまった。

 流石にこれ以上は呆けていられないナキが、カズラに詰め寄った。


「待て待て待て待て! お前、まだ魔法使えないだろ!? 無理だ! ドミヌスがどれだけの魔導士か知ってるのか!? それにアイツには危険な護衛も……」

「待て待てはコッチのセリフデス少年。慌て過ぎデス」


 涼しい変な声でマァマァと手を前に出すカズラ。


「だろ!? 流石に冗談だろ!?」

「ダカラ落ち着きナサイ少年」


 ほっとナキが胸を撫で下ろす。

 悪い冗談だ、とカズラをキッと睨み付ける。


「何処から訂正すればイイのカ分からなくなるデショ。とりあえず、復讐に行こうは冗談じゃないので安心してクダサイ」

「……は?」

「ナキ君さっきと同じリアクション。あといい加減助けて」


 テントの下敷き状態のクサリコは、子供達にされるがままに兎耳を引っ張られている。

 ふう、と深く溜め息をついて、カズラは人差し指を立てた。


「まず一つ。ドなんとかサンが凄いトカ、護衛がどうトカ、知ってる筈ナイでショ。初耳デス。もっと早くそういう事は言うべきデス」


 ドミヌスがどれだけ悪い奴か、は聞かされたものの、カズラもクサリコもドミヌスがどれだけ厄介かまでは聞かされていない。当然のことだった。

 兎耳を死守しながら、クサリコがぼそりと「知ってたけど」と呟いた事にはナキも気付いていなかったようだが。

 次に中指を立ててカズラが続ける。


「そして二つ。ワタシ達が魔法を使えナイと、いつ言いマシタ?」


 やはりナキのリアクションは同じようなものだった。


「……は?」




   ----




 ドミヌスの屋敷があるのはフォンテと呼ばれる街だった。

 ノトスの南東、ナキ達の行動拠点からそう遠くない場所に位置している。

 復讐を目的としていたナキにとっては、敵の拠点は出来る限り近い方がいい。それでいて、ドミヌスに察知されない程度の距離を保った場所が、ナキ達の拠点となっていた。

 ドミヌスによって搾り取られた、名前も失った乾いた土地を、カズラとクサリコ、そしてナキは歩いている。


「正気の沙汰じゃない……!」


 先行していたナキが足を止めた。

 ナキと行動を共にする子供達は拠点に置いてきている。何処にいても危険なこの世界で、彼らが安全に過ごしてこられた比較的安全な、何者にも見つかっていない場所だ。ドミヌス達の元を目指すよりかは圧倒的に危険は少ない。

 その拠点からかなり離れたそこでナキが足を止めたのには理由があった。


「オヤ、今更デスネ。だったら何故ついてきたんデス?」

「僕が案内しなきゃフォンテの場所も分からないくせに。ついてきたのはお前達だろ」


 ナキがカズラの方を振り向き睨み付ける。

 辺りには人影どころか木の一本も見当たらない開けた場所で、カズラとナキは向かい合う。


「コレはコレは。『また』反抗的な態度デスネ」


 また、という言葉に気付ける程に今のナキには余裕はなかった。

 

「魔法が使えるようになった? ふざけるな。そんな簡単なものじゃない」

「思い込みは感心しマセン。簡単なものデスよ。少年が思う以上にネ。クサリコも何か言ってあげたらどうデス?」


 ナキの鋭い視線がクサリコへと向いた。

 敵意を感じ取ってか、少しだけクサリコの常に浮かぶ明るい笑顔に影が差した。

 しかし、クサリコは取り繕うこともせずに、ナキの怒りを買うであろう事実を告げる。


「かんたん。一生懸命勉強してきたナキ君には悪いけどね。本に触れた時点で分かっちゃった」

「ふざけるな!」


 ナキが身を低くする。獣が敵を威嚇するような体勢だ。

 今まで濁してきた敵意が、此処に来て噴出する。

 ナキは眉間にしわを寄せ、絞り出す様に怒りに満ちた声を出した。


「分かってたまるか……!」


 肌を刺すような緊張した空気が走った。

 悲しげなクサリコは空気を避けるように二の腕に手を添える。

 それとは対照的に、カズラはこの空気を楽しんでいるようにも見えた。


「ソレは『魔法が』デスか? それとも……『少年が』、デスか?」


 嫌味たらしい言い回し。

 しかし的を射ていた。

 魔法は簡単。もう理解できた。ナキにとって、その適当言葉に苛立ちが無い訳ではない。

 だが、彼はそれよりも、自分を分かったような言葉が気に食わなかった。

 『一生懸命勉強してきた』、クサリコのさらりと吐いた言葉。

 そんな軽い言葉で、自分の今までの思いを表現された事が、ナキは何より気に食わなかった。


「お前達が僕の何を知ってる? お前達が魔法の何を知ってる?」

「知りまセンヨ。知ったトコロでどうなるんデス?」


 間髪入れずにカズラは言い放つ。

 容赦のない切り捨てにナキは絶句した。


「結局の所、他人の痛みを理解してくれる人間なんていないんデスヨ。当然デス。そう言うアナタも、他人の痛みなど理解できていナイのデスカラ。あ、クサリコなら理解してくれるカモデスヨ?」


 首をカタカタ横に振りながら、カズラが戯けて見せる。

 クサリコなら、という言葉の意味をナキは理解するつもりもない。

 微弱な風が頬を撫でるのを感じながら、ナキは呪文を唱え始める。

 

「おや? 何か呟いてマス?」

「……『フラーメン』」


 微風が僅かに勢いを増す。

 ナキは無数の風を重ねるイメージを頭に描いていた。

 風を起こすことはできない。風を操ることはできない。

 弱い力を無数に重ね、少しずつ大きくしていく。

 吹き飛ばすとまではいかないが、カズラへ達する頃には風は人の身体を押す程度の威力にはなっていた。


「おっと」


 大きな犬小屋が風を大きく受け、カズラには思いの外の効果があったようだ。

 カズラの身体が傾いた。

 その一瞬を、ナキは狙う。

 びゅうと吹く風を背中で受けて、ほんの僅かに加速する。僅かに残る微風の支配を、振りかぶる右手に絡ませる。


「オウ、ソレが魔法デスカ?」

「『フー・フラーメン』!」


 ナキの掌に火が灯る。

 それは極々小さなものだったが、ナキの腕に纏わり付いた微風に掻き回されて、大きさを増していく。

 よろめくカズラの胸に目掛けて、掌から溢れた炎を、ナキは力を込めて叩き込んだ。


「お粗末デスネ」


 叩き込んだ、筈だった。

 ジュウと音を立て肉が焼ける臭いがする。今まで嗅いだことのなかったその嫌な臭いに、思わずナキは顔をしかめた。

 カズラの掌が、火の玉を覆うように抑え込んでいた。そのまま火の玉を握るように、カズラの手は火を押し潰し、ナキの手を握る。


「人の肉が焼ける臭いを嗅ぐのは初めてデスカ? 焼き肉のように食欲そそるものではナイデショウ?」

「お前っ……!」


 防がれた訳ではない。

 カズラの掌が焼けているのははっきり分かる。

 ぐずぐずにただれた感触が、掌を通してナキにも伝わってくるからだ。

 火の熱さはナキも知っている。以前火の魔法に失敗した際、軽い火傷をしたことがある。

 その時の熱さを知っているからこそ、もっと酷い火傷を負った目の前の平然としている小屋男が、ナキは不気味で仕方がなかった。


「その程度の臭いで顔をしかめてしまうのに、よくもマァ復讐などと宣えたモノデスネ」


 一瞬怯みかけた感情が、カズラの安い挑発に燃え上がる。それに呼応するように、握り潰された筈の炎が再び燃え上がった。ジュウ、と更に嫌な音が手を伝わりナキの耳元で鳴る。手の隙間から、カズラの指先が焦げ始めているのが見えていた。

 しかし、それよりも、ナキの目を奪ったものがあった。

 僅かに舞った火の子が照らしたカズラの頭の小屋の奥底。

 そこできらりと何かが輝った。


「それにお粗末な魔法デス。火を起こス? そんなの、魔法がナクトモ……」


 ドミヌスに焼かれる自宅を見た時の感覚だった。

 誰よりも早く、嫌な予感がして、家を飛び出した時と同じ感覚だ。

 離れろ。

 何かが本能の奥底で訴えかけていた。

 ぐちゃりと纏わり付くカズラの手を千切るように振り切り、ナキは咄嗟に後ろに仰け反る。


「『火炎放射器』を使えばいいじゃナイ!」


 ゴウ!と一瞬で、ナキの放ったものとは比べ物にならない火柱が、犬小屋の中から吹きだした。

 驚愕し、その発生元に目をやるナキ。

 するとそこからは、一本の筒が顔を出し、徐々にその長い本体を這い出させてきた。

 引っこ抜けるように犬小屋の入り口から飛び出した『火を噴くそれ』は、空中でくるくると回り、飼い主の元に戻る犬のように、正確にカズラの掌に収まった。

 カズラが両手で抱える奇妙な物体は、ボッボッと呼吸でもするかのように火を口から零している。


「それが……お前の魔法……!?」

「魔法じゃないデス。デモ、君のボヤよりは大分マシデショ?」


 ナキがぐっと唇を噛む。

 仰け反った後、転んだまま立てない彼は何も言い返す事ができなかった。

 カチャリと火を噴く道具をカズラがナキの眼前に構える。


「仕返しデス」


 すっと血の気が引くのを感じた。

 ナキはカズラの爛れた掌を思い出す。

 同じ事が自分の顔に起こる。

 鮮明に浮かんだその光景を、目の前の狂人ならば迷う事なく作り出せると、何故か直感した。

 恐らく火を噴く合図になる引き金を、カズラが引こうとしたその時、ナキは思わず目を瞑る。

 どれだけの熱さが来るのか、ナキがそう思ったその時。


「こら!」


 カン、と堅いものを叩く音が鳴った。

 恐る恐るナキが目を開くと、目の前には倒れるカズラと、それを見下ろすクサリコがいる。

 カズラの頭に丸いたんこぶが浮かび上がる。どうやらクサリコに拳骨されたようだ。


「ナキ君苛めちゃ駄目でしょ!」

「ほ、ほんのジョークデスヨ」


 カチッ、とカズラが引き金を引く。

 それと同時に、火を噴いていた口は、パン!と弾ける音と共に紙吹雪を吹きだした。


「びっくりクラッカーデス」


 ただのクラッカーでも、命の危機を感じていたナキの身体を飛び跳ねさせるには十分だった。

 破裂音に怯えたナキを見て、横たわるカズラの頭をクサリコがぐりぐり踏み付ける。


「だ・か・ら。子供苛めて楽しむなってクズ兄」

「痛いデス痛いデスッ! あっ、でも……アァッ! 妹になじられながら踏み付けられているという背徳感が……ッ! イエスッ! イエッス!」

「うわぁ。気持ち悪い」


 小屋男から足を離して、心底ドン引きしている表情で、クサリコはくるりと身を翻した。

 弾むようなステップに、兎の耳がぴょこんと揺れる。


「ナキ君。ほら」


 白い手が差し出される。

 優しい赤い瞳が見下ろしていた。

 ほんのりと包み込む様な安心感が恐怖を和げ、ナキの心に余裕ができる。

 すると沸き上がるのはやり場のない悔しさで、ナキは差し伸べられた手を払い除けた。

 ほんの少しだけ、クサリコが見せた寂しげな表情に、強情になっていたナキの胸も痛くなる。

 その様子をオヤオヤと眺めながら、のらりくらりとカズラが立ち上がった。


「ま、そろそろ少年をおちょくるのにも飽きマシタシ……チョイと仲直りでもシテ、早速復讐に乗り込みマショウカネ。取り敢えずは少年よりは強い事は証明できたかと思うのデスガ」


 カズラはナキよりも強い。

 それが彼が言った通りに魔法ではないのだとしても、ナキが彼を倒すことをできずに、逆に恐怖を覚えさせられた時点で明確だ。

 それでもドミヌスに勝てる程とはナキには思えなかったし、カズラ達を認められる訳でもない。

 何よりも、このふざけた小屋が、ナキは嫌いだった。


「不安デスカ? こんなふざけた奴らが役立つかドウカ? 駄目デスヨ、ダメダメですよ。やはり少年は分かってイマセン」

「私をふざけた奴に含まないでくださーい」


 小屋は楽しげに笑う。


「こんなふざけた奴らが出てくる物語デス。きっとそれはシュールで下らないコメディに決まってマス」


 ナキは気付いていなかった。

 いつの間にか、カズラの手の火傷が消えている事に。

 そして、頭のコブも消えている事に。

 そもそも小屋を被った頭にコブができるという事が、どこかおかしいと気付けなかった。


 その時点で、彼は飲み込まれていたのだ。


 彼の語る、シュールで下らないコメディの世界に。


「なんだよ……それ」


 カズラもクサリコも、同じくナキを見下ろし、くすくすと笑った。


「悪いようにはならない、そういう事ですよ」




   ----




 遠目から見ても分かる程に、ドミヌスの館は大きい。

 木々が生い茂り、周囲の荒れ地とは違う世界に見えるフォンテの街を遠巻きにカズラ達は眺める。


「アレがデンなんとかさんのお屋敷デスカ」

「ドミヌスな。何一つ合ってないからな」


 ナキが傍らで、カズラの使う双眼鏡を物珍しげにちらちら見ながら、不満げに声を漏らした。

 結局、無理だ無理だと思いながらもここまでついてきてしまった。

 しかし、元より復讐の為にこの二人を呼び出したのだ。

 二人を見た時点で諦めるつもりなどない事を、改めてナキは思い直した。

 後ろからごうごうと吹き付ける風に背中を押されるように、ナキは二人の顔を見ずに意を決する。


「ドミヌスさえ殺せれば僕はそれでいい。奴の手下はどうでもいいんだ」


 そして、できるならドミヌスは自分の手で殺したい。父と母の仇を討ちたい。

 この奇怪な二人なら、護衛の目を引くくらいはできるだろう。

 頭の中で何が最良かを練りながら、ナキはカズラの方を向いた。


「いいか? これから……」


 少し目を離した隙に、カズラがぽいと何かを投げていた。

 投げたものを目で追うと、それはフォンテの街にまで飛んでいったようだった。

 確かに軽いものなら投擲しても届く程度の距離ではある。

 跳んでいった何かがパリンと割れる音が僅かに聞こえた。




 燃えた。


「オー。意外と届きましたネー。追い風が吹いてマスヨー」


 突如炎上し始めるドミヌス邸。

 街に落とされた炎は瞬く間に燃え広がり、阿鼻叫喚の地獄絵図が出来上がる。

 ナキは絶句した。


「ちょっ……カズ兄何やってんの……引くわ」

「何って、火炎瓶をこうぽいっと……マァ、大丈夫デスヨ? 風向きをちゃんと考えて、コッチに飛び火しないようにはシマシタシ……」

「お前話を聞いてたか!?」


 ようやく放心状態から回復し、ナキがカズラに掴み掛かる。

 

「え? 復讐したいというからこうやって先手を……」

「僕はドミヌスだけでいいって言っただろ!? あの街にはあいつ以外にも人が……!」


 逃げ惑う人々の姿が見える。

 ドミヌスの本邸があるとは言え、そこはごく普通の街なのだ。当然無関係の人間も住んでいる。

 それを無視したカズラの突然の行動。

 ナキには未だに信じられない。

 

「人を殺そうって人間が、今更人道を説きマスカ? ちゃんちゃら可笑しいデスネ」


 正論かどうかはどうでも良かった。

 カズラの言葉を理解するよりも、何よりも先にナキは手が出た。

 小屋をがつんと殴りつける。手の方が痛いのは殴ってから気付く。


「……というのはマァ、ジョークデス。デモ、『やるなら徹底的に』。デショ?」


 にたぁっ、と邪悪に小屋の奥底で口が歪むのがナキにも初めて見えた。

 焼けるナキの家を見上げていたドミヌスの笑みよりも、遙かに邪悪なその笑みに、寒気以上に嫌悪の感情をナキは抱く。


「ソレに……少年の言う大悪党と同じ街で、のうのうと暮らしている人間が、どうなっても構わないデショ?」


 確かにナキは街の人間に情など持っていない。むしろドミヌスの傍で幸せそうに暮らしている姿を見るのは決して良い気分がするものではないと思っていた。

 しかし、殺すつもりまであっただろうか?


「どんな手を使ってでも、復讐したいんじゃありマセんか?」


 ドミヌスは殺したい程に憎い。

 しかし、もしも彼の元に辿り着く前に邪魔する者が現れた時に、ナキはその敵を殺す覚悟はあっただろうか。ドミヌスさえ殺せばと楽観視していたのではないか。

 ぐっと息を呑み、ナキはカズラを睨み付ける。


「カズ兄。流石に意地悪し過ぎ」


 何も言えない。

 そんなナキの背中をそっと擦って、とうとう見かねたクサリコが動いた。


「元々見下し果ててたけど、底ぶち破って見下げ越したよ」

「マァ、そう言わずに、ネ? 何デス、クサリコ。その少年が気に入りマシタ?」


 険悪な兄妹が睨み合う。

 どうしたらいいか。

 自分はどうするつもりだったのか、自分はこれからどうしなければいけないのか、ナキの頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回される。

 結論が出るはずのない事は分かりきっていた。


 ただ、ナキはカズラの胸倉を離し、焦点の定まらない目で見る小屋男に言葉を吐き捨てた。


「お前は天使なんかじゃない……悪魔だ」


 一瞬、ぽかんとカズラが黙った。

 しかし、すぐにクク、と笑う。


「天使じゃナイと言ってきマシタガ……悪魔! コレは傑作デス」


 こいつには何を言っても無駄だ。

 ナキが顔を背け、煌々と立ち上がる炎を見遣る。

 噛み殺す様な笑い声はもう、耳に入ってもこなかった。


「……しかし、悪魔というにも、この風貌は些か滑稽すぎやシマセンカ?」


 ぐいとナキの肩が後ろに引かれた。

 思わずよろめき、肩を掴んだ相手がカズラだと気付いたナキは再び小屋を睨む。


「何すん……」


 言いかけてナキは口を噤む。

 街の炎に気を取られ、周囲の状況に、ナキはまだ気付いていなかったのだ。


「んっんー。マァ、隠れてないで出てきてドウゾ。とっくの昔に気付いてマスカラ」


 ぞろぞろと周囲の木陰や物陰から姿を現す物騒な得物を手にした男達。

 ナキと九頭竜兄妹を取り囲むように集まってきた男達は、殺気立っていた。


「不審者め。どういうつもりか知らんが……タダで済むと思うなよ」


 敵意があるのは明確だ。

 しかし、焦る様子もなく、カズラはぽんと手を叩く。


「不審者! それが一番しっくりきマスネ! どうも、ワタシタチ、不審者デス!」

「ふざける余裕がまだあるようだな」


 余裕などあるものか、とナキは思った。

 周囲を取り囲む大人たちは、大勢を蹴散らす魔法を持たないナキにとっては、たとえ彼らが魔法を使わなくとも脅威だ。

 それはカズラとクサリコにとっても同様だろう。

 多数に少数は勝てない。

 そもそも、いつの間にこの男達は自分達の回りを取り囲んでいたのか。

 いや、そんな事を考えている場合ではない。

 今は逃げる事を考えるしかない。

 けれど、だけど……


 ナキの思考は完全に混乱した。


 ――どうしてこんなことに?


「ドミヌスはどれデスカネ? とっとと殺しちゃいたいんデスガ」

「ドミヌス様を殺す……だと?」


 そんなナキの心情を知ってか知らずか、カズラは飄々と物騒な言葉を口にする。

 それに見せた彼らの反応からは、彼らがドミヌスの仲間である事を容易に察することができた。


 ――殺される。


 ナキの耳に響くのは、母の耳を劈くような悲鳴だった。

 ナキの脳裏に浮かぶのは、半分に割られた父の身体だった。

 あれと同じ目に自分が遭う。

 苦しさが伝わってくるような、あの表情を自分も作ることになる。

 身体が震えた。頭が揺れた。腰が抜けた。涙が溢れた。

 何もできない。

 ナキが思っていた以上に、彼が見た光景は、彼のトラウマになっていた。

 復讐の念を容易に殺されてしまう程に。


 しかし、狂ってしまいそうなくらいに、ナキが追い込まれたその時。


「大丈夫」


 すっと身体から暗い光景が引いていくのをナキは感じた。

 嫌な思い出が吸い出されていくような、代わりに暖かい光が流れ込んでくるような、味わったことのない不思議な感覚が僅かに表情を和らげる。

 その感覚が肩に接する何かを起点に生じていることに気付いたのは、心が完全に落ち着いた後のこと。

 気付かぬ内に頬には、何処か懐かしくも感じる吸い付くような肌の感触があった。


「怖くない。怖くない。だから、大丈夫」


 その声がまた心を安らかにする。

 ナキの肩に回される腕と、触れ合う頬は誰のものか。

 

「ソウ! 怖くなんてナイ!」


 後ろを振り向き、どこか懐かしい感覚の正体を探ろうとしたナキの意識を、小屋男が奪う。

 そして、疑問に思う。

 どうしてこいつはこんなにも余裕なのか?


「言ったデショウ?」


 疑問を抱いたその瞬間に、カズラは言葉を発した。

 声を漏らしたか、と一瞬どきりとしたナキは思わず口を塞いだ。

 そんな様子を気にすることなく、カズラは腕を広げて空を見上げる。


「『こんなワタシが救世主な訳ナイでショウ。もしもワタシが救世主な主人公ならば、この世界はきっとシュールなギャグ漫画の世界に違いアリマセン』」


 ナキの記憶から、カズラの黒い瞳が蘇る。


「夢じゃ……なかった?」


 ぼそりとナキが呟く。

 そして、更に思い出す。

 カズラが投げ掛けたひとつの問いを。


「『君にはどんな世界が見えマスカ?』」


 記憶の中のカズラの言葉と、目の前にいるカズラの言葉がほんの少し重なった。

 そして、夢の中の続きを見せるかのように、カズラは言葉を続ける。


「ワタシの世界ハ……」




 世界がぐわんと揺れたような感覚がナキを襲った。

 だが、それはきっと気のせいなのだろう。

 ナキ達を取り囲む男達は、何一つ疑問を感じていない様子だから。





 『そちら』が大きな思い違いだとナキが気付かされたのはこの後すぐの事だった。


 ――ワタシの世界ハ


 口を止め、言葉を溜めたカズラの小屋から、空に向かって何かが伸びた。

 何でも出てくる不思議な犬小屋。

 ナキは既に見ていたのだ。


 出し惜しみもなく披露されていた、カズラの魔法を。


「『Comedy Touchコメディタッチ!』」




 その時、奇怪で愉快で残酷な、喜劇の幕が開かれた。





久しく更新再開であります

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