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Ep1: 天使の伝承



 ――――この世界には天使が舞い降りるという伝説がある



 僕達の立つこの大地、『球界テッラ』は丸いのだと過去の魔導士は言った。

 この世界には『アルマ』という不思議な力が満ちていて、全ての生き物はこの恩恵を受けて生きているのだと、やはり過去の魔導士は言った。

 人々はアルマを利用し様々な事象を引き起こす術を操り、生活をより豊かなものにしていった。過去の魔導士はそれを『魔法』と呼んだ。

 僕達が知っている世界のことはこの程度。これ以上の事を知っているのは、恵まれた環境にある人間か、特別な才能を持っている人間のみだ。

 しかし、それを知ろうが知るまいが関係ない。

 だって、そんな世界の真実と、僕達は何の関係もないのだから。


 開いた本に書かれた内容を僕は殆ど理解できない。魔法の技術や仕組み、その扱いなどを記載された本は、多くの場合難解な文字で記述されている。僕達が全く読めないような、恵まれた人間達の為の文字で。

 僕達が知る事が出来たのは、極々一部の、子供達に語り聞かせる程度のお伽噺のような絵本の内容ばかりなのだ。


 そんな僕が、手探りに魔導書の解読に努め始めたのは二年程前の事だった。


 力が欲しい。あらゆる事を思い通りにできる力が。

 

 子供の僕は無力で、その時が来ても何一つできなかった。

 そして、一人になった後、僕は改めて自分が弱いのだと思い知らされた。

 一人では身を守るどころか、生きる事すらままならず、火もない場所で人を食う怪物に怯えながら過ごす日々。

 暗い洞穴で震えていた時、僕は初めて力が欲しいと思った。


 初めは汚いコソ泥だった。

 食べ物や水、衣類や火を起こす魔法の道具を街の民家から盗み出した。

 盗みに慣れてきた頃、少し偉い役人の家の本棚から魔導書を盗むようになった。その殆どは読めなかったが、僅かに父さん母さんに習った文字だけ読み取って、試行錯誤を繰り返し、『火を起こす魔法』と『風を起こす魔法』を覚えた。


 でも、足りない。


 『火を起こす魔法』と『風を起こす魔法』で、ぼや程度なら起こせるようになった。でも

、それは『目的』を達成する程のものではなく、精々次への足掛かりになる程度のもの。

 街でぼや騒ぎを起こして、騒ぎに乗じて更に厳重に見張りの付いた書庫から魔導書を盗み出す。それはあまりに難しくて、何の役にも立たなかった。


 定期的に首都と街を結ぶ馬車に忍び込んで、首都で盗みを働こうと考えた。

 向かった首都で、僕と同じような境遇の子供にも出会い、行動の幅は広がった。

 大人に追われ、害虫のように疎まれ、それでも醜く僕は、僕達は今日まで生き抜いてきた。


 じわり、じわり、と少しずつ力を蓄えながら……


 そんな中で手に入れた、お伽噺でしか聞いた事のない魔法が記された不思議な本。それは王城の地下書庫の隅で、ひっそりと埃を被っていた。


 『天使の伝承・召喚の儀』


 お伽噺の絵本に書かれていた『天使の伝承』。

 かつて世界を救った英雄、アゲロスの物語の始まりともなった『天使召喚の儀式』がその本には書かれていた。


 黒い髪と黒い瞳を持った天からの使い『天使』さま。


 天使さまは、世界を学び、そして世界を救うだろう。


 普通の人間には信じられない代物だろう。それでも、僅かな希望にも縋るしかない僕達にとっては、それはあまりに魅力的なものだった。


 儀式の多くは読めない記述ばかりだった。

 恐らくは、細かい条件に従った素材でできた儀式道具なども必要だったのだろう。

 しかし、分からないままに僕達は絵で描かれた道具や状況を、直感的に作り上げようとした。


 それが功を奏したのか、それとも失敗の原因だったのか。


 魔導士は魔導の実行にはかなり注意を払うらしい。

 細かい儀式においては指定された道具は正確に用意し、触媒の分量なども誤差無く量って用いる。魔導はそれだけ危険なものであり、本来ならば精密さを要求されるものなのだ。

 でも、僕達はそんな事は知らない。


 とても曖昧で、ところどころ適当な儀式。

 言ってみれば『失敗作』の『天使の伝承・召喚の儀』が出来上がってしまったのだ。


 そして、儀式実行のその時まで、僕達はその深刻さを知らなかった。




   ――――




 其処はノトスと呼ばれる国の辺境の街、ヘグドから更に外れた荒れた土地。

 周囲には岩場があり、一部分だけ平らな砂地となっている其処は、儀式の実行には丁度いい場所であった。

 地面に描いたのは、本来ならば血液で描かなければならなかった魔法陣。書き込まなければならなかった文字は、所々ミスがある。

 アルマが特別多い魔法水を満たさなければならない銀の杯は無く、汚水を注いだ陶器の杯が魔法陣の前に不格好に佇んでいる。


「ナキ兄、成功するといいね」


 魔法陣を囲むのは、薄汚れた衣服を纏う少年少女。一人の少女が、杯と睨めっこする少年に目を輝かせながら話しかけた。

 ナキ。

 そう呼ばれた少年は、薄水色のボサボサに伸びた髪を揺らして微笑んだ。


「ああ」


 失敗したらどうしよう、希望に縋る子供達にはそんな考えは浮かばない。

 失敗すれば、今までと同じ日々が続くだけの事だと分かりきっている。そして、そんな事は誰も口にしようとはしなかった。

 本来ならば純銀製でないといけないナイフで軽く指を切り、陶器の杯の汚水にナキは水からの血を垂らす。

 魔法陣の周囲を囲む儀式道具が召喚する存在を選ぶ役割を持ち、条件を満たした土地で儀式を行うことで存在に捧げる力を得る。

 描いた魔法陣は、『召喚』という儀式を行う為の極々スタンダードなもので、周囲の儀式形態と手順によって『天使』という存在を引き当てる。


 呪文は極々簡単だった。簡易魔法の魔導書ならば、何とか読めるナキにとっては。


 本来ならば関門となるのは存在を引き当てる為の、言わばパスワード。

 数十桁にも及ぶパターンがある召喚の儀式、ハズレも当然多くある。外れを引くリスクの大きさを、子供達は何一つ知らない。

 故に彼らは、臆することなく実行してしまった。


 ぼそぼそと連ねる単調な呪文。ほんの数秒で終わる詠唱の後に、ナキはその魔法の名前を口にした。


「『プロスィクリスィ』」


 それは『召喚術』と呼ばれるもので、実行自体はそう難しくない。その魔法自体は成功したのだ。

 杯から光が溢れ出し、液体のように縁から零れ落ちる。

 零れ落ちた光が魔法陣の線に落ち、全ての線に一瞬で走り抜けた。

 そして、魔法陣が眩く輝き出す。


「わあ!」


 子供達は、現れた変化に顔を輝かせた。

 光る魔法陣の中心から、次は風が零れ出す。

 轟々と音を鳴らしながら暴れる風は砂塵を舞い散らし、魔法陣の中で起こっている『何か』を覆い隠した。


 ヴ、ヴ、ヴ、ヴ……


 獣が唸るような声が魔法陣から聞こえ始める。

 耳を澄ませば唸り声は魔法陣の中から聞こえるものではなく、魔法陣自体が上げているものだった。最年少の少年一人が、その不気味な唸り声に、怯えて耳を塞いだ。

 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!

 次の瞬間鳴り響いた大きな唸り声の連続に、今度はナキを除いた子供達全員が耳を塞いだ。歓喜の色は消え失せて、恐怖に染まった表情が辺り一面に広がっていた。




 ヴ!




 唸り声が一度だけ強く響き、そして突然ぷつりと途切れた。

 しん、と辺りが静まり返る。

 震えながら耳を塞いで蹲る子供達。

 一人、ゴクリと息を呑み、ナキが魔法陣の上に立ち上がる渦巻く砂塵を凝視した。


「……来る」


 収まった唸り声からか、それとも無意識の内に気配を感じ取っていたのか。

 ナキはぼそりと呟いた。

 そして、魔法陣を取り巻く砂塵は、次の瞬間轟音と共に吹き飛んだ。




 ガオオオオオオンッ!




 雄叫びのような爆音と共に魔法陣は大爆発を起こす。

 『何か』を覆い隠していた砂塵のカーテンは吹き飛ばされ、代わりに大爆発によって生じた黒煙がもくもくと立ち上がった。

 黒煙は、魔法陣の上で渦巻いていた風にのって、思いの外早く吹き飛んでいく。


 黒い煙の幕が上へ、上へと上がっていく。

 まるで天使の伝承の幕開けを告げるかのように。


 耳を塞ぎ縮こまっていた子供達が顔を僅かに上げ、ナキはぐっと背筋を伸ばした。

 緊張により張り詰めた空間の中、遂に黒い幕が上がりきる。




 そして、天使はその姿を現した。




「……え? ちょ、ちょっと何デス? 何事デス? 外?」


 ぐりん、と小さな小屋が動いた。


「……小屋?」


 ナキがぽつりと見えたままのものを言葉にした。


「外? カズ兄何をとぼけた事を……あれ、寒い! え? さっきまで部屋で鍋囲んでたよね私達!」


 ぴょこん、と兎の耳が揺れた。


「小屋と……兎……の、耳?」


 ナキが再び見たままのものを言葉にした。

 彼と、子供達が見たのはまさにその言葉通りのものだったのだ。


 地面に敷かれた畳の上に、コンロと鍋が乗せられた丸い卓袱台がひとつ。

 それを向かい合って挟むように座るのは、『小屋』と『兎の耳』だった。


「これが……天使?」

「天使? 何を言ってるのカナ、この子ハ?」


 『小屋』がぐりんと入り口をナキに向けて、籠もって反響した奇妙な声を入り口から漏らした。

 小屋の下には人間の身体がついている。

 いや。正確に言えば、『その人間は小さな小屋を被っていた』。

 それは犬小屋のような小さな小屋をまるで被り物のように被る男。

 だらしなくボタンを開いたYシャツの下に白いシャツを覗かせて、下には古めかしいカーキ色のチノパンを履いた、天使の世界の服装を知らない子供達にも分かる程にくたびれた格好が天使の神聖さを著しく損なっている。

 小屋男が不思議そうにナキの方を向き(恐らくは小屋の入り口を通して見ているのだろう)、次に向かい合う兎の耳に向き直った。


「うーん。さっぱりだけれど……あれじゃないかな? 人違い、というかこの子達は何か勘違いしてるんじゃない?」


 白い兎の耳は、人間の女の頭から生えていた。

 袖がだるだるにたるんだ灰色のセーターと、かなり短めな古ぼけたキュロットスカートで、小屋男に負けず劣らずのくたびれた印象を与えてくる。

 その一方で、象徴的な艶やかな黒髪と短めのスカートから覗く白くすらっとした足は、芸術品のような神秘的な美しさを醸し出していた。

 兎の耳がついているおもちゃのカチューシャ、そしてその見窄らしい服装を除けば、女は天使と言われれば納得できる美しさを持っていた。


 二人の男女を交互に見て、ナキは覚えている限りの『天使の伝承』を思い返す。


 天使と呼ぶにはあまりにも奇怪な容姿の二人。しかし、まだその奇怪さによって彼らが天使でないとは判断しきれない。

 しかし、ナキはその二人の内の一人、兎耳の女から『明らかな天使との相違点』を見つけてしまった。


「黒髪、黒眼……じゃない」


 この世界にはない『黒い髪』と『黒い瞳』が、世界を救う『伝承の天使』の最大の特徴の筈だった。

 しかし兎耳の女は、黒い髪こそ持ってはいたが、瞳は髪とは違う色に光っていた。


 まるでナキの家を焼いた熱い炎のような、ナキの両親が最期に散らした血のような……


 そして『天使の伝承』の、最初の天使・勇者アゲロスが、最後に倒した『世界最初の悪』……


 ―――『魔王』の象徴のような


 綺麗で不気味な『赤色』に。




   ――――




 むかしむかし、とあるところに、一人の魔導士が住んでおりました。

 魔導士はいつでも、必死に、必死に、魔法の研究に励んでおりました。

 多くの魔導士が魔法の真理を追い求め、「魔法とは何か」という答えを探す中で、魔導士はほんの少しだけ、変わった考えを持っておりました。


「魔法は神様からのおくりもの。アルマは神様がくれた恵みなのだ」


 魔法の源でもあり、生命の源でもある不思議な力、アルマ。


 それが何なのかを追い求め、もしくはそれが当たり前のものだと自由に使うのではなく、魔導士はアルマに、アルマを授けて下さった神様に感謝することに努めました。

 そして彼の追い求めたのは、「神様が何を思って私達にアルマを授けて下さったのか」ということでした。


 毎日、毎日、魔導士は天に問います。

 答えのない日々が続いても、魔導士は問い続けました。

 声が届いていないのだろうか。

 魔導士は、声を届ける魔法がないかを考えました。


 天の神様に、声を届ける魔法。


 それはあるとき、いくら問うても返って来なかった答えを、届けました。

 答えは声ではありません。

 代わりに姿を現したのは、天からの使いだったのです。

 この世界にはない黒い髪と黒い瞳、目映い光を宿したような、不思議な天使はこうして世界に舞い降りました。



   ~ ~ (中略) ~ ~



 ……そして天から使いとして送られた天使アゲロスは、魔導士の元で学んだ多くを使い熟し、世界を危機に陥れようとした赤い魔王○○○を遂に追い詰めたのです。


 魔王の城の前での最後の決闘、アゲロスは槍を魔王の胸に突き立てて、尚も死なない恐ろしい魔王を地獄に繋がるという沼へと突き落としました。


 世界を魔王の手から救った天使アゲロスは、勇ましき者・勇者と呼ばれ、世界中に祝福されました。

 ここから、世界に危機が訪れた時に、神様がテッラの為に使いを送る『天使の伝承』は始まったのです。




   ――――『子供のための天使の伝承』著者:歴史研究者ヤヒコ




   ――――




「……んんんんんんんんっ! 実にテンプレートっ! しかし、だからこそブラボーなお話でしたネ!」

「勇者アゲロス格好いい~!」


 小屋男と兎耳女は興奮冷めやらぬ様子で拍手した。

 子供か、とナキは若干呆れた様子で目を細めた。


「大体『天使の伝承』というものがどういうものなのかは分かりマシタ。纏めて言えば、世界の危機に天使様が来るヨ! という事ですネ!」


 大雑把に纏めて、小屋男はナキの方を向く。ナキは無言で頷いた。

 一方、さほどその確認作業に興味が無い様子の兎耳女は、卓袱台の上に置かれた鍋の方を向き目をパチパチを瞬きさせる。

 ナキ以外の子供達は、卓袱台の上に乗るものが何なのか、興味深そうに覗き込む。


「あー、そろそろ煮えてきたかな? カズ兄どうよ?」

「んんんっ? あー、そろそろいいですネ」

「わーい。あ、みんなも一緒に食べる?」


 兎耳女が子供達を振り向いて、にこっと無邪気に笑った。先程の勇者の話を聞かせた時の反応もそうだが、ナキよりも年上に見えるにも関わらず、所々子供っぽい女だった。

 子供達は顔を見合わせる。

 得体の知れない奇妙な二人組が囲んでいるもの、食べて本当に大丈夫なのだろうか?

 そんな疑いを顔に出す子供達に気付いたのか、兎耳女は箸を手に取り、鍋の具をひとつ掴んで、そのまま口に放り込んだ。肉団子だろうか、それを満足げな顔で頬張ると、ごくりと飲み込み声を上げる。


「あー、うまっ。ほーら大丈夫大丈夫。美味しい美味しい。あったかうまうまー。さあさ、試しにお一つどう?」


 兎耳女は、箸でひょいともう一つ具をつまんで、ふぅふぅと息を吹きかけ覚ましてから、手近に居る少女の鼻先に突き出す。

 少女は初めは戸惑ったものの、嗅いだこともない暖かな、食欲をそそる匂いに誘われ、恐る恐る口を近づけた。


「……おい! やめ……」


 ナキが少女の行動に気付いた時にはもう遅かった。

 ぱくっと一口、少女は差し出された肉を食べていた。

 怪しいものを食べさせられた、慌てて少女に駆け寄るナキだったが、その行動を許さずに、殆ど間髪入れずに少女は大きな声を上げた。


「おいしい!」

「そう、良かった」


 兎耳女が優しく微笑んだ。

 何ともない様子の少女の大きな声と、ずっと気になっていた匂いにつられて、子供達はぞろぞろと怪しい二人組を囲むように群がった。

 子供達からしてみれば、『伝承の天使』を喚び出すつもりで出てきたのだから良い人であるという認識があったのだろう。少女の一声を皮切りに、怪しい二人組への警戒は解けてしまったようだ。


「おい! お前達、やめ……」

「待ちなサイ」


 小屋男の低くくぐもった声にナキはびくりと身体を震わせた。


 威圧的な声、遂に本性を現したのか?

 一体、どんな悪魔を間違えて喚び出してしまったのか?


 身構えるナキに、小屋男は強い口調で言う。




「畳に上がる時は靴を脱ぐのデスヨ! それが常識デス! アレ? こっちの世界ではそういうのはナイ? ……デモ、靴は脱ぎなサイ! あ、そっちの少年少女達もデスヨ!」

「……タタミ?」


 ぱんぱん、と小屋男が叩いたのは、彼らの召喚と共に喚び出された板。ナキはすぐにそれが『タタミ』というものなのだと理解した。そしてそれが靴を履いたまま上がっていいものではないことを。


「カズ兄! 追加の皿と箸!」

「アイアイ、分かりましたヨ。デモデモ、こっちの文化的には箸は使えるんデスかネ?」

「じゃあ、フォークもついでに!」

「ヘイ、毎度デス!」


 小屋男が、小屋の入り口に手を突っ込んで、皿と箸とフォークを出す。

 「そこから出すのか……?」と畳の上に座るナキが戸惑いながら呟いた。

 皿と箸とフォークを兎耳女がてきぱきと配り、少し狭い卓袱台を子供達が囲み始める。そして早速慌てて鍋に手を伸ばそうとする子供達を、小屋男がばっと手を出し制止して、ぱんと手を打ち声を高くした。


「ハイハイ、焦らズ慌てズに! 食物への感謝は忘れてはいけないデスヨ少年少女達ヨ! 熱いカラ焦らないコト! 野菜もちゃんと食べるコト! そして、取り合いの喧嘩はしないコト! 鍋というモノは仲良く突っつくことに意義があるのでアッテ……」

「カズ兄、長いからー」

「おっと失礼シマシタ。お腹の虫も鳴いてきたコトデスし、早速戴くとしまショウ!」


 すぅ、と小屋男が息を吸う。


「それでは皆サマご唱和下サイ!」


 両手の掌を合わせる小屋男と兎耳女に合わせ、子供達も食器を置いて手を合わせる。

 そして、すっと息を吸い、二人は呼吸を合わせて声を上げた。


「いただきます!」

「いただきます!」


 一人戸惑うナキを他所に、子供達と怪しい二人の鍋パーティが始まった。


「……って、ちょっと待てって!」


 それに異論を唱えるのは当然ナキである。

 まだ話はロクに終わっていないのに、何故こんな団欒とした空気になっているのか。

 ナキは厳しい表情で、立ち上がって二人に尋ねる。

 最も重要にして、実に疑わしい一つの疑問を。


「……お前達は、本当に、『伝承の天使』……なのか?」

「んな訳ないデショう」

「冗談きついなぁ」


 即答であった。


「こぉ~んな怪しい格好シタ奴ラが、そんな大層な英雄サンと一緒の分類の訳ないデショうニ! 見りゃ分かる事デスヨ!」


 ごもっともである。

 唖然とするナキを見て、ふふっと笑って兎耳女が立ち上がった。


「そう言えば自己紹介をしてなかったかな? 此処は一つ、ナキ君とも打ち解ける為にも一発かましとこうか、カズ兄!」

「オオ、そうデシタそうデシタ! 自己紹介がまだデシタね! それじゃあ、そこの少年が、警戒しているのも頷けマス! やったりマショウか、クサリコ!」


 小屋男も立ち上がる。

 そして二人は、それぞれ違うポーズを取って、静止した。


 両腕を万歳するかのように上げ、胸を反らせる小屋男。


「見ての通りの箱入り息子っ! 絶対家から出てこナイ、世間一般で言う引きこもりっ! クズでクズなワタシの名前は、クズを二つ重ねて『九頭竜クズリュウ カズラ』!」


 両手でピースを作り、横向きで頬に当てる兎耳女。


「見ての通りの兎ちゃんっ! 兄と同じくクズの名冠する九頭竜姓っ! 全国の九頭竜さん、私達みたいなクズがそんな名前名乗ってごめんなさいっ! クズで腐ったワタシの名前は、クズを腐らせ『九頭竜クズリュウ 鎖子クサリコ』!」


 初めから用意していたのか、面倒臭い言い回しを終えた二人は最後に卓袱台の上で指先を交わらせ、声を揃えて元気に叫んだ。


「我ら、九頭竜ブラザーズッ!」


 兎耳女、クサリコがすっと席に戻った。


「私達が天使なんて悪い冗談だと思わない?」


 小屋男、カズラもささっと席に戻った。


「ワタシ達はどうしようも無い奇人変人イカレ変態ですヨ」


 とんでもない自虐を連ねながら、唖然とする子供達、特にナキを置いてきぼりにして、奇人変人イカレ変態は何事もなかったかのように、箸を持つ。


「あとの話は食べながらデモいいでショウ? 何でまたワタシ達を喚び出したのかは知りまセンガ……話くらいは聞きまショウ」


 カズラにすっと皿を渡され、ナキは戸惑いながらもそれを受け取った。 


「では、改めましていただきまショウ」


 どうしても納得がいかなかった。

 しかし初めて食べたその鍋は、とても暖かくて、ナキは口を付けた。

 温かい料理にナキがありついたのは、両親と最後に食べた夕食の時以来だった。




   ――――




 カズラの顔の小屋から取り出された、折りたたみ式の巨大テント。その中で腹を満たした子供達を寝かせ、外で火を囲みながらカズラとクサリコ、そしてナキは話を始めた。


「……サテ、少年少女達は眠った所デスし……早速、お話を伺いまショウ」

「どうしてあいつらが寝るまで待ったんだ?」

「『暗いお話』に小さな子供を巻き込むのも酷ってモンでショウ? ネェ、大きな少年?」


 カズラは気付いている。

 ナキは怪訝な顔を作り、忌々しげに呟いた。


「どうして……」

「そんな殺気に満ちた顔をされてちゃ流石にクズでダメダメな私達でも気付くよ、ナキ君」


 揺らめく炎の光を反射し、綺麗に輝く赤い瞳をナキに向け、何処かふざけた鍋パーティの頃の空気を感じさせないクサリコは言った。


「マァ、ワタシ達も突然見ず知らずの世界に喚び出されて、ホトホト困り果てている所デス。正直大迷惑ダと思ってる旨を、クズなワタシ達ははっきり言わせて貰った上で……ご用件は何デスか?」


 大迷惑だ、その一言にナキは顔を引き攣らせた。

 やっぱり、こいつらは天使じゃない。

 何かされる。危ない。どうしよう。失敗した。やばい。まずい。

 冷や汗を額に浮かべて、ぎゅっと唇を噛み締めるナキ。


 ―――やるなら今しかない。


 もしもこいつらが本当に天使だとしたら勝てないだろう。

 しかし天使とは言えまだ無能。倒すなら今だ。

 魔法を打とうとひっそりと構えたナキの身体に、その重みは突然ずっしりとのし掛かった。


「もう、カズ兄! そういうこと言っちゃ可哀想でしょ!」


 突然の重みにドキッとナキの心臓が跳ね上がった。

 気付けば、ナキは柔らかい感触の中に身体を埋めていた。


「な、ななななな……!」

「迷惑なんてうそうそ! 大丈夫だよ、ナキ君! 困ってる事があるなら何でもいってごらん! お姉さんと、この変な引き籠もり変態お兄さんが助けてあげる!」


 ナキを抱き締め、頬ずりしながらクサリコは声色を鍋の時と同じくらいに上げた。

 突然の出来事に、混乱してナキは舌が回らない。魔法の呪文詠唱どころではない。


「……ンモー! クサリコ、そうやって子供を甘やかしちゃ駄目デスよ! 頼めば何でもして貰えるトカ勘違いしナイようにワルモノぶってるんデスカラー!」

「だってだって可哀想だもーん! ナキ君可愛いよナキ君、はぁ~すりすり!」

「や、やめっ! やめろってば!」


 慌ててクサリコのハグを振り切るナキ。気付けば、カズラの奇妙な威圧感も、恐怖を感じさせる声色も元に戻っていた。

 カズラの言葉から、ナキは察する。


 ……演技?


 逃れられたのが不満なのか、むっとした表情のクサリコと、表情は相変わらず窺えないカズラ。空気は大分柔らかくなっている。やはり、演技だったのだろうか?


「全く……いいデスか少年。ワタシ達は奇特な変人デスカラ、少年の頼み事とヤラを聞きマスが、そう簡単に人に頼ろうなんて考えるモノじゃあアリマセン!」

「まぁ、私達はどう考えても人違いだし、力になれるかは分からないけれどね」


 再び明るい声色で、カズラとクサリコは言う。


 ――天使なのだろうか。それとも違うのだろうか。


 分からない。それでもナキにはこれしか頼るものが無かった。

 こうして、テッラに住まう一人の少年・ナキは、奇妙な二人と契約する。

 果たして二人は天使か悪魔か。

 意を決して、ナキは願った。




「……僕の『復讐』を、手伝って欲しい」




 これは、とある少年の、とある儀式の失敗から始まった、欠陥だらけのクズな天使達との不思議で奇妙な物語。

 


 ――忘れられた天使の伝承が、この時から始まろうとしていた




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