06話:晴れた日には洗濯を
ざっとマニュアルを読んだところ、どうやら私に与えられた仕事はただの家事全般だった。魔王城の管理者なんて大層な役名がついている割にごく普通の内容で拍子抜けだ
本を閉じて、自分の恰好を改めて見てみる
うん、どこからどうみてもメイド服だ。ならばメイドさんの仕事をするのに不思議はないのだ!
一度くらいメイド喫茶に行ってご主人さまと呼ばれてみたいなんて、弟と話したこともあったのに、まさか自分がメイドになって魔王サマと呼ぶ立場になるとは……。人生波乱万丈、なにがあるかわからないものでびっくりだ
履歴書に書けるかどうかもわからない仕事だが、与えられた限りは全力でやるのがこの私、加藤春香の心意義! 見事にメイドとして魔王城を管理してみせましょう!
と、無駄に萌えて、……燃えてみた
燃えたその勢いのまま、ぐるりと部屋を見回してみる
明るい光の中でみると、昨日はあまり気がつけなかったが汚れているのがよくわかる。調度品などは綺麗に整えられている分、その汚れはよけいに際立った。あちらこちらに埃がつもり、綿屑が部屋の隅に転がり、窓ガラスは曇っている
どこから手をつければいいのかわからない途方に、肩が下がりため息が出る
だけど、どうにかして片付けなければ快適な生活は送れない。今日もまた埃っぽいベッドで寝るのは嫌だ!
そんなわけで、私の初めての仕事はこの部屋の掃除から始めることにしたのだった
マニュアルによればとにかく城の管理をするとのことなので、仕事はなにをしてもいいらしい。前例を上げれば耳長族のコルラさんは庭仕事しかしてないし、ハーピィのマミーイさんは屋根の修繕修理がほとんどだった。なので私が10年の間、私の部屋だけをピカピカにしつづけていてもいいのだ!
「よしっ、がんばるぞ!」
ぐっと、手を握り締めて気合いを入れると、早速動きだした
***
まずはじめに手をかけたのは、ベッドだ
埃っぽくべしゃっとしたベッドで寝ると、悲しい気持ちになることが昨夜一晩で十分にわかった
毎日々々、お布団を干してふかふかで心地よく眠れるように保ってくれていたお母さんの偉大さにひたすら感謝の念がわいてくる。ありがとうお母さん!
シーツを掴むと、ざらっとした砂のような感触が肌に残った。すっごくいやな感触で、反射的に眉間をしかめてしまう
それでも負けずに、えいやっと気合を入れて布団からシーツを剥いでいく
両手いっぱいにシーツを抱え込むと、どうにか苦労して一緒にマニュアルも持ち上げて、先ほど目を通して覚えた道を行く
部屋から出て廊下をまっすぐ行った突き当たり。わりと近くにあるそこが洗濯のための部屋だった
洗濯をするためだけに部屋があるなんて、金持ちの家みたいでとっても豪華だ。さすがは城!
カビ防止のために化粧を塗られた白壁の室内は、閑散としていて肌寒さを感じさせる空気に満ちていた
部屋の右の壁には洗濯物を置くための棚が拵えられ、藤籠がいくつかまばらに置いてある。反対の左のほうには雨天時にも干せるように物干し竿が用意されていた。そして部屋の中央には下に続く階段があった
ひと先ず、抱えているシーツを棚の上に置くと、マニュアルを開いて部屋の設備と見比べていく
ぱっと見は書いてある通りだ。ふむふむ、と頷きながらマニュアルの文字をなぞる。気になるのはやはりこの階段の下だ。薄暗い石切の階段は冷気を纏っていて思わず尻ごみしてしまう
ごくり。
唾をひとつ飲みこんでから、不安から本を胸に強く抱きしめて階段をゆっくりと下りていく。じゃり、じゃり。足の下で靴に潰された砂が鳴る
さして長くない階段の下には、やはり冷え冷えとした部屋があった。一枚の続いた石で作られた壁と床はなじみのあるコンクリートによく似ている。10mほどの部屋の半分から先には水が流れていた。明かりは階段の上から射す光と、左上にある横長い明かり取りの窓から差し込む光だけ。そのわずかな光が反射して水がキラキラと光っているのがきれいだった
ちゃぷちゃぷと静かな水音を立てて右から左へと流れていく地下水の深度は浅く、下に敷かれたコンクリートの水床がこの薄暗がりの中でもわかった
地図によればここが洗濯場だという
確かに洗うのには向いていそうだ。私はしゃがみ込むと、水の中に手を入れてみた。少し冷たい。これくらいの冷たさなら、辛い思いをせずに洗うことができそうだ。ただ部屋自体が底冷えする寒さなので長いこといると風邪をひいてしまうかもしれない
さらに部屋をぐるりと見回してから問題はないと確認し、洗濯ものを取りに階段を戻る
濡れないように本を棚に置くと、壁に立てかけてあったタライに洗濯用に用意されていた石鹸とシーツを放り込む。同じように立てかけられていたコレ……って洗濯板よね。歴史の授業で教わったやつに似てる
板に波状の切れ込みが入った洗濯板を一番上に乗せるとえっちらおっちら半地下の洗濯場に下りていく
「よいしょっと」
タライの中身を床に置くと、空になったタライに水をくんで、掛声とともに持ち上げる
半分くらいしか水が入っていないのに、腕がぷるぷるするくらい重い
重いけど頑張って床の上に乗せると、その中にシーツを放り込む。シーツが沈むと、透明だった水が灰色に染まり綿屑がいくつも水面に浮く
ぞっ、と背筋が冷たくなる汚さだった
汚れた水を流すと、新しい水をくむ。そうして何度か水を取り換えるとようやく汚れが浮かないようになってきた
「さてと、次は石鹸ね」
乾いて表面が黄色にひび割れた石鹸だったが、手のひらで擦ればしっかりと泡立った。ぬるぬるとした油臭い石鹸をシーツに擦りつけてから、シーツ同士をすり合わせて洗っていく
そういえば、洗濯板も持ってきていたんだった
置き去りにしていたそれを持ってくると、かつて勉強したことを必死に記憶から掘り起こしていく。大丈夫! A校のためにあれだけ受験勉強を頑張ったんだから、授業の一つや二つくらいすぐに思い出せるはず
「えっと、この波々に擦りつければよかったのよね」
左手で板を押さえながら、反対の手でシーツをこすりつけながら上下させていく。コレで綺麗になっているという実感はないが、シーツ同士をこすりつけるよりがは楽なので、このまま頑張ることにした
掛け布団と敷き布団。2枚のシーツと枕カバーを洗い終えるころには、右手がじんじんと痛むようになっていた。力を入れ過ぎていたのかもしれない
泡だらけになったシーツを川にさらして、よくすすぐ。始めに汚れを落とす時もこうすればよかったと今更ながら思った
石鹸が残らないように丁寧に濯いでから、しっかりと絞りタライの中に入れる
これでシーツの洗濯は完了だ
ははは、私にかかればこんなものなのだ!
タライを抱え持つと軽い足取りで階段を昇っていく。ご機嫌に鼻歌も出るしまつ
濡れないように外して本のところに置いておいた腕時計をみると、まだ11時になったばかりだった
まだ昼ごはんまで時間があるので、シーツを干したら次は予備のメイド服とかも洗おうっと
洗濯室出てすぐの扉を開けて、裏庭へと出る
明るい太陽は優しく照らし、若い緑が輝いていた
出てすぐのところにある物干し竿の上に青色の可愛い小鳥が止まっていたが、近付くと驚いたのか飛んで逃げていってしまった
澄んだ青空の中を飛ぶ鳥はとても気持ちがよさそうで、そのままの姿勢で鳥が見えなくなるまで動くこと無く見送り続けた
消えてからもしばらくは空を見上げていたが、青に染まった瞼をニ・三度瞬きして溶かし消すと、シーツを干し始めることにした
白いシーツが風に揺れながら、きらめく明るい緑の中に浮かぶ光景はまるで洗剤のCMみたいに爽やかだった
気持ちのよさに先ほどの鼻歌の続きが自然に口をつく
「お庭で干しもの、メイドさん。その鼻つまむよクロツグミ」