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「ごほっ、けほっ・・・あ゛ー・・・」

咽返って、涙目になった陛下が呼吸を整えている。

・・・こういう時って、世界とか身分とか全然関係なく、誰でも咽返るんだなぁ・・・。

彼の目じりに浮かんだものを眺めつつ、私はそんな感想を抱いた。

「大丈夫ですか?」

「ん゛、ぅん゛っ・・・」

違和感に唸る陛下が、何度か頷く。

「あ゛ー・・・」




「なぁ・・・」

水で喉を潤した陛下が、呟いた。

その視線はどこか、遠くを見ている。

「はい?」

自分が話しかけられているのか自信が持てなかった私は、曖昧に返事をした。

すると、ぼんやりと遠くに視線を投げたままの彼が、言葉を紡ぐ。

「ミーナの生まれた世界は、どんなところだった・・・?」

「え・・・っと・・・」

唐突に放り込まれた話題に戸惑って、言葉が上手く出てこない。

そんな私を一瞥した陛下が、鼻で笑う素振りを見せて、また遠くを見つめる。

「行ってみたいな、異世界」

「・・・そう、ですか」

彼の纏う雰囲気に違和感を感じて、息が苦しい。

「・・・消えてしまいたくなるんだよ・・・たまに、思い出したように」

「あの、・・・っ」

陛下、と口にしそうになった私は、はっとして口を噤んだ。

なんとなく、今、彼を陛下と呼んだらいけないような気がしたから。

私はひやりとした胸の内を落ちつけてから、もう一度口を開いた。

「何か、あったんですか・・・?」

彼の目は私を見ていないけれど、構わない。

声をかけずには、いられなかった。

「なんでだろうなぁ・・・」

質問には答えずに、彼は私に視線を戻して自嘲気味に笑った。

脈絡のない発言に、私の頭の中はぐちゃぐちゃだ。

陛下は面喰った私を見て見ぬ振りをしたのか、水を口に含んでから言葉を続けた。

「ミーナの目を見てるとな。

 吐きだしてしまえって、そう言われているような気持ちになるんだよな。

 ・・・渡り人で、何も知らずに真っ白だから・・・なのかねぇ・・・?」

異世界すげぇな・・・と付け加えた陛下は、眩しそうに目を細める。

彼のそんな顔を見て、なんとなく胸の辺りに引っかかりを感じて、私は呟いた。

「・・・別に、真っ白なんかじゃ・・・」



陛下の評価は嬉しいけれど、残念ながら、私はグレーだ。

真っ白でいたいと思う胸の奥に漆黒の塊を隠していて、それを真っ白な部分にひと摘まみ溶かしてグレーになる。

そうやって、たまに嘘をついたり誤魔化したりしながら、この世界で生きてきた。

真っ白なまま生きていくだけの強さは、私にはなかったから。



言葉を濁した私に、陛下は静かに首を振る。

「実際この国のこと、ほとんど知らないだろ・・・エルと結婚した今でも」

「それは・・・」

肯定するのも失礼に当たる気がして、なんとなく頷けない。

本当は、10年と少し前の侵略戦争があって、それから数年後にシュウが団長になって・・・それくらいのことしか、私は知らないのだけれど。

「エルも、ミーナには汚いものは見せたくないんだろうな」

「ああ、それは思い当たる節が・・・」

シュウは、自分が蒼の騎士団に所属していた頃の話を、あまりしてくれない。

血生臭い話を覚悟して私が尋ねても、それは変わらなかった。

けれど、彼の過去を知りたいと思ったのは、もうずいぶん前の話だ。

私がそんなことを思い出していると、陛下がため息を吐いた。

「・・・だろ?

 それなら、何も知らないようなもんだ」

言葉は私を責めているようなのに、その表情は何だか穏やかにも見える。

私は何も言えなくて、ただ彼の話に静かに耳を傾けた。

「あいつは、それに救われてるんだろうな」

その声は凪いでいる。

けれど穏やかな声の裏に、何かが潜んでいるような気がしてしまう。

「・・・吐きだしても、いいですよ」

「ミーナ?」

思わず出た言葉に、陛下がぽかんと口を開けた。

「いいですよ、愚痴っても。

 へぃ、っと・・・ベルは私にとっても従兄弟・・・ですし」

どうしてこんなに、自分の声が穏やかなのかが分からない。

それでも、気づいた時には言っていた。

「だからね、消えちゃいたいなんて・・・そんな悲しいこと言わないで」




「・・・自分でも、何が苦しいのか分からないんだ」

「でも、苦しい・・・?」

小さな声で語り始めた陛下に、尋ねる。

すると彼は、目を伏せた。

「ああ・・・もうずっとだ」

「もしかして、それで脱走を・・・?」

私の言葉に、陛下は視線を彷徨わせる。

「かも、な・・・最初は、そうだったのかも知れない」

「最初・・・」

「・・・初めて王宮を抜け出して街に下りたのは、まだガキの頃だったな。

 父上の子は、俺1人だった。

 母上は俺が子どもの頃に亡くなっていたから、父上の目は俺にだけ向けられてた。

 だから期待されてるのが、痛いほど分かった。何も言わなくても」

ぼさぼさの頭を掻きながら、陛下が目を伏せる。

テーブルの一点を見つめて、息を吐いた。

「・・・逃げたい一心で出た外の世界は、新鮮で、楽しくて、クセになった。

 それから、何かあるたびに街に下りて・・・で、ジェイドやエルが迎えに来た」

「そうなんですか」

2人が陛下を探しに出ていたなんて、意外だった。

目を丸くした私に、彼は小さく笑う。

「まあ、エルは王立学校に通っていた時期もあるから、登場回数は少なかったけどな。

 そのかわり、あいつが迎えに来た時は、問答無用だった・・・鬼のように怖かったし」

若かりし頃の3人を想像して、私も頬が緩んでしまった。

シュウが陛下を引き摺っている光景が、目に浮かぶようだ。

そうして硬くなった空気が少し緩んだところで、再び陛下が口を開く。

「言葉で未来を変えるだけの度胸がなくて、流されるまま、父上の後を継いで・・・。

 覚悟も何もなかったから、隣国が隙をついたように侵攻してきた。

 ディアードさんやジェイド、叔母上の力を借りてなんとか対処して・・・。

 それを俺の手腕だと褒め称えられるたびに、苦しかった。

 そうこうしているうちに、チェルニーが・・・」

陛下は、そこで言葉を切った。

顔を歪めて、吐息を震わせる。

その様子を見た私の脳裏を、少し前にチェルニー様から聞いた話が掠めていった。

彼女が、出産で命を削りすぎてしまった、ということだ。

思い出して息を詰めた私に、陛下は静かに視線を投げた。

「あいつのことで、何か耳に挟んだことがあるのか」

「・・・すみません・・・チェルニー様から、伺ったことが・・・」

罪悪感から、口が勝手に言葉を紡ぐ。

それを聞いた陛下は、ゆるゆると首を振ってから言った。

「いや、本人の口から聞いたならいいんだ・・・。

 ・・・体のことか・・・?」

「はい、あの・・・もう、体が出産に耐えられないだろう、って・・・」

「・・・あいつ、」

私の言葉を聞いていたのか、いないのか。

陛下は、額を押さえて言った。

「自分はもう子どもを産めないから、もう1人妻を迎えようと言いだした。

 そんなの、こんな小国では時代錯誤だ。

 最初は相手にしなかった。

 本気で思っているだなんて、信じたくなかったのかもな。

 ・・・そして、思い出したように説得され続けて・・・。

 あの日も同じように笑い飛ばそうとしたら、胸倉を掴まれたんだ」

「む、胸倉を?」

「ものすごい形相だった。

 “あなたと同じ生き方を、あの子に残してもいいんですか”ってな」

「・・・それは・・・オーディエ皇子のことを指してるんですか・・・?」

声を落として尋ねると、陛下はかすかに首を縦に振る。

「ああ・・・。

 チェルニーは、オーディエには選択肢を作ってやりたいと思ったらしい。

 でも俺は彼女の必死な顔を見て、逃げ出した」

「逃げ・・・?」

「チェルニーには、十分に母親としての覚悟があったんだろうな。

 ただの母親じゃない・・・一国の后、皇子の母親だ。相当の覚悟だったろう。

 ・・・今なら、その時の彼女の気持ちが少し分かる気もするんだ。ほんの少しだけ。

 俺だって、オーディエに自分と同じような苦しみを背負わせるのは、嫌だ。

 でもあの時の俺は・・・チェルニーと向き合わずに、王都を出た・・・」

チェルニー様が仰っていた、“ある日突然いなくなった”という件だろうか。

私が何も言わずに、ただ陛下のことをじっと見ていると、彼は自嘲気味に続けた。

「今思えば、チェルニーは本当に俺のことを良く見て、良く知ってたんだな。

 ・・・ずっと見てくれてたんだ。幼馴染だしな。

 子どもの頃の俺が、王宮をただの鳥籠だと思ってたことも・・・。

 その王宮から逃げ出す俺のことも、エルに裏切り者の抹殺を命じた俺のことも・・・」

そこまで話した陛下は、そっと息を吐き出した。

小さな声が「どうしようもないな」と呟いたのは、気のせいじゃないはずだ。


「・・・王宮から逃げ出して、ヘイナの街に潜り込んだ途端、嵐に遭った」

「ヘイナ・・・」

確か、10の瞳であるウェイルズさんのお屋敷がある街だ。

・・・シェウル君が、渡ってきた街。

夏の夜会で光の粒となって消えてしまった彼を思って、胸がちくりと痛む。

私達渡り人に、等しく訪れる消滅の気配を感じて、私は小さく身震いした。

それと同時に、お腹の中からシエルが、ぽよん、と蹴ってくれる。

まるで“大丈夫だよ”と言ってくれているような気がした私が、わずかに目を細めていると、陛下は続きを話し始めた。

「俺は、どうすることも出来なくて雨に打たれて・・・。

 途方に暮れてた俺を拾ってくれたのが、レイラだった。

 ・・・彼女、最初は俺のことを浮浪者の類かと思ったらしい」

「・・・そう見えるような格好をしてたんですか?」

「いや、雰囲気が」

陛下の言葉に私は、ああ、と気がついた。

口を開くと、彼が訝しげに私を見る。

「病んでたんですね・・・きっと。

 なんだかベルと私、ちょっと似てる気がします」

似てる、と言われて意外だったのか、陛下は何回も瞬きをした。

その姿はリオン君とよく似ていて、少し可愛らしい。

今さらだけれど、人気の少なくなったカフェの一角でこうして陛下とお茶をしながら、人生相談・・・なんだか、現実味がなくて不思議だ。

ぼんやりそう思っていると、遠くで店員さんが応対している気配がする。

・・・一般の人が出入りする場所だから、声のボリュームは控えめにしなくては・・・。

私は小さく笑って、きょとんとしている陛下に向かって言った。

「全然、スケールの大きさは違いますけどね。

 ・・・逃げ出しちゃうとこ、似てる気がします。ちょっと病んじゃうとこも」


思い出すのは、シュウの後見を得て、王都にやって来たばかりの頃の自分だ。

真っすぐな彼が私に向けるもの全てから目を逸らして、逃げ出して、結局たくさん傷つけた。

本当は好きなのに、それを認めたら自分が傷つく気がして、出来なくて・・・。

でも彼を傷つけたことに気づいた時、やっと、目が覚めた。


「ミーナは、何から逃げたんだ?」

「・・・んー・・・それは秘密」

晒け出すのが恥ずかしくて言葉を濁すと、陛下は口を尖らせた。

「・・・今はベルが吐き出してるんですから。ね?」

「そうだけど・・・まあ、いいか」

ぼっさぼさの頭を掻いた陛下が、肩から力を抜いて言う。

「あー・・・オーディエに言われたこと、じわじわ効いてくるなー・・・」

「“そろそろちゃんとしろ”・・・でしたっけ?」

「ああ。

 オーディエが後を継ぐと言いだして・・・はっとしたよ。

 自分で選んだことだ、って言いながら真っすぐ俺を見据えて・・・。

 ・・・俺は今まで“決断する”ことに追い詰められてたんだと思う。

 それに付随する責任の重さも、怖かった。

 だから、何かあると逃げ出して、誰かが何とかしてくれるのを待ってた。

 ・・・そりゃ、くそ親父呼わばりされるわけだ・・・」

「くそおやじって・・・」

王様に向かってそんな暴言を吐けるなんて、さすが陛下の子だ。

いや、シュウもジェイドさんも、あまり変わらないような気もするけれど。

彼らの陛下に対する態度を思い出して、私は小さく息を吐いた。

「オーディエの決意を聞いて、自分が恥ずかしくなったよ。

 今まで、俺の全部を知ってるチェルニーを、頼り切ってた。

 俺のことを何も知らないレイラに、甘えてた。

 ジェイドには執務のほとんどを任せっきりだしな・・・。

 ・・・ほんと、消えちまいたい。最低だな、俺」

テーブルの上で手を組んで項垂れる陛下は、十字架の前で懺悔しているように見えてしまう。

裁きを受けたいのか、許しを請うているのかは分からないけれど・・・。


その時だ。

負のオーラを撒き散らして項垂れる陛下を前に、どう言葉をかけたらいいものかと考えを巡らせていた私の耳に、声が響いた。

「本当に、しょうもない人ですねぇ」

「いっそのこと消してやるか」

「いやいや、そうされると私の育休計画に狂いが・・・」


横からかかった声に、慌てて振り返る。

するとそこには、金色の髪を短いポニーテールにした補佐官殿と、腕を組んで仁王立ちする元蒼鬼の姿があった。

別に悪いことをしていたつもりはないのに、目が合うと自然と腰が引けてしまう。

そんな私を一瞥したシュウの眉間に、しわがくっきりと浮かんでいた。





「え、と・・・お肉買えた?」

かろうじて口に出来た言葉は、そのひと言だった。








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