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「どうだった」

低い声で囁いたシュウが、私の肩に羽織をかけてくれる。

待ち合い室は、窓が開け放たれていて、なんだか少しだけ肌寒い。

私は彼にお礼を言って、先生の言葉を思い出しながら言った。

「うん、ええと・・・。

 ・・・ちょっと血が出たり、水が出たりしたら入院だって」

私の話に、彼の表情が強張る。

「・・・そうか」

かろうじて呟いたのが聞こえて、私は苦笑混じりに囁いた。

「大丈夫。

 私だって不安だけど・・・みんな、そうなんだから」

きっと彼にとって今の話は、出産の生々しさを想像させる内容だったのだろう。

騎士団の団長をしていた割に、私が針で自分の指を刺したりするのに過敏に反応するくらいだ。

そう、天下の蒼鬼は、ものすごく心配症なのだ。

「きっと、大丈夫」

「・・・分かってる」

自分に言い聞かせるように呟いた私の手を、彼が握る。

いつも温かくて大きな手が、珍しく冷たかった。

私は空いた方の手で、彼の手を擦る。

そして、どちらからともなく顔を見合わせて、微笑み合った。


その時、ぽこりん、と可愛い我が子が何かを主張したのは、私だけが知る秘密だ。





入院が夜中になった時のために、救急用の入り口も確認してから外へ出た私達は、お花見のお弁当用の食材を調達した。

あまり歩きまわるとシュウが真顔で、しかも無言で見つめてくるから、なるべく手早く。

変に出歩いて風邪でももらってきたら大変だから、と最近街に出ることのなかった私は、本当はいろいろ見て回って、楽しみたかったけれど・・・。

仕方ない。私の番は、究極の心配症なのだ。


「あとはもう、帰るだけだな。

 荷物が届くのは、夕方になるらしいし・・・」

手近にあったカフェに腰を落ち着けたところで、彼が言った。

私はそれに頷いて、温かいお茶を口に含む。

買い込んだ荷物は、運送会社にお願いして家に届けてもらうことになっていた。

「ん・・・」

ふんわりといい香りが鼻から抜けていく。

本当はお茶と一緒に、美味しそうなタルトもいただこうかと目を輝かせていたのだけれど、それは彼がため息をついたから止めておいた。

・・・先生から、甘いものを控えるように、とは言われた。

けれど、食べるな、とも言われていないのに・・・。

言いたいことを口に出したら本気でお説教されそうな気がした私は、仕方なく甘いフレーバーのお茶だけを注文して、気持ちに折り合いをつけた。

・・・またミエルさんのところで、ゼリーでも作ってもらおう。


少し離れたテーブルでは、若い女の子達が注文したケーキを、ひと口ずつ交換している。

そんな光景を横目に見ていたら、向かいで鼻を鳴らす気配がした。

振り向けば、彼が目を細めて私を見つめていたのに気づく。

「・・・もう少しの辛抱だろ」

「分かってるもん・・・」

苦笑混じりの囁きに、口を尖らせる。

「・・・そんなに羨ましそうに見てたかな」

「食欲があるのは良いことだが」

ぼそりと言うと、彼が小さく肩を竦めた。

「・・・甘いものより、もう少し肉を食べて欲しいものだな」

長い足を組んだ彼が、カップを傾けながら私を一瞥する。

もともとそこまで食欲旺盛な方ではないけれど、妊娠してからというもの、私は肉類を食べるのに抵抗があるのだ。

なんというか、生理的嫌悪のようなものか。

シュウは、出産といえば命を削るもの、という考えがあるのか、そんな私にどうにかして肉類を食べさせようと思っているらしい。

肉と生命力が直結してる・・・のは、間違ってはいないと思うけれど。

ともかく私は彼の視線から逃げるように俯いて、意味もなくお茶に息を吹きかけた。

カップの中に、いくつも波が立つ。

「よし、」

ふいに聞こえた声に顔を上げると、彼が何かを思いついたのか、カップを置いて立ち上がるところだった。

腰を浮かせた彼に、私は声をかける。

「シュウ?」

すると彼は口の端に笑みを浮かべて、私の頬をひと撫でした。

色違いになった瞳が、楽しそうに細められる。

よく分からないまま小首を傾げれば、彼はふっと息を吐いて口を開く。

「今日という今日は、肉を食べさせる。

 その辺の店で買い物をしてくるから、ここで待っていろ・・・すぐ戻る」

「え、あの、しゅ・・・ぅ」

そして、私が呆気に取られながら声をかけるのも聞かずに、颯爽と行ってしまった。

「あー・・・」

頭を抱えた私の耳に飛び込んできたのは、カフェのドアベルの音。

おそらくシュウが鳴らしたのだろう。

「うーん・・・ま、いい・・・のかなぁ・・・」

呟いてみるものの、すでに彼は外だ。

言われた通り、待つよりほかない。

普段思いつきで行動することの少ない彼が、あっという間にいなくなってしまったことに、私は驚いて頭の中が真っ白だった。

思わず私を置いて動いてしまうくらい、何かいいことでも思いついたのだろう。

・・・お肉、食べさせられるんだろうなぁ・・・。

シュウが生き生きしているのは喜ばしいけれど、何かがずれている気がしてならない。

・・・嫌な予感がする。

「・・・はぁ・・・」

私はため息を吐いて、そっとカップに唇をつけた。

その時だ。

人の気配がして、私は振り返った。


「・・・んー・・・と・・・」

目の前に置かれたタルトに目を点をしている私に向かって、店員さんがにっこり微笑んで去っていく。

どうやら、カフェを出る時に彼が注文していったらしい。

ご丁寧に、ショーケースの中にあったタルトは、半分くらいの大きさにカットされていた。

一切れだと大き過ぎると判断したのだろうけれど・・・。

“タルトを食べる代わりに、肉も食え”というメッセージ代わりなのかと思うと、なんだか手をつける気になれない。

「・・・もぅ」

言葉と一緒に短く息を吐くと、ぽこん、とシエルが何かを訴える。

そっとお腹に手を当てて呼吸を整えた私は、“それ食べて”と言われた気がして、添えられていたフォークを手に取った。

ぱくり、と勢いをつけて頬張ると、ベリーの甘酸っぱさとカスタードクリームの滑らかな甘さが、口の中に広がっていく。

「ん、おいし」

咀嚼すると、さくさくという音が耳に楽しい。

下の生地にはナッツが練りこまれているのか、香ばしくて食感が良かった。

そうして目の前のタルトが残すところ、あとひと口になったところで突然、がたん、という乱暴な音が響いた。

びくん、と体が条件反射でびくついてしまった私は、慌てて顔を上げ、音のした方を見る。

するとそこには、見たことのない人がいた。


「ああ、すまないが、君・・・」

その人は向かいの椅子に腰かけながら、目の前を通り過ぎた店員さんに声をかけていた。

「こっちにアイスティーを頼めるかい」

・・・ええと・・・一体どこのどなたでしょう・・・。

私の向かいに座ってテーブルに肘をついて微笑む彼が、呆気に取られたままの私に向かって、その笑みを刻んだ口を開く。

・・・綺麗な顔は、どこか見たことのあるような・・・ないような・・・。

もやもやしたものが頭の中を駆け巡るけれど、全く思い出せない。

そんな私を見ながら、彼は言った。

「今日は1人なのか?」

「・・・は?」

新手のナンパだろうか。

・・・いやいや、それにしたってこんな、お腹の大きな妊婦に声をかけるなんて・・・。

私は完全に不審者を見る目つきになって、とりあえず残りのタルトを口に入れる。

席を立つにしても、せっかくシュウが注文してくれたものを残すのは嫌だった。

目の前の彼は、私の反応が予想と違ったのか小首を傾げている。

シュウよりも少し、年上だろうか。

・・・そうだったら、いい大人ということになるけど・・・。

ぼさぼさの髪に、袖を捲ったジャケット。耳には小ぶりのフープピアス。

いい大人だろうけれど、何と形容したらいいのか、とにかく軽そうな見た目をしている。

「・・・1人で来たのか?」

首を傾げたまま、タルトを咀嚼する私に尋ねる彼は、私が訝しげに眉根を寄せていることには気づかないのだろうか。

運ばれてきたアイスティーを、お礼を言いながら受け取る姿からは、シュウや院長と通じる、気品のようなものが感じられるのだけれど・・・。

こくん、と口の中のものを飲みこんだ私は、不思議そうにしている彼に向かって訊いた。

「すみませんが、どちらさま・・・?」

言いながら美味しいタルトに合掌した私は、視線を彼に戻す。

すると彼は、驚いた表情を浮かべてから、ふっと頬を緩めた。

そして顔を私の方へと近づけて、囁いた。

「・・・俺だ」

「・・・は?」

・・・知り合いではないと思う。

思わず体を引いて、腰を浮かしかけた私を、彼はどういうわけか若干必死になって、その場に留めようとした。

「ちょちょちょちょ、待て、待ってくれミーナ!」

「・・・え、やだ、どうして私の名前知ってるんですか気持ち悪い・・・」

新手のストーカーか何かだろうか。

それともオレオレ詐欺か何かなのか。

どうして周りの人が揃ってあさっての方向を見ているのか。


背中に寒気が走ったところで、彼はもう一度声を落とし早口で囁いた。

「余だ、アシュベリアだ。

 シュバリエルガの従兄弟の、アッシュだ」

「・・・っ」

「しぃぃっ」

その言葉の意味を理解した私が、思わず息を吸い込んだところで、彼は人差し指を立てた。

頭の中が真っ白だ。

アシュベリア・・・それは、この国の頂点に立つ陛下であり、私の夫の従兄弟の名前。

吸い込んだ酸素を脳に回した私は、生唾を飲み込んで口を開く。

思い切り吸い込んだから、口の中が乾いていた。

「・・・どうしてこんな所にいるんですか・・・?!

 何してるんです、執務は・・・まさか脱走して・・・?」

真っ白になった頭をフル回転させ、言葉を雨のように降らせた私を見て、陛下はさも煩いと言いたそうに両耳を塞いだ。

もうこの際、陛下に向かって“気持ち悪い”と言い放ったのは置いておこう。

大変な場面に遭遇・・・いや、これはエンカウントと呼ぶべきか・・・ともかく、大変な場面に出くわしてしまったものだ。

きっと今頃、王宮内では白の皆さんが総出で陛下の捕獲作戦を展開していることだろう。

「最近まともに仕事するようになったって、チェルニー様が仰ってましたけど・・・」

先日王宮でチェルニー様と話す機会のあった私は、そう聞いていたのだ。

訝しげな私に、陛下は手をひらひらさせて言った。

「言っとくが、仕事はしてきた。

 今日中に!・・・とジェイドに言われた分は、ちゃんと終わってから出てきたんだ」

にこにこ笑う陛下は、街中に溶け込むような格好をしているからなのか、とても自然な姿をしているように見える。

王宮で会う陛下とは、まるで別人だ。

私の知る陛下は髪をきっちり整えて、仰々しいメダルなのか何なのか分からない装飾が沢山ついている、かっちりした服を着込んでいるのだ。

アイロンがぴしっとかけられた、しわのひとつもない、国の頂点であるに相応しいらしい格好をしているのだけれど・・・。

「それに、俺のでっかい方の息子を残してきたから大丈夫だろうしな」

アイスティーをひと口含んだ彼は、にかっと笑った。

・・・街に下りると、口調まで変わるのか・・・。

「それより、エルは一緒じゃないのか?」


ごくごくとアイスティーを飲む姿が、仕事帰りに居酒屋で生ビールを一気に飲み干すサラリーマンに見えてしまった。

・・・確かに、この生活感を王宮内で醸し出されたら、皆困るかも知れない。









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