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不快に感じられる方がいらっしゃるかも知れません。その場合は、何も見なかったことにして、お戻り下さいませ。














赤い絨毯が、重い足をふんわり包んで押し返してくれる。

石造りのお城は、初めて足を運んだ時から変わらずに、静かに佇んでいた。

静寂の中を時折、騎士たちの訓練する声や、侍女さんたちの可愛らしい声が聞こえてくる。

食堂の大きな窓から見える木々は、そろそろ色を変える準備をする頃だろうか。

ゆっくりゆっくり歩いて階段を上り、すれ違う紅の騎士たちから挨拶代わりに気遣う言葉をかけてもらいながら、その部屋を目指す。

会うのは本当に久しぶりだ。


ノックをすると、返事がある。

聞きなれた、白侍女さんの声だった。

「こんにちは、ミナです」

自分の名前を名乗る時、私はいつも少しだけ照れくさい。どうしてかは分からないけれど、首の辺りがむず痒くなってしまう。

だから自然と、名前の部分だけ少し声が小さくなってしまうのだ。

言葉をかけた私が、そんな気まずい思いを抱えて視線を彷徨わせていると、ふいにドアが開いて中から顔を覗かせた人が。


「お久しぶりです!」

私よりもずいぶん若い、白侍女さんだ。

若いけれど、白の騎士団に志願して、恐ろしく厳しいらしい書類審査も面接も全て合格した、いわばエリートである。

公務員のような職なので安定しているし、職場で出会うのはおそらく騎士や事務官が中心だ。うまくいって結婚しようものなら、将来安泰である。

最近は、陛下の長子であるオーディエ皇子を射止めたい、と夢を描く女子も多いそうな。

シュウから聞いた話では、白百合・白薔薇ことディディアさんとヴィエッタさんの人気との相乗効果で、白侍女を志願する女子が爆発的に増えて困っているらしい。

王宮事情は、目まぐるしく変わるのだ。


・・・私も白の騎士団に所属してたけど、裏口入団に近いものがあったからなぁ・・・。

・・・ちゃんとした手順を踏んだ人達に申し訳ないような。


王宮の中で職を得た経緯を思い出して、内心でため息混じりに呟いた私は、その白侍女さんと少し挨拶程度の世間話をしてから部屋の中へ入った。


「こんにち、」

「ミーナぁっ!」

「・・・っ?!」

窺うようにして中に入った私のもとへ、リオン君が駆けてきた。

咄嗟に息を詰めた私は、お腹を守るように体を少し捻って衝撃に備える。

拒絶するような格好になってしまって申し訳ないけど、今はお腹が一番大事なのだ。

心の中で謝りながら体に力を入れていると、少し高い所から声が聞こえてきた。

「皇子、ミーナ殿は今、体を大事にしなければならない時期ですから」

相変わらず渋い声に、顔を上げる。

「バードさん!」

思わず飛び出してしまった歓喜の声に、壮年の彼は苦笑を浮かべながら「お久しぶりですね」と小首を傾げて囁いてくれた。

私はそれに頷いて、久しぶりに見るバードさんの顔を、まじまじと見つめる。

相変わらず、おじさまの魅力があふれ出る姿に、なんだか懐かしさすら覚えてしまう。

そんな感慨に耽りそうになった私は、何度か瞬きをして、その腕に抱きあげられて大人しくなったリオン君に視線を移した。

「ごめんね、抱っこ出来なくて」

「・・・うん、へーき」

妹姫が誕生して、少しお兄ちゃんの顔になった彼は、私の言葉に頷いてくれる。

ほんの少し納得のいかないような、寂しさを堪えているような、そんな表情を垣間見てしまった私は、切なくなって手を伸ばした。

柔らかい髪は、最後に触れた時と同じだ。

それなのに、彼の口から出てくる私の名前はいつの間にか“ミーナ”に変わっていた。少し前までは、口にしやすい音だったのか“ミミ”と呼んでいたのに。

「ちょっと会わない間に、大きくなったねぇ・・・」

しみじみ呟くと、同じくらいの目線で目を合わせた彼が、ごにょごにょと何かを口の中で呟いて、照れたようにもじもじする。

動きに合わせてバードさんが苦笑した。

私の小さな皇子さまは、大きくなったようで、まだまだ子どもだ。

気がついて何だかほっとした私は、人の気配に気づいて振り返る。


初めて会った時よりも、少し顔つきが大人になったような気がするその人は、やはり甘くてふわふわした雰囲気を漂わせて微笑んだ。


「お元気そうで良かったです」

「おかげさまで・・・。

 レイラさんも、お体は落ち着きました?」

「はい、すっかり元通りです」

カップを戻しながら、レイラさんが頷く。

そして、お茶請けのクッキーを1つ摘まんでいた私に向かって言葉を紡いだ。

「蒼鬼さま、いつ頃こちらにいらっしゃるんでしょう」

「たぶん、夕暮れ前には来ると思うんですけど・・・」


シュウは今、家業である10の瞳を引き継ぐために陛下とジェイドさん、それから彼の母である院長と4人で打ち合わせをしている。

実はこれで何度目かになるのだけれど、領地を引き継ぐ書類の作成が、意外と大変らしい。

4人中3人は、それほど仕事熱心ではないらしいので、残りの1人が頑張っているそうな。

・・・そのたった1人が誰なのか、思い当たるけれど確認する勇気はない。残念ながら。

ともかく、そういうわけで私はシュウを待つ間だけ、レイラさんのお部屋にお邪魔しているのだ。


「すみません、ご面倒おかけします」

私が居ると、何かと動きが制限されてしまうのではないかと、咄嗟に頭を下げる。

本当は家で留守番しているつもりだったのだけれど、彼はまだ、私を1人にしないようにと気をつけてくれているのだ。

その発端は、私が「シュウが見えなくなると怖い」と弱音を吐いたことだとは思うけれど。

レイラさんは頭を下げた私に、苦笑しながら首を振ると言った。

「じゃあ、お夕食をご一緒してもらうのは、無理そうですねぇ」

「そうですね・・・お母さまも来てるので」

まだ言いなれない単語を口にした私に、彼女は微笑む。

少し離れた所で、リオン君がバードさんとボードゲームを楽しんでいる声が上がった。

この日常に入り込むのは、ずいぶん久しぶりだ。

「ラズおばさま、赤ちゃん楽しみにしてるでしょう」

くすくす笑いながら話すのはどうしてだろう、と小首を傾げると、彼女は口元を押さえたまま続きを口にした。

「おばさまのことだから、名前もたくさん考えてるんじゃないですか?

 蒼鬼さまも、負けないくらい」

「そうなんですよ・・・親子で張り合っちゃって・・・。

 私も参戦したいくらいなんですけど、止める人がいないと大変なので・・・」

「でも、自分の赤ちゃんの名前ですよ?

 ミーナさんも考えたいでしょう?」

心配そうに私の顔を覗きこむ彼女に、私は手をぱたぱたさせて言う。

「私、審査員なんですよ。

 沢山ある候補の中から選ぶのは私なので、大丈夫です」

なんだかんだと張り合うわりに、2人は私に甘いのだ。

紙いっぱいに名前を書き連ねたものを持って、2人して私に詰めよってくる光景を思い出して、笑いがこみ上げる。

そして、堪え切れずに思い出し笑いを浮かべてしまった私を、レイラさんが不思議そうに小首を傾げて見つめていた。

その時だ。

ドアの前に控えていた白侍女さんが、レイラさんに声をかけた。




「ミーナがこちらに居ると聞いたから、ちょっとだけ顔を出してみたの」

そう言ってやって来たのは、チェルニー様だった。

陛下の、1人目のお后さまである彼女は、普段は陛下の補佐のような仕事をしている。

もちろん今もそのはずで、そう簡単に自由に動ける時間もないはずなのだけれど・・・。

不思議に思う気持ちが顔に表れてしまっていたのだろうか、彼女は苦笑を浮かべながら口を開いた。

「仕事もね、ひと段落したから。

 ・・・最近、陛下がちゃんと働いてくれるから助かっているの」

「陛下が、働いてるんですか・・・」

思いもよらない種明かしに驚いていると、チェルニー様は笑って頷く。

そのせいなのか、白侍女さんも笑顔で、彼女の目の前にお茶を差しだしていった。

レイラさんは、寝室で寝かせていた小さなお姫様が泣いたために、様子を見に行ったきり戻ってきていない。

きっとオムツを替えているか、授乳をしているかだろう。

もしかしたら、両方かも知れない。

そこまで考えを巡らせた私は、意識を目の前で優雅にお茶を啜るチェルニー様に向けた。

すると視線を感じたのか、彼女は喉を潤してから口を開く。

「脱走もね、あまりしなくなったのよ。

 ・・・きっと、オーディエを育てようと思っているんでしょう。

 2人にも、自分と向き合う時期が来たんじゃないかしら・・・」

「・・・自分と、向き合う・・・」

唐突に目の前に放り出された話題の深刻さに、足が竦む。

何かを尋ねたり、聞いたりしていい内容なのだろうかと思った私は、目を合わせることも躊躇われて俯いてしまう。

囁き程度の、決して世間話をするような大きさの声ではないから、きっとリオン君には聞こえていないのだろう。

ボードゲームに熱中している様子が、遠くから聞こえてくる。

そして、目の前からは、小さなため息が。

私の目に映っているのは彼女の綺麗な手で、それが流れるような仕草でカップを持ち上げようと取っ手に指先をかける様子だった。

「オーディエには、本当に手を焼かされたわ。

 人と関わることは不得手だし、そうなると人望も薄い・・・アッシュとは真逆。

 彼はふざけているけれど、人の心を動かすのがとても上手なの」

「それは、なんとなく分かります」

俯いたまま打った相槌に自分で驚いて、顔を上げる。

すると、ぱちぱちと何度も瞬きをしたまま動きを止めている彼女の姿があった。

口を少し開けたまま、カップの縁が唇に届きそうで届かない位置にあって。

そして、すぐに気づいた私は、慌てて首を振った。

「違うんです、あの、陛下のくだりだけ・・・」

いつもの倍近い速さで言い切れば、苦笑しながら彼女が頷いてくれる。

それを見てほっと息を漏らした私は、いくらか感じていた緊張を解いて言葉を紡いだ。

どこか緊張感を伴うけれど、これは普通の会話なのだろう、と思うことにして。

「オーディエ皇子は、もう王立学校は卒業されたんでしたっけ・・・?」

「ええ・・・少し前にね。

 それから、ホルンでディアード教授・・・ジェイドの父君のところでお世話になって。

 今は、アッシュの補佐の真似事をしているの」

カップをテーブルに戻した彼女は、お茶菓子に手を伸ばす。

ずいぶんとリラックスしているように見えるけれど、その表情はどこか浮かないように見えた。

私も傾けていたカップを戻す。

「じゃあ、親子3人で水入らず・・・」

口元をわずかに歪めた彼女がそっと視線を落とすのを見て、私は言葉の途中で口を閉じた。


何か気に障っただろうかと考えを巡らせていると、ふいにチェルニー様が呟く。

「そういうわけにも、ね・・・。

 わたくし達は、普通とは少し違うから・・・」

寂しそうな顔を、私に見せないようにしているのだろうか。

いつも前を向いて堂々と、優雅に微笑んでいる彼女からは想像もつかないような、そんな姿。

驚きに似た感情を抱いた私は、彼女の指先がわずかに震えているのを見てしまった。


そして、私は思い至った。

もしかしたら、チェルニー様は、陛下に自分以外の妻がいることが苦しいのではないかと。

いや、私ならば、それはとても苦しくて、決して受け入れられないと思う。

けれどここは私からすれば異世界で、価値観もきっと違っていて・・・そうなると、陛下とチェルニー様、レイラさんのような夫婦のカタチもあるのかと、あっさり飲み込んでしまっていたのだ。

その理解の仕方は、もしかしたら間違っていたのかも知れない。


私は咄嗟に、言葉を紡いでいた。

「すみません・・・無神経でした」

すると、彼女はゆるゆると首を振る。力なく、頼りなく。

普段の姿からは、想像も出来ないような弱ったチェルニー様。

「気にしないで。

 選んだのは、わたくしだもの」

小さく息を吐いて、彼女は微笑んだ。

それがまた痛々しくて、私は咄嗟に立ち上がって、彼女の隣に腰を下ろす。

そして、その綺麗すぎるくらいの手に、自分の少しささくれの出来始めた手を重ねた。

その瞬間、はっと息を飲む気配を感じた私は、それを無視して手を握りこむ。

誰にも見えないように隠していた傷口を、私が無神経にこじ開けてしまったのだ。

どうしようもなく酷いことを仕出かしてしまったことに気付いた私は、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

何を言えばいいのかなんて考えてもいなかった自分、この後どうしたらいいのか分からない自分が呪わしい。

けれどそれでも、触れた手から、思ってもみなかった柔らかさと温かさが伝わるのを感じてしまったら、もう離せなくなっていた。

「・・・わたくしが、お願いしたの」

小さな声が、囁いた。

後ろから私達を見たら、噂話でもしているように見えるだろうか。

相槌も打たず、何も言わない私に、彼女は続ける。

「誰か他の人に、もっと子どもを産んでもらって、と・・・」


「頼りない彼を、わたくしが助けながら2人でやっていこうと誓って、すぐだった。

 オーディエを妊娠して、とても嬉しくて。

 でも・・・あの子を産んだわたくしは、命を削りすぎていた・・・」

震える吐息と一緒に吐き出される言葉の裏に、チェルニー様は何かを見ているようだった。

それは私が言葉だけで想像しているよりも、ずっと残酷で、ずっと苦しい記憶だろう。

「彼は最初、とても傷ついた顔をして・・・喧嘩も沢山した。

 そうして何年も説得し続けて、オーディエがある程度大きくなった頃・・・。

 彼は、突然失踪したの。置き手紙を残して、数週間も」

「・・・そんなに・・・」

私が打った相槌に、彼女は苦々しく口元を歪めて頷いた。

「ジェイドは、ポンコツ陛下と罵って、怒っていたわね・・・。

 そして、ある日突然、ふらっと戻ってきた。

 ・・・まだ15か16だった、彼女を連れてね」

声を一層小さく潜めて囁いた彼女は、自嘲めいた微笑みを浮かべる。

私は、何と言ったらいいのか分からずに、ただ、その顔を見つめていた。

「他の誰かを望んだのは、わたくしなの。

 オーディエに将来、国を治めないという選択肢を残してあげたかった」

「チェルニー様・・・」

「だから自分が苦しいからといって、陛下を責めるのは間違っていると分かってる。

 オーディエにも、わたくしが子どもを産めなくなったことを気に病んで欲しくない。

 ・・・もちろん、レイラには感謝の気持ちでいっぱい。

 子ども達同士が良い関係でいることも、本当にありがたいし・・・。

 だからね・・・欲張った、わたくしが悪いんだって、分かってるの」







帰り道、シュウを手を繋いで歩く。

約束通り夕暮れ前に迎えに来てくれた彼の手は、やはり大きくてごつごつしている。

影が西日に押されるようにして伸びて並ぶ光景に、なんだか胸がしめつけらるような気持ちになってしまうのは、チェルニー様の打ち明け話が、ずっと渦を巻いているから。


あの後、話が途切れるのを待っていたかのようにレイラさんが寝室から戻ってきた。

きっと気配を窺って、頃合いを見て出てきてくれたのだろう、と勝手に思っている。

そして、チェルニー様も何事もなかったかのように、いつもの女王様めいた雰囲気を纏って、私を「出産は痛いわよ~」と脅かして出て行ったのだった。


「痛いのは、やっぱり怖いよねー・・・」

ほとんど上の空で呟いた私を、彼は訝しげに眺めて小首を傾げた。

その痛みを彼が味合わないことが理不尽に思えて、私は彼を手招きする。

「・・・ん?」

不思議そうにしながらも、彼は足を止めて私に顔を近づけてくれる。

いつもそうだ。私を疑いもしない。

色違いになってしまった瞳は、色が変わっても変わらずに私を見つめ返す。まっすぐに。

私は笑みが浮かぶのを必死に堪えて、その頬を掴んで引っ張った。

ぐにーん、と見た目よりも伸びた頬が少し赤くなったのを見て、私は少し笑って手を離す。

「・・・マーキング。しときました」

「意味が分からない」

怒っているのとは違う表情を浮かべた彼が、頬を撫でながらぼやく。

それすら愛おしくて、私は自分のお腹を撫でた。

「さ、お母さまが来る前に、夕飯準備しないとね」




それからしばらく黙ったまま、私は考えていた。


やっぱり、私はシュウとずっと、番でいたいと思う。

だからもし、私がいなくなってしまっても、次の番を探さないで欲しい・・・。


そう思うのは、我儘だろうか。








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