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「・・・仕事は?」

駆け寄ってきたその人が口を開く前に、シュウが問いかけた。

「やっほー、ミーナ!」

「おい」

綺麗に無視されたシュウが不機嫌さを隠そうともせずに、その人を呼びとめる。

けれど、にこにこと微笑むその人は、シュウの仏頂面など見慣れているのだろう、あまり効果はないようだ。視線を合わせることもせず、私を真っすぐ見つめて微笑んでいる。

「元気そうですね、キッシェさん」

私は苦笑いしながらシュウを一瞥して、口を開いた。

隣では、私と目が合って肩を竦めた彼が、ゆるゆると首を振るのが見えている。

「うん、おかげさまでね~」

長い黒髪をくくって背中に流しているキッシェさんは、相変わらず女性かと思うくらいに整った顔を、私に向けたまま笑みを浮かべた。


「今日は、検診?」

大きく膨らんだお腹に視線を投げたキッシェさんは、小首を傾げて尋ねた。

出会った場所が病院の前だということも、あるのかも知れない。

私は頷いて、シュウを見上げる。

「ついてきてもらったの。ね?」

「・・・いつものことだ」

お互いに腐れ縁だと言い張る友人に無視されてため息を吐いたきり、ずっと黙っていた彼がぽつりと呟く。

その様子を見ていたキッシェさんは、ふぅん、とだけ。

けれど、相槌を打ったその目は、とても楽しそうに弧を描いている。

「・・・なんだ」

訝しげに尋ねる彼に、キッシェさんは肩を竦めた。

「いーや。なんでも。

 世に名の轟く蒼鬼も、よき夫よきパパになったもんだなぁ、と」

「貶してるのか」

言葉じりは意地悪な響きを含んでいるのに、その表情は穏やかだ。

言い返した彼も、買い言葉のような台詞を吐いた割には、そこに気を悪くしたような素振りはまったく窺えない。

男の友達同士の会話というのはこんなものか、と思わせる何かを感じて、私はただ黙って彼らの応酬を見守っていた。

少し前まで時折強く吹き付けていた風が穏やかになって、首に巻いたストールからは柑橘系の匂いが漂ってくる。

その匂いを吸い込みながら、少しの間ぼーっと2人を眺めていた私は、ふと思い出したことがあって口を開いた。

「そういえば、」

2人の視線が同時に向けられる。

「キッシェさん、実験的に治療してるって聞いたけど・・・」

私の言葉にキッシェさんが一瞬きょとん、と目を瞬かせて、そして頷いた。

「うん。

 おかげさまで、体調の波がなくなってきたよ」


その発端は、1人の少女だったそうだ。

彼女は視力を失った代わりに、人の魂のようなものが見えた。

それは人の体の心臓のあたりに光る、この世界ではホタルと呼ばれるもの、だそうだ。

ホタルは胎児の頃に宿り、その人の一生を経て古代石や星の石に移り、時が熟せばまた、どこかで芽吹いた命に宿る。

この世界ではそうして、魂が循環しているという。


そのホタルというものが、渡り人がやって来る現象を引き起こすらしいけれど、そのあたりの理屈は落ち着いて聞いたことがないので、私は詳しいことは知らないままだ。

知らなくていい、と彼に言われてしまったから、それ以上突っ込んだ質問が出来ていないだけなのだけれど・・・。


ともかく、ホタルは1人に1つ。必ず存在しているものなのだ。

この世界の住人であろうと、渡り人であろうと。例外なく、必ず持って生きている。

ホタルはエルゴンの塊で、大きさや光の強さが、そのまま生命力を表しているという。

そこで、キッシェさんの原因不明の虚弱体質の話になるのだけれど・・・。


「ホタルを安定させようという、あれか」

隣でシュウが呟く。

それに頷いたキッシェさんは、手をパタパタさせて苦笑した。

「そんな難しいカオしなくても」

その表情は生き生きしているし、心なしか肌艶もいいような気がする。

・・・リュケル先生、コラーゲンでも入れてるんじゃないだろうか・・・。

眉間にしわを寄せてキッシェさんを一瞥したシュウを横目に、私は口を開いた。

「治療って、どんなことしてるの?」

「注射して、採血して、薬の調合変えて注射して・・・の繰り返し、かな」

「・・・副作用は?」

声音は硬くて冷たく聞こえるけれど、おそらく心配しているシュウを、キッシェさんは首を振って一蹴してみせる。

「今のところ、なんともない。

 ・・・体感だけどさ、輸血と同じようなものなんじゃないかなぁ・・・」

「輸血・・・」

「・・・まあ、お前がそれでいいなら口を出す気はないが・・・」

まったくもって想像のつかない治療内容に、聞き取った単語を反芻していた私の横で、シュウが渋々といったふうに言う。

見た目に反して、蒼鬼は身内に対しての情が厚いのだ。

「僕も医者じゃないから分からないけど。

 とりあえず、僕の中のエルゴン濃度みたいなのを調節してるって解釈してる。

 ・・・たぶんちゃんと説明されたけどさ、もともとお勉強は苦手なタイプなんだよね」

あはは、と軽やかに笑ってみせるキッシェさんにつられて、私も思わず笑ってしまった。

どうやら本当に、体の調子が良いようだ。

「あー!

 早く転職したーい!」

空を仰いで腕を伸ばしたキッシェさんに、シュウも私も苦笑してしまう。

なんだか、声も前より大きくなったような気がするのは、私だけだろうか・・・。

「図書館はいいのか」

「図書館なんて!

 やっぱ刃物のある職場がいい!」

「厨房?」

「えー。

 食材相手に斬ってもつまんないんですけど」

「・・・蒼の騎士団で捕縛してくれないかな」

「通報するか」






「キッシェさん、元気そうで良かったね」

「ああ・・・」

彼の腕に掴まって歩きながら、私はその顔を見上げた。

真っすぐ前を見据える彼の眉間には、しわがくっきりと浮かんでいる。

私は少し前、キッシェさんとのやり取りを思い出して、内心でため息混じりに苦笑した。

すると、それを感じ取ったのか彼が呟く。

「叩きのめしてやる」

・・・お久しぶりです魔王様・・・。

静かに怒りを撒き散らす彼を、すれ違う人があさっての方向に視線を飛ばしたり、振り返ったりしていく。

私は心の声を呟いて、彼の腕を擦った。

話の流れで、彼らはどちらの方が剣の腕が上なのかという会話をしたのだ。もちろん、お互いに自分だと思っているから、売り言葉に買い言葉になる。

・・・最近、やっと“蒼鬼は意外と良い人”だと思ってもらえるようになったのに・・・。

すれ違う人の様子を見て内心肩を落とした私は、静かに何かに燃えているらしい彼に言った。

「ほんと、負けず嫌いなんだから」

「・・・わかってる」

呆れ半分の私に、彼がやっと目を向けてくれる。

どうやら何とか気持ちの整理をつけたらしい。

・・・まあ、本気で怒るわけがないけど・・・。

元来優しい彼なのだ。簡単に沸騰してしまうような短気な人ではないと、私は思っている。

「ただ・・・」

声を落として囁く彼の声を拾おうと、私は耳を澄ませた。

往来には、野菜や果物を売る店の人の声や、子ども連れの母親の声が響いている。いたって平和な、日常の風景だ。

そんな中を歩くには、彼の表情は曇りすぎているような気がしてならない。

ちらりと私を一瞥して前を向いた彼は、小さく息を吐いてから言葉を紡いだ。

「キッシェにはああ言ったが、自信がない。

 ・・・きっともう、今までのように、思った通りに剣を振るうことは難しいだろうな」

街路樹の作る木陰を渡り歩いている私達に、影が降りてくる。

日の当らない場所では、吹きつける風は体温を奪うようだ。

肌寒く感じた私が、首元のストールが飛ばないように押さえると、ふわりといい匂いがする。

吸い込んだ柑橘の香りに和らいだ心が、彼の表情を見つめているうちに萎んでいった私は、思わず俯いてしまった。

彼が剣を振るえないのは、片方の目から私が光を奪ったからだ、と自覚しているから。

「ごめんね・・・って、謝ったら怒るよね」

「ああ、怒るな」

いつの間にか歩く速さが落ちている。

鉛がくっついているように、足が重い。

「剣を振るいたいとは、正直思ってない」

「・・・そう、なの?」

つい今しがた、剣を振るうことが難しいと言って、表情を曇らせていた彼の言葉の意図が掴めずに、私は小首を傾げた。

色違いの瞳が、柔らかく細められる。

「何かあった時に、自分の手で家族を守ることが出来るかどうかを、考えていた」

「シュウ・・・」

彼の囁きが、いくらかの重みをもって耳に入ってきて、私はそっと彼の名前を呼んだ。

「ずっと、剣を振るう仕事をしてきたからな・・・」

独り言のように呟く彼の手を、そっと捕まえて繋ぎとめる。

ごつごつした大きな手は、こうしているだけで守られていると思えるのだけれど。

そんな気持ちで彼の手を見つめていた私は、ふいに思いついたことがあって口を開いた。

「でも、私達、いつかはお爺ちゃんとお婆ちゃんになるんだよね。

 ・・・そしたら、きっと剣がどうとか、言ってられないんじゃないかな」

ひと言、ただ口から零れ落ちただけだというのに、それが呼び水になったかのように体の奥から湧いてくる言葉を抑えきれなくなって、私は言葉を紡いだ。

「きっと、剣を思うように振るえる時間なんて、人生の短い期間でしかなくて・・・。

 だから剣以外の方法も、考えた方がいいのかも知れない。お互いに。

 ・・・私だって、シュウのこと守りたいと思ってるんだよ。家族なんだから」

「ミナ・・・」

きゅ、と繋いだ手に力を込める。

言葉以外のものが、こうして触れた場所から伝わればいいのに。

ぶつけるように見上げると、彼が甘く微笑んでいた。

色の違う瞳は、時々痛々しく見えるけれど、それでも湛える甘さは滲んで零れるほどだ。

おそらくこんな、昼間の往来で見せていい表情ではないけれど、それでも舞い上がってしまうくらい嬉しくて、私は思わず赤くなりそうな頬を押さえる。

本当に。私も大概だ。

「母は強し、だな」

「パパがとっても強いから、ね」




「ベビーベッド、注文して帰るか」

「うん!

 ・・・あ、お腹すいたって、赤ちゃんが言ってます」

「・・・本当に子どもの声か?」









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