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「あれ・・・?」

すっと痛みが引いたことに気づいて、私は辺りを見回した。

「・・・どうした」

耳元で控えめに響いた硬い声と、色違いの揺れる瞳。

心配そうにしている彼が、抱きかかえた私の顔を覗き込む。

「ん、ちょっと痛みが、落ち着いたみたい・・・。

 えっと・・・」




お花見をしていた私は、突然やってきた痛みに耐えかねて病院に行くことになったのだ。

脂汗が出て、体の中が抉られ絞られるように痛くて・・・。

皇子さまが車の手配をしてくれて、ジェイドさんの運転で、それから・・・。


・・・それから・・・?



断片的な記憶を辿った私は、その辺りからが思い出せなくなって首を捻った。

すると、運転席に座っているジェイドさんが、バックミラー越しに目を合わせて教えてくれる。

「もうすぐ病院ですよ。

 ・・・おそらく、また痛みの波がやってきます。そういうものだそうですよ」

「詳しいな」

私を抱きかかえたまま、シュウがミラー越しのジェイドさんに言った。

ジェイドさんは水色の目を細めて、ふふん、と笑みを漏らす。

「つばきのため、ですから」

そんな彼に何も言えずにいると、シュウがぼそりと。

「・・・気持ち悪いな」

そこからは、ただただ、言葉の応酬だった。

昨日の涙を誘うような男同士の友情など、風の前の塵に同じだったのかと思うほど。

「つばきのことに関しては、きちんと知っておかなくては。

 ちなみに一日の食事と睡眠、ひと月の身体のサイクルは最低限把握してます」

「・・・末期だな。

 リアが家出したくなるのも分かる気がする」

「あなただって、私と似たようなものでしょうに。

 王宮の厨房に出入りしてたの、知らないとでも思いました?」

「お前な・・・本当に気持ち悪いぞ」

「ま、ミナにどうにかして肉料理を食べてもらいたくて、思考錯誤してたんでしょうけど」

「・・・料理長が喋ったのか」

「まったく甲斐甲斐しさを通り越して、執着に近いものがありますね。

 少しは自覚したほうが身のためですよ」


ダメだ。

この2人、お互いに喧嘩したがってるのかと思うくらい遠慮がない。


痛みと戦って疲れてしまった私は、2人を止めるだけの気力もなく、ため息を吐いた。

その時だ。

また、やってきた。


「・・・っ」

襲いかかってきた痛みに思わず、ひゅっ、と息を吸い込む。

すると、ジェイドさんがミラー越しに私を見た。

「ミナ、そこの大男の肩でも掴んで、痛みをやり過ごして下さい。

 多少なら爪が食い込んだって、びくともしないはずです」

「は・・・っ、はい・・・っ」

言いようのない痛みに、私はシュウの首にしがみついて浅い呼吸を繰り返す。

耳元では「確かに、ミナの握力など大したことはないが・・・」などと、彼がぶつくさ言うのが聞こえていた。

けれど私に、不機嫌そうな彼を宥めるだけの元気はもうない。


とにかく痛いのを何とかして欲しい。

痛くて痛くて、仕方ない。

平然としているシュウに苛立ってしまうくらいに、どうしようもなく痛いのだ。

こんなに理不尽なことがあるのかと、半ば絶望的な気持ちになる。


ぎゅ、としがみ付いた手が無意識のうちに爪を立て、シュウが息を詰めた。

きっと追い詰められた私の力が、予想を遥かに上回っていたのだろうけれど・・・。

ごめんね、と心の中で懺悔したものの、それを伝えるだけの余裕がない。

私は浅い呼吸を繰り返しながら、とにかく痛みの波を受け流そうと、それだけに集中していた。




それからは痛みの波と、それが凪いでいく時間とが交互にやってきて。

痛い時は本当に辛くて辛くて、シュウに腰を押してもらったりもして・・・。

時折誰かから、何かを尋ねられたり言葉をかけられたりした気がするのだけれど、いかんせん痛みを受け流すことに精一杯で、記憶が曖昧だ。


いつの間にか病室の椅子に腰かけている自分に気づいて、私は深呼吸をする。

せめて痛みの引いている間に自分の足で歩いていれば、何がどうなったのかも分かるだろうけれど・・・。

正直、周囲のことなど気にかける余裕はなかった。

「シュウ・・・?」

痛みから解放されるわずかな時間に、私は背中を擦ってくれている彼を呼んだ。

「ん?」

気遣わしげな声色に、自然と口角が上がる。

「痛くて何言われてたのか聞き取れてなかったんだけど。

 ・・・やっぱり、このまま出産・・・?」

「ああ」

「そっか・・・だよね・・・」

いよいよきたかと、心臓が、きゅぅぅ、と縮むのが分かる。

彼が手を伸ばして、タオルで黙り込んだ私の額や首筋を拭ってくれる。

いつの間にか、結構な量の汗を掻いていたらしい。

結いあげていたはずの髪がほつれて、頬に貼りついているのが、今さら少し不快だ。

こっそり眉根を寄せると、彼が私の髪を解いて、簡単に纏め直してくれた。

「ジェイドさんは・・・?」

そういえば、と彼の存在を思い出した私は、シュウに尋ねてみる。

すると彼は、髪を纏める手を止めずに答えた。

「王宮に戻った。

 ・・・入院の準備を取りに、リアと行ってきてくれるそうだ」

「ん、わかった」

2人が行ってくれるということは、シュウはずっと一緒にいてくれるということ。

他人が自分が不在の間に、自宅に立ち入るということは気持ちの良いことではないけれど、今は夫である彼が付き添ってくれることの方が大事だ。

そう思った私は、素直に感謝することにして頷いた。

「何か、して欲しいことはあるか?」

「・・・お水、飲みたい」

囁いた彼に、私も小さな声で返す。

喉が渇いて、声が上手く出せなかった。


それからは相変わらず、何度も何度も、痛みと凪ぎが交互にやってきた。

心なしかその間隔がだんだんと短くなっていくような気がして、それが出産が近づいている不安を煽る。

いつだったかチェルニー様から「痛いわよ」と脅かされた記憶が、今さらながら脳裏を何度も掠めていった。

・・・これ以上痛くなったら、どうにかなってしまいそうだ。


そうして、時には部屋の中を歩き回り、時には彼に腰を押してもらい、また時にはどうにもならない痛みが苛立ちに変わって、我儘をたくさん並べてみたり。

そんな私に辛抱強く付き合ってくれたシュウは、終始瞳を揺らして心配そうにしていた。






次に私が我に返った場所は、何かの台の上だった。


長いこと痛みと戦っていたからか、せっかく纏め直してもらった髪は乱れ、体中が汗でぐっしょり。

文字通り、戦いの後のようだ。

けれどまだ終わっていない。

今は小休止のようなものなのだ。

痛みの間隔が短くなっているから、おそらくまたすぐに、私は戦地へと赴くことになるのだろう。

それを思うだけで、気絶しそうだ。

汗ばんだ手のひらは、大きな手を必死に握って痛い。

目を開けたいけれど、思うように体が動かない。

半ば朦朧とした意識に支えられて、ただ、大きな手を握るだけだ。

「ゆっくり、おちついて呼吸しろ。

 もうすぐ、あの女性の医師が来るそうだ」

低い声が耳元で囁いて、タオルで至る所を拭いてくれる。

・・・いつだったか、風邪を引いてしまった時にも、同じようなことをしてくれたっけ・・・。

現実逃避気味に思い出を呼び起こした私は、重い瞼をゆっくりと開いた。

照明が眩しくて、目に痛い。

私は深呼吸して彼の顔を見つめる。

「しゅ・・・、ど、して・・・?」

喉がカラカラで、声が思うように出せない。

足を開いた状態で乗せられた台が、かの有名な分娩台だと気づいた私は、小首を傾げる。

すると彼は、何も言わずに私の首の後ろを支えて、水を差しだしてくれた。

口に含んだ水が、ゆっくりと体に染み込んでいくのを感じながら、彼の言葉を待つ。

「医師を呼びに行く間、見ていてくれと頼まれた」

「ん・・・」

潤った喉が、すんなり声を通す。

私はそっと言葉を紡いだ。

「シュウ、先生が来ても、ここにいてね」


この世界にはおそらく、出産に立ち会う、という概念がない。

これまで検診でも日常でも、立ち会うかどうか、という会話は一切なかった。

それならそれで、郷に入りては郷に従えというか、私も1人で臨むつもりだったのだ。

・・・けれど今は、彼の手を離してしまうことが怖い。


「分かった。心配するな」という囁きを最後に、私は再び痛みの渦に飲まれていった。




そこからはもう、半分目を閉じていたこともあってか、記憶がさらに曖昧だ。

大きな手の感触だけは、きちんと手のひらに焼きついているのだけれど。


覚えているのは、私の呻き声と体にこもる熱。

それから、尋常でない痛みと体のどこかを、ぐい、と圧迫されたような感覚。

叱咤されたり激励されたりを繰り返したことと、誰かが一緒に「ひっ、ひっ、ふぅぅっ」と呪文のように唱えていたこと。


そして唐突に訪れた、体の一部が抜け落ちたかのような虚無感。

それが分かった途端の爽快感。


研ぎ澄まされた神経が血の匂いを拾って、ほとんど同時に、私の耳は捉えていた。

赤ん坊の、産声を。




その時になってやっと私は、長い戦いが終わったことを実感したのだった。


分娩台に乗ったままの私の胸に、生まれたばかりの我が子が綺麗になって帰ってくる。

私は汗でべとべとだけれど、小さな彼はそんなことは気にならないらしい。

真っ白なタオルに包まれたまま、おとなしくしている。

胸に乗せられた彼は、お腹の中に入っていた時とは違う重みを持っていた。


感動なのか何なのか、ともかく胸が震えて仕方ない私のこめかみに、唇が落とされる。

呆けたように我が子に見入っていた私は、新米パパの存在を忘れていたようだ。

「お疲れさま」

咄嗟にそんな言葉が突いて出た私を、彼は小さく笑った。

「それは、俺がお前に言う台詞じゃないのか」

「・・・あれ?」

共に闘った感のある私は、思わず小首を傾げる。

「まあ、確かに疲れたな。

 ・・・ミナもシエルも、無事で良かった」

苦笑交じりの彼に頷くと、大きな手が小さな赤ん坊に伸ばされた。

「小さいな」

「ん・・・だね」

シュウの指先がシエルの頬をつつき、私はそんな夫の顔を見つめる。

色違いの瞳からは甘いものが零れているけれど、目の下にはクマが出来ていた。

良く見たら、久しぶりに疲れた顔をしている。

「・・・私達、こんなに一緒に頑張ったの、初めてかも・・・」

ぽつりと零した呟きに、シュウは静かに相槌を打った。






ちなみに、生まれたばかりの赤ん坊は猿みたいだと聞いていたけれど、意外と可愛げのある顔をしていた。

・・・これももう、親ばかに分類されるのだろうか。







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