表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/18

12





「あででででで・・・!」

「どうしてやりましょう、この色ボケ皇子・・・」

悲鳴を上げる皇子さまと、彼の耳たぶを摘まんで、ぐいーん、と引っ張るジェイドさん。

涙目になっている皇子さまを見る限り、補佐官殿の辞書に容赦という文字はないらしい。


しばらくそうやって制裁を加えていたジェイドさんは、ひーひー言いながら耳を押さえる皇子さまを無視して、つばきに視線を投げた。

すると、彼女はジェイドさんと目が合うのと同時に、我に返ったらしく立ち上がり、ぴっ、と人差し指を立てた。

「あのね、ディーの耳が取れちゃったら、弁償どころの話じゃないんだからね」

論点は違うような気がするけれど、とりあえず皇子さまへの暴挙を注意していることは伝わったのか、ジェイドさんが少しむくれたまま頷く。

そんなジェイドさんの耳元でつばきが何かを囁くと、むくれたジェイドさんが頬を緩める。

・・・どうやら2人は、相変わらず仲睦まじく過ごしているようだ。

私が2人の様子に目を細めていると、背後のシュウが、ぼそりと呟いた。

「バカップル」

彼にこの言葉を教えたのは私だけれど、これで良かったのかは疑問だ。





「それにしても、見事に満開ですねぇ」

驚きました、とジェイドさんが微笑んで、桜の木を見上げる。

私もシュウも、気づけば皆で同じように桜の木を見上げて、ほぅ、とため息をついていた。

「それであなた方、この花が咲いている下で食事をする習慣があるんですって?」

ジェイドさんが、何気なくつばきに尋ねる。

彼女は頷いて、私を見た。

「うん。

 ね、お姉ちゃん?」

私は彼女に相槌を打って、口を開く。

「ん・・・と、いろいろな楽しみ方がありますよ。

 お弁当を持ってきて、桜の下で食べたり。

 出店のものを買って、桜並木を散歩しながら食べたりとか。

 ・・・桜の花を塩漬けにして、ゼリーにしたりとか・・・染物にしたりとか・・・。

 私は家族や友達と、こうやってお弁当を食べるお花見が多かったんですけど」

「お姉ちゃんのお弁当、美味しいんだよ~」

つばきがジェイドさんに言って、にこにこと微笑む。

そんな彼女の髪に乗った花びらを、彼が摘まみながら頷く。

「ええ、楽しみですねぇ。

 来年は、私とつばきで作りましょうね。

 屋敷の皆さんも、連れてきてあげましょう」

「うんうん。

 きっと皆、喜ぶと思う。

 教授とリジーさんも、誘おうね」

つばき、にこにこ。

ジェイドさんも、にこにこ。

見つめ合って、摘まんだ花びらを吹いて飛ばして遊んでいる。

背景が桜色だからか、完全に2人の世界に入り込んでいるらしい。

私は口の中が砂糖でじゃりじゃりしている気がして、持って来たお茶を淹れることにした。

シュウに手を伸ばしてもらって取ってもらったお茶セットを並べ、人数分用意をする。

すると、胡坐をかいて桜を見上げていた皇子さまが、ぽつりと零した。

「・・・この木って、割とどこにでもあるのか?」

「さあ・・・俺が知っているのは、ここだけだが・・・」

お茶を淹れる私の後ろで、シュウが答える。

ジェイドさん達の頭の中は、まだ桜色に染まっているらしく、こちらの会話に見向きもしない。

「桜、気に入りました?」

私が声をかけると、皇子さまが頷く。

「それもあるんですが・・・どこかに纏めて植樹して、誰でも楽しめるようにしたらどうかと。

 ・・・まあ、もうどこかにそういう場所があるのかも知れないけど・・・」

「なるほどな」

真面目な顔をして言った彼に、シュウが相槌を打つ。

私は用意したお茶を2人に差し出して、口を開いた。

「そういうことなら、蒼の騎士団に動いてもらったらいいんじゃないでしょうか」

「蒼に?」

カップを傾けようとしていた皇子さまが、意外そうに目を見開いた。

「主要な街に駐在所がありますよね。

 そこを拠点にして、桜を探してもらうんです」

「そうだな。

 郊外へも巡回に出る必要があるし、片手間程度に探してもらうのはいいかも知れない」

「ふーん・・・」

私とシュウの言葉に、皇子さまが何かを考え込むようにお茶を啜る。

桜色の2人に目を遣ると、もはやこちらのことなど眼中にないらしく、2人して落ちてくる花びらを捕まえようと奮闘しているのが見えた。

・・・どうでもいいけれど、彼女がはしゃぐのは、あまりよろしくないような・・・。

すると、意識の逸れた私の耳に、皇子さまの声が響く。

「ちょっと親父に相談してみようかな。

 ・・・あの人、楽しそうなことだと食いつくみたいだし」

「ああ、それは確かに」

さすが、陛下に“ちゃんとしろ”と言い放っただけあって、皇子さまの意識は高いらしい。

私は彼に感心しながらも、話がひと段落した気配に、離れた場所で遊んでいる2人に声をかけた。




「やっぱり美味そう・・・」

ぱか、と開けたお弁当箱を覗きこんだ皇子さまが、ぼそ、と呟く。

それを聞いていた私は、頬を緩める。

自分が作ったものをそうやって言ってもらえるのは、大変嬉しい。

「あとの人達は、そのうち来るでしょう」

バカップルモードから回復したらしいジェイドさんが言って、隣に座ったつばきが頷く。

「うんうん。食べよう、お姉ちゃん」

「ん、じゃあ皆さん、どうぞ」

私の言葉に、つばきが取り皿とフォークを配って、お花見が始まった。


「やっぱり、お姉ちゃんのご飯は美味しいね~」

何度も我が家にお泊りしている彼女には、馴染みの味らしい。

しみじみ感想を漏らし、唐揚げや肉巻きを頬張っている。

アンが配達してくれた食堂のサンドイッチも、なかなか好評だ。

食事が進み、時折笑い声が混じるほどに会話も弾んでいる場の空気に、ほっと胸を撫で下ろしていると、シュウが背後から囁いた。

「良かったな」

その声に振り向けば、色違いの瞳が優しく細められている。

私も彼に微笑んで、小さく頷いた。

そして、その途端に「きゅるるるる」とお腹の虫が騒ぐ。

「・・・くっ・・・」

どうやら背中越しに、私のお腹が鳴ったのを感じ取ったらしい。

シュウは笑うのを堪えて声を漏らし、それから取り皿を取ってくれた。


あれと、これと、それからそっちのも・・・と、唐揚げも肉巻きも、ポテトサラダも取り皿にこんもり盛りつけてもらった私に、周囲の視線がグサグサと刺さる。

というか、これは明らかに引かれている。

特に皇子さまは、あんぐり口を開けて驚いているようだ。

「・・・ごめん・・・すごーくお腹空いてて・・・」

フォークを片手に縮こまると、シュウが息を吐いた。

「残したら、俺が食べるからいい」

夫である彼の声にも、呆れた感がある。

私は言われるまま頷いて、唐揚げにフォークを突き刺した。


この時の私は、自分の身に何が起きているのかを考えもしなかった。

ただ、お腹が恐ろしいくらいに空いて、だから食べたのだ。

その食べっぷりは、もう何日も食べ物を口にしていなかったかのよう、だったらしい。

自分の名誉のために言っておきたい。

・・・食べ方は、汚くなかったと思う。


「はい、つばき」

取り皿を空にした私は、彼女のリクエストで作った浅漬けを差し出した。

「わ、ありがとー!」

喜んで一本漬けに手を伸ばした彼女に頷いて、私も自分の分を取った。

脂っぽいものが多い食事だから、こういうさっぱりとしたものが欲しくなる。

作って正解だったな、と内心呟いた私は、背後からの視線を感じて振り返った。

「・・・なあに?」

眉間にしわを寄せたシュウに、そっと尋ねる。

「あ、ごめんね寄りかかったままで」

妊婦の体重を支えるのに疲れたのかと窺うと、彼は小さく「いや」と否定した。

それなら、一体何なのだろう・・・と思いつつも、私は小首を傾げるだけにとどめて、胡瓜をぱくりと咥える。

その瞬間、皇子さまが唐揚げを取り落としたらしく「うわ」と声を漏らすのが聞こえた。

浅漬けを加えたまま視線を投げると、瞬時に顔を逸らされる。

「・・・む?」

そのままシュウを見上げ小首を傾げると、今度は彼が目を逸らした。

・・・私、何か可笑しなことしたんだろうか。

訝しく思いながら、胡瓜を齧る。

こきゅ、と音がして、じゅわりと旨味と塩気が口の中を満たしていく。

「・・・おいひい」

思わず漏れたひと言に、シュウの腕が強張った気がして、私は首を傾げた。


ちなみに、彼らが浅漬けに手を伸ばすことはなかった。

この世界の人には、あまり馴染みのない調理法だったのだろうか。

疑問はもうひとつある。

食べ終わったつばきが、耳まで真っ赤だったのは一体どうしてだろう。

・・・もしかして、塩加減を間違えたんだろうか。





「・・・まだお腹が空いてる・・・」

「は?!」

ぽつりと呟いた私に、つばきが声を上げた。

信じられない、といった表情を浮かべて。

いつもよりかなり多い量を食べているはずなのに、私は満腹感を感じていなかった。

理由は分からない。

けれど、飢えとはこういう感覚なのか、というくらいの空腹感が居座っているのだ。

さすがに、おかしいのは自分でも気づく。

「おかしいよね、どうしてだろ・・・」

首を傾げながらも、サンドイッチを頬張る。

おかしいとは思うけれど、空腹感がある限りは食べなくては、とも思うのだ。

半ば本能的に、体が欲するままに食べ続けるしかない、と。

すると、背後のシュウが私の額に手を当てた。

「熱はないな。

 ・・・そういえば、今朝は死んだように眠っていたし・・・確かにおかしい」

もぐもぐと口を動かしながら彼の言葉を聞いていた私は、ふぅ、と息を吐いてお茶を飲む。

「お姉ちゃん、大丈夫・・・?」

つばきが心配そうに私に問いかけて、ジェイドさんが口を開く。

「感覚が麻痺して、満腹感を感じられなくなっているのかも知れません。

 一応、このへんで食べるのは控えた方がいいですよ」

「ん・・・そうだよねぇ・・・」

見れば皇子さまも、こくこく頷いている。

私は頷いて、大きく膨らんだお腹を撫でた。

「シエル、お腹いっぱいになった?」

名前が決まってから頻繁に呼びかけている我が子は、お腹の中から返事をしてくれることが増えた。

毎回というわけにはいかないけれど、最近はかなりの頻度でお腹の中で動きまわっているようだ。

私が撫でる手に、シュウが大きな手を重ねる。

「シエルを口実に食べ過ぎて、あとで腹を壊しても知らないぞ」

「分かってるってば・・・でも、ほんとにお腹が・・・」

笑みを含んだ声に、私は口を尖らせた。

「・・・触ってみても、いいですか・・・?」

そんな私に、恐る恐る、といった風に声をかけてきたのは、皇子さまだった。

勇気を振り絞ったのか、若干手が震えているのが分かる。

私はそんな彼に小さく噴き出して、もちろん、とお腹をぽふぽふ叩いた。

「ディー・・・」

そっと手を近づける彼に、つばきが囁く。

皇子さまは振り向かずに、私のお腹に手のひらを当てた。

おへその上辺りに感じる温もりに、お腹の中から反応が返ってくる。

ぼよん、と手のひらが押し返された感覚に、皇子さまが息を飲んだ。

「シエル、オーディエお兄ちゃんだよ」

私もお腹に手を当てて、我が子に囁く。

すると、顔を強張らせながらも目を輝かせた皇子さまが、そっと微笑んだ。

その時だ。

ぼこぼこぼこ、とシエルが運動会でもしているのかというくらいに、手足を動かしているのが伝わってきた。

もちろん、痛みを伴って。

「いっ・・・」

突然のことに思わず顔をしかめた私に、皇子さまが慌てて手を離す。

驚きに言葉を失ったのか、彼の顔は真っ青だった。

「ミナ・・・?!」

「お姉ちゃん?!」

「・・・痛むのか」

バカップルの後に、シュウの硬い声が聞こえて、私は首を振る。

「ん、だいじょぶ・・・なんか、ものすごい動いてるみたいで・・・!

 ・・・あ、・・・で、も・・・やっぱいた・・・っ」

言葉を紡ぐ間にも、痛みがやってくる。

シエルが動いている痛みなのか、別のものなのかが分からなくなるくらいに。

「・・・ひ、ぅ・・・っ」

声にならない声を上げた私に、痺れを切らせたのかシュウが皇子さまを呼んだ。

「リオン達に離宮には来ないように、伝えて来い。

 今から病院に連れて行く」

「・・・あ・・・う、うん、分かった!」

言われたことを一瞬遅れて理解したのか、皇子さまが立ち上がる。

すると、ジェイドさんが走り出そうとしていた彼を引き留めた。

「待ちなさいオーディエ。

 その辺の白の誰かに事情を説明して、私の車を離宮に回させて下さい。

 私が、彼らを病院に連れて行きますから」

「分かった」

冷静な、だけど強張った声で告げたジェイドさんに、皇子さまが頷いて踵を返す。

彼の顔色は少しだけ悪かったけれど、とても頼もしい顔つきをしていた。

「・・・う、く・・・っ」

呻き声を抑えようとしても、どうしても口の端から漏れてしまう。

体の奥の方が絞られて、千切れてしまうのではないかという痛みに、私は浅い呼吸を繰り返していた。

「大丈夫だ。

 すぐに車が来る。そうしたら、病院に行くぞ」

シュウが、いつの間にか脂汗を浮かべた私の額を、ハンカチで拭ってくれる。

「た、べ・・・すぎっ・・・?」

彼の表情が、見たこともないくらいに硬くなっているのに気づいて、軽口を叩いてみる。

けれど、彼は何も言わずに私を支える腕に、わずかに力を込めた。

「つばき、」

ジェイドさんが、硬い声のまま彼女に声をかける。

「うん」

返事をしたつばきもまた、思いもしない展開に動揺しているのだろう、掠れた声で応えた。

「あなたは食堂で待っていなさい。

 ああ、私の執務室でも構いません。

 ともかく、誰かあなたを知る人のいる場所で、事態が落ち着くまで待機すること」

脂汗を拭われながら、私はジェイドさんの事務的な台詞を聞き流す。

もう顔を見て、その声を聞き取ろうとすることは難しかった。

痛みの波に晒された私の耳は、つばきの声を拾う。

「・・・でも・・・」

口ごもった彼女に、ジェイドさんの声が飛ぶ。

「あなたも、大事な体なんですよ。

 側にいたい気持ちは分かりますが、今は控えましょう。ね?

 大丈夫、私があなたの分まで力になりますから」

「・・・ん、分かった。

 お姉ちゃんのこと、よろしくね。

 食堂でアンと待ってる。落ち着いたら、迎えに来て」

「ええ、必ず」

そこで2人の会話は途切れた。

そして、私は頬に冷たいものが触れたのに気づく。

痛みに目を閉じてやり過ごしていた私は、そっと目を開けた。

すると目の前に、心配そうに私を覗きこむ彼女がいた。

「お姉ちゃん・・・」

「だい、じょぶ・・・ね?」

「ん、分かった」

掠れた声に、眉根を寄せた彼女が渋々頷いて、視界から居なくなる。

すると今度は、ふわりと私の体が浮く。




太くて逞しい腕に抱きあげられた私の背中は、汗でぐっしょり濡れていた。

等間隔でやってくる痛みの波が、恐怖心を煽る。

私はシュウの首にしがみ付くようにして、その痛みと戦っていた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ