再会
あの日は雨だった。俺があいつについて――――――姫乃咲夜の正体について知った日。その日は湿気が酷く、俺をイライラとさせた気がする。いや……もしかしたら違うのかもしれない。
入学式から数日たって、授業が開始された日でもあった。
「神前くん、ちゃんと聞きなさい!」
我が担任であり、また数学を教えているのは平良園である。
「これによって三平方の定理が使えるので――――――」
平良が三平方の定理について説明しているときにキーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。
「じゃあ、今日の授業は終わりです」
すると、小学校の時からずっとしてきたように完全に儀式化されたであろう起立、気をつけ、礼、を委員長になった高村(立候補制で決めたため高村でも委員長になることができた)が持ち前の大きな声を使用して言い「ありがとうございました」とみんな揃って言う。これで今日の授業は終わりであった。
あれから姫乃咲夜には会っていなかった。だから彼女のことは表面上ではもう忘れてしまっていた。しかし心の片隅らへんではほんの少しだけ覚えていた気がする。
「隼!掃除しに行くでー」
不意にあの大きな声が聞こえた。
「高村……。もうちょっと声をちっちゃくできねぇか」
「無理やな。これは俺の唯一の特徴やからな」
「なわけあるか!お前は特徴だらけだぞ!」
つい、ツッコミを入れてしまった。
「まぁ、俺の特徴はどうでもいいねん。さっさと掃除場所行くぞ」
そう言って、俺たちは掃除場所である体育館へ向かう。
「そういや、おもろい話があんねん」
「へーそりゃすごい」
「お前、ちゃんと聞いてへんやろ」
「わかったよ、ちゃんと聞くよ……」
「最近この辺で通り魔の事件が多発してるやん」
そういえばそんなことがあったな、と思いながら階段を下りる。
「それでな、なんかしれへんけど通り魔が出没しだしたのと同時に化けもんが現れだしたっちゅう噂が出とんねん。もしかしたら化けもんが通り魔やったりしてな!」
高村はそう言い終えるとガハハというような快活な笑い方をした。
「それってどんな化物なんだ?」
俺は気になった疑問を口にする。もしかすると聞くべきではなかったかもしれない。
「確か――――――」
高村は記憶という書物をめくりながら、化物のページを探す。
「猫みたいな姿しとうって聞いたけどな」
それを聞いたところで、体育館に着いた。
「さようなら」
これまた儀式化されているであろう言葉をみんなは揃って言う。
「隼、すまん。今日はちょっと寄るとこあんねん。一人で帰っとってくれ」
「あぁ。分かった」
そういうわけで一人で帰ることになった。外に出ると、雨が降っていた。雨は嫌いだ。湿気がイライラする。しかも今日は傘を持ってきていない。最悪だ……。
霜月高校と駅の間を走るのは入学式以来だった。姫乃咲夜に会った日。そのことをなんとなく思い出していた。いつも通り学校のすぐ前の駅に着いた。電車のホームに入ろうとしたその時に。姫乃らしき少女がいた。
「おい、姫乃!」
俺は考える間もなく、そう叫んだ。すると姫乃らしき少女は一瞬こっちを振り返った。しかし、俺の存在を確認すると逃げるように走っていった。
「お、おい!」
俺はあまり考えずに彼女の背中を追うことを決めた。
どれぐらい走っただろうか。街の喧騒をとにかく駆け抜けた。まだ雨は降っている。何時だろうか。ふとそんな疑問が頭をよぎった。19時12分。学校を出たのは大体18時だったから1時間も走ってんのか。
そういえば最近、通り魔が出没してるって言ってたな。その時、自分が今、暗い道にいることに気がついた。
「ぐるるぅ……」
後ろの方から猫のような声が聞こえた。
「猫?」
俺は振り返りながら言う。
“そいつ”は確かに猫であった。しかし猫にしてはあまりにも大きすぎる。これが――――――
「化け猫……」
いた。存在した。柚子の願いは一応は叶った。しかしこれを見て柚子は喜ぶのだろうか。今にも俺を襲ってきそうなこの化け猫を。
「ぐるるるるぅぅううぅ」
どうすればいい。逃げるか?いや、先に動けば絶対に襲ってくる。かと言って何もしないままでいればそれもアウトだ。
「くそ、どうすれば……」
「た……けて」
どこからか声が聞こえた。しかしちゃんと聞き取れない。まさかこの猫が喋った?
「たすけて……」
次はきちんと聞き取れた。この声はどこかで聞いたことがあるような気がする。まさか――――――
「姫乃……か?」
「ぐるるるるぅぅぅぅ!」
猫は叫ぶ。ただ叫ぶ。叫び続ける。ただただ咆哮。猫は俺に襲いかかってくる。
「だから猫は嫌いなんです」
唐突にどこかから女性の声が聞こえた。彼女は入学式の日の帰り道で出会った人であった。
「あ、あなたは」
そういや、名前を知らない……。
その女性が現れた瞬間に猫は何かを感じたらしく、逃げていった。
「本当に面倒だわ」
「あの……。あなたはもしかして俺に会ったことありますよね」
「えぇ、4月7日だったかしら」
「さっきの猫はなんなんですか!」
つい、声を荒げてしまう。
「さっきのね、前にも行ったと思うけど化物よ」
化物……。改めてその単語を聞くと実感が沸かない。
「あの、あなたは……。あなたは何者なんですか?」
思いつく疑問たちをとりあえず抑えて、おそらく一番聞くべきことを聞く。
「そうね。私の名前はサマエル。いわゆる、天使よ。神様と思ってもいいわよ」
「あの……。ふざけないでください」
「くく、やっぱり信じれないわよね。でも事実よ。化け猫がいるんだから天使がいたって不思議ではないでしょう」
確かに……と少し納得しそうになる。
「まぁ説明したげるわ。この世界には化物というものがいる。さっきの化け猫みたいにね。化物たちは人間の弱みにつけ込み、憑く。そしてそれを討伐する霊能者という存在もいる。まぁ、そんなところよ。で、さっきの化け猫だけどあいつは――――――」
サマエルは微笑みながら言う。
「姫乃咲夜という女よ」
雨が俺をいじめるように降る。俺はこの日を、4月12日を忘れない。