6
「さて、リリカ。そろそろ戻ってらっしゃい」
「は、はいっ!?」
ぼんやりしていたリリカを正気に返らせると、エディはにっこりと微笑む。
「とりあえず今回の件は私から学長に話しておきます。なので、貴女はこの悪魔と契約をかわしておきなさい」
「……え、ええ!? な、なんでですか!? だって今回のは事故で!!」
「そうですが、さっさと契約をかわしておかないと後が面倒なので」
「いやそこをちゃんと説明して下さいよ……」
「なら、俺が説明しよう。その方がいいだろ?」
「そうですね、お願いします」
ふう、とユリウスはひとつ息を吐き、頭を抱えるリリカの顔を覗き込んだ。
「いいか? 主は俺を呼び出した。この時点でどんな事情であっても仮契約はかわしてしまってる。たとえ事故だとしてもだ」
「う……」
「それに伴い、俺が自由になるにはそのまま還されるか契約して主の願いを叶えるかの二通りの方法がある。だが、そのまま還るのは無理だ。そもそもこの魔法陣で俺は還れない」
確かに、いくつもの偶然によって召喚されたのならば、同じ条件をきっちり再現したところで上手くいく保証なんてどこにもないのだ。
そうなれば必然的に、ユリウスが還る方法はひとつ。
「主が俺と契約をかわし、その契約が成就すれば俺は還る事が出来る。だから、契約してくれ」
「で、でも……」
「それに、このまま俺が自由でいると人々に不安を与える事になる。こう見えても上位悪魔だからな、警戒される対象なんだ。だが、俺と呼び出した主が契約をかわしていて俺に制約があれば話は別だ」
「……つまり、お互いを守る為の、契約?」
「ああ。リリカが今回の件の犯人を見つけ、二度とこんな事が起こらない事を願い、その為に呼び出してしまった俺と共に犯人を捜すという契約ならば、問題もないだろう?」
それに、とユリウスは少々言葉を濁す。
「さっき、鏡に触れた時に、俺じゃない悪魔の気配を感じた」
「本当ですか?」
エディが先程のユリウスと同じように鏡面に触れる。しばらくそうして何かを探った後、驚きに目を見開いた。
「これは……あまりにも巧妙に隠されていますが、まさか上位悪魔のものですか?」
「ああ、しかもかなり強い力の気配だ。俺でさえ、触れてみるまでわからなかった」
「どの悪魔かわかりませんか?」
「あいにくだが、俺の知る悪魔ではないな」
肩をすくめ、言葉を失くすリリカの前に片膝をつく。
そうしておもむろに片手を取る姿は、物語の騎士のようだ。
「そんな悪魔に狙われているならば、俺の存在が主を守る盾になる」
「あ……」
いままでピンと来ていなかったが、これは作為的な嫌がらせで、つまりはリリカが狙われているという事で。その相手が、想像もしていなかった上位悪魔だというのか。
やっと理解が追いついたリリカの身体が、恐怖にカタカタと震えだす。
「どうして……私、私はまだ駆け出しの、ただの生徒なのに」
「人の心ほど難解で複雑なものはない。主が気に病む事ではない可能性の方が強い」
包み込まれた手のぬくもりに誘われるように涙があふれる。
怖くて、悲しくて、痛い。どうして悪魔に狙われなければならないのだろう。
「こうなってみると、本当に貴方が呼び出されてくれて良かったですよ」
「……俺もそう思う。他の奴らなら、今頃無理矢理にでも契約を結ばされてそうだしな」
その言葉に不穏なものを感じて思わずビクリと大きく体を震わせれば、慌てたようにユリウスの手がリリカの手を掴む。
「いや、しないから。俺はそんな事しないから。してない……よな?」
「リリカ、彼は魔王の騎士なので、下手な男よりも紳士です。自分より弱い存在に無理を強いるような下種ではありませんから、大丈夫ですよ」
「……なんっか腹立つな……」
「おや、褒めているんですよ?」
「ああ、ただお前の言い方がいかにも皮肉って感じにしか聞こえないんだよ」
「おやおや、心外ですね」
苦虫を噛み潰したようなユリウスと妙に楽しげなエディのやり取りに、リリカは思わずくすりと笑ってしまう。
そうして一度笑ってしまえば、言い知れぬ恐怖はあっという間に霧散して。
「先生、ユリウスさんと契約かわしても、本当に大丈夫ですか?」
「ええ、むしろ本当に先程の内容でかわせるならば、かわした方がいいですね」
「なら、ユリウスさん。この件が終わるまで、よろしくお願いしてもいいですか?」
「……ああ」
穏やかに微笑むユリウスに、リリカは心から微笑み返す事が出来た。
それからの話は早かった。ユリウスが鏡を調べ直している間に、エディが契約の詠唱呪文をリリカに叩き込む。幸いそれほど長くはなかったので、リリカでも覚える事が出来た。
「リリカ、覚えましたね?」
「はい、先生」
ひとしきり契約の呪文を教わって、リリカはユリウスと向かい合う。
赤い瞳が綺麗だと思いつつ、エディに教わった通りに右手を前にかざした。
「我、汝を呼び出した者。名はリリカ・リリアム。汝との契約を望む者なり」
「我が名はユリウス・エリゴール。魔界にて15位の座を与えられし公爵に、何を望むか人の子よ」
「此度汝を呼び出したのは我の意志に非ず。それゆえに我は原因の解明を望む。ユリウス・エリゴール、此度汝を呼び出した原因を突き止め解決するまでの間、我の手足となり目と耳となる事を乞う」
「ならば対価を」
赤い瞳と視線が交差する。その瞬間、覚えていた何もかもが吹き飛びそうになって、リリカは途方もなく笑いだしたくなった。
「此度の件が解決すれば、汝は魔界に戻れる。それは対価とならないか?」
「……いいだろう。ユリウス・エリゴールは魔界を治めし偉大なる王に誓って、その契約を受け入れる」
「汝の協力に感謝する」
最後の言葉を口にした瞬間、ふわりとあたたかな何かが足元から湧き上がる。それは酷く優しく心地よいそよ風によく似ていて。
「……これ、は?」
「ああ、リリカ、貴女という人は……!!」
驚くユリウスの声も感極まったようなエディの声もただ遠く、ひだまりのようなぬくもりにリリカはただ微笑んでいた。
.




