4
戻ってきた部屋は何も変わっていなかった。
若干怯えていたリリカは周りを見渡してホッとする。
その間に魔法陣に近づいたエディは、それをじっくりと観察していた。
「ふむ……確かにただの初級精霊召喚陣ですね……魔力も描き方も問題ない。ここまでは立派に描けてますよ、よく頑張りましたね」
「あ、ありがとうございます」
天使のような笑顔で頭をなでなでされて、リリカは顔を照れで赤くしつつも嬉しそうに笑う。
ユリウスのぽんぽんとする撫で方も好きだが、こうして髪にそって優しく撫でられるのも心地よくて。
なにより、セディに褒められたのが嬉しい。
「それにしても、どうしてこの魔法陣から出て来れたんでしょうねぇ……貴方が呼ばれた感じはどうでしたか?」
「……前にお前に召喚された時とよく似ていたな。抗いがたい呼び声が聞こえて、身体が光に包まれて。ああ、でもお前に召喚された時とは違って、非常に優しい気配で妙に安心したな……精霊を呼ぶのは、こんなにも穏やかなんだな」
「あ、あの、先生、聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「その……悪魔召喚について、なのですが」
まだ一年次、悪魔召喚は教えて貰えない。そうとわかっていても、今のユリウスの言葉で聞きたくなってしまった。
「……今の主なら、少しくらい話してもいいんじゃないか? 俺という悪魔がここにいるんだし」
「そうですね、こんな状況になった以上、多少は知るべきでしょう。いいですよ、言ってごらんなさい。答えても問題ないものであれば教えましょう」
「あ、あの、詳しい文様とかは言わなくてもちろん結構なので、ひとつだけ教えて欲しいんです。さっき、ユリウスさんがこの召喚陣を穏やかだと言っていたのですが、悪魔召喚は違うのですか?」
その言葉にセディとユリウスは思わず顔を見合わせる。
リリカが好奇心から聞いているとは思えないほど憂いを帯びた顔だったので。
「……そう、ですね。悪魔召喚には一般的に服従や誓約を組み込まれます。そうでなければ、召喚者が悪魔に害される恐れがありますから」
「上位なら言葉が通じる者も多い。けれど、下級悪魔は本能のままに動くものだし、上級で召喚できるものも狡猾で残忍なものがほとんどだからな」
「そう、なんですか」
そう言ったリリカの瞳から、一粒涙が零れた。
「お、おい、なんで泣くんだ?」
「だって、ユリウスさんはそんな悪魔じゃないのに。私の話をちゃんと聞いてくれて、こんなにも優しいのに」
そんな召喚陣があるなんてと涙を零すリリカにユリウスは慌てた。
「いや、だって悪魔召喚だからな。人間の方がどうしたって弱いんだから、仕方ないって。うん、俺は気にしてないし」
「でも、さみしそうだったです。そんな顔、させたくないです」
「……主……」
「主じゃないです、リリカです」
泣きながら言い募るリリカに苦笑して、エディはその頭を再び撫でた。
言葉を失くしたユリウスに、それはそれは誇らしそうな顔で微笑みかける。
「いい子でしょう?」
「……ああ。ありがとう、主。その思いだけで、充分だ」
ユリウスもやわらかく微笑み、片膝をついてリリカの顔を覗き込んだ。
赤い瞳が穏やかな光を宿していて、眩しいものを見るように細められている。
「悪魔召喚の陣はそうあるべきだから、主が泣く必要はない。だが、俺の為に泣いてくれてありがとう。俺より主の方がずっと優しい……どうしてかはわからないが、俺は主に召喚された事を誇りに思う」
「だ、から、主じゃないです……」
「……すまない、契約を交わしてない状態で、名前を呼ぶ事は出来ないんだ。というか、それも知らないのか?」
最後の言葉はリリカではなくエディに向けられたものだ。
心底訝しげなユリウスに、エディは小さく頷く。
「リリカは本当に何も知りません。何せ、入学してからまだ二ヶ月ですからね」
「おい、そんな初心者に召喚なんてさせるなよ、危ないだろ!?」
「いいんですよ、リリカは少し力を使わなければ。それに、今回は召喚ではなく召喚陣の作成が課題で、召喚そのものは私と一緒に明日行う予定だったんです」
そう、今夜は召喚陣を描く事が目的で、一人で召喚する予定はなかったのだ。
最初はエディと共に召喚し、問題がなければ自分一人で召喚する、そういう予定だった。
「それにしたって……」
「知識は確かに大切です。ですが、いきなり大量の知識を詰め込んだところで使えなければ意味がないですから。それが、私の教え方ですよ」
そう言い切られてしまえば、ユリウスにこれ以上の口出しは出来ない。
いかんせんエディの実力は過去のあれこれでユリウス自身が身をもってよく知っているのだから。
「……あのな」
「は、はい」
「悪魔ってのは、名前で人間の魂を縛ってしまうんだ。悪魔だけじゃなく、強い力を持つ存在もな。契約を交わせば問題ないが、今の状態では強制的に縛ってしまう。だから、呼べないんだ」
「……うー……」
それでもまだ不服そうに唇を尖らせる仕草が可愛らしくて、ユリウスは思わず破顔した。
「まあ、召喚された原因がわかれば、どうにかなるかもしれないからな」
「ああ、そうそう。召喚ですが、どうやら原因を見つけましたよ」
「本当か?」
「ええ、あれです」
不意にそう言ってエディが指差した先には、小さな鏡がひとつ置かれていた。
.




