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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

作者: MonoCarky

1.LA


 耳障りなアラームを止めて、薄目を開ける。朝陽が眩しい。今日は休みのはずだし、どうせスヌーズ機能の目覚ましだから、と布団をかぶった。窓からは涼しい風が吹き込み、カーテンが揺らいでいる。

 朧げなままカーテンに視線をやると、そこに男が立っていた。男は馬のアニマルマスクをつけていて、なんかフザけたヤツだと呑気に構えていたが、馬の頬は爛れていて、左眼は眼窩から飛び出していた。「気持ち悪い」と思っていると、そいつが抱きついてくるのが見えた。咄嗟に反応するより速く男は僕の口を掌で塞ぐ。息ができずに藻掻いていると、鼻は塞がれていないということに恥ずかしながら気づいた。

 男の左手を剥がそうと躍起になっていると、ヤツの右手が視界に入った。手斧を持っている。

(殺される!)

 そう感じて僕はいっそう激しく身をよじる。男が思い切り手斧を振り下ろすと、僕の顔の横で激しい衝撃と、ボフッと布団を叩く音がした。

 僕の左腕と、左肩との間には、空間があった。左腕が切り落とされたのを認識するまでに時間がかかった。認識してからジワジワと痛みが溜まり、やがて息の詰まる耐えがたい激痛が走る。

「――!」

 声にならない。呼吸ができない。視界がぼやける。

 そのぼやける視界が次第に薄暗くなり、闇となった。




*************************




2.RA


 布団を跳ね飛ばし起き上がる。呼吸が荒い。汗が垂れる。

 左腕を見ると、問題なく腕と肩と繋がっている。夢か……とため息をつく。あの男はなんだったんだろう? なんの目的があって、僕の部屋なんかに……。

 馬のマスクをかぶっていたが、左眼がぼろりと外れていて、右眼も普通のマスクより大きく見開かれていて、瞬きをしなかったときのように乾いていた。逆に鼻や口周りがテラテラと、汗だか涎だか油だか洟水はなみずだかで光っていた。昔聞いた「お面をかぶったまま皮膚に張りついて剥がれなくなった人」という怪談を思い出した。

 それにしても怖かった。一言も発さず、感情の片鱗も感じさせず、まるで機械のようで。でも口を塞いでいた左手は生温かかった。

 ふと「なにを真剣に」と馬鹿馬鹿しくなった。夢じゃないか。ただの夢じゃないか。忘れてしまえばお終いだ。

 涼しい風が汗を撫でていく。カーテンがたなびき、その向こうに逆光で薄暗い表情の馬男の姿が見えた。男は、血にまみれた斧を右手に持っていた。男の手が口元にのびえてきた瞬間、その掌を噛んだ。歯が食い込んだ感触があったが、男は手を引くどころか動じる気配すらない。ヤツが右手を弓を引くように掲げたのを見て、さらに強く手を噛み締めた。唾液とは違う温い液体が舌の上を流れていくのを感じる。男は容赦なく斧を叩きつけた。右肩が砕ける音と千切れる感触が響く。さっきとは違った痛みが脳天を貫く。

 僕はベッドから降りようと足掻く。男は腰の上に乗っているので一緒にずり落ちていく。2人で床に落ちたとき、首の付け根をしたたか打ち附けた。




*************************




3.LL


 目を覚ますと、暗い吐息しか出なかった。なんという寝覚めの悪い夢だ……。額に手を当てて、清涼な風を浴びる。風に踊るカーテンの向こうには、馬の顔があった。

 身を起こす暇もなく慌ててベッドから飛び降りると、男は僕の首を後ろから掴んだ。しまった、と思うも遅く、僕はそのまま床にうつ伏せに押し附けられた。

「うわああ!」

 初めて声を荒げた。口を塞がれてはいないが、左頬を床に押し当てられて背後が見えない。男の姿が見えない恐怖から、脚をバタつかせた。男の圧力がフワッと軽減し、斧が振り上げられたと感じて必死に匍匐ほふくする。ちょうど男が腰を上げていたこともあり、かなり前に進めた。しかし男はすぐさま腰を下ろしたため、かかとの部分で引っかかってしまう。せっかく逃げられると思ったのに……!

 衝撃はひどく熱く、かなり低い位置――腰より下だった。匍匐すると左に体がずれた。振り返ると、男に押さえられているはずの左足が難なく上がった。左の太ももから先が途切れていた。

 なんなんだよ! そう叫んだつもりだったが明確な言葉にはならなかった。右足をどうにか抜かないと、と身じろぎしていると男の股下から抜けた。今しかない、と繋がっている足で蹴飛ばすと、よろめきながら男はベッドとは反対側の壁にもたれかかった。その腕が当たって、壁にもたせかけていた姿見がぐらりと揺れた。僕は神様を――本当に存在するとは思っていないから、仏でも創始者でも役立たずの総理でもなんでもいいが――恨んだ。とにかく逃げるために立ち上がろうとするが、左足のせいでうまく立ち上がれない。ふらつく僕の上に姿見が落ちてきて、破片が四散した。




*************************




4.RL


 覚醒すると同時に、僕はベッドから滑り下りて、床とベッドとの隙間にもぐり込んだ。なにがなんだかわからないが、ヤツから逃げたかった。ちょっと待てよ、夢だろ夢、ただの夢じゃないか、と落ち着こうとする僕の上で、ギシッと軋んだ。ゆっくりと慎重に、体重をベッドに乗せていく。もう一度ギシリと音をさせて、静寂――



 時間が止まったような感覚のなか、部屋の外に逃げてしまえばよかったと後悔する。足は2本あるんだから。動けない上に糸を張り詰めたような緊張のせいで、思考が溢れ入り乱れる。この男はいったいなんなんだ、どうやったら逃げられるんだ、そもそも夢なんじゃないのかよ、なんで僕を襲ってくるんだ、ひょっとしてこれも夢なのか――?

 音もなくベッドがひときわ深く沈んでから、目の前に左足が現れた。裸足なのに褐色で、ところどころ痣のように青黒く斑になっている。右足をすとんと並べて、またも静止する。

 覗くな、絶対に下を覗くな、そう呪いのように口のなかで繰り返す。息を吸ってるのか吐いてるのかもわからない、肺に空気の入っている感覚がない。ベッドとその脚と床で切り取られた横長の空間を、目線だけが行きつ戻りつする。朝の陽差しだろうか、ベッドの下の向こうは明るく暖かそうだ。僕は暑いからか汗を流しながら、白く明るい長方形の上を凝視していた――ヤツがいつ顔を出すかわからないから。

 ぺりぺりと右足がゆっくりとフローリングの床から離れ、ぬちゃりと一歩を踏み込む。左足も動き――その方向はまさしく部屋から出るドアの方向だった。心裡では喜び叫んでいた。ドア近くに左足をつくと、上からボトンとなにかが落ちてきた。ベッドの前で勢いが死ぬ。

 眼球だった。ぬめって光を反射していて、ところどころに赤いすじがうねうねと通っている。馬のマスクのそれだというのに、まるで人間のものみたいだ。ゆっくりと視神経の束を中心に回転しながら、それと目が合った。

 ヤツは落ちた音にも気づかず、ドアを引いて開ける。ギイッという音と影が動いているのでそうとわかったが、眼球から目を逸らせない。たぶんここで動けば、この恐怖に耐えられなくなる。

 パタンと聞こえて産毛が揺れるかどうかという程度の風を感じてから、ゆっくりと黒目から視線を逸らし、体は動かさずにベッド下の影から外に意識を伸ばす。男の足はない。人の気配もない。空気は停滞しているようだが、陽の光で埃が舞っているのはわかる。顔をようやく動かしドアを見やる。しっかりと閉まっていて、隙間から誰かが見張っているということもない。なるべく音を立てぬように、慎重に身を乗り出した。

 眼に触れぬようにベッドの下から抜け出すと、やっと一息ついた。開いた窓からささやかな風が吹き込み、カーテンが仄かに揺れている。怖気づきながらも窓から下に目を配るが、男はいないようだ。

 深く空気を吸い込んで、味わうように息を吐いた。


 階下から金属音のような高い音が聞こえた。短く震えた高い……声?

 そういえば当然ながら、階下では母さんが朝食の用意をしてくれているはずだ。声? いや、金属音だったか? 母さんがなにか落としたのかもしれない。いや、でも男はさっきドアから出て行ったばかりで……。チェーンソー? いやいや、金属のついた機械なんて掃いて捨てるほどある。ミキサー? あんなものじゃ、ここまで音は響かない。となるとやっぱりチェーンソーっぽい機械? でもチェーンソーやそれっぽい機械だったら、やっぱりヤツは一階に降りて母さんを――

 ドアノブに手をかぶせて思案、躊躇していると、ノブが回った。

 息を飲み、ドアが開いていくのに合わせて後退する。ギギギと呻くようにドア板が迫ってくる。その速度に合わせ、触れてはいけない、音を立ててもいけない、という板挟み状態を続けながら、僕はとにかく板の向こうの何者かに気づかれぬようひっそりと、足元や自分の気配に注意した。そしてとうとう壁とドア板にはさまれた。

 目の前にわずかな空間を残して、身動きがとれなくなった。横を見ると、蝶番の隙間から廊下が覗けた。人影が見えないということは、この薄いドア板の向こう……

呼吸音や鼓動すら聞こえるくらいの距離に男がいる。


 もはや目をつむり開けることもかなわず、僕は石になれたらと願った。生き物がかつてこれほど呼吸を疎ましく思ったことがあるだろうか。

 しばらく石同様に固まっていたが、蝶番で長方形に切られた隙間をひっそりと覗いた。

 片目のない馬が見ていた。

 ドア板が勢いをつけて僕にぶつかってきて、右足に衝撃が走った。

 その場に倒れ込む。見上げると斧で穴が開いたドアが視界に入り、そして目の前に男が立っていた。ベッドまで這いずる。切り離されたほうの右足の裏が、僕のほうに向いている。べっとりと痰のような透明のもので濡れている。左足の先がぬるっとしたので見てみると、あの眼球が潰れていた。ドアの裏に隠れたときに踏み潰したのかもしれない。

 じりじりと躙り寄る男は、馬面でなにかを僕に問いかけているようにも映った。責めているようにも感じた。とにかく逃げたかった。ベッドの端まで辿り着くと、窓から狭くも外の世界が見えた。迷わず飛び降りた。




*************************




5.H


 目を閉じたまま、頭から布団をかぶった。

 胎児のように丸まりながら、僕は必死に呟く。

「これは夢だ」

 声に出さなければ、叶わないような気がした。

 じっとりとした予感があった。

「これは夢だ」

 初めの夢で左腕を切られ、次に右腕を潰された。

 そして左足を切断されて、右足を砕かれた……

「これは夢だ」

 他に切り落とす部分は、いったいどこだ?

 頭を抱えた。守るように。どうすることもできないから。 

「これは夢だ」

 布団の上から風が吹きつけ、背筋が凍る。

「これは夢だ」

 カーテンが揺れて、窓の桟に当たる。

「これは夢だ」

 腰の後ろでギシッ、とベッドが軋む。

「これは夢だこれは夢だ」

 もう一度大きくベッドが揺れ、背後に気配。

「これは夢だこれは夢だ」

 かすかに重い物が勢いよく掲げられるような風を切る音。


「これは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは――」


……完……

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