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ADHD asdの毎日  作者: 遥(はるか)奏汰(かなた)
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放置と誤診から始まる

幼い頃から感じていた異物感と生きづらさ。家族からの放置や擦れ違いを経て、大人になってから「ADHD-asd」の正式な診断を受けるまでの記憶と、そこから始まった自分自身の歩みを綴ります

 私はADHD−asd患者である。ちょっと思い出して自己診断をしてみれば、それに冒されていたのは、生まれたばかりの時からである。

 生まれた時から頭の中がぶっ飛んでいた。乳児期にわたしの世話をしてくれた(らしい)ベビーシッターとやらの女性も次から次へと自己都合で辞めていったらしいのだ。わたしが何をしたから辞めていかれたのかは知らないけれど。保育園児の時にはもう、知らないおばさんから『くわばらくわばら』とあてつけのように言われ、白い目で見られて遠ざかられていたという記憶もある。

 でも、それに関する治療はまったく行われなかった。道徳的にも法的にも社会通念上もわたしを強制的にでも精神科か診療内科に連れて行かなければならない立場の母親が、まったくその症状を黙殺したからだ。それは、間違いなく自らの体裁を保つのだけを考えての行動だ。

 思えばその頃からわたしは孤立していた。孤立を孤立とは思わなくなる程度には。遊び相手は兄弟しか居なかった。あるいは自分自身か。

 ただわたしは、いついかなる時にも妄想と想像と夢想の世界に逃げ込むことの効用を知っていた。空想の中の世界は とても楽しかった。ヒガナ1日お布団に寝転び、妄想に耽ける日々が続いた。学校の授業中だってそうだ。わたしは自分の精神世界に逃げ込み ストレスを解消し、悲しみを癒(いや)した。

 今思えば異常なわたしの行動は、ただ笑い者になるという結果しか生み出さなかったのだ。そして、母親や兄弟による強権政治によって支配されてゆくのであった。奴らの虐めや嫌がらせは日常化していった。

 もしその頃から正しくADHDとの診断がなされ、投薬治療等が施されて居れば、わたしの人生は大幅に違っただろうと思える。今になって。

 拘(こだわ)りは、確かに強かった。ひとつ、お気に入りな事象に心を奪われると、それ以外のことは何も目に入らなくなった。穴の空いたコンクリート片とか、窓ガラスの汚れだとか。座布団の模様だとか、テレビのCMソングとか、靴に空いた穴に至るまで。  好きな人に対してはとてつもなく優しく極端な理解をもって接し、そうでない人からは徹底的に遠ざかり、口も聞かなかった。

 数学的な考察は苦手だったし、そうと決めたら絶対に自分を曲げない執念は並大抵のものではなかったと思う。少し複雑な課題を与えられるのが苦手でそゆな課題を出されは頭が混乱してどうにもならなくなった。

『明日は必ず来てよ』

 と頼まれれば必ず、

『明日まで死ななかったたら行く』

 というような珍返答しかできなかった。

 とまあ、ADHDらしい言動が著しくみられたはずだが、家族はそれを一切認めようとかしなかった。あの苦しみは私は1人で続けたんだ。母親からの迫害とも言える言動も増えてきたし。

 思えば私には家族なんてものはなかったのだ。3年ほど前にアルコール依存症で入院した際に、正式にADHD‐asdと診断されてわそれでわたしはかなり生きやすくなったものだ。

 【以降は次話へと続きます】

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

幼少期の苦しさや家族との摩擦、そして大人になり診断を受けたことで救われた経験について、素直な気持ちを綴ってみました。

同じような生きづらさを抱えている方や、似た思いをされた方に少しでも届くものがあれば幸いです。

次回も続きを更新していきますので、どうぞよろしくお願いします

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