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まっつぃ17|現代×ファンタジーお仕事短編集

無名税

掲載日:2026/02/18

ポストに入っていた封筒は、妙に分厚かった。

 指先に伝わる紙の重みが、得体の知れない圧迫感を伴っている。

 差出人は市役所。


 赤字でこう印字されている。

 《無名税 未納通知書》


 心当たりは、まったくない。

 リビングのテーブルに封筒を置き、しばらく眺めた。部屋は静かだ。古い冷蔵庫の低い唸りだけが、耳障りなほどはっきりと聞こえる。

 いつも通りの、ひどく記号的な夜だった。


 誰とも話していない夜。

 震える指で封を切る。


被通知者: 高山 直樹


今月の未認識累計時間: 82時間14分


課税額: 312,400円


納期限: 本通知到達後48時間以内


※未納の場合、存在権が一時停止されることがあります。


 存在権?

 喉の奥が、乾いた音を立ててひくりと鳴る。

 同封の説明書きには、事務的なフォントでこうあった。


無名税制度について

 本市では、社会インフラ維持の観点から「社会的認識量の維持」を市民の義務としています。

 一定時間、他者や公的システムから「個」として認識されない状態が続いた場合、社会的な余剰コスト(社会負債)として課税されます。


 認識とは、主に以下を指します。


対面会話: 第三者との一対一の意思疎通


オンライン上での相互反応: SNSでの反応、個別メッセージの送受信


音声認証ログ: AIデバイスや公共受付での声の登録


公的カメラ記録: 顔認証システムによる個体識別


購買・対話履歴: 記名式決済やサービス利用に伴う対人接触


 紙を持つ手が、急激に冷たくなる。

 そんな法律、聞いたことがない。

 だが、自分の生活を思い返せば――心当たりが溢れ出した。


 最近、誰とも話していない。

 会社では名前を呼ばれない。「高山さん」という音を、いつから聞いていないだろうか。

 仕事はすべて、顔の見えないチャットの文字だけで完結する。

 昼休みは一人で、壁に向かって弁当を詰め込む。

 帰宅後は、画面の向こうの他人の生活を動画で眺めるだけ。

 自分を発信するSNSはやっていない。

 友達もいない。

 家族とはもう数年、生死の確認すら取っていない。


 スマホの履歴を開く。

 通話履歴、ゼロ。

 メッセージ、業務連絡の定型文のみ。

 カレンダーは、真っ白な空白が並んでいる。

 暗転した画面に映る自分の顔が、ひどく薄く、頼りないものに見えた。


 82時間。

 そんなに長いだろうか。

 いや――もっとだ。

 82時間は、あくまでシステムによって“計測された分”に過ぎない。

 本当は、もっとずっと前から、

 俺は誰にも見られていなかった。


 翌日、会社で無理やり同僚に話しかけてみた。

「あの、昨日の資料なんだけど、修正点は……」

 同僚は振り向きもせず、タイピングを止めない。「共有フォルダにあります」とだけ返される。

 これは会話にカウントされるのか? 彼は俺を「佐藤」として見たのか?


 昼休み、コンビニで必死に店員の目を見て言う。

「袋、いりません」

 ピッ。

 バーコードリーダーの機械音。店員は伏せ目のまま無言。

 カウントは、されただろうか。一秒でも、俺は彼らの脳内に刻まれただろうか。


 帰宅後、焦りに突き動かされてSNSに登録する。

 必死の思いで適当な写真を投稿する。

《はじめまして》

 一分、五分、十分。

 いいね、ゼロ。

 閲覧数、1。

 それは――確認のためにリロードを繰り返す、自分自身だった。


 48時間の猶予が迫る。

 スマホに、宣告のような通知メールが届いた。


現在の未認識時間: 103時間07分


追加課税予定


 心臓がうるさい。鼓動だけが、自分の生存を主張している。

 認識されなければ、法外な金を払う。

 払えなければ、存在が停止する。

 意味がわからない。論理が破綻している。

 だが――

 死ぬほど、怖い。


 夜、狂ったように街へ出た。

 人通りの多い駅前。煌々としたネオンの下。

 わざと転ぶ。

 大袈裟に、派手に。

 誰かが一瞬こちらを見る。眉を顰める。

 それだけ。

 誰も声をかけない。誰も手を差し伸べない。

 スマホを掲げて、喉が裂けるほど叫ぶ。

「俺を見ろ! ここにいる俺を見ろ!」


 数人が振り向く。気味の悪いものを見る目。

 だが、すぐに視線は逸れる。彼らの世界から、俺というノイズが排除される。

 遠くで、誰かがスマホを向けて動画を撮った気がした。


 翌朝、血走った目でSNSを確認する。

《駅前で騒いでたやばいやつ》

 再生数:2.3万

 コメント:412


 心臓が止まりそうになる。

 直後、冷徹な通知メールが来た。


未認識時間リセットを確認しました。


現在の社会的認識指数:急上昇。


 助かった。

 安堵から、ひきつった笑いが込み上げる。

 蔑蔑されようが、悪名だろうが、いい。

 見られた。

 確かに、俺は世界に刻まれた。


 だが。

 翌日、会社へ行くと、誰も目を合わせない。

 昨日まで以上の、完全な拒絶。

 上司が、こちらを見ずに冷たく言い放つ。

「会社の名誉に関わる。問題を起こすなら退職してくれ」


 帰宅すると、部屋が妙に静かだ。

 スマホを見る。

 通知が、すべて消えている。

 SNSアカウントが凍結されている。「規約違反」の四文字。

 動画は削除済み。

 どこを探しても、昨夜の俺の証拠ログがない。

 急いで通知アプリを開く。


未認識時間:12時間09分


 さっきまでゼロだったはずだ。リセットされたはずだ。

 時計を見る。

 おかしい。

 もう夜だ。

 昼間の記憶が、ひどく薄い。

 会社に行ったはずだ。コンビニに行ったはずだ。

 店員の顔が思い出せない。

 いや――

 あれは本当にいたか? 俺は本当に、そこにいたのか?


 鏡を見る。

 自分の輪郭が、陽炎のようにわずかに揺らいでいる。

 視界の端で、自分の腕が透明になりかけている。

 スマホが、最後のアラートを鳴らす。


存在権一時停止まで


残り 00:09:58


 誰かに電話をかける。

 履歴がない。

 番号もない。

 さっきまであったはずの連絡先が、砂のように消えていく。

 叫ぶ。

 声が、部屋の壁に吸い込まれて響かない。

 壁が、世界の境界が、冷たい。

 自分の手が、足が、透けていく。

 必死でスマホのカメラを起動し、自撮りにする。

 画面に映るのは、

 主を失った無機質な家具だけ。

 そこに、自分はいない。


 ピンポン。

 心臓の音をかき消すように、チャイムが鳴る。

 震える手でドアを開ける。

 そこには、市役所の職員が立っていた。

 精巧な人形のように、無表情。

「未納のため、存在権を停止します」

「待ってくれ、俺はここに――ここにいる!」

 職員は、俺の胸元を通り抜け、背後の空間に向かって淡々と言う。

「対象確認不可。処理を実行します」


 手元の端末が青白く光る。

 その瞬間、世界の音が遠のく。

 冷蔵庫の唸りが止まり、

 時計の秒針が、存在そのものを抹消される。


 最後に思った。

 ああ。

 税を課される前から、俺は、最初から誰にも見られていなかったのだ。

 俺という存在は、とっくに終わっていたんだ。


 消える瞬間、

 誰もいない玄関のポストに、新しい封筒が乾いた音を立てて落ちた。

 宛名のない、真っ白な封筒。

 そこには、こう書かれている。


《無名税 新規登録のお知らせ》


次の対象者が検知されました。

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