年内のやり残し その3
ユウの家を出るころには、空はすっかり夜色に染まっていた。
星が瞬き、吐く息は白い。
「いやぁ、食べ過ぎちゃったな」
「ユウさん、とても嬉しそうでしたね」
「そりゃあ良かった」
ギルドに戻ると、案の定、中は静まり返っていた。
ランタンの明かりが控えめに灯され、広間には俺たち二人の気配だけがある。
「ラグナルは残ってそうなものだけど、珍しいな」
「本日は早く帰宅するように手回し――伝えておきましたから」
「あ、そうですか……」
本当に、どこまで俺の行動を読んでいるのだろう。
「ともかく、今日はもう疲れたし、報告は明日にしよう」
「はい。シン様は十分に活動されました。そこでお休みになっていてください」
リゼットも帰っていいのに、いつものように紅茶の準備を始めた。
俺は椅子に腰を下ろし、その様子をぼんやり眺めていた。
湯気が立ち上るたびにリゼットの吐息がわずかに混じる。
紅茶の香りに、彼女自身の体温が溶け込んでいるような錯覚。
ポットを傾けるとき、自然と身体が前に出る。
胸元がわずかに強調され、布越しでも形が分かるほどだった。
本人はまったく意識していない様子で、ただ静かに、丁寧に湯を注ぐ。
カップを置く指先。ほんの一瞬だけ迷う。
そのためらいが、妙に艶やかだ。
「……なぁ」
「なんでしょうか」
カップを差し出しながら、リゼットが首を傾げる。
「リゼットってさ」
「はい」
「なんか……色っぽいよな」
言った瞬間、しまったと思った。
湧き上がったものを精査して口から発する。
最も重要であろう精査の段階をすっ飛ばしてしまった。
軽口のつもりだったが、静かな空間にやけに響いた気がする。
「……色っぽい、とは」
リゼットは動きを止めなかった。
ただ、ゆっくりと自分のカップをテーブルに置き、俺を見た。
「いや、ほら……仕草とか、声とか。別に深い意味はないんだけどな?」
言い訳がましく続ける俺を、彼女は黙って見つめている。
琥珀色の瞳がランタンの光を反射した。
「それは……シン様がそう感じてくださっている、ということでしょうか」
「まぁ……そうなるな」
一瞬の沈黙。
リゼットはゆっくりと、こちらに一歩近づいた。
「……ユウさんにも、同じように感じていらっしゃいましたか?」
「は?」
唐突な質問に、言葉に詰まる。
「い、いや、あの子は妹みたいなもんだろ?」
「そうですか……」
リゼットは再び黙り込むが、やがてポツリとつぶやいた。
「……色っぽい、ですか」
その言葉を、ゆっくり反芻するように口にする。
彼女の呼吸がわずかに乱れたのを、俺は見逃さなかった。
「シン様が……そう感じていらっしゃる、と」
「いや、だから深い意味は――」
言い切る前に、視線が絡め取られる。
琥珀色の瞳に温度が含まれている。
じっとりと熱を含んだ光だ。
リゼットはゆっくりと背筋を伸ばした。
所作は相変わらず完璧なのに、やはり妙に艶がある。
「色っぽいというのは、異性として意識されている、という解釈でよろしいのでしょうか」
「そ、そこまで大げさな話じゃ……」
「大げさ、ではありません」
リゼットの唇が、ほんのわずかに開いた。
「シン様からそのように見られていると知っただけで、胸の奥がざわついてしまいます」
彼女は、そっと自分の胸元に指を添えた。
押さえるわけでもなく、ただ、確かめるように。
「……リゼット?」
「身体が、勝手に反応してしまうのです」
淡々とした報告の体裁を取りながらも、声の端には確かな熱が滲んでいる。
その熱は欲に縁取られているようで、気づいたときには、もう逃げられない距離だった。
「シン様は奥手な方なので、積極的になり過ぎないよう心がけていたのですが……」
「…………」
「色っぽいと言われた瞬間、私の中で、女として見られているという事実が、とても嬉しく」
リゼットの喉が小さく鳴った。
「……昂ぶってしまいました」
リゼットの腕が、俺の腰に優しく回される。
「リゼット、ちょっと待って」
「あぁ、申し訳ありません」
謝罪の言葉とは裏腹に、彼女は下がろうとしない。
「もう止められないのです。シン様の視線が、声が、言葉が。私をその気にさせたのですから」
ランタンの光に照らされたリゼットの頬が、ほんのりと赤みを帯びている。
普段は人形と見紛うような無機質な肌に、はっきりと熱が浮かんでいた。
リゼットは俺をお姫様抱っこすると、暴れるのを歯牙にもかけず俺の部屋へと連れて行き、ベッドに優しく置いた。
次の瞬間、彼女は俺に馬乗りになり、両の手首を掴まれる。
「ま、待てリゼット!」
「……これまで我慢してきましたが、もう限界です」
「これ以上は洒落に――」
「素直な方が、お好きだと仰いましたよね」
「それは……」
「でしたら」
彼女は、静かに息を吸い。
「私も、素直になります」
ここまで、あくまで淡々と告げていたリゼット。
だが彼女の顔は少しずつ感情を取り戻していき、妖艶でいて、かつ長年の夢を叶えた子供のように輝いていた。
「これにて、今年のやり残しを清算ですね――シン様」
夜中、街に生娘のような声が響いていたと噂になった。
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