年内のやり残し
その朝は、いつもより身体が重かった。
昨日の晩は遅くまで遊んで――ロマン武具屋で購入した新作《流星》の試し切りをしていたからだ。
剣を振るう一瞬だけ輝くそれは、まさに流れる星のよう。
大満足の俺は時間も忘れてブンブン振り回していた。
薄く目を開けると、まだ外は青いようだ。
カーテンの隙間から差し込む光も弱く、空気はひんやりしている。
まだ世界は目を覚ましていない、はずなんだが――。
「――おはようございます、シン様」
耳元で、落ち着いた声がした。
「……おはよう、じゃないよな?」
俺は反射的に上体を起こそうとして、そのまま固まった。
ベッドの脇。いつの間にかリゼットが椅子に座っていた。
完璧な姿勢で、足を揃え、膝の上に両手を重ねている。
銀糸みたいな髪はきっちりまとめられていて、メイド服には一つの皺もない。
琥珀色の瞳は、眠たげな俺の顔をじっと、食い入るように見つめている。
「シン様、本日はお目覚めが早いですね。二時間と一八秒ほど」
「俺って秒単位で管理されてたの?」
「昨日の疲労度から逆算して、あと三分はお休みになっていた方が良いかと。私の胸で良ければお貸しいたします」
「遠慮しておきます」
時間帯の食べごろは分からないが、メロンを朝から食う奴は少ないだろう。
リゼットに抱きしめられれば、休むどころではなくなる。
「っていうか、いつからそこに?」
「……シン様のお顔が、朝の光で美しく照らされる少し前からです」
「怖いからもう少しマイルドに表現してくれ」
「夜明け前からです」
「時間帯も修正してくれると嬉しかったな」
リゼットさん、何時に寝て何時に起きてるんですか?
そんな会話をしている間に階下――ギルドに備えてあるキッチンから良い匂いが漂ってきた。
見つめられながら二度寝するのもアレなので起きることにして、渋るリゼットを部屋から追い出して着替える。
階段を降りて見慣れた広間に出ると、バターとハーブ、それから軽く炒められた野菜の香り。
ギルマス用のテーブルの上には、いつの間にか朝食が用意されていた。
野菜だけではなく、卵料理や香ばしいパン、温かいスープ。
湯気が立ち上っていて、見ているだけで腹が鳴りそうになる。
「本日の朝食は、疲労回復と筋肉痛の軽減を目的とした献立にいたしました」
「……どうして俺が筋肉痛だと?」
「さて、どうしてでしょう」
真顔で言われると、さらに怖いです。
それはさておき、リゼットがせっかく用意してくれた朝食である。
冷めるために食べようと思ったが、どこにもカトラリーの類がない。
「悪いんだけど、ナイフとフォークを貰ってもいい?」
「本日は、シン様にそれらをお持ちいただく必要はございません」
「どういうことだ……?」
リゼットの手にはナイフとフォーク。
手際よく野菜を取ると、迷いなく俺の方へ向き直った。
「シン様。あーん、でございます」
「いやいやいやいや」
「四度仰ったので肯定ということですよね?」
「力技過ぎない?」
彼女は微動だにせず、フォークをこちらに差し出したまま待っている。
琥珀色の瞳が期待を帯びているように見えるのは……気のせいだろう。
「早くお召し上がりください。冷めてしまいます」
「……自分で食べるから、それ貸して?」
「いけません。本日は『シン様への大御奉仕デー』と、昨夜のうちに私の中で決定事項となっております」
「俺の予定表とすり合わせしてから決めような」
なんだよ「大御奉仕デー」って。年末か。
言いながらも、空腹には勝てなかった。
しばらくの攻防の末、俺は観念して口を開ける。
最初に野菜が、続けて温かいスープが、ゆっくりと口の中へ流れ込んだ。
優しい塩気と煮込まれた野菜の甘みが、胃のあたりまでじんわり広がっていく。
「……うまい」
思わず漏れた言葉に、リゼットのまぶたがほんの少しだけ柔らかくなった。
「よかったです」
いつもより半音だけ高く聞こえた気がした。
そして、そこから先は、ほとんど流れ作業だった。
どの料理も全てリゼットがちょうどいいサイズに切り分け、スプーンやフォークで俺の口まで運んでくる。
俺はそれを受け入れるだけ。
恥ずかしさはもちろんだが、食美味すぎて文句のつけようがない。
「俺が頼んでるわけじゃないからな?」
「私がしたいのです。これでも、したいことの三割程度に抑えております」
怖いっす。
「残り七割は、シン様の精神衛生上、まだ早いと判断いたしました」
もっと怖いっす。
食後の紅茶まで飲み終えると、リゼットは手際よく食器を片づけ、すぐに戻ってきた。
「では、続いてはお着替えです」
「いや俺、もう着替えてるじゃん」
「昨夜のうちに、シン様の本日のスケジュールに合わせてコーディネートいたしました」
彼女の腕の中には、きっちりと畳まれた服の山があった。
俺の普段着や予備の服まで、きれいに組み合わせられている。
「本日は、人手の足りない村の依頼を三件こなされる予定です。
「そうですね」
基本的に依頼を受けたくない俺ではあるが、半月に一度くらいは依頼に取り組むことにしている。
もちろん、サボっていないですよアピールをしてノランさんにシバかれないようにするためだ。
年末も近いということで簡単なものを三件。
年明けに楽をするために、寝溜めならぬ依頼溜めである。
「なので、動きやすさと防御力を重視しつつ、シン様のお好きな色味を取り入れております」
「俺の服の好みまで把握されてるの?」
「当然です。シン様の視線追跡と衣服着用頻度、組み合わせの傾向から割り出しました」
「その能力、もっと有意義な方向に使ってくれ」
とはいえ、用意された服の組み合わせは、確かにしっくりきてしまう。
色も着心地も動きやすさも、文句のつけようがない。
「では、上着をお脱ぎになってください」
「嫌です」
「……シン様?」
「ここから先は自分でやるから」
「ですが、筋肉痛が出始めている今、無理な動きをされると――」
リゼットの視線が、俺の肩から腕へとすべっていく。
その目は、まるで医者の診察みたいに冷静で、熱がこもっていた。
「だとしても、俺は一応、男なんだよ」
「存じ上げております」
「で、リゼットは女性だ」
「はい」
「それもめちゃくちゃ美人のな」
「――っ」
俺の一言で、リゼットの頬に赤みが差した……気がする。
「だから、恥ずかしいわけだ。分かるよな?」
「…………分かりました」
リゼットはほんの少しだけ考えるような仕草をして、静かに一歩引いた。
「……では、本日はシン様のご意向を尊重いたします」
「おお、意外とあっさり――」
「上着とシャツのボタンまで、というラインで手を打ちましょう」
「妥協点が変態過ぎない?」
まぁ、さっきよりはまだマシだろう。
俺は観念してその場に立ち上がると、リゼットに正面から向き合った。
彼女は無表情のまま近づいてきて、器用な指先で、上着のボタンを一つずつ外していく。
指が胸元のあたりをかすめるたびに、布越しにわずかな温度が伝わってきた。
「……緊張なさっているのですか?」
「当たり前だろ」
「可愛いですね。私は興奮しています」
淡々とした声色のくせに、言っている内容が変態臭いのをやめてほしい。
シャツのボタンが最後まで外され、リゼットは一歩下がった。
「これでよろしいでしょうか? どうせなら最後まで――」
「いや、自分でできます」
「……承知しました。では、その間に荷物の準備をいたします」
彼女はくるりと踵を返し、机の方へ歩いていこうとする。
「ちょっと待ってくれ。もしかして、リゼットも一緒に行こうとしてる?」
「もちろんです。シン様の行くところが私の在るところですので」
「で、でも、俺がいない間のギルドは――」
「本日はセラとラグナル、イーリス、レオン、セレス、ローヴァンさんに話をつけております」
「全員じゃないですか……」
どれだけ用意周到なんだよ。
「ということで、久しぶりのシン様とのデート――もとい依頼です。皆様を笑顔にするための準備をして参ります」
心なしか楽しそうな背中を見送りながら、俺は大きく息を吐いた。
数分後。荷物をまとめ終えたリゼットが戻ってきた。
「必要ないとは思いますが、ポーションと予備の包帯、それから非常食を入れておきました。シン様はすぐに誰かを助けに行かれてしまいますので、途中で食事を抜かれる可能性が高いと判断しております」
リゼットの持ち物を用意したんじゃなくて、俺に必要そうなものを用意してくれたわけね。
それにしても準備が完璧である。
「はい。ずっと見ておりますので」
それは冗談とも本気ともつかない声音だったが、ひとまず言っておくことにする。
「俺の心まで読むのはやめてね」
三章はまだですが、今年たくさん読み、反応をくださったことへの感謝の番外編です。
全三話。ささやかなクリスマスプレゼント的なアレになれば幸いです。
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