俊足と閃光
戦いが終わったことを告げる鐘は鳴らない。
だが、それでも分かる。盗賊達は倒された。
耳に入ってきていた悲鳴もすっかり消えていた。
かわりに、大通りの四方八方から、足音がゆっくりと集まってくる。
「――シンさん!」
真っ先に駆け寄ってきたのはイーリスだった。
ドロドロになった服と、うっすら血が滲んだ頬。
でも、表情はどこか安堵していた。
「イーリス、無事か?」
「もちろんです! シンさんの方こそ、すごい血で……」
「心配ないよ。慣れてるからな」
話しているうちに、別の足音も近づいてくる。
「シンさん!」
「レオン……! 二人とも無事で良かったよ!」
少し埃っぽい顔でレオンが手を振る。
服は破け、腕に包帯が巻かれているが、彼の表情も明るい。
「俺、やりましたよ! シンさんのアドバイスのお陰で勝てました!」
「アドバイス……?」
なにか言った覚えはないが、それで勝利を掴めたのなら良いことだ。
「団長ッ! 団長ッ!」
続いて現れたのは……いや、姿は見えないな。
俺を探しているのだろうが、声がデカ過ぎて隣にいるのかと錯覚してしまう。
「ラグナル! ここにいるぞー!」
声を上げてみると、熊のような巨体が迫ってきた。
「おお団長ッ! 此度も神々しいお姿ですなッ!」
「いや真っ赤だろ、俺……でも、ラグナルがいてくれたから動きやすかったよ」
そう言うと、彼は顔を歪め、大粒の涙を流し始める。
「おおっ……なんと畏れ多い。このラグナル・ブラストハート、団長のご指示である『不殺』をしっかり守りましたッ!」
「不殺って……? ま、まぁ、ありがとう!」
盗賊を殺すなって言った覚えはないんだが。
俺からしたら実力差がないとできない芸当だし、なんなら首領は真っ二つだし。
そして最後に現れたのは、豪奢なドレスをなびかせながら歩いてくる金髪ドリル、と爺。
「皆様〜! ようやく追いつきましたわ〜!」
「セレス、誰にそんな傷を……?」
Sランクの彼女に傷を負わせるなんて、どんな強敵だったのだろう。
「己との戦いですわよ!」
やはり、Sランクを超えたあたりから見える世界も変わってくるのだろうか。
話が通じている気がしない。
そのとき、背後からもう一つの足音が聞こえた。
「……お、いたいた」
ローヴァンさんだった。
いつの間にか再び盃を手にし、通りの脇で座っていた。
「セレスの嬢ちゃん、土産にしたい酒があってな」
この人、セレスにたかるために出てきたのか……。
ちゃっかりし過ぎだろ。
「……でも、何はともあれだな」
俺はゆっくりと、皆の顔を見渡しながら言った。
「お疲れ様。全員無事で良かった」
しんと静まり返った通りに、どこからともなく風が吹き抜ける。
美しい街が負ってしまった被害は大きいが、救われたものの方が遥かに多いだろう。
壊されたものを取り戻すだけの力は残っているはずだ。
「――それで、これからどうしますか?」
レオンの言葉に、みんなが俺に注目する。
「とりあえず、帰って寝た――」
言葉を言い終える直前だった。
風が鳴った。音ではなく、感覚だった。
「――ふぅー、間に合わなかったか」
瓦礫の上。全員が一斉に視線を向ける。
そこにいたのは、漆黒の装束をまとった細身の男だった。
武器は持っていない。鎧もない。
そして、気配がなかった。
気づいた時には、もうそこにいた。
「……一応、名乗るよ。俺は《俊足》の力を持つ者」
男は手を軽く振る。
「……残りの幹部か」
そうか、まだ残りがいたのか。
ラグナルが一人、レオンとイーリスが一人、セレスが一人……。
ローヴァンさんは首領を倒してくれたが、ずっと酒を飲んでいたから幹部とエンカウントしなかった。
幹部の一人だけはノータッチだったのだ。
「まだ、戦う気ですか?」
イーリスが警戒心を露わにしながら言うと、男は苦笑するように肩をすくめた。
「まぁ、そうなるね。正直、俺はもう戦う気ないんだけど……これは義理というか、ケジメというか」
俺は額の汗を指先で拭う。
さっきまでの戦いの疲労が、急速に引き戻されてくる。
「さて……じゃあ、手短にやろうか」
俊足は一歩、前に出る。
俺は目を見張った。さっきまでそこにいた俊足の姿が、目の前から消えていた。
「消えた!?」
「後ろか!? いや、上……!?」
「ううん――全部、違うよ」
声は、セレスの背後から聞こえた。
だが、振り返ったときにはもう、俊足はレオンの横にいた。
さらに次の瞬間には、ローヴァンの後ろ、ラグナルの肩の上、イーリスの足元、俺の正面――凄まじいスピードだ。
「これが、俺の『走り』だ。誰よりも早く、誰よりも正確に」
静かに、俊足が視線を巡らせる。
「……さて、誰から始末しようか」
こいつは、かなり厄介だな。
戦いが始まるまで時間がない。
俺は周囲の状況を確認する――が。
「わたくし、自分の拳を体験することができましてよ!」
「なんと羨ましいッ! 自分の分身とトレーニングができれば筋肉も喜ぶと、常々考えておりましたッ!」
「とりあえず、あの店の酒は全部買うとして……あれはどこの路地裏だったか。くそっ、これだから歳はとりたくねぇ」
俺(血塗れ補正あり)を含む三人のAランク組が警戒するばかりで、Sランクを超える三人はまったく意に介していない。
俊足もそれを理解したようで、苛立たしげにしている。
「じょ、状況が分かってるのかな? 俺の速度はお頭以上。お前達なんて、一瞬で――」
「そうそう、人助けの途中でシン様に似合いそうな服を見つけたのを思い出しました。じい、後で買いに行きましょう!」
「御意」
「ラグナル殿、この後、酒でもどうかな?」
「おおッ! 良いですなッ! ぜひ団長にも同席いただき、武勇伝をお聞かせいただきましょうッ!」
すごい。完全に無視されてる。
ほら見てみろ、俊足が青筋を立てて怒ってるぞ。
「……よし分かった。お前らの仲間、今から死ぬからな! 後悔先に立たずだッ!」
怒鳴った直後、俊足の姿が掻き消えた。
俺は反応できない。
しかし、直前に俊足の視線がセレスに向いていたのが見えた。
このままでは、彼女が危険だ。
「セレス、危な――」
――空間が弾けた。
何が起きたのか、まったく分からなかった。
明らかに人間の身体では不可能な数の衝撃音。
見えない何かが、高速で何度も何度も、何十発も蹴り飛ばされた音だった。
「………………」
俺は言葉を発せなかった。
煙の中に吹き飛ばされていく影。
俊足が地面を転がり、街灯の下でピタリと止まる。
その身体はくの字に折れ、全身にくっきりと靴の跡が刻まれていた。
視線を戻す。
誰も怪我をしていないが――爺の、セレスの執事の足が、わずかに浮いていた。
「……お嬢様に手を出す輩は、ブチ殺しますので」
その声は、ため息混じりだった。
「う、うぅ……うそだろ……なにが……なにが……」
蹴られた方は、何が起きたのか分かっていない。
「動かない方がよろしいかと」
再び爺の声が響く。
「……今、あなたはお嬢様の温情で生かされています。これ以上動くと、今度は殺しますよ?」
その語り口は、まるで体調を気遣う町医者のように優しかった。
だが、言っている内容は容赦のない死の宣告。
あの爺さん、何者だよ……。
「――さすがじい、《閃光》の名に恥じない速度ですわね!」
「恐縮でございます、お嬢様」
爺の返答に、ローヴァンさんがピクリと反応する。
「《閃光》ってあんた……もしかして《閃光のジー》か!」
「ローヴァンさん、知ってるんですか?」
イーリスが問いかけると、彼は頷いた。
「俺の一回り上の冒険者でな。歴代冒険者最速と言われてたんだよ。会ったことはなかったが、まさか執事をやってるとはねぇ」
「ローヴァン様の太刀筋の鋭さも聞き及んでいました。引退した身ではありますが、お会いすることができて光栄です」
い、いやいや……盛り上がってるけど、爺もめちゃくちゃ強いの?
っていうか、流れ的にこの人、SSランクだよね?
セレスより爺の方が強いの?
「旦那様には返し切れないご恩がありまして、こうしてお仕えさせていただいているのです」
「なるほどなぁ……嬢ちゃんが強いのも納得だ」
「あらあら、そう言っていただけて嬉しいですわね! じいに感謝ですわ!」
「それはお嬢様の筋が良いからですぞ。ほっほっ」
思考がぜんぜん追いつかない。
「せ、セレス……ちょっといい?」
「あらシン様! シン様に対して、わたくしが良くない時などありませんわよ!」
「あのさ……セレスが執事の――執事様のことを『爺』って呼んでたけど、本名で呼んでたってこと?」
「いえ、じいは確かに『ジー』という名ですが、わたくしは『爺』という意味で呼んでいましてよ〜!」
「なる、ほど……?」
要するに「爺」は「ジー」で、セレスは「ジー」を「爺」と呼んでいるわけだな。ややこしいな。
……何はともあれ、これで本当に盗賊団は壊滅したはずだ。
俺たちも宿に戻ってゆっくりできる。
ただ、一つだけ、あの時の出来事が思い出される。
『――お嬢様を加入させないなら、ぶち殺します』
ギリギリで死んでいない《俊足》に視線を向ける。
『――軽いお気持ちでお嬢様に手を出しても、シバき倒しますので』
は、歯向かわなくて、良かったぁ〜!
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