無表情メイドの愛が重い
「私がまだリゼット・カディナという名の貴族の娘だった頃――」
「え、貴族だったの?」
「でした、です。今は家名も爵位も、土地も、全て失っています」
語調は相変わらず淡々としているが、その事実の重みはじわりと伝わってきた。
「父は政争に敗れ、家は潰れ、母は病で倒れました。私に残されたは貴族の名だけ……その名さえ、ある者たちには嘲笑の対象でしかありませんでした」
その「ある者たち」が誰なのか、俺には分からない。
けれど、その屈辱は並大抵のものではなかったのだろう。
「生きるため、私は奉仕訓練施設に入りました。今から八年程前のことです」
正確な年齢は不明だが、リゼットの年齢は十八かそこらだろう。
十歳の頃に、その訓練施設とやらに入ったらしい。
「そこでは『メイド』とはただ仕えるだけの存在ではありません。言葉遣い、礼節、料理、戦闘、毒物への耐性、性的な奉仕、暗殺の心得……すべては主にとって都合のよい道具になるための訓練でした」
「それは……」
言葉を続けることができなかった。
映画でしか聞かないようなことが、この世界では実際に行われているのか。
語り口が穏やかであればあるほど、その裏にあったものの異常さが浮き彫りになる。
「やがて私はメイドとして選ばれ、地方の辺境貴族に買い取られる手筈になっていました。しかし、その道中で私は盗賊に襲われ、山中で致命傷を負いました。なんとか盗賊を始末したものの、護衛は逃げ、私は森に取り残されました」
……すごいな。
今の俺だって、複数の盗賊との戦闘はできるだけ避けたい。
実力差が圧倒的ならまだしも、多少違うくらいなら数の暴力に負けてしまうからな。
それなのに、中学生くらいの年だったリゼットは、一人で賊を撃破した。
なんていう強さ、SSランクに成長するのも納得だ。
しかし、この流れだと、きっと彼女は今この場にいれないはず。
どのようにして助かったのだろう。
気力を振り絞って人里に向かったのか、あるいは誰かが通りがかって――。
「そうして死を待つだけの時間の中で、ふと、誰かの足音が聞こえたのです」
――なぜか、背中に冷や汗が流れる。
「木の枝を踏む音、何かに転んで呻く声。そして、カゴを持って、片目に葉っぱが貼り付いた男が、血だらけの私を見下ろしていました。盗賊にはまだ仲間がいて、私を辱め、殺すのかと、失礼ですが思ってしまいました。ですが、彼は私に手を伸ばし――」
「………………ああ」
な、なんか……不思議と彼女の話は場面の想像がしやすいな。
しかも、視点が彼女のものではなくて、男の方だ。
間違いない。それ、俺だ。
たしか、薬草採集中に見つけたんだ。
「やばい人倒れてる!」ってなって、包帯もロクに持ってなかったから、自分のシャツちぎって止血して、近くのギルドに――。
「私は救われたと思いました。……ですが、本当の地獄はここからだったのです」
「う、うん……ど、どうしたの……?」
いや、まだ分からん。
実は俺じゃなかったと誤魔化せるかもしれない。
一縷の望みをかけて知らないふりをしてみたが、リゼットは気にせず話を続ける。
「私を抱えて走る男性の目の前に、凶暴な魔物が現れたのです」
「へ、へぇ……どんな魔物だったの?」
一応聞いてみる。
違う可能性に最後の望みをかけて。
「その魔物とは……ミノタウロス。どこから現れたのか分かりませんが、人を何人も殺めたことが一目で分かる、血に濡れた斧を持っていました」
はい、俺確定。
あのとき、走る俺の前に現れたのもミノタウロスだった。
本来はダンジョンの奥にしかいないはずなのに、たまたま「はぐれ個体」が地上に出てしまったらしく、最こ……最悪のタイミングで俺の行く手を塞いできた。
クソでかい斧を持って、唸り声をあげて、地面を踏み砕きながら。おおっ、きたぁ……って、内心ニヤけたのを覚えてる。
「……私は、再び絶望に落とされました」
リゼットの手がわずかに震える。
あの瞬間の記憶は、今でも鮮やかに彼女の中に焼き付いているのだろう。
「ミノタウロスは凶暴な魔物で、並の冒険者が人を守りながら戦える相手ではありません。つまり、自分が生き延びるためには――私を見捨てなければならないのです」
その判断は正しい。
守りながら戦うのは、何倍もリスクが跳ね上がる。
死ぬ可能性を高める行為だ。普通はやらない。できない。すべきじゃない。
「……それ自体に、私は恨みなど抱きません。助けようとしてくださっただけで、感謝でいっぱいです。ですが……一度は助かるかもしれないと希望を持ってしまった分、そのショックは深いものでした」
リゼットの声音が、そこでほんの少しだけ、熱を帯びた。