無表情メイド
寸分の狂いもない所作で、彼女――リゼットは、俺の視界に入ってくる。
銀糸のように滑らかな、腰ほどまである長髪が、彼女の肩から背中へと流れている。
光を受けてほのかに青みを帯びるそれは、雪と月が混ざり合ったような幻想的な色合いだった。
形の良い眉、細く整った顎のライン、表情の乏しい琥珀色の瞳。
全体としての印象は、完璧に整いすぎていて、むしろ人工的にさえ見える。
メイド服はクラシックな黒と白のツートン。丈はくるぶしまであるのに、どこか妖艶さを帯びて見えるのは、彼女のスタイルのせいだろう。
均整の取れた体躯に、しなやかな脚。くびれた腰に、はち切れそうな胸元。
立っているだけで絵になるが、それでいて気配はほとんど感じさせない。
まるでそこに意志のある人形が立っているような、そんな存在感だった。
俺に向けられる声は落ち着いていて、感情の波を感じさせない響きが、逆にぞくりとするほど耳に残る。
彼女は――俺のギルドに所属しているメイドだ。
……いや、一応そういう立場というだけで、俺は彼女にメイド業を依頼した覚えはない。
毎朝こうして勝手に部屋に入り、勝手に掃除し、勝手に紅茶を淹れて、勝手に俺の服を畳み始めるが、俺は雇っていない。
昨日なんか、目が覚めたらすでにカーテンが開いていた――が、俺は雇っていない。
そして、俺が何も命じていないにもかかわらず、彼女は「ご命令と解釈いたしました」と、ぞっとするような言い回しで行動する。
「……あのさ、リゼット」
「なんでしょうか? 本日は声の落ち着きが強いですね。何か考え事でもされていたのでしょうか」
リゼットは無表情のまま、ほんのわずかに小首を傾げた。
どこか嬉しそうに見えたのは気のせいだろう。
「い、いや……」
脳内インタビューに答えていたなんて言えない。
人助けで合法的に快楽を得る変態的趣味についてだなんて。
「そ、それより、毎朝こうやって来なくていいんだけど」
「それはできません。シン様にお支えすること、喜んでいただくこと。それが私の存在意義ですから」
即答だった。まったく迷いがない。むしろ、微かに誇らしげですらあった。
そしてそのまま、彼女は俺の背後に音もなく回り込み、座っている俺の肩へと、両手をそっと置いた。
その手はひんやりとしていて、ゆっくりと、的確に、俺の肩の筋肉を捉え、押しほぐしていく。
技術はプロ級なんだよな。
思わず「うっ」と変な声が漏れそうになって、あわてて堪える。
「声を出していただいても構いませんよ」
肩を押し込む手が、僅かに強まる。
リゼットの顔は変わらない。いつもの無表情だが、その瞳に妙に光を宿しているように見えた。
「俺は嫌なんだよ」
「私は興奮します」
「やめてね」
無表情のせいで、本気で言っているのか分からない。
「それはそうと、肩の筋肉が固くなっていますね。昨夜はまた、外で戦われたのでは?」
「っ……ちょっと、山道でコケただけだよ」
リゼットの指が、まるで地図をなぞるように、俺の体に走った戦いの痕跡を読み取っていく。
「左上腕三頭筋と広背筋に均等に力が加わった痕がありました。おそらく、高速で振りかぶった剣を受け止めようとした形です。嘘はいけませんよ?」
なんでわかるんだよ。
……いや、見抜けるのも不思議ではないか。
だって、彼女は冒険者の中でも最高峰であるSSランクなのだから。
一流の冒険者ともなれば、筋肉に触れるだけでどんな戦いがあったか読み取れるのだろう。
だから、その部分に関しての疑問はない。その部分にはな。
俺が本当に疑問を呈するべきなのは、SSランクの彼女が、自分よりもはるかに弱いBランクの俺に付き従っているということだ。
リゼットがギルド《白灯亭》に加入してから、もう二ヶ月が過ぎた。
最初に会ったとき、彼女は言った。「あなたに恩があります」と。
でも、その恩の具体的な中身を、彼女は一度も語っていない。
そして俺には、それらしい記憶も、心当たりもない。
ただの親切心で助けた可能性もある。
けれど、もし本当にそうなら、ここまで徹底して尽くす理由にはならない。
なにより、俺の生活に静かに入り込みすぎている。
毎朝部屋に現れ、掃除し、食事を整え、マッサージをしながら俺の戦闘痕をチェック。なんなら、豊満な胸をかなりの強さで押し当ててくる。
このまま放置すれば、俺が趣味で戦いに出ていること……戦闘狂のドMであることがバレかねない。
俺の平穏のためにも、そろそろ核心に触れねばならない。
「……前にも聞いたと思うんだけど、リゼットが俺のギルド――白灯に入った理由について、教えて欲しい」
なるべく柔らかい口調を心がける。
責めるように聞いてはいけない。相手はSSランクの戦闘メイド。
腕力で抑え込まれたら最後、物理的にも精神的にも死ねる。
「以前にも申し上げました通り、シン様に返しきれないほどの恩があるためです」
即答だった。言葉の響きは変わらない。
「そ、それは聞いたんだけど……具体的に俺がなにをしたとか、そういうのは教えてもらってないからさ。やっぱ気になるっていうか……」
言いながら、俺はわずかに身体を傾ける。
後ろにいるリゼットの気配を探るように。
けれど彼女は微動だにせず、ただゆっくりと肩を揉み続けている。
ふと、リゼットの口が、すっと開いた。
「……まぁ、シン様は日頃から活動されているようなので、私を覚えていないのも当然かと思います」
冷や汗がひとすじ、背中を伝った気がした。
「か、活動っていうのが何のことか分からないけど、詳しく教えてもらってもいい?」
問いかけると、彼女は肩を揉む手を止めず、ぽつりぽつりと話し始めた。