プロローグ
今回の人生は概ね好調だ。
俺には前世の記憶がある。いわゆる転生ってやつで、気が付いたたらこの、剣と魔法のファンタジー世界にいた。
冒険者がいて、ダンジョンに潜ってモンスターを討伐し、名声を得る。なんていい世界なんだ。
だが、俺が「いい世界」と言っている部分は少し特殊。
この世界には「ギルド」がある。
ギルドとは、ファンタジー世界のアニメや漫画、ゲームによく登場する組織であり、冒険者たちを束ね、仕事を斡旋し、情報を共有し、時には揉め事を裁く中立的な組織だ。
いわば、冒険者社会のインフラ。
基本的に、冒険者はどこかしらのギルドに所属しなければならない。これは、ルールでもあり、暗黙の了解でもある。
だが、そのあたりの一般的な話は正直どうでもいい。
本当に素晴らしいのは――ギルド経営者に支給される「経営者手当」だ。
ギルドの運営には煩雑な書類仕事や、トラブル対応、人員管理、さらには国家との交渉まで含まれる。
だからこそ、ギルドマスターには手厚い手当がつく。それも、想像を遥かに超えるレベルで。
数人規模のギルドでも、月々の助成金だけで余裕のある生活ができる。真面目にやればやるほど、資金が潤う。やらなくても、最低限は支給される。
そして、その助成金の使い道がまた素晴らしい。
武器購入、訓練施設の整備、魔導具の導入、宿舎の充実――すべて「ギルドの発展」という名目で通る。
実際には俺の自室の防音魔導壁や、夜中でも温度調整できる風呂が「ギルドの福利厚生」として計上されている。誰も文句は言わない。確認もしない。
おかげで、前世でブラック企業に魂をすり減らしていた俺は、今世では働かずに人生を全うするという選択肢を得た。
上司の圧に怯え、終電を逃し、スーツのままコンビニ弁当を食っていたあの地獄の日々から解き放たれたのだ。
素晴らしき制度。国家公認のぬるま湯。怠け者の楽園。
冒険者としての下積みも、決して派手なものではなかった。
もっぱら採集依頼や簡単な配達。無理せず、リスクを避けて、ひたすら実績だけを積み上げる。地味な積み重ねだ。
だが、三年かけてランクBまで到達し、設立資金と書類一式を整えた俺は、ついにギルドを開設する。
もちろん、役所よりも複雑で、窓口の担当官には三回目でようやく笑顔をもらえたが、それでも助成金の通知書が届いた瞬間、すべてが報われた。
これで、たとえギルドメンバーが0人でも、俺の人生の安定は保証されたのだ。
思い返せば前世は「自己犠牲は美徳」とか、「みんなが頑張ってるから」なんて空気で、誰もが笑いながら潰れていった。
歯を食いしばって働いても、上司には「それが普通」と言われ、感謝の言葉ひとつなかった。
だから俺は決めた。今度の人生では、自分の快楽のために命を張る。
じゃあ、働かなくていい日々に何をするか?
いい質問だ。人間という生き物は、暇に耐えられない。
金があっても、自由があっても、暇があると心が腐る。目標がなければ魂が鈍る。
この有り余った時間をどう使うのか――その問いに対する、俺の答えは一つ。
――俺はドMだ。
誤解されがちだが、精神的な意味ではない。
純粋に、肉体的な「痛み」と「限界」に快楽を見出すタイプの変態だ。
モンスターとのギリギリの戦い、剣が折れかけ、血が滲み、息が荒れるあの瞬間。「生きている実感」が、神経を灼くように脳髄へと流れ込む。それがたまらない。
前世ではさすがに実践しなかったが、格闘家を目指した時期もあった。
しかし、人間の身体は脆すぎる。一度骨を折れば数ヶ月は寝たきり、致命傷を負えば当然死ぬ。
快楽は生きていなければ感じられない。
つまり、このファンタジー世界は、まさに理想郷だった。
回復魔術があり、ポーションがあり、そもそも身体能力が高い。
多少の傷では死なない世界。だからこそ、ギリギリの快楽を、思う存分に味わえる。
……だが、依頼を受けて戦うのは、よろしくない。
依頼主は、俺が依頼を受けたというだけで「安心」してしまう。
つまり、俺が死にかけて悦んでいる間に、何なら死んだ時にも、依頼主は「モンスターは討伐されたもの」として次の行動に移ってしまうのだ。
結果的に、俺の趣味が誰かの命を危険にさらしてしまうかもしれない。
変態というのは、他人に迷惑をかけずに愉しまなければならない。それが最低限のルールだ。
さらに言えば、この性癖は絶対にバレてはならない。
ギリギリ勝てそうな強敵を探し、自分の命と快楽を秤にかけて悦ぶような奴など、正真正銘の気持ち悪い奴だ。
社会から追放されても文句は言えない。
だから俺は、「依頼を受けずに」「ギリギリの戦いができる方法」を探した。
そして、たどり着いた答えがひとつある。
それが――人助けだ。
困っている人間を見つけて、助ける。助けた先にモンスターがいれば、自分の欲望も満たせる。
たとえ偶然だとしても、誰かが喜んでくれる。
依頼ではないから、戦う義務もないし、期待される成果もない。
死んでも「なんか頑張ってたね」で済まされる。責任も背負わず、ただ「俺のため」に戦う。
それでいて、誰かが救われるのなら、そんな都合のいい趣味は他にない。
てなわけで、冒険者時代からいそいそと趣味に励んでいたわけだが……ここ数ヶ月で、俺の楽園には雲がかかり始めた。
その前触れは、今日も変わらぬタイミングで、控えめなノックと共に訪れる。
「失礼します。シン様、本日のご奉仕を始めさせていただいてもよろしいでしょうか」
扉が静かに開かれ、ふわりと一輪の花のような香りが室内に入り込んだ。
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