【AI小説】『夏の終わりに、君がいた』
八月三十一日。
セミの鳴き声がどこか遠く、まるで録音された音を流しているかのように薄く、機械的に響いていた。暑さはまだ残っていたけれど、空気の端々には秋の匂いが混ざっていた。
この日、僕は人生で初めて「幽霊」と会った。
◇────◇
「……はぁ、課題終わらねぇ」
公園のベンチに座って、課題を広げていた。やる気なんて欠片もないけれど、家にいると母親がうるさくて集中できない。だから、こうして人気のない公園で、だらだらと問題を解いているわけだ。
汗が額から流れ、ノートにぽたぽたと染みをつくる。鉛筆が滑って、書いた文字が読めなくなって、またイライラして、ため息をついて、空を見上げた。
そのときだった。
「……ねぇ、君も宿題終わってないの?」
不意に、声がした。女の子の声だった。
僕は驚いて、横を見た。誰もいない。けれど、少し離れたブランコのあたりに、白いワンピースを着た女の子が立っていた。長い黒髪が風に揺れて、目元は日差しのせいでよく見えなかった。
「……誰?」
そう聞くと、女の子はにこっと笑った。
「幽霊、だよ」
ふざけてるのかと思った。だけど、その表情にはどこか冗談めいたところがなかった。不思議と怖さはなかった。
「君が、幽霊?」
「うん。ここで死んだの」
僕は思わず、ペンを落とした。
「え、マジで?」
「マジだよ」
女の子はブランコに腰をかけ、少し揺れた。ブランコの鎖がキィキィと鳴る。風はないのに、揺れるブランコ。やっぱり、幽霊なのかもしれない。
「なんで、俺に話しかけたの?」
「暇だったから」
即答だった。なんだか拍子抜けして、少し笑ってしまった。
「君、名前は?」
「……ひみつ。君は?」
「藤原尚人。中二」
女の子は頷いた。
「ナオトくん、宿題やらなきゃダメだよ。夏休み終わっちゃう」
「わかってるけどさ、やる気でないんだよ」
そう言って僕がドリルを閉じようとしたとき、彼女はすっと立ち上がって、僕の横に来た。近づいても、やっぱり怖さはない。体温も感じない。でも、そこにちゃんと「いた」。
「じゃあ、一緒にやろっか」
「え、君が?」
「うん。私はもう宿題なんてないけど、君がサボってると怒られそうだから」
誰に?と思ったけど、突っ込まなかった。なぜか、僕は彼女の言葉に素直に頷いていた。
その日、僕は彼女と一緒に宿題をやった。答えを教えてくれるわけでもなく、ただ横で見てるだけ。でも、不思議と集中できた。時々、彼女が笑うと、なんだか心が落ち着いた。
日が傾いて、空が赤く染まり始めたころ、彼女はふと立ち上がった。
「そろそろ、帰るね」
「え、もう? せっかくなら全部終わらせるまで……」
「また明日来るよ」
そう言って、彼女は夕焼けの中に消えた。まるで最初から存在しなかったみたいに。
◇────◇
学校が始まった。けれど、僕は授業が終わるとすぐにカバンを放り出して、公園に向かった。制服のまま、汗だくになりながら走った。課題もギリギリ全部出した。
彼女に、会いたかった。
だけど——。
「……いない」
ベンチにも、ブランコにも、花壇のそばにも、彼女の姿はなかった。
一時間、二時間待っても、現れなかった。日が暮れて、あたりが暗くなっても、来なかった。
次の日も、またその次の日も、公園に通った。でも、あれから彼女には会えなかった。まるで、最初から存在していなかったみたいに。
けれど五日目の夕方。空が淡い朱に染まる頃、ようやく——。
「……ナオトくん」
振り返ると、彼女が立っていた。白いワンピースは風に揺れて、でも昨日までの透明感とは少し違っていた。輪郭がはっきりしていて、まるで本当に「生きている」みたいだった。
「よかった……来てくれた」
「……ごめんね。ちょっと、思い出してたの」
「何を?」
「私が、何を忘れてたのかを」
彼女はベンチに腰掛けた。僕も隣に座った。言葉が出てこなかった。彼女が何を言おうとしているか、少しだけわかる気がして。
「ねぇ、私さ。あの日——事故に遭う直前、友達にすっごくひどいこと言っちゃったの」
「……ひどいこと?」
「もう遊ばないって。うざいって、言っちゃった。ほんとはそんなこと思ってなかったのに……イライラしてて、言葉が勝手に出てきて……」
僕はそっと、彼女の手に手を重ねた。冷たくも、温かくもなかった。でも、そこに確かに手があった。
「言えなかったの。あの子に、ごめんって。言う前に死んじゃって……ずっと、それが忘れ物だったんだ」
そうか、と思った。思い出すべきはモノでも場所でもなく、自分の心の奥底だったんだ。後悔と、それに伴う罪悪感。それが彼女をここに縛っていた。
「……でも、ナオトくんと話してるうちに、少しずつ思い出せたの。言わなきゃいけない言葉。伝えなきゃいけない気持ち」
彼女の目に、涙が浮かんでいた。
「ありがとう。ナオトくんに会えてよかった」
「俺は……君に、会えてよかったよ」
言葉にすると、胸が痛くなる。きっと、これで彼女はいなくなる。そんな予感があった。
「最後に、名前教えてくれない?」
彼女は少し笑って、うなずいた。
「結月」
「……結月」
きれいな名前だった。夏の終わりにぴったりな、風の音が混ざるような響きだった。
「じゃあね」
結月は、静かに立ち上がった。そして、沈みかけた夕陽を背に、ゆっくりと歩き出した。
風が吹いた。柔らかく、優しい風だった。
気づけば彼女の姿は、もうなかった。
ただ、ベンチの横に、一本の白いリボンが落ちていた。
それを拾って、僕は胸にしまった。
忘れない。夏の終わりに、君がいたことを。
忘れない。君が、幽霊だったとしても、確かに生きていたことを。
そしてきっと、これからも。
彼女の「ごめんね」は、風に乗って、ちゃんと届いたはずだから。
ー完ー
これ結構気に入ってます。