7日目:灰となる
「おはよう」
横を見れば、ベットの縁にフミーが腰掛けている。先に起きていたようだ。
目覚めてすぐ彼女に挨拶するも返事は返ってこない。
顔をを背けたままこちらを見ず、目も合わない。
「フミー」
それを寂しく思う資格はないが、それでも、懇願するように名前を呼んでしまう。
このまま別れるなんて嫌だから、何か言葉を引き出したい。
その願いが転じたのか、
「アタシ、生き返らせてやんないんだからね! 扉開いたら、嫌いになってやる! すぐ忘れてやる!」
そっぽ向いたまま、肩を震わせて叫んだ。
それは、引き止めるための言葉であることは俺にもわかる。
嫌いなんてなれないだろう。すぐ忘れるなんてできないだろう。
フミーと過ごしたこれまでの時間が、俺に確信させる。だから、そこで不安になりやしない。フミーの中で風見翔也が大きな存在なのは疑いようはない。
フミー自身もわかっているはずだ。だから、それをわざわざ口にする野暮なことはせず、数分の沈黙を作った。
それを不満に思ったのか、フミーはさらに続ける。
「カザミショーヤ、あなたのお願いなんか聞いてやらない!」
「俺もフミーのお願いは聞いてあげられない。けどフミーのことは好きだよ」
揺れる雪のように白い髪を見つめながら今度は答える。
好きな人のお願いは叶えるとフミーは言っていた。だが、俺はそうあれない。
なるべく、叶えてあげたいとは思うが。
フミーが言葉に詰まったのか何も返さず、また数分の沈黙を作る。
それを壊すべく俺は立ち上がった。そうすれば今まで背を向けていたフミーはバッと振り返って顔を見せてくれる。
「あ、あんなに扉を怖がってたじゃん! 震えてたじゃん!! ダメだよ! ダメだよ!!」
立ち上がって天蓋の中から出る風見翔也に喚きながらフミーも続いた。
俺はゆっくり、一歩ずつ。扉へ近づいていく。
それの様子をフミーはじっと睨みつけていた。
フミーの言う通り、トラウマになるほどの恐怖をコレに刻まれた。
ドアノブへ手を伸ばす。
「もう、平気みたいだ」
そうやって笑って見せた。
震えはない。
灰になるのは……死ぬのは、少しだけなんて言えないほど怖い。
それでも……。
「さようなら」
「……っ!!」
決定的な別れの挨拶にフミーの愛らしい顔は悲痛に歪む。
できることならその瞬間まで笑って別れたいと思うがそれは無理だった。やはりダメだな、風見翔也という男は。
しかし、そんなダメダメな人生の中、ここまで生きた甲斐はある。
フミーと一緒に過ごしたのは、たった7日。だとしても言い切れるのだ。それまでの人生16年よりも、価値のあるものだと。
「うおおおおおっ!!!」
精一杯の力をかれば、固い扉は音を立てて開こうとする。
そうすれば、己の肉体は炎を纏う。
燃え上がり、灼熱に溶ける感覚。
召喚初日に味わった地獄が再臨した。
肉体は未だ存在しているが、燃え続けているのではく、何度も死に続けているのではないか。それは誤認だと理解していても、そんな感覚になる。
目は開いているはずなのに視界はチカチカと点滅するだけで何も映らない。
頭がおかしくなりそうで、何もかもがわからなくなりそうだ。
「カザミショーヤ……っ」
その中で届く、フミーの声。
その声に、どこかへ行きかけてた思考が帰ってきた。
「カザミショーヤ……!!」
それまでじっと見つめていたフミーは、駆けてきて後ろから抱きつく。
「いやぁ!! いやああぁぁ……!!」
燃え上がる俺へ抱きついても、フミーに燃え移らない。
ドアノブから手を離さないならば決して消えないその炎。
当然だ。その付与魔法は、フミーを守るためのものなのだから。
扉はもう、腕だけなら入りそうなほど、開いている。
開けば開くほど炎の勢いが強くなっている気がするが、もう少しだ。
その前に、言わないと決めていたことを言おうか。
フミーは言ってくれていたのに、なんだか気が咎めて言えなかったことだ。
だが、こうやって抱きしめてくれるフミーに返せるものはそれくらいだ。
「フミー、好きだよ」
「っ!!」
その言葉合図だったかのように、体は少しずつ、解けるように灰になっていく。
「カザミショーヤぁ!!!」
これが、俺の人生の役割だったのかもしれない。
ギザな言い方だけど、運命、なんだと思う。
いや、むしろそうであって欲しい。
フミーの鳴き声と共に扉は開いた。
崩れていく頭の先に、手を伸ばした。
その存在を抑え込もうとそのまま手を丸めるも、崩れて砂を掴んだかのような感触になるだけだ。
今度は両手で捕まえようとする。
それでも同様に、形を保たず崩壊していく。
そうやって何度も手を伸ばすも、存在が分散され、床に舞い落ちるだけだった。
とうとう、靴下ごと足先まで、完全に生が失われた。
両手だけで収まりそうなほどの灰だけだけが残った。
全身が灰になったのに、それだけしかないだなんて信じられない。
ついさっきまで、抱きしめていた彼は、どこへ行ったのだ。
今でも感触が残っているそれが、寂しさと愛おしさを突きつけた。
少女は、へたり込んでいる。
カザミショーヤだった灰を、服を破いて包み、胸に抱きながら。そうやって一日中泣いて目を腫らしていた。
扉は少女が通れるほどに開いている。
それでも、出れなかった。
たった7日、いや、7日にも満たない交流。
得たものが大きかった分、失ったものが大きいのだ。
大きくて、バランスが保てなくて、立ち上がれない。
再び、独りだ。
『フミー、好きだよ』
最後の言葉がこだまし続ける。
彼に、初めて好きと言われた。
もっと言って欲しいと思っても、彼はいない。
それが少女を何よりも苦しめる。
紛らわせようと、代わりに、彼との思い出を巡る。
1日目、彼と出会い、嬉しくて嬉しくて、無我夢中ではしゃいだ。この時の感動を一生忘れないだろう。
2日目、朝食を一緒に召喚をした。父様の話を聞いてくれて、嬉しかった。
3日目、カザミショーヤのことを少し知った。ここに来る前、辛い思いをしていたみたい。
4日目、一緒に本を読んだ。カザミショーヤの願いを聞いた。好きな相手の願いなのだから当然だ。
巡れば巡るほど、涙が溢れてくる。
5日目、一緒にカメラを召喚した。急に可愛いポーズと言われてビックリした。だからお返しした。カザミショーヤのシャシンは宝物だ。
シャシン……
「そうだ、シャシン……」
ようやく立ち上がり、ふらふらと揺れながらも、自身のベットへ突き進む。そして、枕元に置いていたシャシンを取る。
ポーズを決めたカザミショーヤが写っている。
写真のすぐ横に置いていたカメラもついでに拾い上げた。
「うぅ……」
彼のシャシンを眺めながら、大粒の涙を流すことしかできない。
一日中泣いていたというのに涙はまだ枯れてなかった。
どれだけ泣こうと喚こうと、死人は帰ってこないのに。
結局、二人揃って一緒にシャシンへ写ることはしなかったけれど、撮ればよかった。
後悔が雪のように降り積もり、心に重みをかけていく。
「カザミショーヤ……」
愛しい愛しいその名前を呼ぶ声が、部屋に響いた。
返事が返ってくればいいのに。
帰ってくれば——。
———。
可能性は存在している。
カザミショーヤが帰ってくるならそれは、フミーが行動した時だ。
行動、すれば、二人一緒にシャシンを撮るのも、叶えられるだろうか。
彼の願いを思い出す。
わかっている。それは同時に自分の願いでもあるのだから。
父様にもカザミショーヤにも、会えるものなら会いたい。
たくさん泣いた後だ。
この悲しみに溺れないように、支えになれるのは、その不確かな希望だけだ。
憂を残した目をし、ゆらゆらと不安定な歩幅で扉へ向かう。
空いたその隙間へ体を滑らせ、
ようやくフミーは、——アタシは部屋を出た。