4日目:風見翔也の召喚
昨夜のチョジュラス家に関する本の閲覧に対するフミー答えは、
『一晩考えさせて欲しい』
だった。
その一晩が経ち、この部屋での生活も四日目へ突入する。
「カザミショーヤ」
落ち着いたトーンでフミーは俺の名前を呼ぶ。
どうやら無事答えが出たようで、顔から覚悟が感じられる。
「アタシは……正直知りたくない。怖いよ。でも、カザミショーヤが知りたいなら、知るなら、アタシも一緒に知りたい」
俺の右手を小さな両手で握りながら、真っ直ぐな眼差しを向けてきた。
そこから伝わる熱に高揚を感じながら、顎を引いて応じる。
———
「チョジュラス家の記録」
表紙に視線を落とし、フミーはそのタイトルを口にした。
見たことないカクカクとした文字、この世界特有の言語であろう。ただでさえ日本語しかできないのにそれが読めるはずもなく、読み上げてもらうことになった。ちなみにフミーは父親の教育により5歳時点で文字が読めてたらしい。
「開くよ」
その掛け声と共にいよいよ本の中へ踏み込む。
フミーの高く澄んだ声を聞き逃さないよう耳に集中しながら、内容を汲み取っていく。
最初の数ページは筆者についてだ。
——ネオ・ハクター。
チョジュラス家で代々指南役を務めるハクター家の女性。
ご丁寧に写真があり、凛々しい顔つきだ。
紺色の目に金髪のボブカットの美人で、白衣にへそ出しという真面目と軽薄を備えた格好をしている。
「地味に写真はこの世界にもあることが驚きだ」
「シャシン……?これ絵じゃないの?」
「フミーは知らない……。てことは……」
この世界でも奥付の概念はあると信じ、巻末を開く。
「ここら辺に発行日書いてるだろ?」
「うん、10年前。この本召喚したのもそれくらい」
「じゃあ、写真はフミーが幽閉された154年前から10年前までの間にできたのか」
単にフミーが物知らずだった可能性や、マイナーな技術の可能性もある。
綺麗な写真だがこれも魔法なのかもしれない。
はたまた元いた世界にあったカメラのような道具があるのか。
後でフミーに召喚できないか試してもらおう。
「写真については一旦置くとして、チョジュラス家で代々指南役ってあるけど心当たりは?」
「うん……この人、見覚えがある」
「……この人に見覚え?年代が合わないだろ。この人も長寿なのか?」
154年前から幽閉されてたフミーが出会っているのは、ネオ・ハクターが普通の人間なら有り得ない。
ここまでのページに年齢は表記されていないが、幼く丸い顔をしていて外見年齢がフミーと同じくらいの少女だ。だが、童顔などいくらでもいる。
それを踏まえ、女の年齢を見抜ける自信はない俺の推測だが、高くとも30だろう。それ以上だったらビックリしてすっ転ぶ。
「長寿とかは聞いたことなかったけど……でもその人の子孫だから似てるってだけかも。100年以上前だから記憶も曖昧だし」
現在16歳の風見翔也ですら5歳の頃の記憶は曖昧なものだ。仕方ない。
ただ、推定フミーの知り合いの先祖である以上、ネオ・ハクター自身の信憑性も少し上がる。
「……次のページ、いくね」
空一面が雲で覆われたかのようなどんよりした声を出しながらページへ手をつける。
顔を見ると額に汗を浮かべていて浅く呼吸をしていた。
「大丈夫か?」
「……ごめん。この次のページの最初に、長寿って書かれてて、前はすぐ本閉じたから……これから、先を読むんだと、思うと……」
小さく震わせながら本を持つ手に、包み込むように風見翔也の片手を重ねる。
それに反応してフミーはこちらを向いた。
「一旦休憩にしようか」
「ぁ……」
フミーは一瞬頷きかけてから、白い髪が浮き上がるほど顔を大きく横に振った。
「いい、読む。読むよ、アタシ」
「けど……」
「えっとね、——チョジュラス家について話しましょう。その血の特徴として挙げられるのが長寿であること——」
提案を跳ね除けページをめくる。
気丈な態度を繕おうとしていたが、声は上擦っていて見ていて心配になる。
「フミー」
重ねたままの手に少々力を込める。
大丈夫だから、という思いも込めて。
「……! ——チョジュラス家の人間の内、その長い生涯を研究に捧げる者もいて——」
その思いが通じたのか、声のトーンに落ち着きが戻ってきた。
「——遠い昔、チョジュラス家の者は2000年生きたという記録が残っている」
フミーは俺が触れていない方の手で、長い白髪を耳にかけながら、文字を追っていく。
「——血が薄まってきた為か、寿命が縮んでいる傾向があるが、それでも現在……、の、……現在の……」
突っかかるフミー。
そこに何が記されていたのか。
それは——。
「現在のチョジュラス家の者は500年は生きるだろう」
具体的な命の年数。それが本に載っている確証はなかったが、結果として記されていた。
500年。
それが真実ならば、フミーはまだ人生の半分も歩んでいない。
「フミー……」
本を読むことは俺が言い出したことであり、ここで無言でいるのは卑怯だと思い、かける言葉を探したが、わからず、名前だけが口から出た。
そんな口に白く細い指を添えられる。
「何も、言わないで、考えないで」
風見翔也は普通の家の普通の人間だ。100年生きるかどうか。
本の内容を信じるなら、確実にフミーより早く死ぬ。
だが、俺が死んだ後もフミーは——
「今を楽しみましょう」
「今を……?」
今にも泣き出しそうな顔を晒しながら、白い髪を揺らす。
それから俯いて、数秒。
何かが弾けたように立ち上がった。
「この本の内容がほんとに正しいのかとか、だとしたらカザミショーヤが先に死んでとか、アタシがまた一人にとか、そんなの考えたくない!アタシ、そんなことよりあなたと遊んでいたい!」
怒ったような声だったが、怒りをぶつけられているような感覚はしなかった。
燻っていた不安が集散したかのような、幼い癇癪。
今まで見てきたフミーの中で、一番子供のように見える。
「やっぱり、見ない方が良かったよこんな本!」
本を拾い上げてガラクタ山へ投げつけようとした。
「フミー、ごめん」
「っ!」
柔らかく華奢な体を後ろから抱きしめる。白い髪が顔に触れくすぐったい。
当のフミーは、抱きしめられた衝撃故か本を床に落としていた。
「フミーの言った通りだよ。この本の内容は正しいとは限らないし、悪戯に混乱するだけだった」
「……」
どうしようもなく気になってしまったから。
そんな不安と好奇心がきっかけでこうもフミーの心を掻き乱してしまった。
「本なんて、必要ない。俺が、本当に知りたかったのは……」
「知りたかったのは?」
途中で言い淀んだのを聞き返される。
息がかかりそうなほどに俺たちの顔は近い。
「俺が死んだ後、いや、もし先に死んだら、また人間を召喚するのか?……その、やっと俺で召喚が成功したんだろ?」
簡単な質問だ。それなのに聞けなかった。
それが、本当は知りたかったのに。
「カザミショーヤは——」
心臓がうるさい。
この感情は、恥か、罪悪感か、そんな自身への嫌悪か。
「——どうしてほしい?」
「召喚なんかするな」
——その気持ちを隠したかった。
——フミーは159歳だ。あと何年生きるのか。
それを考えた時、きっと俺よりも生きるだろうと直感していた。
なら、俺が死んだ後、孤独に耐えるのか?
いいや、また召喚しようとするだろう。
俺、風見翔也の代わりを。
それが、耐えられない。
もし、俺よりも一緒に居て楽しいと感じたら?
風見翔也がどれだけつまらない人間であり、劣った存在であるのか悟ってしまったら?
フミーにとって、価値ある存在じゃなくり、求められなくなるのが怖い。
それが例え、自分の死後であっても。
「わかった。じゃあしない」
卑怯で我儘で自分勝手な要求。
それを、眉を下げ気の抜いた顔ですんなり返事をする。
「俺は、フミーに、俺が死んだあと、後追いするか一人でいろって言ってるんだぞ」
「うん。蘇らせる方法探してみて、無理なら後追いするよ」
酷いことだ。そんな最低な望みをあっさりと受け入れた。
強い親愛を抱かれていることくらい当然知っていたが、それは俺が孤独を救ったヒーローだからだろう。
死んで、また孤独にしたのなら、そんなことは関係ない。そう思っていた。
「……!」
小さな掌の感触を頭部に感じる。
「さっきまで、アタシが泣きそうだったのに、今度はカザミショーヤが泣きそうなの?」
優しく撫でるその手が心地よくて動けない。
フミーの言葉の通り泣きそうではあるが、意地でも泣かないよう舌を少し噛む。
「前はカザミショーヤが撫でてくれたよね。お返しだよ。ふふん」
得意気な愛らしい声が耳を通る。
「なあ、どうして俺の望みを聞いてくれたんだ?」
「まだその話?だって今目の前にいるのはカザミショーヤだよ。アタシが好きなのもカザミショーヤだよ。フミーは好きな人のお願いは聞いてあげるよ」
「それは、俺が——」
「アタシね、父様のこと今でも大好きよ。これから先もね」
「!」
「生きてるからとか一緒にいるからとか、そんなのもう追い越して“カザミショーヤ”が好きなの。だから、ずっと好きだよ」
撫でるのをやめ、自身の胸元に触れながら答えた。
俺のくだらない不安感は、暖かい言葉に包み込まれ、消えていく。
フミーは使えないと言っていたが、
それこそ魔法のように。
——残り三日。
———
「やあ」
片手を上げて気さくに話しかけてきたのは紺色の目に金髪のボブカットの——
「ネオ・ハクター……?」
つい今日、本で見たはずの人間が目の前に存在し、白衣のポケットに手を入れ、黒いヒールを鳴らしながら、近づいてくる。
「ふむ、ご存知のようで嬉しいよ。君の名前は?」
「か、風見翔也だ。これは、どういう……」
そこは、無限の広がりを感じさせる真っ白な空間だった。フミーと過ごした密閉空間とは裏腹ににひたすら開放的な場に困惑を示す。
「簡単な話、ここは君の夢の中だ」
「夢……?」
「そう、夢。もっとも、私がその夢にお邪魔してるんだけどね」
「そうか……」
こんなに現実感がはっきりしていてもその言葉受け入れられたのは、本能でわかっているからだろうか。
「……」
「……」
しかし、写真で見た時の印象とは違い、強気な笑みを崩さず、何もかも見通しているかのようなネオ・ハクターには苦手意識が芽生える。
世の中には隙だらけでその隙を見せないようもがく人間もいれば、ありのままで隙のない人間もいる。前者が風見翔也で後者が彼女だろう。フミーは隙を気にしないタイプ。
「警戒してるなぁ。ごめんよ、カザミ殿。本当に。君の今の状態は私の責任だ」
「今の状態って何のことだよ。勝手に責任とか言われても」
「君の召喚についてだよ」
その単語に、心臓が高鳴る。
「チョジュラス家の指南役とか本に書かれてたな。あんたがフミーに召喚術を教えたからとかそういう意味か?」
何か嫌な予感がし、それを無視すべく可能性を提示する。
言ってから、思い出す。
召喚術は父親から教わったということと、ネオ・ハクターは長命ではなく推定フミーの知り合いの先祖という話を。
今の自分が混乱していることを自覚させられた。
「いーや。私は少し教えただけで、あの子の教育はほとんど父親がやったよ」
「じゃあ、どう意味だよ。そもそも、あんた何歳なんだ。フミーと同じで長命なのか?」
思い出した通りやはり否定されるが、代わりに今度はネオ・ハクターのパーソナルな質問を投げかける。
フミーが知らなかっただけで長生きならばフミーに見覚えがあるのにも辻褄が合うからだ。
「女性に歳を聞くなよ馬鹿者。私の話は後にするとして……まず、フミーも君も肝心なことを知らない。いやフミーは知ってて目を逸らしている可能性もあるか」
先程の質問はかわしつつ、軽い声で飄々した態度を崩さない。
それが妙に不安感を煽られ、ゴクリと喉を鳴らす。
「一体何の——」
「召喚術で、人間を召喚することはできないんだよね。生物は無理。生物に近い食べ物はだから召喚が難しいの」
根本を覆すような発言に、世界が止まったような気がした。
フミーによって異世界召喚されたのが俺、風見翔也。
そう認識している。
食べ物の召喚が難しいのはフミーから聞いている。
だが人間の召喚ができないなど初耳だ。
人間を召喚できないのなら、
「じゃあ、俺は……」
何故召喚されている?
元の世界ですでに死んでいて召喚でき、今の風見翔也は死体が動いているだけの存在なんて驚きの展開はないと思いたいが、できないはずのことが何故できているのか。
それともネオ・ハクターの嘘か。
疑問と疑念が渦を巻く。
「まず、召喚したのはフミーじゃないよ。特別な方法によって君は召喚されたからね」
さらなる情報に身体が強張る。
フミーが風見翔也を召喚。
最初の認識の時点で事実が違うと言う。
「まさか、お前が……」
「私が召喚したのかについては否定させてもらう。やっぱり私のせいではあるけど」
「まどろっこしい。さっさとどういうことか話してくれよ!」
意味深なことばかり言う彼女に段々怒りが湧いてくる。
知ってることを全て洗いざらい話してもらいたい。
「そうだね。まずは、君が何故召喚されたのかについて話そう」
「フミーは……関係あるのか?」
「ああ。召喚した人物についてはややこしいから一旦お預けにさせてもらうが、フミーは関係大アリよ」
フミーが召喚していないと言っても召喚された場所はフミーの元だ。当然、関係はあった。
「そうか……。で、なら何のために召喚されたんだ」
フミーが寂しくて風見翔也を召喚したという認識はすでに崩れている。
なら、何のために?
フミーでない人物がフミーの元へ召喚した理由。
それは——
「フミーの幽閉を解くため、さ」
目を細め、妖しい視線で俺を射抜く。
あの部屋の扉を開けようとしたら燃えたのはもう三日前のことで、あれ以来試していない。
トラウマさえ作ってしまったそんな扉を、
「俺が、解けるのか?」
方法があると言うのか。
目を見開き、相手を凝視する風見翔也をネオ・ハクターは気にも留めず、話を続ける。
「あの扉はどういう仕組みだと思う?」
「フミーを何かの危険から守る為のもので、無理矢理開けようとするとトラップが発動して燃える。手を離すと元通り。で、フミーを幽閉し、扉に付与魔法したフミーの父親にしか開けられないってとこか?」
驚く気持ちを一旦追払い、その問いに記憶を巡らせて答える。
「うん。70点ってとこかな。通常あの扉はびくともしないんだよ。動かせるのはフミーの父親か、それに近しい魂を持つ者だけ」
「魂が近い?」
魔法がある世界だ。魂の概念があっても不思議ではない。
しかし、魂が近いとは何だろう。色や形があるのだろうか。
「魂が近いとか普通はないよ。それぞれみんな違うもんだしさ。……違う世界まで探しに行かなければね。」
「あ……」
魔法やらが存在しない元いた世界。
そこまで探しに行かないと存在しないフミーの父親と魂の近い存在——風見翔也。
ようやく少し見えてきた。
「だけど、開けようとしたら燃えたぞ俺。ドアノブから手を離したら止まったけど」
「近しいだけで同一の魂じゃないから、扉を開こうとすることはできても燃えるのさ」
燃えたあの時の地獄のような苦しみ。その理由がわかって少しすっきりである。
「ちなみに、ドアノブから手を離したら燃えなくなるからといって少しずつ開けようとしても意味ない。扉の開け具合に応じて悪化するから人が通れるほど開けた時点で塵だよね」
「そもそも俺、もう扉開けようと思ってないからな」
「え?」
ネオ・ハクターが釘を刺したその姑息な戦法を、ふと思いついてはいた。だが、それを試そうとは思わない。
それは、扉がトラウマなっているからではなく、
「俺はあの部屋で骨を埋めるつもりだから」
「それは……」
ここで、初めてネオ・ハクターの表情が歪んだ。
これまで飄々としていた彼女の、予定が崩れたかのようなその様に胸がすく。
「考え直してくれない?」
「嫌だ」
人差し指を顎に当て眉を寄せ、おねだりするかのようだったが即断る。
その反応に不服そうに言葉を続けた。
「あのね、これは……フミーの父親の願いなのよ」
「!」
フミーが今でも大好きな存在。その人を出されると耳を傾けざる負えないのが悔しい。
「私はね、あいつ……フミーの父親が死ぬ前に託されていた。娘のことをね」
「———」
「だから、頑張ってどうにか部屋から出そうと思ったけど、扉どころか部屋全体に強力な付与魔法がかかっててね。途中で、あ、無理だこれってなったんだ」
どこか遠くを見るようにそれを語る姿からは無念な気持ちが嫌でも伝わる。
「少なくとも、私の寿命じゃ足りない。時間が足りない」
「……それで、どうしたんだよ」
思わず先を促した。
白衣のポケットに入れていた手を取り出し、額に当てる。
それから、微笑を浮かべて答えた。
「人形を作ったんだ」
その一言だけではとても飲み込めない言葉だった。
説明を求める前に、続けて口を開く。
「私よりも断然長生きできて、頑丈で、健康で、私の記憶、頭脳、能力がある。そんな上位互換のコピー人形——そんなあの子を作って、私は託した」
「……っ、じゃあ……」
脳に過ぎるは本に載っていたネオ・ハクター。
それはネオ・ハクター本人ではなく、コピー人形のネオ・ハクターだと言うことか。
「なら、お前…」
「そう、私はすでに死んでる」
「……!」
見えた事実に驚き、立ち尽くしていると、ネオ・ハクターは上を見上げた。
つられて見上げると、白い空間にヒビが入っているのが見える。
「おっと、そろそろ目覚めの時間だ。途中までだが仕方ない。また次の夜に会えるけど最後聞きたいことは?」
「何故俺の夢の中にいる」
咄嗟に出てきた問いをする。
「それは」
意識が霧がかる中、確かに言っていた。
「君が私のコピー人形に召喚されたから」