3章18話:霧の中に隠した話
クロシェット、そう名乗った女は頭に葉っぱをつけ、ニッコリ微笑んでいた。
「フミーちゃんのお友達だよね」
「え……友達……まぁ……」
クロシェットの確認に、歯切れの悪い返答をするリーゼ。フミーとの関係性の名前など考えたことがない。
「友達……友達……?」
ボソボソとその単語を吟味し咀嚼するようにリーゼは繰り返した。
フミーとの関係性をそう定義していいのか。かといって他に相応しい名前はないため、それで呑み込む。
「エルフの里まで案内するね。ついてきて」
そう言ってクロシェットは身につけたマントを揺らし霧の中を進み始めた。
「うーす」
頷いて逸れないようにクロシェットの背中をリーゼは追う。
「一応、手を繋ごうか」
振り向いたクロシェットは、リーゼの手を取った。ずっと走り回っていたクロシェットの手は体温が上がっていて、リーゼの手にそれが伝わってくる。慣れない感触に、思わず拒否しようと考えるが、それは取りやめて肩をすくめた。
「ガキじゃねぇんですから……って言いたいとこだけど、今迷子になってるわけですしやむなしっすね」
「わたしから見たら大体の存在は子供だよ」
子供扱いにバツの悪くなったリーゼをクロシェットは笑顔で包む。
握り返すことはしなかったが、そのまま手を引かれながら足を進めた。こんな風に手を引かれる日がくるとはリーゼさ思いもよらなかった。少し新鮮な気持ちも芽生える。
「……エルフっすよね」
「うん! こう見えても人間たちの何倍、何十倍も生きてるんだから!」
リーゼは特徴的な長い耳に目線をやる。すれば、自慢するように自身の胸を叩くクロシェット。
「エルフ……か……」
リーゼの手に、少し力が入ってしまう。
スズランという少女もまた、エルフだった。だからこそ、誘拐され被験者になってしまったのだが。
「エルフに何か思い出があるの?」
「昔、エルフのガキに会ったことあるんっすよ」
「……ここ以外で? それは、珍しいね」
エルフは、世界的に見て珍しい。だからこそ様々なリスクが付き纏う。そんな煩わしさから多くのエルフはアルウェイル森林地帯を出ない。
「ねぇ、もっと詳しく聞かせてくれない?」
クロシェットの声は、切実さを帯び、リーゼの手を握った彼女の手には力が籠る。
その真剣さには、ただならぬ気迫があった。
漠然とした居心地の悪さをリーゼが感じる。
「あ……ごめん。こっちの事情を先に言わなきゃだよね」
眉を八の字にして目を伏せるクロシェット。彼女は続けて口を開く。
「わたしの娘、行方不明でさ」
リーゼに気を使わせないため重々しく話さないよう、軽い調子で切り出すクロシェット。しかし、悲壮感は滲み出ている。
「外の世界を見せたくて、森を出て一緒に旅行してたの。……100年くらい前になるのかな。人が多い町だった」
悲しみを押し殺すようにクロシェットの目の下に皺ができる。
「一瞬……、そう一瞬、目を離したの。一生後悔する一瞬よ」
その時の出来事を思い描くように目を閉じるクロシェットの声は、震えていた。
「誘拐されたのか、勝手にいなくなったのか、何らかに巻き込まれたのか、わからない。ただ探し続けた。ずっと、世界中。あの子がいなくなったあの日から」
クロシェットは足を動かすのをやめて立ち止まる。そうして手を繋いだままリーゼを見つめる目の色には、どこかの少女を思わせる色が入っていて、思わずリーゼは喉を鳴らす。
「ねぇ、だから、あなたの知ってるエルフの子について、教えて欲しい。『あの子』は、わたしの生きる理由なの」
リーゼとクロシェットを繋ぐ手が絡まった鎖のように思える。
リーゼの頭の中で軋むように主張する結論があった。誘拐という単語だけでとっくに思い至っていた。いや、ひょっとしたらクロシェットを一目見た瞬間からかもしれない。
それでも、往生際悪く退路を探す。
「その娘の名前って、なんて言うんすか?」
表情を何一つ変えず、問いかける。声色も落ち着いている。それが却って異質だった。
二人の間に割り込むように流れた冷たい風で、クロシェットのマントが大きく靡く。
それ風が止んでから、答えを告げるためクロシェットは口を開く。
「スズラン。綺麗な長い黒髪の女の子だよ」
クロシェットの手の中でリーゼの指が微かに反応する。
正真正銘リーゼが知っている少女に他ならない。
退路は断ち切られ、事実を確定させた。
『わたしね、昔はリーゼみたいに黒髪だったんだけど、ここに連れてこられてからいつの間にか白髪になっちゃったんだ』
『へー。実験の副作用かストレスだろうな』
あるいは、そんな会話を思い出してさえいなければ、同名の別人だとリーゼは安心できていた。自分の知っている少女は白髪だから違うと思えた。実際はそんな安心が得られることはなく、ただ負荷がかかる感覚だけがある。
しかし、そんな胸の内を明かすことをリーゼしない。
「……ウチの知ってるやつとはちげぇや。サーセン」
いつものリーゼのぶっきらぼうな軽い口調。そうして、誤魔化す。
組織にいた者は、ほとんど殺された。ならば、その少女について知る者はどれほどいるだろうか。
「———」
掴んだ恵みの糸が千切れたかのように、クロシェットは言葉を失い、慣れたように薄笑いを浮かべる。
きっと、この母親は死ぬまで娘を探し続けるだろう。希望を持つのをやめずに。
それならそれで、いいのではないかとリーゼは思う。
生きる理由で、やるべきことで、目標で、支えなのだ。
真実を告げてしまえば、彼女から大事なものを奪ってしまうのではないか。
だから、10年以上前にとっくに死んでいるなど言えやしなかった。そんな希望を砕く答えなど、教える意味はあるのか。
——それとも、スズランでなければ、リーゼは告げていただろうか。あの少女じゃなければ。
「……いいのよ、気にしないで。あなたが謝る必要はないわ」
目を伏せるリーゼに肩をポンと叩くクロシェット。彼女の顔をリーゼは見れなかった。彼女の目に今は耐えられる気がしないから。
——それでも、手を繋いだまま歩みは再開する。
話題は他の話に変わり、素知らぬ顔で相槌をしリアクションを取ってクロシェットと会話をした。
それは確かなはずだが、リーゼはその会話の内容は覚えていない。視界が焦点が合わずにぼやけて、ふわふわと浮いたような感覚がして、足取りが妙に軽くて、自分の中身が空っぽになったかのようだった。
現実感を失ったような、そんな不思議な感覚のまま、エルフの里へ到着する。
自然と共存した木造建築が建ち並び、和の雰囲気漂う場所だ。住まうエルフたちも和の服装をして穏やかに過ごしている。
どこか神秘的な空間だった。
「あっ」
クロシェットは何かに気づいたように声を上げ、これまで繋いでいた手を離した。
「手を引かれてきたとか友達にバレたら恥ずかしいよねっ」
申し訳なさそうに眉を八の字にするクロシェット。それは彼女なりの気遣いであった。
リーゼはクロシェットから離された自身の手を見つめる。まだ、彼女の温もりが宿った手だ。
ゆっくりと拳を作ってから下ろす。そこで現実感が戻ってきた。
「クロシェットさん」
「ん?」
リーゼ初めて彼女の名前を呼んだ。
呼ばれたクロシェットは首を傾げる。
「案内してくれて助かったっす。どうも」
浅く頭を下げるリーゼに、クロシェットは笑顔を向けた。
彼女がいなければ、リーゼはエルフの里に一生辿り着けなかったかもしれない。
「うん。とりあえずルルーミャ様のところに行って報告——いや、それ後回しにして旅館に行って休む? ご飯もお布団も温泉もあるよ。あと着替えも!」
手足をパタパタ動かしながら弾むような声を出すクロシェットへ、リーゼは目尻を下げた。
「温泉が気になるっすね」
「よし! じゃあ一緒に入ろう!」
「おわっ!」
再び手を握られ、引っ張られるまま旅館へ向かうのだった。




